ラファエル・S・コーエン(ランド研究所上級研究員)
<ハマスの奇襲攻撃を許た徴兵主体の軍は国民の信頼回復に躍起>
パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム主義組織ハマスによる昨年10月の奇襲攻撃は、イスラエル軍と国民の関係を根底から揺さぶった。なにしろ、1日であれほど多くのユダヤ人の命が犠牲になったのは、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺以来のこと。そんな事件が起きることを許してしまったのだ。
それ以来、アメリカの多くの政府高官や議員、そして元将軍など国防関係者が、ガザへの対処方法についてイスラエルに助言を申し出てきた。
だが、その多くは無視された。理由はたくさんある。イスラエルにおける軍の位置付けは、米軍とは根本から異なる。その兵力も、アメリカのような職業軍人ではなく、徴集兵により支えられている。この点を指摘する識者は多いが、それが意味することは十分理解されていない。
イスラエル軍は、建国の父であり、初代首相であるダビド・ベングリオンが「人民の軍隊」と呼んだように、イスラエル社会を反映した構成になるよう設計されている。
これまでにも、職業軍人を中心とする軍隊に切り替えるべきかどうかをめぐり活発な議論が交わされてきた。また最高裁は6月、超正統派ユダヤ教徒にも、これまで免除されてきた徴兵を行うよう命じる判決を下した。現時点では、イスラエル軍はイスラム教ドルーズ派など、少数派も含む構成になっている。
徴兵制のおかげで、軍がイスラエル社会で特別な地位を享受している側面もある。軍に対する信頼は低下したとはいえ、2021年の時点では、ユダヤ系国民の75%以上が、軍を「非常に、またはかなり」信頼していると答えた。軍幹部はちょっとした有名人であり、退役後に政界に進出することも多い。大物軍人の葬儀はテレビ中継される。
だが、今や軍上層部には、奇襲攻撃を許した大失態を犯したという屈辱感が大きくのしかかっている。現役および退役将校と話をすると、軍が組織としてだけでなく、イスラエルという国の基礎をなす存在として「国民の信頼を回復する」必要性を語る声が聞かれる。
そのプレッシャーは、ガザ戦争へのアプローチにも影響を与えている。この戦争は軍の名誉挽回や、治安を回復することだけでなく、国家の基礎を立て直す戦いでもあるのだ。だからハマスの奇襲攻撃後、軍上層部は、ガザに大規模な地上軍を送り込みたいと考えた。
36万人の予備兵を直ちに招集
これは伝統的なイスラエル軍の傾向を考えると、異例のことだ。
確かにイスラエルは、近隣地域でなんらかの問題が起こると、軍事的な対応をしたがる傾向がある。それでも長期的な軍事行動よりも、空爆などの短期的で限定的な戦術が好まれてきた。ガザ奪還の必要性など考えたこともなかったと、現役および退役軍人の多くは声をそろえる。当然、そんな不測の事態に備えた作戦は十分練られてこなかった。
それでも、軍事的な対応を好む傾向ゆえに、ハマスの奇襲後、直ちに約36万人の予備兵に招集がかかった。イスラエルの人口の約4%に当たる規模だ。彼らは数日後には前線に送り込まれ、数週間後には一部がガザでの戦闘を担っていた。
予備役部隊は、今回の戦争が始まる前から、組織的な投資不足と即応性の課題に苦しんでいた。23年1月のイスラエル国家安全保障研究所の報告書によると、兵役の義務を果たした後、3年間に少なくとも20日間従軍するという予備役の要件を満たしている人は約6%にすぎない。
軍の構成が予備役に依存していることは、軍事行動に前のめりな傾向をさらに強める。予備役が多いため民間部門の労働力に占める割合も高く(技術部門は労働者の推定10~15%が招集されている)、経済の大きな混乱を避けるためにも、迅速な勝利を求める強い動機付けになる。
20代の士官が10代を指揮する
1年前にイスラエル軍は組織として失態をさらしたが、一方で勇敢な個人のエピソードが数多く生まれた。
襲撃の知らせを聞いたある退役少将は拳銃を手に、息子家族が暮らす南部キブツ(農業共同体)に急ぐ道中で他のイスラエル人を助けながら、10時間後に家族を救出した。女性だけの戦車部隊は詳細な命令を待たずに出動し、数十人規模の武装勢力と交戦してキブツを救った。ほかにも数え切れない英雄たちの活躍は、イスラエル軍の文化の最も称賛すべき側面でもある。
イスラエル軍には、西側諸国の軍隊のような構造上の制約が少ない。軍曹の階級はあるが、主に士官が指揮を執る。徴兵制のため米軍より若い士官が多く、20代の士官が10代後半の徴集兵を指揮することも珍しくない。部隊を視察したアメリカの軍事監視員が、くだけた雰囲気や、基本的な軍事プロトコルを軽視していることに驚くのも無理はないだろう。
こうした油断は戦闘の中でも現れる。イスラエル人は誇らしげに、自国の士官は最前線で指揮を執っていると語る。ただし、このような勇敢さには代償が伴い、ガザ戦争のデータはそれを裏付けている。イスラエル軍がこれまでに戦闘で失った兵士の約4分の1を士官(中尉~大佐)が占めているのだ。
指揮官が戦場からいなくなると部隊が大打撃を受け、勇敢さが虚勢にすり替わりやすくなる。実際、イスラエル軍の内部告発者が通報した虐待行為は、その多くが兵士の卑しい本能が抑制されずに起きた出来事に関するものだ。
イスラエル軍は米軍と大きく異なり、米軍と大きく異なる戦争を戦う。彼らは文化も構造も、迅速かつ激しい戦闘を行うように設計されている。アメリカはイスラエルに節度と規律を求めているが、イスラエル軍は組織的に、その反対のベクトルに設計されているのだ。アメリカは冷静かつ客観的に戦略を進めたいかもしれないが、戦争の遂行を任された軍とその指導者たちにとって、この戦いは極めて感情的なものでもある。
イスラエルは既に、この戦争が24年いっぱい続くと予想しており、イスラエル史上最も長い戦争の1つになるだろうと表明している。超正統派ユダヤ教徒から退職者まで、イスラエル人のあらゆる層から志願兵が殺到していることは、イスラエルが軍との社会的契約の在り方を修正しようとしていることを示唆している。しかし、その新しい軍隊がどのようなものになるかはまだ分からない。
From Foreign Policy Magazine
<ハマスの奇襲攻撃を許た徴兵主体の軍は国民の信頼回復に躍起>
パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム主義組織ハマスによる昨年10月の奇襲攻撃は、イスラエル軍と国民の関係を根底から揺さぶった。なにしろ、1日であれほど多くのユダヤ人の命が犠牲になったのは、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺以来のこと。そんな事件が起きることを許してしまったのだ。
それ以来、アメリカの多くの政府高官や議員、そして元将軍など国防関係者が、ガザへの対処方法についてイスラエルに助言を申し出てきた。
だが、その多くは無視された。理由はたくさんある。イスラエルにおける軍の位置付けは、米軍とは根本から異なる。その兵力も、アメリカのような職業軍人ではなく、徴集兵により支えられている。この点を指摘する識者は多いが、それが意味することは十分理解されていない。
イスラエル軍は、建国の父であり、初代首相であるダビド・ベングリオンが「人民の軍隊」と呼んだように、イスラエル社会を反映した構成になるよう設計されている。
これまでにも、職業軍人を中心とする軍隊に切り替えるべきかどうかをめぐり活発な議論が交わされてきた。また最高裁は6月、超正統派ユダヤ教徒にも、これまで免除されてきた徴兵を行うよう命じる判決を下した。現時点では、イスラエル軍はイスラム教ドルーズ派など、少数派も含む構成になっている。
徴兵制のおかげで、軍がイスラエル社会で特別な地位を享受している側面もある。軍に対する信頼は低下したとはいえ、2021年の時点では、ユダヤ系国民の75%以上が、軍を「非常に、またはかなり」信頼していると答えた。軍幹部はちょっとした有名人であり、退役後に政界に進出することも多い。大物軍人の葬儀はテレビ中継される。
だが、今や軍上層部には、奇襲攻撃を許した大失態を犯したという屈辱感が大きくのしかかっている。現役および退役将校と話をすると、軍が組織としてだけでなく、イスラエルという国の基礎をなす存在として「国民の信頼を回復する」必要性を語る声が聞かれる。
そのプレッシャーは、ガザ戦争へのアプローチにも影響を与えている。この戦争は軍の名誉挽回や、治安を回復することだけでなく、国家の基礎を立て直す戦いでもあるのだ。だからハマスの奇襲攻撃後、軍上層部は、ガザに大規模な地上軍を送り込みたいと考えた。
36万人の予備兵を直ちに招集
これは伝統的なイスラエル軍の傾向を考えると、異例のことだ。
確かにイスラエルは、近隣地域でなんらかの問題が起こると、軍事的な対応をしたがる傾向がある。それでも長期的な軍事行動よりも、空爆などの短期的で限定的な戦術が好まれてきた。ガザ奪還の必要性など考えたこともなかったと、現役および退役軍人の多くは声をそろえる。当然、そんな不測の事態に備えた作戦は十分練られてこなかった。
それでも、軍事的な対応を好む傾向ゆえに、ハマスの奇襲後、直ちに約36万人の予備兵に招集がかかった。イスラエルの人口の約4%に当たる規模だ。彼らは数日後には前線に送り込まれ、数週間後には一部がガザでの戦闘を担っていた。
予備役部隊は、今回の戦争が始まる前から、組織的な投資不足と即応性の課題に苦しんでいた。23年1月のイスラエル国家安全保障研究所の報告書によると、兵役の義務を果たした後、3年間に少なくとも20日間従軍するという予備役の要件を満たしている人は約6%にすぎない。
軍の構成が予備役に依存していることは、軍事行動に前のめりな傾向をさらに強める。予備役が多いため民間部門の労働力に占める割合も高く(技術部門は労働者の推定10~15%が招集されている)、経済の大きな混乱を避けるためにも、迅速な勝利を求める強い動機付けになる。
20代の士官が10代を指揮する
1年前にイスラエル軍は組織として失態をさらしたが、一方で勇敢な個人のエピソードが数多く生まれた。
襲撃の知らせを聞いたある退役少将は拳銃を手に、息子家族が暮らす南部キブツ(農業共同体)に急ぐ道中で他のイスラエル人を助けながら、10時間後に家族を救出した。女性だけの戦車部隊は詳細な命令を待たずに出動し、数十人規模の武装勢力と交戦してキブツを救った。ほかにも数え切れない英雄たちの活躍は、イスラエル軍の文化の最も称賛すべき側面でもある。
イスラエル軍には、西側諸国の軍隊のような構造上の制約が少ない。軍曹の階級はあるが、主に士官が指揮を執る。徴兵制のため米軍より若い士官が多く、20代の士官が10代後半の徴集兵を指揮することも珍しくない。部隊を視察したアメリカの軍事監視員が、くだけた雰囲気や、基本的な軍事プロトコルを軽視していることに驚くのも無理はないだろう。
こうした油断は戦闘の中でも現れる。イスラエル人は誇らしげに、自国の士官は最前線で指揮を執っていると語る。ただし、このような勇敢さには代償が伴い、ガザ戦争のデータはそれを裏付けている。イスラエル軍がこれまでに戦闘で失った兵士の約4分の1を士官(中尉~大佐)が占めているのだ。
指揮官が戦場からいなくなると部隊が大打撃を受け、勇敢さが虚勢にすり替わりやすくなる。実際、イスラエル軍の内部告発者が通報した虐待行為は、その多くが兵士の卑しい本能が抑制されずに起きた出来事に関するものだ。
イスラエル軍は米軍と大きく異なり、米軍と大きく異なる戦争を戦う。彼らは文化も構造も、迅速かつ激しい戦闘を行うように設計されている。アメリカはイスラエルに節度と規律を求めているが、イスラエル軍は組織的に、その反対のベクトルに設計されているのだ。アメリカは冷静かつ客観的に戦略を進めたいかもしれないが、戦争の遂行を任された軍とその指導者たちにとって、この戦いは極めて感情的なものでもある。
イスラエルは既に、この戦争が24年いっぱい続くと予想しており、イスラエル史上最も長い戦争の1つになるだろうと表明している。超正統派ユダヤ教徒から退職者まで、イスラエル人のあらゆる層から志願兵が殺到していることは、イスラエルが軍との社会的契約の在り方を修正しようとしていることを示唆している。しかし、その新しい軍隊がどのようなものになるかはまだ分からない。
From Foreign Policy Magazine