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弱体化が続く町内会・自治会と地域防犯の切っても切れない関係

ニューズウィーク日本版 2024年9月12日 6時0分

小宮信夫
<町内会が担う広範な役割の中で最も重要なものの一つが防犯。その町内会の加入率が10年で8割から7割へ減少するなど弱体化が叫ばれているが...>

町内会・自治会の弱体化が叫ばれて久しい。地域の防犯という観点からも、町内会・自治会の空洞化や形骸化を問題視する声がある。この問題をどう考えたらいいのだろうか。

内閣府が実施した町内会に関する調査によると、「役員の担い手不足」「役員の高齢化」「近所付き合いの希薄化」「加入率の低下」が主要な課題になっているという。このうち、加入率については、ここ10年で8割から7割へ減少したことが報告されている。かなり前から、都市化の進展に伴い、町内会・自治会が弱体化していくと指摘されていたが、その通りになったようだ。

災害対策を語るとき、「自助・共助・公助」という言葉がよく使われるが、防犯でも同じことが言える。自助は「自分のことは自分で守る」で、公助は「警察に守ってもらう」で、共助は「お互いに守り合う」だ。

似たような概念だが、犯罪学では、フォーマル・コントロールとインフォーマル・コントロール、その中間のセミフォーマル・コントロールと分類する。

フォーマル・コントロールは「公式」なので警察とすぐ分かるが、問題はインフォーマル・コントロールだ。「非公式」なので個人による防犯はここに属する。だが、町内会による防犯は、インフォーマル・コントロールとセミフォーマル・コントロールにまたがる。専門性が高ければセミフォーマル・コントロールになるが、低ければ個人と大差ないのでインフォーマル・コントロールである。

これに対し、欧米に多くある防犯NPO(民間非営利組織)は専門性が高いのでセミフォーマル・コントロールだ。

こうしたことを前提に、町内会と防犯の関係を考えてみよう。

町内会の複雑な位置付け

そもそも、町内会は、1940年に内務省訓令「部落会町内会等整備要領」によって、戦争へ国民を総動員するための組織として制度化された。町内会が法的に市町村行政の下部機構になったのである。

しかし、太平洋戦争の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が町内会に解散を命じ、町内会は法的根拠を失った。それでも、町内会は消滅することなく、行政の末端補助機関としての役割を果たし続けた。

このように、町内会は法律で定められた団体ではなく、任意団体にすぎない。したがって、住民の加入を強制することはできない。ただし、町内会への加入を促す条例を制定した自治体、世帯の自動加入が一般的な地域、地方自治法の認可地縁団体として法人格を得た町内会、NPOとして法人格を得た町内会など、町内会をめぐる状況は錯綜している。

総務省が実施した「地域運営組織」に関する調査によると、おおむね7割が任意団体としての町内会に、1割がNPO法人としての町内会によって運営されているようだ。

いずれにしても、町内会は「地縁型住民組織」であるため、包括機能的・地域独占的なボランティア活動を展開している。この点で、「志縁型市民組織」としてのNPOが中心となり、個別機能的・分野専門的なボランティア活動を展開している欧米諸国とは大きく異なる。

それはともかく、町内会が担っている広範な役割の中で、最も重要なものの一つが防犯である。防犯協会という別の名称で呼ばれることもあるが、その実体は町内会だ。防犯協会の歴史は古く、豊臣秀吉の「御掟」にまで遡るという。これを継承したのが江戸幕府の「五人組」で、5戸ずつを組み合わせ、住民に相互監視と連帯責任を負わせた。太平洋戦争後も、GHQの命令により、いったんは解散を余儀なくされたが、その後も「赤十字奉仕団」などという名称で防犯活動を続け、最終的にはGHQから特別許可を得ている。

このような歴史を見ると、町内会による防犯はセミフォーマル・コントロールと言えそうだが、実際は専門性が低いので、インフォーマル・コントロールになっている。なぜなら、防犯の基礎である「犯罪機会論」を知らずに活動しているからだ。

本来であれば、欧米のように、専門性の高い防犯NPOがセミフォーマル・コントロールを担うのが望ましい。しかし、日本では防犯NPOが成熟していない。そのため、当面は町内会にセミフォーマル・コントロールを期待せざるを得ない。もちろん、その前提として、「犯罪機会論」を普及させることが必要だ。

人の動機ではなく、犯行の機会(チャンス)をなくそうとする「犯罪機会論」では、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。「入りやすい場所」とは、怪しまれずに標的に近づけて、すぐに出られる(逃げられる)場所で、「見えにくい場所」とは、犯行が目撃されにくく、捕まりそうにない場所だ。

物理的に「入りにくく見えやすい地域」にする方法

反対に「入りにくく見えやすい場所」では、犯罪者は犯行をあきらめる。したがって、そうした改善を施すことが必要であり、それには、個人で行うミクロの対策と、集団で行うマクロの対策がある。

これを地域の安全に当てはめると、ミクロの対策が「入りにくく見えやすい家」にすることで、マクロの対策が「入りにくく見えやすい地域」にすることになる。こうした二段階の対策は、犯罪者の行動に適合している。というのは、例えば、空き巣は、まずマクロ的にターゲットとなる地域を選び、その後に、ミクロ的に特定の家をターゲットにするからだ。

町内会が担うのは、もちろんマクロの対策だ。では、具体的に何をどう進めたらいいのか。

物理的に「入りにくく見えやすい地域」にする方法として、欧米で多用されているのは、ハンプと監視カメラだ。このうち、ハンプとは、車の減速を促す路面の凸部(盛り上がり)のこと。幹線道路から生活道路に入る場所にハンプを設けておけば、ひったくり、空き巣、誘拐犯などが犯行後に全速力で幹線道路に逃げられない。つまり、「入りにくい(逃げにくい)場所」として、犯罪がやりにくい場所になる。

イギリスでは、「DIYストリート」という草の根プロジェクトで、住民によるハンプ設置が認められている。日本でも、2001年の道路構造令の改正によりハンプの設置が認められたが、普及は進んでいない。

ロンドン(イギリス)の住民設置のハンプ 筆者撮影

心理的に「入りにくく見えやすい地域」にする方法としては、「割れ窓理論」が欧米で採用されている。ハーバード大学研究員(後にラトガース大学教授)のジョージ・ケリングが1982年に発表した犯罪機会論だ。

ジョージ・ケリングと著作『割れ窓理論による犯罪防止:コミュニティの安全をどう確保するか』(文化書房博文社) 筆者撮影

「割れた窓ガラス」とは、管理が行き届いてなく、秩序感が薄い場所の象徴。言い換えれば、地域社会の乱れやほころびを表し、その背景に地域住民の無関心や無責任があることを想像させる言葉だ。そうしたシグナルとしては、このほかに、落書き、散乱ゴミ、放置自転車、廃屋、伸び放題の雑草、不法投棄された家電ゴミ、野ざらしの廃車、壊れたフェンス、切れた街灯、違法な路上駐車、公園の汚いトイレなどがある。

栃木女児殺害事件(2005年)が起きた地域 筆者撮影

こうした「小さな悪」が放置されていると、一方では人々が罪悪感を抱きにくくなり(つまり、悪に走りやすくなる)、他方では不安の増大から街頭での人々の活動が衰える(つまり、悪を抑えにくくなる)。そのため、「小さな悪」がはびこるようになり、その結果、犯罪が成功しそうな雰囲気が醸し出され、凶悪犯罪という「大きな悪」が生まれてしまう。これは「悪のスパイラル」と呼ばれている。

こうした地域では、犯罪者は「犯罪を行っても見つからないだろう」「犯罪が見つかっても通報されないだろう」「犯罪を止めようとする人はいないだろう」と思い、安心して犯罪を始める。要するに、犯罪者からすれば、見て見ぬふりをしてもらえそうな「見えにくい場所」なのだ。

逆に、地域の乱れやほころびを見かけたら、見て見ぬふりをせず、きちんと対応すれば、人々の罪悪感の低下を防ぎ、犯罪が成功しそうな雰囲気を漂わせないことができる。つまり、「悪のスパイラル」を阻止する警告メッセージになるのである。近所付き合いによって、住民の多くが見て見ぬふりをしなければ、それが可能だ。そうして、心理的に「入りにくく見えやすい地域」になる。

このように、地域の防犯にとって、「無関心は最大の共犯者」だ。そのため、犯罪が成功しそうだと思わせないためには、「関心の輪」をつないで、地域に「心理的なバリア(防壁)」を張る必要がある。言い換えれば、地域ネットワークの構築や近隣コミュニケーションの活性化が求められる。そして、この輪のハブ(中核)になれるのは町内会しかない。町内会が「犯罪機会論」で理論武装し、「入りにくく見えやすい地域」をつくっていくことが望まれる。

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