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世界に離散、大富豪も多い...「ユダヤ」とは一体何なのか? 聖書と歴史から読み解けば世界の「今」が見えてくる

ニューズウィーク日本版 2024年9月12日 15時19分

嶋田英晴(同志社大学一神教学際研究センター共同研究員)
<ユダヤ人はなぜ世界に離散し、いかにして多くの優秀な人材を輩出してきたのか? 答えは聖書と歴史の中に──>

今年10月3日で世界各地のユダヤ人が用いるユダヤ暦は5785年を迎える。その起点は聖書に記された「天地創造」である。

ではユダヤ人とは一体何なのか。中世以来の定義によれば、ユダヤ人の母親から生まれた者、もしくはユダヤ教への改宗者である。これはどの民族にも通じることだが、ユダヤ人は自らのアイデンティティーを保持しながら生き残るために努力する。

それはユダヤ人が神と契約を結び、神に選ばれた民として生きることにより、「神の意志」を地上に実現することを自らの使命と捉えた時以来、ユダヤ人が自らに課してきた定めだと言える。ではその神の意志とは何なのか。

神と交わした契約

ユダヤ人の信じる『ヘブライ語聖書』(構成は異なるがキリスト教でいう『旧約聖書』に相当)によれば、神は最初の人間アダムを創造してこれを「祝福」した。祝福とは繁栄や幸福などを引き起こすために発せられる神の言葉だ。

しかしアダムは「悪への衝動」に負けて神に背いてしまう。そこで神はアダムの子孫のアブラハム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で「信仰の父」とされる)という人物に目を留める。

アブラハムは、ユダヤ人を含むイスラエルの民の祖先である。紀元前18世紀頃、神によって召命され(選ばれ)、神の示す地へ移住することを命ぜられた。

神は彼と契約を結び、彼を祝福してその子孫を大いに増やすこと、彼とその子孫に永久にカナンの地(現在のイスラエルとパレスチナ)を与えること、そして彼とその子孫を通して全人類を祝福することを約束した。

神はアブラハムの息子のイサク、孫のヤコブとの間にも同様の契約を結んだ。ヤコブは、後にイスラエルと名前を変え、その12人の息子たちはイスラエル12部族の祖となった。そして現在のユダヤ人を構成しているのは、そのうちのユダ族、ベンヤミン族、レビ族である。

ヤコブと共にエジプトに移住したイスラエルの民は、その後400年にわたって奴隷となっていたが、紀元前13世紀頃、預言者モーセが神によって召命されイスラエルの民をエジプトの圧政から解放し、シナイの荒野へと導いた。そこで神はモーセに十戒をはじめとする律法を授けた。

古代イスラエルの宗教の系譜を引くユダヤ教は、超越的な神がこの世界の人間たちに対して現れる現象、すなわち啓示を基盤とする宗教である。そしてユダヤ教では、啓示が「法」として理解され、モーセが荒野で授けられたとされる律法がその啓示である。

1948年5月のイスラエル建国時に、欧州を逃れてイスラエルに向かう船に乗ったユダヤ人移民の群衆。建国以来、イスラエルと周辺のアラブ諸国の間では4回の戦争が起きている REUTERS

聖書の記述によれば、荒野で40年間の時を過ごしたイスラエルの民は、その間に律法に則した生活を送った。

モーセの没後、後継者ヨシュアの下でカナンへと侵入したイスラエルの民は、カリスマ的指導者である士師たちに従ってカナンの地の征服を進め、王国を築いた。第2代王のダビデはエブス(エルサレム)を攻略し、そこを首都としてカナンの全てを統治した。

彼の下でイスラエルの民に対する神の約束が成就した。次の王ソロモンは、モーセが神から授かった十戒の石板を納めた「契約の箱(アーク)」を安置する壮麗な神殿をエルサレムに建設し、その治世下でイスラエル王国は繁栄を極めた。

しかし、ソロモン王の死後王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、イスラエル王国はアッシリアによって、ユダ王国は新バビロニアによって滅ぼされた。この時神殿もエルサレムも破壊され、上層の人々はバビロニアに連行された(バビロン捕囚)。

彼らは故国の滅亡の原因を、軍事力の強弱ではなく、唯一の神に対する信仰の多寡の問題と捉えたため、彼らは異邦人の地において、食物規定、安息日、割礼の遵守などの独自の規定を厳守することにより、自らを移住地の社会から切り離し、選民イスラエルとしてのアイデンティティーの維持に努めた。

やがて新バビロニアを滅ぼしたペルシア帝国のキュロス王により故地カナンへの帰還が許され、カナンに帰還した民によりエルサレムの神殿が再建された。もっともバビロンおよびその周辺にとどまった者も少なくなかった。

その後、祭司エズラによるトーラー(律法)の朗読がなされ、ユダの民の悔い改めが行われた。後にペルシア帝国はアレクサンダー大王によって滅ぼされ、その支配の下でユダの民はヘレニズム文化と対峙して自らを「ユダヤ人」として強く自覚するようになった。

ユダヤの地を支配したギリシャ系の王朝であるセレウコス朝がユダヤ人にヘレニズム文化を強制(偶像崇拝)したため、ユダヤ人は反乱を起こして独立を勝ち取った。

ゴラン高原のキブツ(集団農場)で農作物を収穫する人たち ESAIAS BAITELーGAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES

なぜユダヤ人は離散したのか

紀元前64年にはローマがセレウコス朝を滅ぼし、やがてユダヤはローマの属州とされてユダヤの民は圧政下に置かれた。

こうした状況において、古くからその出現が期待されていた理想の王であるメシア(油を注がれた者=救世主)の到来が強く待望され、この頃登場したナザレのイエスこそメシアであると見なす人々は後にユダヤ人とはたもとを分かっていく。

紀元66年にはユダヤ人迫害を機に第1次ユダヤ戦争(対ローマ戦争)が勃発し、激闘の末、70年にローマ軍によってエルサレムの第二神殿が破壊された。

この頃、ヘブライ語聖書の正典化が進み、ラビ(「教師」と呼ばれる俗人の律法学者)の称号を持つ賢者が台頭し、ユダヤ教は祭政一致から離脱して口伝律法(くでんりっぽう)の整備と祈りや学習の場所としてのシナゴーグ(礼拝・集会所)の利用が顕著になった。

一方ローマに対する不満から、ついに132年に第2次ユダヤ戦争が勃発し、反乱鎮圧後にエルサレムはユダヤ人の出入りが禁止された。こうしてユダヤ人は本格的に世界中へと離散した(ディアスポラ)。

共同体を維持できた理由

神殿を失った離散のユダヤ社会では、200年頃、ダビデ王の子孫でユダヤ社会の指導者でもあったラビ・ユダ・ハナスィが生活原理の規範となる口伝律法であるミシュナを編纂した。

これを基にラビたちの法解釈が連綿と積み重ねられ、やがて4世紀末および5世紀末にそれぞれ口伝律法のパレスチナ・タルムード、バビロニア・タルムードが結集された。

こうして、ユダヤ社会はかつての神殿祭祀を脱し、ラビたちの指導による聖書(成文律法)やタルムード(口伝律法)の研究解釈を中心とするものへと変質していった。

このため、中世を経て近代に至るまでのユダヤ教はラビ・ユダヤ教と称される。ラビ・ユダヤ教の特徴は、2つのトーラー(律法)という信念である。

すなわち神の意志は、成文トーラー(ヘブライ語聖書)と口伝トーラーによって二重にモーセに啓示されたとされ、成文トーラーに拘束されながらも、口伝トーラーによってそれを柔軟に解釈することで、環境の異なる新しい事態にも対処できるようにした。

ディアスポラのユダヤ人は、キリスト教国家やイスラム国家において、寄留民として独自の共同体を形成し、ユダヤの律法と宗教的伝統を守り抜くことにより、移住地の社会に溶け込まず、民族としてのアイデンティティーを保ち続けた。このことが、各地でユダヤ人が偏見と迫害にさらされる大きな要因の1つとなった。

ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインをはじめユダヤ人は優秀な人材を多数輩出している BETTMANN/GETTY IMAGE

そのユダヤのアイデンティティーを維持するため、ユダヤ社会に不可欠の制度が既に古代からラビたちによって明確に意識され定義されていた。タルムードによれば、それは賢者の子弟が住む社会に必要な10の条件とされている。

それは、①ベート・ディーン(3人で構成される法廷)、②慈善のための基金、③ベート・クネセト(シナゴーグ・ユダヤ人会堂)、④公衆浴場、⑤公衆便所、⑥医師、⑦外科医、⑧書記、⑨資格を有する家畜屠殺人、⑩子供の教師、である。

各地のこうした共同体から成り立つユダヤ社会のユダヤ人は、ササン朝ペルシアや旧ローマ帝国領内などで農業や商業を営んでいたが、7世紀以降両帝国の版図の大半がイスラム勢力によって征服された。そのため当時世界のユダヤ人口の90%以上がイスラム世界で居住することとなった。

広大なイスラム世界では、非ムスリムはイスラム法の優越を認め、人頭税と土地税を支払えば、生命・財産・信仰の自由と共同体ごとの自治が保証された。

このためユダヤ人はイスラムによる支配を歓迎し、やがてその多くが離農して都市居住者となり、商業、手工業や金融業をはじめとするさまざまな職業に従事するようになった。

イスラムは、宗教、宗派や民族などの違いを超えてそれぞれの長所を積極的に活用したため、ユダヤ人も大いに活躍してイスラム世界の繁栄に貢献した。

ディアスポラのユダヤ社会がいかにして横のつながりを維持していたかについてはさまざまな要因が考えられるが、イスラム世界に関しては以下のとおりだ。

イラクとパレスチナ(ティベリア)に存在したユダヤ教学の学塾(イェシヴァ)の塾長(ガオン)の指導の下に、ラビたちが各地の共同体から寄せられる律法に関する問い合わせに対して、宗教規範に即した回答を与えていた。

その結果、それまでイラクやパレスチナの学塾の周辺のみで通用していたラビ・ユダヤ教のタルムードの伝統が遠隔地の共同体にまで次第に浸透していき、イラクやパレスチナを中心とした各地の共同体相互の交流や精神的絆が大いに促進された。

このことが各地のユダヤ人がさまざまな活動を行う際の強力なネットワークとして機能した。

一方ヨーロッパでは、特に11世紀末から始まった十字軍派遣頃から、『新約聖書』でキリストを裏切ったユダへの憎悪になぞらえる形で、異教徒討伐の名の下にユダヤ人迫害が激化し、ライン川流域のユダヤ共同体などが襲撃された。

またこの頃からユダヤ人は全ての職業組合から排除されるようになり、キリスト教徒に禁止されていた金融業に従事するようになった。ペストの流行や儀式殺人の疑いも迫害の原因となった。

メタ創業者のザッカーバーグもユダヤ系 ANDREJ SOKOLOWーDAPーREUTERS

1492年にイスラム勢力を掃討してキリスト教による国土統一を完成したスペインでは、ユダヤ人に対する追放令が発せられ、改宗か追放を迫られた。さらにイタリアでは、16世紀半ばにユダヤ人を集団隔離する居住区ゲットーが現れ、西欧各地に広まった。

一方、主にドイツを中心とする西欧に居住していたユダヤ人は、迫害を逃れてポーランドなど東欧へ移住して繁栄したものの、17世紀半ばに幾度も迫害を受けた。

数々の差別・迫害を受けてきたユダヤ人であったが、ユダヤ人自身による解放を模索する動きもあった。しかし、実際にユダヤ人解放の契機となったのは、フランス革命とナポレオンによるゲットーの解体に伴うユダヤ人解放と、市民権の付与、そしてその潮流の西欧各国への伝播であった。

こうして、西欧各地でユダヤ人の解放が進み、各界への進出が見られた。

しかし、これでユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。ユダヤ人の各界への目覚ましい進出ぶりは、周囲の激しい妬みや反感を買い、19世紀後半になると西欧で民族主義が活発化し、反ユダヤ主義が台頭するようになった。

またロシアでは、度重なるポグロム(ユダヤ人大虐殺)により多くのユダヤ人が犠牲になった。

そんな中で、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人陸軍大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)を契機に、ユダヤ人はその故地シオンの丘に帰還して自らの国家を再建すべきであるというシオニズム運動が盛んになった。

20世紀に入ると、ロシアで再びポグロムが発生し、多くのユダヤ人がアメリカに移住したが、この時パレスチナに移住したシオニストが後にイスラエル建国の基礎を築いた。

第2次大戦では、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)により600万人のユダヤ人の命が奪われるという大きな悲劇に見舞われた。度重なるポグロムやホロコーストに対抗する形でシオニズムが発展し、世界各地からパレスチナに多くのユダヤ人が移民した。

1948年にパレスチナのユダヤ人たちはイスラエル国家の独立を宣言した。ところが、これによりこの地域に居住していたアラブ人(パレスチナ人)が排除され、多くの社会的・政治的問題が生じた。

これ以降、イスラエル/パレスチナ問題は、今日に至るまで中東地域ひいては世界で最も解決が困難な問題の1つとなっている。

イスラエル軍の避難命令を受けてさまようパレスチナ自治区ガザの住民 RAMEZ HABBOUBーABACAPRESSーREUTERS

ユダヤ人はなぜ「優秀」か

ユダヤ人はよく優秀な人物や大富豪を数多く輩出すると言われる。しかしその理由について説明することは極めて困難である。

ユダヤ人はしばしば迫害や追放を受けたため、持ち運ぶのが可能なものは自分の頭にしまい込める知識や知恵であるとして、教育や学問を極めて尊ぶ精神や環境が大きく作用していることは間違いない。しかしここでは、ヘブライ語聖書に登場する1つのエピソードに的を絞って考えてみたい。

「創世記」に登場するヤコブは、祝福を求めることに対して誰よりも貪欲であった。ヤコブは兄エサウから長子権を奪っただけでなく、父イサクをだましてその祝福をも得た。

さらに後に彼は神と格闘し、これに勝利するや否や、神による祝福を求めた。そして神から祝福を授かっただけでなく、もはやヤコブではなく「イスラエル」と改名するようにと告げられた。「イスラエル」とは、「神と人(複数形)と争い、これを克服する者」を意味する。

ユダヤ人は主に知的領域において常に神と格闘し、ユダヤの神はこれに対し「よく付き合って」くださる。ヤコブと神と人々との格闘に象徴される精神活動を通して、ユダヤ人の知的活動は比類なき奥深さと独自性に至る。

ヤコブは兄のエサウと和解し祝福を返したが、この「格闘」は現在のユダヤ人に引き継がれている。

問題は祝福としての「神の意志」の解釈である。ユダヤ人が祝福を自利のみと解釈すれば、世界に未来はないだろう。しかし彼らが祝福を自利・利他的なものと捉えるならば、まだそこに希望は残っている。

〈参考文献:『ユダヤ文化事典』(丸善出版)〉

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