ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<「分かりやすい文章」は誰でもすぐ書ける。まずは「文章は短く」。では残り2つは? ベストセラーに学ぶ>
朝日新聞記者で作家の近藤康太郎氏のもとには、文章力を磨きたい若い記者が集まり、勉強会が開かれるようになった。文章がうまくなりたい。文章でコミュニケーションを取る時代、プロにかぎったことではない。いい文章が書ける人は出世する人だ。
近藤氏が35年にわたり培った25の文章技術を解説した『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)が反響を呼んでいる。10刷が決まり、アマゾンレビューは600件超、星4.3。「実践できる思想書」として、プロのライターや日常的に文章を書く人たちに受け入れられている。
「うまい文章」とはなにか? 「うまい文章」をシンプルに「分かりやすい文章」とするならば、そのコツは3つだけだという。同書より取り上げる。
※本記事は前後編の前編(後編:「うまい文章」は「いい文章」なのか? 身につけたいのは「いい文章」を書く力【ベストセラー文章術】)
◇ ◇ ◇
「うまい文章」を「分かりやすい文章」と定義したら
うまい文章とはなにか。うまい文章を定義するのは、とても難しいですね。答えることが難しい質問とは、たいてい、問いが間違っているんです(「幸せとはなにか?」「自分はなぜ生まれてきたのか?」「ほんとうの愛とはなにか?」等々)。そういうときは、問いを変えるとうまくいきます。ここでは、冒頭の問いを分節してみます。
◎「うまい」とはなにか。
◎「文章」とはなにか。
「うまい」とはなんでしょうか。初心者向けのホップ[※編集部注:『三行で撃つ』は後半が上級者編「ジャンプ」]では、もう、投げやり気味に簡単に結論を出してしまいます。
うまいとは、分かりやすいことである。
「分かりやすい文章」のルールは3つだけ
分かりやすいとは、書き手のいいたいことが、誤解されずに読者に伝わること、とでもしておきましょう。ここでは、その逆、分かりにくい文章の傑作をひとつ掲げます。会社の会合で、幹事からこんなメールが来たらどうでしょうね。
「あ、すみません。時間に関しては前々回の訂正の部分がやっぱり正解で、日にちについてはその次の連絡が正しい日時です」
「あ、すみません、やっぱり間違っていて直近の訂正が正解ということがわかりました。ただし、皆様に送ったメールに時間差があり、前回分と前々回分というのが人によって異なる可能性があるのでご注意ください。一斉送信したのですが、あとから決まったメンバーの分は後から送りましたので、その人にとってそれは初回です」
(町田康『人生パンク道場』)
大笑いです。ここまで分かりにくいと、芸術ですね。「わたしは宴会の幹事など、よく雑事を押しつけられる。どうしたらいいでしょう?」という読者の悩み相談に、言葉の魔術師・町田さんが大まじめに答えている文章です。使えない幹事を演じて撃退しろ。発想といい、文章といい、最高です。
つまり、わたしたちは、この分かりにくい文章アートの、逆をすればいいのです。その原則は三つだけ。
① 文章は短くする。
② 形容語と被形容語はなるべく近づける。
③ 一つの文に、主語と述語はひとつずつ。
初心者はすべての文章を分ければいい
①について。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
ご存じ、夏目漱石のデビュー作の書き出しです。「吾輩は猫なんだが、名前はまだ無いのである」とか、「吾輩は、まだ名付けられていない猫である」とは、ぜったいにしませんね。
もちろん漱石は、短い文章だけを書いていたのではなく、重層的にうねりをもたせた、複雑で長い日本語も書きます。ですが、総じて、短い、平易な文章を得意にしました。
漱石の生きた明治時代とは、庶民にも分かる日本語を、主に小説家が開発し、新聞を通じて広めていた時代です。わざわざ難しい言葉は使わない。短い文章でたたみかける。漱石は町っ子。素の町人だったんです。
文章は、粋な町っ子でいきたいですよね。初心者はもう、すべての文章を分けてみてください。二つに分けられる文は、全部、二つに分ける。
違法な野生動物の売買:違法なのは「野生動物」か「売買か」
②について。
わたしの敬愛する先輩に、悪文狩りの名人がいるのですが、その悪文ハンターが、ある日のテレビニュースで、「違法な野生動物の売買」とアナウンサーが話すのを聞き、憤慨していました。「耳を疑い、テロップもあったので目を疑った。野生動物にも法律守れってか?」。
単に「野生動物の違法な売買」とすればいいだけの話ですね。「違法」なのは「売買」であって、「野生動物」が「違法」なわけがない。こういう文章は、たいへん多く見かけます。なぜかというと、文章の書き手は、自分の言いたいことが分かっているからです。あたりまえですね。
しかし、読者は書き手の言いたいことなんて分かっていない。多くの場合、興味もない。相手は自分の言いたいことを分かっていない。興味もない。そこから始めるしかない。謙虚さが、文章のコーナーストーン(要かなめ石いし)です。うまい文章を書く人は、人に対して、世界に対して謙虚です。
文章とはなにか
③について。
〈太川陽介が路線バスに乗るテレ東の番組と言えば、そばに漫画家の蛭子能収がいるのがおきまりだが、冒頭、参加しないことが判明。本人が手紙でしたためた理由がちょっぴり切ない。/気を取り直して、番組は、二手に分かれ、路線バスとローカル鉄道の乗り継ぎ対決の旅を行う。スタートは西武秩父駅。〉
これも悪文ハンターが狩ってきた例文です。プロの新聞記者が書いているテレビ批評ですが、どこから手をつけていいか分からないぐらいの悪文です。
冒頭の一文が長ったらしいのはひとまずおくとしても、決定的なのは、「気を取り直して」の一節でしょう。ここで気を取り直すのはだれか。太川陽介か。番組のディレクターか。おそらく、この記事の筆者なんでしょうね。「わたしが」気を取り直す。そして「番組は」うんぬんと続く。それを、一文にしている。ひとつの文章に主語と述語が複数あるので、すさまじい違和感がある。
主語と述語は、一文にひとつずつでいいでしょう。もちろんこれは原則で、複文や重文にして効果を増すこともある。ですが、この記者のように、大原則を知らないで書き流しているものが大半です。原則は守ってこそ、例外に効果が出る。
「ちょっぴり切ない」と、わざわざ口頭語にして読者に媚こびている。「旅を行う」は禁則表現で、記者の意識の低さを証明しています。なぜ禁則なのかは第4発[※編集部注:『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』では、それぞれの文章技術を散弾になぞらえて、25のプロの技を解説している]で詳論します。
文章とは感情や思想を運ぶクロネコヤマトである
さて、ここでふたつめの問いです。文章とはなにか。これはしちめんどくさい疑問で、まともな人間はこういうことを問題にしません。なので、初心者向けのホップでは、スルーしておきましょうか。
ただし、職業ライターを目指すなら、この問いに真剣に立ち向かわなければなりません。この本でも各所でしつこく考えます。文章とはなにか。言葉とは、なんなのか。ここでは、ほんの少しだけ。
漱石の小説『草枕』には、若い画家の主人公と謎めいた美女那美さんが、急に距離を縮める場面があります。漱石は、こういう男女の機微を書かせると右に出る者はいないくらい、うまい。
ふたりきりで話し込んでいた部屋で、地面が大きく揺れた。「地震!」勝ち気な那美さんも、さすがにおびえて主人公に近づく。女の息が、顔にかかる。「変な気を起こしちゃだめですよ」。女が言うと、主人公は「むろん」と答える。
ところで、「地震!」や「むろん」だけを切り出すと、それは、文章でしょうか。主部と述部があって文章を構成するという観点に立てば、文章ではないですね。「地震」は言うまでもなく名詞で、「むろん」は副詞です。ところが、小説を読むと分かりますが、この品詞ひとつで、文章になり得る。
文章とはなにか。文章とはキャリアー(信号、波、触媒、運ぶもの、感染)です。言葉を発する主体の、感情、判断、思想を乗せて走るクロネコヤマトです。
宛先は、もちろん読者です。感情、判断、思想がそこに梱包されていなければ、読者の受け取り印はもらえません。読者の受け取り印とは、心が揺れた、倒壊したという現象です。地震!
◇ ◇ ◇
近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<「分かりやすい文章」は誰でもすぐ書ける。まずは「文章は短く」。では残り2つは? ベストセラーに学ぶ>
朝日新聞記者で作家の近藤康太郎氏のもとには、文章力を磨きたい若い記者が集まり、勉強会が開かれるようになった。文章がうまくなりたい。文章でコミュニケーションを取る時代、プロにかぎったことではない。いい文章が書ける人は出世する人だ。
近藤氏が35年にわたり培った25の文章技術を解説した『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)が反響を呼んでいる。10刷が決まり、アマゾンレビューは600件超、星4.3。「実践できる思想書」として、プロのライターや日常的に文章を書く人たちに受け入れられている。
「うまい文章」とはなにか? 「うまい文章」をシンプルに「分かりやすい文章」とするならば、そのコツは3つだけだという。同書より取り上げる。
※本記事は前後編の前編(後編:「うまい文章」は「いい文章」なのか? 身につけたいのは「いい文章」を書く力【ベストセラー文章術】)
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「うまい文章」を「分かりやすい文章」と定義したら
うまい文章とはなにか。うまい文章を定義するのは、とても難しいですね。答えることが難しい質問とは、たいてい、問いが間違っているんです(「幸せとはなにか?」「自分はなぜ生まれてきたのか?」「ほんとうの愛とはなにか?」等々)。そういうときは、問いを変えるとうまくいきます。ここでは、冒頭の問いを分節してみます。
◎「うまい」とはなにか。
◎「文章」とはなにか。
「うまい」とはなんでしょうか。初心者向けのホップ[※編集部注:『三行で撃つ』は後半が上級者編「ジャンプ」]では、もう、投げやり気味に簡単に結論を出してしまいます。
うまいとは、分かりやすいことである。
「分かりやすい文章」のルールは3つだけ
分かりやすいとは、書き手のいいたいことが、誤解されずに読者に伝わること、とでもしておきましょう。ここでは、その逆、分かりにくい文章の傑作をひとつ掲げます。会社の会合で、幹事からこんなメールが来たらどうでしょうね。
「あ、すみません。時間に関しては前々回の訂正の部分がやっぱり正解で、日にちについてはその次の連絡が正しい日時です」
「あ、すみません、やっぱり間違っていて直近の訂正が正解ということがわかりました。ただし、皆様に送ったメールに時間差があり、前回分と前々回分というのが人によって異なる可能性があるのでご注意ください。一斉送信したのですが、あとから決まったメンバーの分は後から送りましたので、その人にとってそれは初回です」
(町田康『人生パンク道場』)
大笑いです。ここまで分かりにくいと、芸術ですね。「わたしは宴会の幹事など、よく雑事を押しつけられる。どうしたらいいでしょう?」という読者の悩み相談に、言葉の魔術師・町田さんが大まじめに答えている文章です。使えない幹事を演じて撃退しろ。発想といい、文章といい、最高です。
つまり、わたしたちは、この分かりにくい文章アートの、逆をすればいいのです。その原則は三つだけ。
① 文章は短くする。
② 形容語と被形容語はなるべく近づける。
③ 一つの文に、主語と述語はひとつずつ。
初心者はすべての文章を分ければいい
①について。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
ご存じ、夏目漱石のデビュー作の書き出しです。「吾輩は猫なんだが、名前はまだ無いのである」とか、「吾輩は、まだ名付けられていない猫である」とは、ぜったいにしませんね。
もちろん漱石は、短い文章だけを書いていたのではなく、重層的にうねりをもたせた、複雑で長い日本語も書きます。ですが、総じて、短い、平易な文章を得意にしました。
漱石の生きた明治時代とは、庶民にも分かる日本語を、主に小説家が開発し、新聞を通じて広めていた時代です。わざわざ難しい言葉は使わない。短い文章でたたみかける。漱石は町っ子。素の町人だったんです。
文章は、粋な町っ子でいきたいですよね。初心者はもう、すべての文章を分けてみてください。二つに分けられる文は、全部、二つに分ける。
違法な野生動物の売買:違法なのは「野生動物」か「売買か」
②について。
わたしの敬愛する先輩に、悪文狩りの名人がいるのですが、その悪文ハンターが、ある日のテレビニュースで、「違法な野生動物の売買」とアナウンサーが話すのを聞き、憤慨していました。「耳を疑い、テロップもあったので目を疑った。野生動物にも法律守れってか?」。
単に「野生動物の違法な売買」とすればいいだけの話ですね。「違法」なのは「売買」であって、「野生動物」が「違法」なわけがない。こういう文章は、たいへん多く見かけます。なぜかというと、文章の書き手は、自分の言いたいことが分かっているからです。あたりまえですね。
しかし、読者は書き手の言いたいことなんて分かっていない。多くの場合、興味もない。相手は自分の言いたいことを分かっていない。興味もない。そこから始めるしかない。謙虚さが、文章のコーナーストーン(要かなめ石いし)です。うまい文章を書く人は、人に対して、世界に対して謙虚です。
文章とはなにか
③について。
〈太川陽介が路線バスに乗るテレ東の番組と言えば、そばに漫画家の蛭子能収がいるのがおきまりだが、冒頭、参加しないことが判明。本人が手紙でしたためた理由がちょっぴり切ない。/気を取り直して、番組は、二手に分かれ、路線バスとローカル鉄道の乗り継ぎ対決の旅を行う。スタートは西武秩父駅。〉
これも悪文ハンターが狩ってきた例文です。プロの新聞記者が書いているテレビ批評ですが、どこから手をつけていいか分からないぐらいの悪文です。
冒頭の一文が長ったらしいのはひとまずおくとしても、決定的なのは、「気を取り直して」の一節でしょう。ここで気を取り直すのはだれか。太川陽介か。番組のディレクターか。おそらく、この記事の筆者なんでしょうね。「わたしが」気を取り直す。そして「番組は」うんぬんと続く。それを、一文にしている。ひとつの文章に主語と述語が複数あるので、すさまじい違和感がある。
主語と述語は、一文にひとつずつでいいでしょう。もちろんこれは原則で、複文や重文にして効果を増すこともある。ですが、この記者のように、大原則を知らないで書き流しているものが大半です。原則は守ってこそ、例外に効果が出る。
「ちょっぴり切ない」と、わざわざ口頭語にして読者に媚こびている。「旅を行う」は禁則表現で、記者の意識の低さを証明しています。なぜ禁則なのかは第4発[※編集部注:『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』では、それぞれの文章技術を散弾になぞらえて、25のプロの技を解説している]で詳論します。
文章とは感情や思想を運ぶクロネコヤマトである
さて、ここでふたつめの問いです。文章とはなにか。これはしちめんどくさい疑問で、まともな人間はこういうことを問題にしません。なので、初心者向けのホップでは、スルーしておきましょうか。
ただし、職業ライターを目指すなら、この問いに真剣に立ち向かわなければなりません。この本でも各所でしつこく考えます。文章とはなにか。言葉とは、なんなのか。ここでは、ほんの少しだけ。
漱石の小説『草枕』には、若い画家の主人公と謎めいた美女那美さんが、急に距離を縮める場面があります。漱石は、こういう男女の機微を書かせると右に出る者はいないくらい、うまい。
ふたりきりで話し込んでいた部屋で、地面が大きく揺れた。「地震!」勝ち気な那美さんも、さすがにおびえて主人公に近づく。女の息が、顔にかかる。「変な気を起こしちゃだめですよ」。女が言うと、主人公は「むろん」と答える。
ところで、「地震!」や「むろん」だけを切り出すと、それは、文章でしょうか。主部と述部があって文章を構成するという観点に立てば、文章ではないですね。「地震」は言うまでもなく名詞で、「むろん」は副詞です。ところが、小説を読むと分かりますが、この品詞ひとつで、文章になり得る。
文章とはなにか。文章とはキャリアー(信号、波、触媒、運ぶもの、感染)です。言葉を発する主体の、感情、判断、思想を乗せて走るクロネコヤマトです。
宛先は、もちろん読者です。感情、判断、思想がそこに梱包されていなければ、読者の受け取り印はもらえません。読者の受け取り印とは、心が揺れた、倒壊したという現象です。地震!
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近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
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