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ロック界のカリスマ、フランク・ザッパの娘が語る「私たち家族は健全なカルト集団だった」

ニューズウィーク日本版 2024年9月12日 22時35分

ムーン・ユニット・ザッパ(俳優、歌手、作家)
<父の愛情と創造力と導きを求め続けた。父の絶望的なユーモアと尽きることのない創造性、それに飢えていることをカルト的な孤独と呼ぶなら、私は喜んで受け入れる>

先日、ロサンゼルス郊外のサンフェルナンド・バレーを散歩していたら、歩道に「全てのカルトが悪というわけではない」と書かれていて、思わず笑ってしまった。

私は新刊の回顧録『アース・トゥ・ムーン』で、ロックのアイコン、フランク・ザッパの娘として育った日々を振り返っている。私にとって父は『スター・トレック』のミスター・スポックであり、キリストでもあった。子供の頃、父の愛情を奪い合う相手は家族だけではなかった。彼の辛辣で風刺的で誘惑的な歌を聞いて信者になった熱狂的なファンもライバルだった。

私たち家族の関係は、カルト集団と似ていなくもなかった。私は偉大な指導者のために喜んで食べ、眠り、飲み、生きた。もっとも、私たちは健全なカルトだ。父の絶望的なユーモアと尽きることのない創造性にはいくら触れても足りず、それに飢えていることをカルト的な孤独と呼ぶなら、私は喜んで受け入れる。

父の膨大な数のアルバムはタイムカプセルだ。一つ一つの曲が記憶生成装置となり、特定の場所と時間に私を運ぶ。父の膝くらいの背丈だった頃に、地下の簡易スタジオで聴いた曲。子供部屋のベッドの上段で人形を抱き締めながら聴いた最新作──。

5歳の時に初めてもらった日記帳には、父の美しいブロック体と黒インクで題辞が記されていた。私は架空のラクダの短編小説を書き、修道女に扮した自分を描き、(母の)ゲイルとフランクが裸でパンケーキのように重なるスケッチを描いた。

ザッパと妻ゲイル(1971年、ロンドン) BILL ROWNTREEーMIRRORPIX/GETTY IMAGES

ティーンになると、私の日記は父の居場所の記録になった。フランクはいつも旅をしていた。ツアーが始まると1年の大半は家を空け、鳥が枝に舞い降りるようにほんのつかの間、帰ってきた。

ゲイルは自分の寂しさを私にぶつけることが多く、父の時間と関心と愛情を切望する私の思いは一層深まった。正確には、心が痛かった。

自分の家族が普通ではないことは早くから分かっていた。家の中にはあふれそうな灰皿や空のコーヒーカップ、ウィジャボード(占いのゲーム盤)が並んでいた。

リビングが紫色で、父親の仕事場にダッチワイフがある家を私はほかに知らなかった。上着のポケットにパンケーキを入れてヨーロッパから持ち帰り、妻に味を再現させるという話も聞いたことがない。

色鮮やかな思い出の1つは、フランクがゲイルと私をリリー・トムリンのライブに連れて行ってくれたことだ。珍しく楽しそうに笑っている父を見て、いつか私もこんなふうに彼を笑わせたいと思った。

ザッパには熱狂的ファンも多かった(88年、ロッテルダム公演) FRANS SCHELLEKENSーREDFERNS/GETTY IMAGES

最後のタイムカプセル

中学生になった私は、学校やショッピングモールで耳にした人気者の女の子たちの声をまねして、崇拝する父から本物の笑いを引き出すことができた。13歳の私は、このささやかな喜びに背中を押され、一緒に何かをしたいと書いたメモをスタジオのドアの下に差し入れた。

そして、運命が動いた。父と娘のひそやかな時間が、世界的なヒット曲になったのだ。私の名前は永遠に父と結び付けられることになり、父と共に名声と称賛を浴びた。遠くロシアやオーストラリア、東京、カナダの女の子からファンレターが届いた。

1989年、父は前立腺癌で余命1年と宣告された。父は48歳、私は22歳だった。

家族は父の気晴らしになりそうなことをあれこれと試した。あるとき、父を説得して映画館に連れて行った。私が慎重に選んだ作品は『トータル・リコール』。父は楽しんでくれた。特に、火星反乱組織のリーダーのクアトー(男性の腹から飛び出しているミュータントの赤ちゃん)が気に入っていた。

私は大切な人を失いつつある苦悩と悲嘆を前に最善の防御として、スピリチュアルなものにすがった。無神論者を自認する父は言った。「どうせやるなら、とことんやれ」

私は恥ずかしさで胸が詰まった。でもそれをきっかけに、信心(父には信心がなかった)や死ぬことへの恐怖(父は死や死後について考えていなかった)の話をした。父は言った。「特に何も起こらない。全てが消えるのだろう。電気のスイッチみたいに」

まさにスポックの返答だ。私は動揺した。父も気付いたのだろう。次に会ったとき、バター色の大きな楽譜用紙の裏に描いた絵を見せてくれた。

光り輝く十字架の上部から、エネルギーの放出を強調するように2本の線が延び、真ん中に矢印が左から出ていた。用紙の上部に美しいブロック体でこう書かれていた。

「ムーンのための神の絵」

私は涙があふれた。絵の意味を聞くと、父は矢印を指さした。「クアトーの拡張だ」

最近、私は義姉にこの絵の話をして、インターネットで検索した説明をメールで送った。「クアトーは1990年代のSF映画に登場する脇役。相方の腹部に融合した結合双生児のミュータント」

説明の続きを読むと、私が忘れていたクアトーのせりふがあった。「あなたが何をするかがあなたという人をつくる。人はその人の記憶ではなく、行動で定義される」

ああ。これも父からのタイムカプセルだったのだ。マエストロのペンで描かれた絵にメッセージが隠されている。

「私は君の中に生きている。結合双生児のミュータントのように。さあ、アートをつくろう」

私はずっと、そう言ってほしかったのだ。

■フランク・ザッパの革新的人生



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