冷泉彰彦
<仕事を標準化すること、高度な業務のスキル教育を実現することが条件となる>
解雇規制緩和の議論が始まっています。この議論ですが、本来であれば、バブル崩壊後の変革期に始まっても良かったのです。少なくとも1990年代において、電算化と国際化の中で、対応のできない人材を別の分野に適正化させる一方で、新しい世代の若い労働力に入れ替える必要があったのです。仮にそうなっていたら、これだけの超長期にわたって日本経済が衰退することもなかったと考えられます。
では、解雇規制を緩和して、企業の社内も、また労働市場も完全に実力主義にしていけば、それが全体最適なのか、問題は単純ではありません。日本型雇用の硬直した制度が改革されさえすれば、全体が成長してゆく中で個々人にもトリクルダウンと機会の拡大という恩恵があるのかというと、そう簡単ではないのです。解雇規制の緩和を成功させるのには、どうしても一つの条件が達成されなくてはならないからです。
それは、スキルの標準化ということです。
わかりやすい例が旅客機のパイロットです。パイロットになるには免許が必要で、国家資格である操縦士免許と機種別免許が必要です。機種別というのは、例えばボーイングの場合は777とか787、あるいは737シリーズ、エアバスなら350などといったモデル別ということです。機種が異なれば操作方法も違い、機体のサイズなども異なるからです。
反対に同じ機種であれば、ある会社を辞めて別の会社に採用されても、機種が同じであれば同じようにパイロットとして働けます。どうしてかというと、同じモデルであれば機体が同じでコクピットの設計も同一だからです。つまり、機体が標準化されていることが大きいわけです。最近では、例えばボーイングの777と787については、操作方法が近いし機体サイズが似ているため、同じ機長が双方の機種に乗務する混合乗務というのがありますが、これも両者の操作方法がある程度は標準化されているからです。
「自己流」だった仕事のやり方を標準化する
このような「スキルの標準化」ということが成立していれば転職は容易になります。また、パイロットという職業がそうであるように、スキルが「事前に人についている」のであれば、労働市場における評価も客観的なものになるのです。
これをパイロットだけでなく、一般のオフィス、工場、店舗などの様々な職種において確立していかなければなりません。
そのためには、2つのことが必要です。
1つは、それぞれの企業や産業、あるいは官庁などが「自己流」でやっている仕事の進め方を相当程度に標準化することです。今でもあると思いますが、自分の会社の経理業務は長い歴史のある独特のものなので、大学で財務会計を勉強するなどの「色のついた人材」は困るという企業が結構あります。そうではなくて、地頭(じあたま)が良くて計数に強く誠実な人物を「白紙からOJTで鍛える」などと言うのです。
教育を企業がやってくれるので一見すると初心者でも活躍できそうですが、この種の育成方法では、スキルの過半が「その企業でしか役に立たない自己流」になってしまいます。これでは、そうしたキャリアは、どんなに立派でも他社では通用しません。
そうではなくて、経理などの間接部門だけでなく、商品管理、生産管理、物流などの現場の仕事もある程度標準化して、その分野での経験が他の企業でも活かされるようにするべきです。これは社会全体でDXを成功させるためにも必須の条件です。
2つ目には、単に仕事を標準化するだけではなく、人材が現場の実践に使える実務スキルだけでなく、その目的と手段、そして技術革新の流れと現在位置など、もっと大所高所からの理解が必要です。批判的な観点も含めてです。その上で、自分の過去職の経験を次の環境で、あるいは技術革新や国際化がさらに進んだ次の時代でも「応用できる」ような人材を育てるし、自分も目指すという社会的なクセをつけるのです。
職業教育における原理原則と経験則のダブル化とでも言ったらいいのかもしれませんが、これは公教育から始めるべきです。高校や大学のレベルでもっと高度な職業教育を行い、その専門知識、つまり専攻分野が確定した後に学ぶ専門科目が、そのまま高度なスキルとして労働市場で評価されるようにするのです。
大学では職業教育を強化せよというと、教養教育を無視するなとか、大学は新自由主義を批判する場だなどという反論が返ってきそうです。ですが、このように専門スキルを大学で身につけておけば、「スキルが人についた」形で、胸を張って個々の若者が労働市場での価値をアピールできるし、日本経済の全体が世界の周回遅れからカムバックできることにもなります。
「ジョブ型雇用」なしに解雇規制を緩和すると......
この2点、つまり標準化と高度なスキル教育を実現するというのは、言い換えれば本物の「ジョブ型雇用」を行うということです。
強く念押ししておきますが「ジョブ型雇用」とは、消費者視点の延長で職種に固執する新入社員を甘やかすことでもないし、経理一筋20年のベテランを自動的に専門家として評価することでもありません。
企業や官庁の業務を横串を刺すように標準化すること、その標準化されたスキルに高度な観点を加えた専門教育を社会全体で行っていくこと、こうした取り組みがされて初めて「ジョブ型雇用」は機能します。反対に、この「ジョブ型雇用」が成立していない中で解雇規制を緩和してしまえば、働く人々はどのように自分のキャリアを築いたら良いのか分からず、社会全体が混乱し、経済は更に低迷することにもなりかねません。
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解雇規制緩和の議論が始まっています。この議論ですが、本来であれば、バブル崩壊後の変革期に始まっても良かったのです。少なくとも1990年代において、電算化と国際化の中で、対応のできない人材を別の分野に適正化させる一方で、新しい世代の若い労働力に入れ替える必要があったのです。仮にそうなっていたら、これだけの超長期にわたって日本経済が衰退することもなかったと考えられます。
では、解雇規制を緩和して、企業の社内も、また労働市場も完全に実力主義にしていけば、それが全体最適なのか、問題は単純ではありません。日本型雇用の硬直した制度が改革されさえすれば、全体が成長してゆく中で個々人にもトリクルダウンと機会の拡大という恩恵があるのかというと、そう簡単ではないのです。解雇規制の緩和を成功させるのには、どうしても一つの条件が達成されなくてはならないからです。
それは、スキルの標準化ということです。
わかりやすい例が旅客機のパイロットです。パイロットになるには免許が必要で、国家資格である操縦士免許と機種別免許が必要です。機種別というのは、例えばボーイングの場合は777とか787、あるいは737シリーズ、エアバスなら350などといったモデル別ということです。機種が異なれば操作方法も違い、機体のサイズなども異なるからです。
反対に同じ機種であれば、ある会社を辞めて別の会社に採用されても、機種が同じであれば同じようにパイロットとして働けます。どうしてかというと、同じモデルであれば機体が同じでコクピットの設計も同一だからです。つまり、機体が標準化されていることが大きいわけです。最近では、例えばボーイングの777と787については、操作方法が近いし機体サイズが似ているため、同じ機長が双方の機種に乗務する混合乗務というのがありますが、これも両者の操作方法がある程度は標準化されているからです。
「自己流」だった仕事のやり方を標準化する
このような「スキルの標準化」ということが成立していれば転職は容易になります。また、パイロットという職業がそうであるように、スキルが「事前に人についている」のであれば、労働市場における評価も客観的なものになるのです。
これをパイロットだけでなく、一般のオフィス、工場、店舗などの様々な職種において確立していかなければなりません。
そのためには、2つのことが必要です。
1つは、それぞれの企業や産業、あるいは官庁などが「自己流」でやっている仕事の進め方を相当程度に標準化することです。今でもあると思いますが、自分の会社の経理業務は長い歴史のある独特のものなので、大学で財務会計を勉強するなどの「色のついた人材」は困るという企業が結構あります。そうではなくて、地頭(じあたま)が良くて計数に強く誠実な人物を「白紙からOJTで鍛える」などと言うのです。
教育を企業がやってくれるので一見すると初心者でも活躍できそうですが、この種の育成方法では、スキルの過半が「その企業でしか役に立たない自己流」になってしまいます。これでは、そうしたキャリアは、どんなに立派でも他社では通用しません。
そうではなくて、経理などの間接部門だけでなく、商品管理、生産管理、物流などの現場の仕事もある程度標準化して、その分野での経験が他の企業でも活かされるようにするべきです。これは社会全体でDXを成功させるためにも必須の条件です。
2つ目には、単に仕事を標準化するだけではなく、人材が現場の実践に使える実務スキルだけでなく、その目的と手段、そして技術革新の流れと現在位置など、もっと大所高所からの理解が必要です。批判的な観点も含めてです。その上で、自分の過去職の経験を次の環境で、あるいは技術革新や国際化がさらに進んだ次の時代でも「応用できる」ような人材を育てるし、自分も目指すという社会的なクセをつけるのです。
職業教育における原理原則と経験則のダブル化とでも言ったらいいのかもしれませんが、これは公教育から始めるべきです。高校や大学のレベルでもっと高度な職業教育を行い、その専門知識、つまり専攻分野が確定した後に学ぶ専門科目が、そのまま高度なスキルとして労働市場で評価されるようにするのです。
大学では職業教育を強化せよというと、教養教育を無視するなとか、大学は新自由主義を批判する場だなどという反論が返ってきそうです。ですが、このように専門スキルを大学で身につけておけば、「スキルが人についた」形で、胸を張って個々の若者が労働市場での価値をアピールできるし、日本経済の全体が世界の周回遅れからカムバックできることにもなります。
「ジョブ型雇用」なしに解雇規制を緩和すると......
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強く念押ししておきますが「ジョブ型雇用」とは、消費者視点の延長で職種に固執する新入社員を甘やかすことでもないし、経理一筋20年のベテランを自動的に専門家として評価することでもありません。
企業や官庁の業務を横串を刺すように標準化すること、その標準化されたスキルに高度な観点を加えた専門教育を社会全体で行っていくこと、こうした取り組みがされて初めて「ジョブ型雇用」は機能します。反対に、この「ジョブ型雇用」が成立していない中で解雇規制を緩和してしまえば、働く人々はどのように自分のキャリアを築いたら良いのか分からず、社会全体が混乱し、経済は更に低迷することにもなりかねません。
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