ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<職業問わず、文章がうまい人は出世する。ベストセラーに学ぶ、文章でのコミュニケーションが欠かせない時代のメール術>
ビジネスは「依頼し」「依頼される」人間関係で成り立っている。人に依頼するのがうまい人とは、仕事が絶えない人、つまり出世する人である。そして、多くのケースで依頼にメールが使われる今日、人を説得する文章を書けることが成功の鍵となる。
朝日新聞名文記者として知られる近藤康太郎氏は10刷のベストセラー文章読本『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)(CCCメディアハウス)で、人を説得する文章技術を説いている。取材することが難しい対象をも口説き落としてきたメールの書き方を紹介する。
◇ ◇ ◇
書ける人は出世する:文章を書くことは高度な知的活動
文章を書くというのは、きわめて高度な知的活動です。それは、たとえば外国語の学習を考えれば分かります。外国語の本を、辞書を引かずにストレスなく読み進むには、まず、単語一万語を覚えていることが必要でしょう。
しかし、辞書なくして本を読み進めることができるようになっても、書くことはできない。片言で、なんとか自分の意思を表すことはできますが、ネイティブが読んで違和感のない自然な英語は、書けない。
日本人が自然な日本語を書くのも、だから、苦労してあたりまえなんです。そのうえ「うまい」といわれる日本語を書くことは、至難の業だ。そしてとびきり難しいからこそ、書ける人は有利です。いやな言葉ですが、出世します。
文章操縦力が高いとしあわせになれる
どの世界でもトップにいる人は、きわめて文章操縦力の高い人です。ビジネスだけでなく、アーティストも、じつは、アスリートや格闘家でもそうなのです。トップ中のトップは、間違い
なく、文章家です。例外は政治家だけです。
まとまった分量の文章を書くのは、いまではメールがいちばん多いでしょう。そういう意味では、うまいメールを書ける人こそ、出世する人です。仕事を任せられる人です。
人は、人生のほとんどの時間を、仕事をして過ごしています。仕事が楽しい人は、すなわち、人生が楽しい人です。せいぜい、上手なメールを書かなければいけません。
落とすラブレターの名手は編集者
さて、上手なメール(=手紙)を書く人とは、だれでしょうか。まず、編集者をおいてほかにありません。
編集者とは、作家、ライター、記者と一緒に、書籍や雑誌、新聞を作る人です。作家やライターをピッチャーだとすると、編集者はキャッチャーです。そして、ピッチャーを生かすも殺すも、キャッチャー次第です。
そのなかでも、本を作っている編集者はとびきり優秀なキャッチャーが多いです。なにしろ本を作ろうというのですから、相手は一流の作家やライターです。文章の練達の士です。その人に向かって、メールや手紙を書くわけです。文章によって、文章の達人を口説くんです。編集者の手紙が、下手なわけはありません。
この本の編集Lilyとわたしは、初めて仕事をする仲です。最初にもらった仕事の依頼は、手書きの立派な書簡で、隅から隅まですきがなく、いかにも「できるな」と思わせるものでした。わたしが言うところの「三手詰め」になっていました。
相手を落とす依頼状は「三手詰め」で書く
手紙でもメールでも、こちらが三手動かすことで、相手玉を詰まさなければならない。相手を口説き落とさなければならない。将棋では相手も駒を動かすので五手詰めといいますが、ここは便宜上、メールの三手詰めと名付けます。
◎一手目 自分はあなたを知っている
なにをあたりまえなというなかれ。これが書けている人は、ほとんどいません。仕事を依頼する相手の本や記事、発言、相手が会社員ならば先方の仕事内容を知悉(ちしつ)していて、しかも、ある程度の期間を継続して興味を持っていることを、具体的に知らせなければならない。
依頼対象が忘れているような過去の仕事も含め、「あなたを知っている」と伝える。仕事を具体的にあげ、感銘を受けていることを、短くて的確な言葉で表す。
お世辞を言えというのではないのです。逆。みなが書きそうなことは書かない。依頼相手が、かつて言われたこともないような、新しい視点からの「評」を添える。つまりは常套句を廃せ(第4発)[※編集部注:『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)では、それぞれの文章技術を散弾になぞらえて、25のプロの技を解説している]ということだし、五感を使え(第7発)ということです。
◎二手目 自分はこういう者である
自己紹介ですね。自分の会社名、部署や肩書はもちろん、いままでどういう立ち位置で仕事をしてきたか、いま現在はどういう問題意識をもっているのか、「自分語り」はなるべく簡潔かつスピーディーに、必要な情報だけを、しかし相手を納得させるに十分なインフォメーションを与えます。
◎三手目 したがって自分にはあなたが必要だ(あなたにも、自分は有用だ)
一手目、二手目の、論理の帰結として、いま、わたしはあなたを必要としている。こういう問題意識をもった自分にとって、あなたに話を聞きたいと思うのは必然だし、あなた以外に話をする適任者がいるとは思えない。そこまで思わせなければ、だめです。
依頼し、依頼される:仕事はすべて人と人で成り立っている
メールもそうですが、初発の熱量がすべてなんです。どうしても創りたいという思い、この場合はどうしてもあなたと仕事をしたい、話を聞きたいのだと、そういう熱を感じさせられるかがすべてです。
そしてその熱を、単に「あなたと仕事がしたい」と書いてはだめです。論ではなく、エピソードで語らせる(第7発)。三手目に至る過程で、自分にはあなたが必要であること、そしてあなたにとってもこの仕事を受けることで新たな可能性が広がることを、説得的に、事実で、場面で語る。
あなたを知っている→自分はこういうものだ→だからふたりは会うべきだ。表現とは、言語とは、本質的に〈他者〉を必要とする、なんらかの行い(ゲーム)なんです。
依頼時の大前提:わたしのエゴより相手への配慮
三手詰めの前の、大前提がある。仕事を頼む相手は、つねに、世界一忙しい人だと思え。世界一忙しい人に出す依頼状であるからして、手紙でもメールでも、冒頭に時候のあいさつはいらない。意外に知らないライターが多い。
逆に、最初の依頼メールから省いてはならない情報もある。①自分はだれにメールアドレスを聞いて連絡しているのか②取材、面談を希望するおおまかな日程③謝礼、ギャラが発生するのか、発生するならいくらか。
日程とギャラについては、「あるいは失礼とは思いますが」と前置きして、しかし最初から書いておく。取材相手に問わせることは、失礼だ。最初からカネの話をするのは、無粋でもなんでもなく、必須事項、むしろ礼儀だ。
わたしは三十年以上、ライター、編集者として仕事をしてきて、三手詰めのメールで会ってくれなかった人は、ほとんどない。中央政界の疑獄事件で逃げ回っている代議士や、贈賄側の理事にも、手紙を書いて会ったことがある。
しかし、三手詰めのメールを書いても、それでも受けてくれない人は、いる。その場合は深追いしない。事件取材なら話は別だが、平時の仕事依頼である場合、三手詰めメールで肯(がえ)んじてくれないには、それなりの理由があるものだ。
行きずりの関係はわびしい
最後に、人間を、甘く見るな、ということだ。一回限りの関係を求めて近寄ってくる人は、すぐに分かる。だから相手も、ギャラや時間を勘案し、会う、会わないを決める。
言うは易やすく、行うは難しの典型だが、一回限りの関係を求めて近づく人間になってはいけない。一生付き合うという覚悟をもって、仕事は申し込むべきなのだ。
わたしも、仕事が終わったあと、手紙やメールを書き続ける取材相手が、何人もいる。高齢で身寄りがなく、生活の面倒を見ている人さえいる。
勘違いしないでほしい。打算でしているのではない。尊敬からしている。しかし、心からの尊敬も、かたちにしなければ、言葉にしなければ、伝わらない。
言葉にならない感情、言葉に落とせない思想は、存在しない。言葉にならないのではない。はなから感じていないし、考えてさえいないのだ。
この本の主張の、根幹であり、要諦(ようてい)であり、最初で最後だ。
◇ ◇ ◇
近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
<職業問わず、文章がうまい人は出世する。ベストセラーに学ぶ、文章でのコミュニケーションが欠かせない時代のメール術>
ビジネスは「依頼し」「依頼される」人間関係で成り立っている。人に依頼するのがうまい人とは、仕事が絶えない人、つまり出世する人である。そして、多くのケースで依頼にメールが使われる今日、人を説得する文章を書けることが成功の鍵となる。
朝日新聞名文記者として知られる近藤康太郎氏は10刷のベストセラー文章読本『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)(CCCメディアハウス)で、人を説得する文章技術を説いている。取材することが難しい対象をも口説き落としてきたメールの書き方を紹介する。
◇ ◇ ◇
書ける人は出世する:文章を書くことは高度な知的活動
文章を書くというのは、きわめて高度な知的活動です。それは、たとえば外国語の学習を考えれば分かります。外国語の本を、辞書を引かずにストレスなく読み進むには、まず、単語一万語を覚えていることが必要でしょう。
しかし、辞書なくして本を読み進めることができるようになっても、書くことはできない。片言で、なんとか自分の意思を表すことはできますが、ネイティブが読んで違和感のない自然な英語は、書けない。
日本人が自然な日本語を書くのも、だから、苦労してあたりまえなんです。そのうえ「うまい」といわれる日本語を書くことは、至難の業だ。そしてとびきり難しいからこそ、書ける人は有利です。いやな言葉ですが、出世します。
文章操縦力が高いとしあわせになれる
どの世界でもトップにいる人は、きわめて文章操縦力の高い人です。ビジネスだけでなく、アーティストも、じつは、アスリートや格闘家でもそうなのです。トップ中のトップは、間違い
なく、文章家です。例外は政治家だけです。
まとまった分量の文章を書くのは、いまではメールがいちばん多いでしょう。そういう意味では、うまいメールを書ける人こそ、出世する人です。仕事を任せられる人です。
人は、人生のほとんどの時間を、仕事をして過ごしています。仕事が楽しい人は、すなわち、人生が楽しい人です。せいぜい、上手なメールを書かなければいけません。
落とすラブレターの名手は編集者
さて、上手なメール(=手紙)を書く人とは、だれでしょうか。まず、編集者をおいてほかにありません。
編集者とは、作家、ライター、記者と一緒に、書籍や雑誌、新聞を作る人です。作家やライターをピッチャーだとすると、編集者はキャッチャーです。そして、ピッチャーを生かすも殺すも、キャッチャー次第です。
そのなかでも、本を作っている編集者はとびきり優秀なキャッチャーが多いです。なにしろ本を作ろうというのですから、相手は一流の作家やライターです。文章の練達の士です。その人に向かって、メールや手紙を書くわけです。文章によって、文章の達人を口説くんです。編集者の手紙が、下手なわけはありません。
この本の編集Lilyとわたしは、初めて仕事をする仲です。最初にもらった仕事の依頼は、手書きの立派な書簡で、隅から隅まですきがなく、いかにも「できるな」と思わせるものでした。わたしが言うところの「三手詰め」になっていました。
相手を落とす依頼状は「三手詰め」で書く
手紙でもメールでも、こちらが三手動かすことで、相手玉を詰まさなければならない。相手を口説き落とさなければならない。将棋では相手も駒を動かすので五手詰めといいますが、ここは便宜上、メールの三手詰めと名付けます。
◎一手目 自分はあなたを知っている
なにをあたりまえなというなかれ。これが書けている人は、ほとんどいません。仕事を依頼する相手の本や記事、発言、相手が会社員ならば先方の仕事内容を知悉(ちしつ)していて、しかも、ある程度の期間を継続して興味を持っていることを、具体的に知らせなければならない。
依頼対象が忘れているような過去の仕事も含め、「あなたを知っている」と伝える。仕事を具体的にあげ、感銘を受けていることを、短くて的確な言葉で表す。
お世辞を言えというのではないのです。逆。みなが書きそうなことは書かない。依頼相手が、かつて言われたこともないような、新しい視点からの「評」を添える。つまりは常套句を廃せ(第4発)[※編集部注:『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)では、それぞれの文章技術を散弾になぞらえて、25のプロの技を解説している]ということだし、五感を使え(第7発)ということです。
◎二手目 自分はこういう者である
自己紹介ですね。自分の会社名、部署や肩書はもちろん、いままでどういう立ち位置で仕事をしてきたか、いま現在はどういう問題意識をもっているのか、「自分語り」はなるべく簡潔かつスピーディーに、必要な情報だけを、しかし相手を納得させるに十分なインフォメーションを与えます。
◎三手目 したがって自分にはあなたが必要だ(あなたにも、自分は有用だ)
一手目、二手目の、論理の帰結として、いま、わたしはあなたを必要としている。こういう問題意識をもった自分にとって、あなたに話を聞きたいと思うのは必然だし、あなた以外に話をする適任者がいるとは思えない。そこまで思わせなければ、だめです。
依頼し、依頼される:仕事はすべて人と人で成り立っている
メールもそうですが、初発の熱量がすべてなんです。どうしても創りたいという思い、この場合はどうしてもあなたと仕事をしたい、話を聞きたいのだと、そういう熱を感じさせられるかがすべてです。
そしてその熱を、単に「あなたと仕事がしたい」と書いてはだめです。論ではなく、エピソードで語らせる(第7発)。三手目に至る過程で、自分にはあなたが必要であること、そしてあなたにとってもこの仕事を受けることで新たな可能性が広がることを、説得的に、事実で、場面で語る。
あなたを知っている→自分はこういうものだ→だからふたりは会うべきだ。表現とは、言語とは、本質的に〈他者〉を必要とする、なんらかの行い(ゲーム)なんです。
依頼時の大前提:わたしのエゴより相手への配慮
三手詰めの前の、大前提がある。仕事を頼む相手は、つねに、世界一忙しい人だと思え。世界一忙しい人に出す依頼状であるからして、手紙でもメールでも、冒頭に時候のあいさつはいらない。意外に知らないライターが多い。
逆に、最初の依頼メールから省いてはならない情報もある。①自分はだれにメールアドレスを聞いて連絡しているのか②取材、面談を希望するおおまかな日程③謝礼、ギャラが発生するのか、発生するならいくらか。
日程とギャラについては、「あるいは失礼とは思いますが」と前置きして、しかし最初から書いておく。取材相手に問わせることは、失礼だ。最初からカネの話をするのは、無粋でもなんでもなく、必須事項、むしろ礼儀だ。
わたしは三十年以上、ライター、編集者として仕事をしてきて、三手詰めのメールで会ってくれなかった人は、ほとんどない。中央政界の疑獄事件で逃げ回っている代議士や、贈賄側の理事にも、手紙を書いて会ったことがある。
しかし、三手詰めのメールを書いても、それでも受けてくれない人は、いる。その場合は深追いしない。事件取材なら話は別だが、平時の仕事依頼である場合、三手詰めメールで肯(がえ)んじてくれないには、それなりの理由があるものだ。
行きずりの関係はわびしい
最後に、人間を、甘く見るな、ということだ。一回限りの関係を求めて近寄ってくる人は、すぐに分かる。だから相手も、ギャラや時間を勘案し、会う、会わないを決める。
言うは易やすく、行うは難しの典型だが、一回限りの関係を求めて近づく人間になってはいけない。一生付き合うという覚悟をもって、仕事は申し込むべきなのだ。
わたしも、仕事が終わったあと、手紙やメールを書き続ける取材相手が、何人もいる。高齢で身寄りがなく、生活の面倒を見ている人さえいる。
勘違いしないでほしい。打算でしているのではない。尊敬からしている。しかし、心からの尊敬も、かたちにしなければ、言葉にしなければ、伝わらない。
言葉にならない感情、言葉に落とせない思想は、存在しない。言葉にならないのではない。はなから感じていないし、考えてさえいないのだ。
この本の主張の、根幹であり、要諦(ようてい)であり、最初で最後だ。
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近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]