冷泉彰彦
<アメリカの多くのメディアがハリス優勢だったと報じているが......>
米東部時間の9月10日(火)午後9時から行われた大統領選のテレビ討論は、民主党の候補がバイデン氏からハリス氏に代わって初めての「対決」として注目されていました。実際の討論は、予定の90分を大幅に超過して2時間近く行われ、主催したABCテレビだけでなく、多くのニュース専門局でも中継され、ストリーミングも合わせると相当の視聴数を稼いだと思います。
その「勝敗」ですが、一夜明けたアメリカの多くのメディアはハリス氏が優勢だったと伝えています。例えば、CNNは投票未決定者を集めた簡易調査を行った結果として、ハリス氏優勢が63%、トランプ氏優勢が37%だったとしています。CNNの場合は、多少リベラル寄りの報道姿勢がある局ですので、割り引いて考える必要があるのは事実ですが、大手メディア全般の傾向としてハリス氏が優勢だったという声は多数派のようです。
その一方で、保守色の濃いFOXニュースの報道では、討論を主催したABCテレビの司会者が偏向していたという批判記事が圧倒的に多くなっています。司会への批判が多いということは、FOXニュースとしても討論の勝敗としてはハリス氏の勝ちを認めていると理解できます。
では、今回の討論の結果として、ハリス氏が更に勢いを増していくのかというと、冷静に考えて、そこまでの効果はなかったと思われます。ハリス氏の弁論が足りなかったのではなく、両候補が全く違う目的で討論に臨んでいたと考えられるからです。
まず、両陣営に共通していたと思われるのは、「自分は相手側の消極的支持者を自分の支持へと引っ張り込むことはできないし、そんなことは狙わない」ということです。更に言えば、「まだ態度未決定の無党派中間層にアピールして票を伸ばすのは無理」という姿勢も感じられました。
2人が闘ったそれぞれの目的
何よりも現在のアメリカ政治は分断の時代です。両陣営ともに嫌いという「ダブルヘイター」がいるという言われ方もしていますが、その場合も「本来はクラシックな共和党支持でもちろん民主党は大嫌い。でも、トランプも嫌い」か、あるいは「自分はリベラルで、もちろんトランプは大嫌い。だが、バイデンも高齢でイヤ」というように、「元の色」がある人がほとんどだと思います。
そんな中では、左右対立の向こう側から票を引っ張り込むことは無理。また色に染まっていない人というのは、そもそも限りなくゼロに近いと言えます。その意味で、純粋に客観的な立場から討論の勝敗を判定し、勝ったほうが未決定層を取るだろうというストーリーは、あまり意味がありません。
どういうことかというと、両候補は全く別の目的に向かって闘っていたようです。まず、ハリス氏の場合は、「討論や記者会見に失敗して撤退したバイデン」と比較して「自分は若く健康で大統領職を全うできる」という「バイデンとの対比」を見せつけて、民主党支持層を固めるということを目的に掲げていたと考えられます。そしてハリス氏は、この目的に関しては今回の討論で十二分に目的を達成しました。
一方でトランプ氏の方も、明確な目的を持って臨んでいたようです。それは保守票の中の「極右票と穏健票の離反を止めたい」ということです。離反というと大げさですが、要は棄権させずに投票所に来させるという意味です。この極右派と穏健派の離反防止というのは、恐らくトランプ陣営の選挙戦の最大のテーマだと思われます。
まず今回の討論では、トランプ氏は「いつもの暴言」を繰り返しました。特に今回は徹底していて「オハイオ州のスプリングフィールドにはハイチの不法移民が集結して、元から住んでいた人のペットの犬猫を食べている」とか「リベラルは妊娠9カ月でも中絶するし、子どもが生きていたらその場で処刑している」などという、事実のカケラもない、そして常識人なら耳を塞ぐような不快な発言を繰り出していました。
どうして大統領経験者がここまで悪質なデマ暴言を繰り出すのかというと、不適切ではあるものの、この人なりの戦術なのだと思います。つまり、現状へ強い不満を持ち、自分には破壊のカタルシスを期待するような極右票を「飽きさせずに投票所へ呼び込む」には、「そのぐらいやらないとダメ」だという計算があるのだと思います。トランプ劇場も、2015年から足かけ10年近くになり、「余程過激な仕掛けをしないと、エンタメとして飽きられる」という危機感があるのでしょう。
一方で、トランプ派として、勝利の方程式に乗せるにはクラシックな共和党票もしっかり確保しなくてはなりません。とりわけ今回の討論の舞台となった激戦州ペンシルベニアには、山間部などに現状不満の票がある一方で、大都市には金融関係者などの穏健右派が多数います。彼らは、自由経済を欲し、特に富裕層減税と法人減税を強く望んでいます。
そんな穏健保守派は、減税さえやってくれるのなら、過激なパフォーマンスも我慢するというのが、ここ10年のトランプに対する姿勢でした。ですが、さすがに「ウクライナがロシアに負けてもいい」「NATOは脱退だ」とか「厳しい妊娠中絶禁止を定めた全国法を施行する」などという過激な政策がチラつくと、ついていけなくなる、つまり離反する可能性があるのです。
今後も続く両者の拮抗
今回の討論で、こうした具体的な論点について全てトランプ候補は「はぐらかし」を徹底していました。そこにあるのは穏健保守をつなぎ留めるという、票読み上の作戦だったのだと思います。
そんなわけで、全く別のゲームを戦ったハリス氏とトランプ氏は、それぞれに初期の目的は達したと考えていいでしょう。その意味で言えば、今回の討論は事実上、引き分けだったと見ておくのがいいと思います。
その結果として、ここからは推測ですが、今後も現在のような情勢が続くと思います。全国世論調査では両者が拮抗し、特に決戦州と言われるペンシルベニア、ジョージア、ネバダなどでは誤差の範囲内の横並びが続くという形で、選挙戦の終盤に進む可能性が強いということです。
仮にこの情勢が一気に変わるとしたら、環境の変化が転機になるという場合です。例えば、ウクライナ情勢や中東情勢など、軍事外交面で大きな変化があるか、利下げを待てずに株式市場が暴落する、そのような大きな変化があれば、ダイレクトに選挙戦に影響するでしょう。その場合は、ハリス氏の場合は新人とはいえ、現職の副大統領ですから現政権の「結果」については功罪ともに100%責任を問われることになるでしょう。
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米東部時間の9月10日(火)午後9時から行われた大統領選のテレビ討論は、民主党の候補がバイデン氏からハリス氏に代わって初めての「対決」として注目されていました。実際の討論は、予定の90分を大幅に超過して2時間近く行われ、主催したABCテレビだけでなく、多くのニュース専門局でも中継され、ストリーミングも合わせると相当の視聴数を稼いだと思います。
その「勝敗」ですが、一夜明けたアメリカの多くのメディアはハリス氏が優勢だったと伝えています。例えば、CNNは投票未決定者を集めた簡易調査を行った結果として、ハリス氏優勢が63%、トランプ氏優勢が37%だったとしています。CNNの場合は、多少リベラル寄りの報道姿勢がある局ですので、割り引いて考える必要があるのは事実ですが、大手メディア全般の傾向としてハリス氏が優勢だったという声は多数派のようです。
その一方で、保守色の濃いFOXニュースの報道では、討論を主催したABCテレビの司会者が偏向していたという批判記事が圧倒的に多くなっています。司会への批判が多いということは、FOXニュースとしても討論の勝敗としてはハリス氏の勝ちを認めていると理解できます。
では、今回の討論の結果として、ハリス氏が更に勢いを増していくのかというと、冷静に考えて、そこまでの効果はなかったと思われます。ハリス氏の弁論が足りなかったのではなく、両候補が全く違う目的で討論に臨んでいたと考えられるからです。
まず、両陣営に共通していたと思われるのは、「自分は相手側の消極的支持者を自分の支持へと引っ張り込むことはできないし、そんなことは狙わない」ということです。更に言えば、「まだ態度未決定の無党派中間層にアピールして票を伸ばすのは無理」という姿勢も感じられました。
2人が闘ったそれぞれの目的
何よりも現在のアメリカ政治は分断の時代です。両陣営ともに嫌いという「ダブルヘイター」がいるという言われ方もしていますが、その場合も「本来はクラシックな共和党支持でもちろん民主党は大嫌い。でも、トランプも嫌い」か、あるいは「自分はリベラルで、もちろんトランプは大嫌い。だが、バイデンも高齢でイヤ」というように、「元の色」がある人がほとんどだと思います。
そんな中では、左右対立の向こう側から票を引っ張り込むことは無理。また色に染まっていない人というのは、そもそも限りなくゼロに近いと言えます。その意味で、純粋に客観的な立場から討論の勝敗を判定し、勝ったほうが未決定層を取るだろうというストーリーは、あまり意味がありません。
どういうことかというと、両候補は全く別の目的に向かって闘っていたようです。まず、ハリス氏の場合は、「討論や記者会見に失敗して撤退したバイデン」と比較して「自分は若く健康で大統領職を全うできる」という「バイデンとの対比」を見せつけて、民主党支持層を固めるということを目的に掲げていたと考えられます。そしてハリス氏は、この目的に関しては今回の討論で十二分に目的を達成しました。
一方でトランプ氏の方も、明確な目的を持って臨んでいたようです。それは保守票の中の「極右票と穏健票の離反を止めたい」ということです。離反というと大げさですが、要は棄権させずに投票所に来させるという意味です。この極右派と穏健派の離反防止というのは、恐らくトランプ陣営の選挙戦の最大のテーマだと思われます。
まず今回の討論では、トランプ氏は「いつもの暴言」を繰り返しました。特に今回は徹底していて「オハイオ州のスプリングフィールドにはハイチの不法移民が集結して、元から住んでいた人のペットの犬猫を食べている」とか「リベラルは妊娠9カ月でも中絶するし、子どもが生きていたらその場で処刑している」などという、事実のカケラもない、そして常識人なら耳を塞ぐような不快な発言を繰り出していました。
どうして大統領経験者がここまで悪質なデマ暴言を繰り出すのかというと、不適切ではあるものの、この人なりの戦術なのだと思います。つまり、現状へ強い不満を持ち、自分には破壊のカタルシスを期待するような極右票を「飽きさせずに投票所へ呼び込む」には、「そのぐらいやらないとダメ」だという計算があるのだと思います。トランプ劇場も、2015年から足かけ10年近くになり、「余程過激な仕掛けをしないと、エンタメとして飽きられる」という危機感があるのでしょう。
一方で、トランプ派として、勝利の方程式に乗せるにはクラシックな共和党票もしっかり確保しなくてはなりません。とりわけ今回の討論の舞台となった激戦州ペンシルベニアには、山間部などに現状不満の票がある一方で、大都市には金融関係者などの穏健右派が多数います。彼らは、自由経済を欲し、特に富裕層減税と法人減税を強く望んでいます。
そんな穏健保守派は、減税さえやってくれるのなら、過激なパフォーマンスも我慢するというのが、ここ10年のトランプに対する姿勢でした。ですが、さすがに「ウクライナがロシアに負けてもいい」「NATOは脱退だ」とか「厳しい妊娠中絶禁止を定めた全国法を施行する」などという過激な政策がチラつくと、ついていけなくなる、つまり離反する可能性があるのです。
今後も続く両者の拮抗
今回の討論で、こうした具体的な論点について全てトランプ候補は「はぐらかし」を徹底していました。そこにあるのは穏健保守をつなぎ留めるという、票読み上の作戦だったのだと思います。
そんなわけで、全く別のゲームを戦ったハリス氏とトランプ氏は、それぞれに初期の目的は達したと考えていいでしょう。その意味で言えば、今回の討論は事実上、引き分けだったと見ておくのがいいと思います。
その結果として、ここからは推測ですが、今後も現在のような情勢が続くと思います。全国世論調査では両者が拮抗し、特に決戦州と言われるペンシルベニア、ジョージア、ネバダなどでは誤差の範囲内の横並びが続くという形で、選挙戦の終盤に進む可能性が強いということです。
仮にこの情勢が一気に変わるとしたら、環境の変化が転機になるという場合です。例えば、ウクライナ情勢や中東情勢など、軍事外交面で大きな変化があるか、利下げを待てずに株式市場が暴落する、そのような大きな変化があれば、ダイレクトに選挙戦に影響するでしょう。その場合は、ハリス氏の場合は新人とはいえ、現職の副大統領ですから現政権の「結果」については功罪ともに100%責任を問われることになるでしょう。
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