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全斗煥クーデターを描いた『ソウルの春』ヒットと、独裁が「歴史」になった韓国の変化

ニューズウィーク日本版 2024年9月10日 15時58分

木村幹
<韓国で大ヒットした映画『ソウルの春』の日本公開が始まった。1979年の全斗煥によるクーデターを描いた作品だが、韓国で近年、独裁期をテーマにした映画の制作が続くのはなぜか>

8月23日、映画『ソウルの春』が日本で公開された。この映画は、1979年12月12日に韓国国軍の情報機関・保安司令部トップで、後に大統領となる全斗煥(チョン・ドゥファン)らによって引き起こされた「粛軍クーデター」を題材にしたものである。韓国では既に昨年公開され、この年の最多観客動員数を記録した。

韓国では近年、朴正煕(パク・チョンヒ)政権末期から87年の民主化までを扱った映画の公開とヒットが続いている。代表的な作品は80年の光州事件を題材にした2017年公開の『タクシー運転手 約束は海を越えて』であり、この年には87年の民主化運動を扱った『1987、ある闘いの真実』も公開された。

わが国では、こうした韓国現代史上の出来事を扱った韓国映画が公開されるたびに繰り返されるフレーズがある。「韓国最大のタブーがついに」というのがそれである。長い独裁政権期を経験した韓国には、いまだに人々が真実を語れない過去がある。しかし、そして今、人々はようやくそれを語ることができるようになったのだ──と。

一見分かりやすいこの説明は、大きな誤りを含んでいる。それを『ソウルの春』の主題となった粛軍クーデターを例にすると、次のようになる。

全が権力の座にあった時代、韓国では強力な言論統制が行われ、粛軍クーデターや光州事件について、人々が自由に語ることはできなかった。とはいえ、それはあくまで彼らが権力の座にあった時期のことである。韓国では、全の退陣直後から一連の事件の真相究明と責任を問う声が噴出した。結果、全は95年に逮捕・起訴され、97年に無期懲役の判決を下された。

当然ながらこの過程では、一連の出来事に対する調査が行われ、結果は、裁判を通じて広く韓国国内に知られた。『ソウルの春』において全(劇中の名前はチョン・ドゥグァン)の敵役として描かれる首都警備司令官の張泰玩(チャン・テワン、劇中の名前はイ・テシン)らも、自ら回顧録を出版し、その見解を世に広く問うている。

「民主化以後」のほうが長くなる

2024年は87年の民主化から既に37年。その長さは李承晩(イ・スンマン)と朴、そして全の政権掌握期間を合わせたものとほぼ同じになっている。つまり、韓国では権威主義政権期よりも「民主化以後の時代」のほうがそろそろ長くなる。今でも権威主義政権期の出来事がタブーなはずがない。

にもかかわらず、今の韓国で朴政権期から民主化運動に至る時期に関する映画やドラマのヒットが相次いでいるのはなぜか。皮肉だが、それは時の経過とともに、その記憶が薄れつつあるからだ。だからこそ、彼らは実在の人物の名前を架空の名前に置き換え、多分にフィクションを含んだ作品をエンタメとして楽しむことができる。

太平洋戦争にせよ、ナチスのユダヤ人虐殺にせよ、大きな悲劇を経験した直後には記憶があまりにも生々しく、鮮明に残されている。だから、その段階では人々はこれをわざわざ回顧する必要はないし、いわんやそこに作り話をちりばめたりしようと思わない。だからこそ、どんな事件でもそれらを題材にした優れた作品が作られるのは、発生から数十年を経た後になる。

韓国において、権威主義政権や民主化運動を語る作品が多く作られ、人々の注目を集めているのは、彼らがその詳細を忘れてしまったからであり、また、これらの事件があった時代が「歴史」になったからである。そして、過去が「歴史」になる過程もまた、韓国現代史の重要な部分の1つである。この過程については、筆者の近著『全斗煥』(ミネルヴァ書房)でも描写した。関心がある方はぜひ参考にしてほしい。

映画『ソウルの春』のトレーラー





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