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ミャンマー内戦に巻き込まれ、強制徴兵までされるロヒンギャの惨状

ニューズウィーク日本版 2024年9月11日 17時17分

増保千尋(ジャーナリスト)
<世界の注目が集まるバングラ政変の陰で、イスラム教徒の少数民族がミャンマー内戦に巻き込まれ、多数の犠牲者が出ている>

8月上旬の深夜、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相(当時)国外逃亡のニュースが世間をにぎわせていたのと同じ頃、筆者の携帯に不穏な写真が届いた。映し出されていたのは、雨でぬかるむ田舎道に突っ伏した女性や老人、子供の無数の遺体だ。送り主であるロヒンギャの青年がこう訴える。

「誰もがバングラデシュの政変に気を取られ、僕らのことを忘れてしまった。ミャンマーはひどい状況だ。多くのロヒンギャが戦闘に巻き込まれ、村で、道端で死んでいる」

仏教徒が多数派を占めるミャンマー(ビルマ)で長年、迫害を受けるイスラム教徒の少数民族ロヒンギャが、軍事政権と仏教系少数民族の戦闘に巻き込まれ、さらにバングラデシュ側に避難した難民までもが強制徴兵されて戦場で「人間の盾」にされている。6月にバングラデシュの難民キャンプを訪ね、権力者の思惑に再び翻弄されるロヒンギャの現状を取材した。

繰り返される「7年前の危機」

ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州に何世代にもわたり居住していた歴史があるが、国内ではバングラデシュからの「不法移民」として迫害され、ほとんどの人が無国籍の状態にある。ミャンマーが民政移管した翌年の2012年頃から同州内の仏教系少数民族ラカイン人との対立が深まり、両者の衝突が国内各地に飛び火して反ロヒンギャ運動が巻き起こった。

さらに17年8月、武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」の武装蜂起を機に、ミャンマー軍やラカイン人の強硬派の仏教徒らが、ロヒンギャの村で大規模な武力弾圧を行った。罪のない市民が無差別に殺害され、女性が性暴力を受け、村が焼き打ちに遭ったことから、米政府はこの迫害をジェノサイド(集団虐殺)に認定している。このとき75万人以上のロヒンギャが隣国バングラデシュに逃れ、7年がたった今も難民キャンプで避難生活を送っている。

かつての悪夢のような惨劇が、今年に入り繰り返されている。ラカイン州で昨年11月から、ラカイン人の武装勢力「アラカン軍(AA)」とミャンマー軍との戦闘が激化し、それにロヒンギャが巻き込まれているのだ。

ラカイン人には、18世紀まで栄華を極めた自分たちの王国をビルマ人王朝に滅ぼされ、それ以降は多数派ビルマ人に搾取されているという思いがあり、1950年代から抵抗運動を行ってきた。19年1月には、自治権獲得を求めるAAとミャンマー軍との戦闘がラカイン州で激化。だが21年2月にミャンマーで軍事クーデターが起こると、軍は民主派との戦いに苦戦するようになり、AAはその間ラカイン州で実効支配地域を拡大する。

この優勢の波に乗り、23年11月に一挙に攻勢に出てラカイン州にあるミャンマー軍の拠点を次々と占拠した。地元紙の報道によれば、今年5月までに17郡区のうち9つを統治下に置いたという。ミャンマー軍がこれに応戦し、州内でAAの勢力圏に置かれたロヒンギャの村を攻撃するなか、市民が両者の戦闘の巻き添えになり、大きな被害が出ている。

母の斬首遺体を見て号泣

タミンジョー村から逃れてきたアリは自身も足を銃で撃たれた CHIHIRO MASUHO

4~5月にかけて激戦が繰り広げられた北部ブーティーダウン郡ナッケントー村出身のモハマド(仮名、60歳)は、AAが彼の村を支配下に置こうとしているという理由で、ミャンマー軍が5月中旬に村を襲撃したと語る。妻の親戚が暮らす同郡タミンジョー村に逃れたが、今度はそこでAA側の攻撃に出くわし、複数の兵士に銃で撃たれ、足や腹部に重傷を負った。モハマドは村の惨状をこう話す。

「17年8月にも、ミャンマー軍は私の村を攻撃しました。しかし今回のほうがより多くの人が亡くなっており、7年前の危機よりも被害は大きいと感じます」

同じくタミンジョー村のアリ(仮名、16歳)は、AAによる攻撃が始まった当初、マドラサ(イスラム神学校)にいた。銃声と爆発音を聞いて家路を急いだが、自宅で目にしたのは変わり果てた母やきょうだいの姿だった。家族11人のうち6人が銃に撃たれるなどして亡くなり、残り5人も重傷を負った。母親は斬首され、さらに腕を切り落とされており、その姿を見て号泣したという。逃げるために外に出ると水田には銃で撃たれたロヒンギャの遺体がいくつも横たわっていた。その後、AAは彼の村に火を放った。「こんなひどい仕打ちをするなんて、軍もAAもどれほどロヒンギャを憎んでいるのだろう」と、アリは言う。

戦闘は今も続いており、8月5日には、バングラデシュ側に避難しようと両国間を流れる国境の川を渡ろうとしたロヒンギャがドローンなどによる爆撃を受け、約200人が犠牲になったと米CNNなどが報じた。冒頭の筆者に送られてきた写真は、その際に撮影されたもので、ミャンマー軍とAAはこの惨事の責任をなすり付け合っている。ラカイン州の戦況が悪化するなか、バングラデシュに逃れようとするロヒンギャが急増しているが、同国は現在、難民の受け入れを制限しており、多くの人が国境付近で立ち往生している。

戦場に送り込まれる難民

もう1つロヒンギャを苦しめているのが、強制徴兵だ。ミャンマーでは軍事クーデター以降、民主派や少数民族武装勢力が各地でミャンマー軍と戦っている。この戦線拡大による兵力不足を補うため、ミャンマー軍は今年2月に徴兵制開始を発表した。ラカイン州でも、州内はおろかバングラデシュの難民キャンプでロヒンギャを無理やり徴兵し、前線に動員。AAの兵士は「ミャンマー軍に加担している」という理由でロヒンギャの村を襲っているという。

ロヒンギャへの強制徴兵の実行部隊となっているのが前出のARSAと「ロヒンギャ連帯機構(RSO)」だ。ARSAは13年頃、サウジアラビア育ちのロヒンギャによって設立され、当初は市民権の回復などを目標に掲げていた。

他方、RSOは80年代に結成されたロヒンギャの古参の武装組織だ。90年代初頭にミャンマー軍の掃討作戦に遭った後、最近までその活動が話題に上ることはほぼなかったが、昨年からバングラデシュの難民キャンプ内でARSAと権力抗争をしている。両組織はお互いのメンバーだけでなく、キャンプ内のリーダーや教育者などを殺害したり、身代金目当てに難民を誘拐したりといった事件を相次いで起こしており、現在の実態は「ならず者」に近い。ロヒンギャも自分たちを代表する組織とはつゆほどにも思っておらず、むしろ恐れている。

KOSMOZOO/ISTOCK (MAP)

これまで市民権を認めてこなかったロヒンギャを、なぜ自軍の兵としてミャンマー軍は使うのか。敵であるはずのミャンマー軍のために働くARSAやRSOの動きも不可解だ。だがそもそも彼らに道義心はなく、これまでも正当性より実利を取る戦略を取ってきたと、ミャンマー軍内部の事情に詳しい京都大学の中西嘉宏准教授(比較政治学)は指摘する。

「ラカイン州の戦闘で劣勢に立つミャンマー軍は、(これまで差別の対象にしてきた)ロヒンギャを取り込まなければいけないほど、深刻な兵力不足に陥っているとみられる。一方、ARSAとRSOは『敵(ラカイン人のAA)の敵(ミャンマー軍)は味方』の論理によって軍に協力しているのかもしれないが、金銭や武器など何らかの利益を受け取っている可能性もある」

ARSAとRSOの派閥争いによって、もともと悪かったキャンプ内の治安はさらに悪化している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計によれば、23年に誘拐や殺人といった深刻な事件でロヒンギャ難民が保護を必要としたケースは1857件と、前年の2.8倍に増えた。これに加え、ARSA、RSOによる強制徴兵が、難民をさらなる恐怖に陥れている。

強制的に徴兵されたフセイン CHIHIRO MASUHO

5月に難民キャンプで強制徴兵されたフセイン(仮名、15)によれば日中、露店にいたところ、10人ほどの男たちに囲まれ、小銃を突き付けられてキャンプ内にある彼らの隠れ家に拉致されたという。男たちは界隈では、RSOのメンバーとして知られていた。夜の8時頃、他の被害者と共に車で国境付近まで連れて行かれ、国境の川を船で越えるとミャンマー軍基地に収容された。不潔で悪臭のする部屋に100人近い被害者と共に軟禁され、食事はわずかな米と野菜が日に1回提供されるだけだった。

なぜ自分たちがここに連れてこられたのかと兵士に問うと、数発殴られた後、「前線に資金を運ぶのがおまえの役目だ」と告げられた。携帯を没収されて難民キャンプにいる家族に連絡することもできず、「ここで死ぬのか」と絶望したという。

何度か逃亡を試み、3度目でようやく成功。再び国境の川を渡る際、船頭に1万5000バングラデシュタカ(約2万円)という高額な船賃を要求された。キャンプにいる父(62)に電話するように言われ、親戚中からなけなしの金を集めてもらって何とかバングラデシュに戻ることができた。取材時は、事件から既に1カ月が過ぎていたが、軟禁されて兵士に何度も殴られた恐怖が忘れられないという。

強制徴兵の被害者の中にはフセインのように無理やり軍基地まで拉致された人もいれば、市民権の付与や給与の支給などを約束された人もいる。前出のモハマドの村にも軍が徴兵にやって来て、「ラカイン人であるAAはムスリムの憎い敵なのだから、協力しろ」「拒否すれば、おまえらを殴り、村に火を付ける」などと村人を脅した。徴兵されたロヒンギャ難民はAAとの戦闘の前線に送り込まれており、既に多数の戦死者も出ている。

フセインが行方不明になってから、毎日泣き暮らしていたという父親は、再び息子が連れ去られるのではないかと不安な日々を送る。彼は切実な面持ちで「誰でもいいから、この強制徴兵を早く止めてほしい」と語る。

権力者に利用される弱者

ラカイン州ではミャンマー軍に動員されたARSAや難民に加え、AAとの戦闘でロヒンギャ、ラカインの市民双方に犠牲が出ている。AAの発表によれば、5月の時点で、彼らの勢力圏内だけでも50万人以上の国内避難民が発生している。12年と17年を彷彿とさせるような軍事的緊張も高まっている。

RSOの司令官(32)。バングラデシュ当局から国境間の移動の自由を保障されているという COURTESY OF RSO

中西准教授によれば、少数民族間の潜在的な対立を利用することで、軍による支配を固定化するこうした戦略は、ミャンマーで繰り返し用いられてきたという。ラカイン州は国内の最貧困地域の1つで、ラカイン人もまた長年、軍の迫害や搾取に苦しんできた。現在のラカイン州で起きているロヒンギャとラカイン人の抗争は既得権益を維持したい権力者に政治利用され、その犠牲となってきた「弱者同士の争い」でもあると、中西准教授は指摘する。

強制徴兵には、バングラデシュ当局の関与も示唆される。地元ジャーナリストは、「バングラデシュ当局は難民キャンプの治安悪化を把握しながら、意図的に野放しにしている。もともとバングラデシュはロヒンギャの帰還の道筋が見えないことにじれていた。徴兵でロヒンギャがミャンマーに連れて行かれるのを、止める理由はないのだろう」と語る。バングラデシュとミャンマーの国境付近に潜伏するRSOの司令官(32)に話を聞くと、彼もまたバングラデシュ当局から「支援を受けている」と認めた。

17年の危機の発生当初から、ロヒンギャ難民キャンプを調査する立教大学の日下部尚徳准教授(国際協力論)は、「バングラデシュ警察は、昨年RSOの一部を抱き込んでARSAの幹部を摘発する作戦を行っており、現場レベルで間接的に強制徴兵に関与している可能性が指摘されている。RSOに比べ、国外とのつながりが強いARSAを当局は警戒している。キャンプがイスラム過激派の根城になることを懸念しているのだろう」と分析する。

ラカイン州の治安が悪化の一途をたどるなか、ロヒンギャ難民がミャンマーに帰還する目途は立たない。キャンプで命の危険にさらされ、就労や教育の機会も制限されている難民たちからは、未来への希望を持ちづらいという声が聞かれる。17年以前に避難したロヒンギャを含めると、100万人の難民を7年以上受け入れ続けるバングラデシュ側も疲弊しており、市民の間では反ロヒンギャ感情が高まっているという。

8月にハシナ前首相が辞任した後、暫定政権の首席顧問を務めるムハマド・ユヌスはロヒンギャ難民への変わらぬ支援を表明しているものの、世界中で戦争や人道危機が頻発する状況下で、国際社会からの資金提供は大幅に減少している。また、7~8月に起きた反政府デモの際、警察署などが襲われ武器が流出し、その一部がキャンプに流れ込んだという情報もあり、さらなる治安悪化が懸念される。

一見平和に見えるロヒンギャ難民のキャンプだが、治安は悪化し続けている(今年6月) CHIHIRO MASUHO

ラカイン人とロヒンギャの現在の軋轢に、日本も決して無関係ではない。太平洋戦争中の1942年、ミャンマー(当時の英領ビルマ)に侵攻し、ラカイン州にもその勢力を伸ばした日本軍は、そこで英軍と対立した。このとき、英軍は同州のイスラム教徒を、日本軍は仏教徒を諜報活動などに利用。この期間に発生したイスラム・仏教徒間の暴力的な衝突の歴史は今も双方のコミュニティーに語り継がれており、相手を攻撃する際の論拠にする人もいる。

歴史的にも関わりのある日本がロヒンギャ難民の状況を改善するために担うべき役割を、日下部准教授はこう話す。

「日本政府は継続的にロヒンギャ支援への資金協力を続けているが、今後は難民の就労や高等教育の機会を増やすようなプロジェクトを主導することも期待される。バングラデシュが孤立すれば、経済的な負担増や治安悪化につながり、地元コミュニティーにおけるロヒンギャへの反感がさらに強まる可能性もある。難民を受け入れるバングラデシュを徹底的にサポートする姿勢を見せることが、日本を含む国際社会に求められている」

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