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「日本人は100年後まで通用するものを作ってきた」...「失われた何十年」言説の不安がもたらした文化への影響とは?

ニューズウィーク日本版 2024年10月9日 10時45分

片山杜秀 + 三浦雅士 + 田所昌幸(構成:置塩 文) アステイオン
<クラッシック音楽もバレエも演じ手の水準が上がる中、ファンは高齢化して裾野はやせ細り、才能は「お金になる」分野に流出していく時代に──> 

前編:「21世紀の首都圏はがらんどう」...サントリーホールが生まれた1980年代を振り返る から続く

『アステイオン』創刊と同じ年に誕生したサントリーホール。1986年とはどのような時代背景だったのか。音楽評論家の片山杜秀・慶應義塾大学教授と舞踊研究者で文芸評論家の三浦雅士氏にアステイオン編集委員長の田所昌幸・国際大学特任教授が聞く。『アステイオン』100号より「1986年から振り返る──サントリーホールと『アステイオン』の時代」を転載。

◇ ◇ ◇

演じ手と共鳴層

田所 ところで、大阪中之島にある大阪市中央公会堂は、大正7年竣工のまさに大正バブルの産物です。ひとりの大阪市民、岩本栄之助の寄附によって建てられますが、竣工時には彼は既にこの世にいなかった。

株式仲買人だった彼は相場で失敗して、39歳で短銃自殺したんです。それでも公会堂は残った。バブルの崩壊以降、いろんなものがじり貧状態になったけれど、造ったら残るものってやっぱりあるわけですよね。

そして、私が専門で見ている政治・経済などに比べると、日本の芸術は圧倒的に元気に見えます。ヨーロッパの名だたるところに日本のプリマがいてももはや驚かないし話題にもならないくらい、ごく当たり前に国際進出しています。日本のダンサーの水準は非常に上がったと思いますが、どうですか。

三浦 水準は上がっています。舞踊に関して言えばコレオグラファーなど作品をつくる人たちの能力も上がっているし、エネルギーも非常に高まっている。

日本人は、何かをつくる場合、後世のことまで考えています。せっかく井戸を掘るなら100年後にも通用するようなものにしなければ、と考える。それだけ心を込めてつくるのだからみんなに利用してもらいたいということで、基本的に手抜きはしません。

古くからある東京バレエ団にしても、1990年代から始まった熊川哲也のKバレエカンパニーにしても、また新国立劇場バレエ団にしても世界的に通用します。

片山 クラシック音楽の技量も、舞踊と同じです。オーケストラの腕前もソリストも水準が上がっている。何よりも価値観が豊かになっています。

以前は、誰々先生の弟子で、東京藝術大学の何とかでと、家元制度的で、この先生に師事していれば審査員は皆同系列だから音楽コンクールで1位になれる、みたいな世界でした。それが、グローバル化によって若いうちから海外で勉強する人が増えた。特定の先生につくのではなく、いろいろなところで多様なスタイルに学ぶ人も少なくない。

また、ネットで手に入る楽譜や演奏の音声や映像からどんどん消化して、家元的な教育とは全く違う学び方をした演奏家や作曲家が出てきている。

その結果、悪く言えば技術は高くても無個性化することもあるけれど、良く言うと、世界のさまざまなものに触れても器用貧乏にならずにスケールがどんどん大きくなる。そういう演奏家が、ヴァイオリンでもチェロでもピアノでもいるわけですね。

1986年に開館したサントリーホールは「世界一美しい響き」を基本コンセプトに設計された。大ホールは客席がステージを囲むヴィンヤード(ぶどう畑)形式を日本で初めて採用。撮影:池上直哉 協力:サントリーホール

片山 とはいえ、残念ながら、「クラシック音楽のタレントが出てきたからどんどん応援してみんなで聴きに行こう」とはなっていません。「年を取って少しお金を持ったら教養としてクラシック音楽を聴かなくちゃ」というのもなくなった。

好きな人は演奏会に行くけれども、社会全体で「このピアニストすごい」「このヴァイオリニストすごい」「この指揮者すごい」とはどうしてもならない。

今でも反田恭平さんブームみたいなものは起きますが、例えば歌番組、芸能番組にクラシック音楽の人も出るとかいうことにはなかなかならない。

昔は友竹正則や立川清登のようなミュージカルとオペラの両刀遣いの人も居たわけですが。芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎、武満徹みたいな人が発言すると、「あの人がこう言っているから」と、音楽の世界を超えてアピールするという、かつてのようなことはないですよね。

中村紘子がコマーシャルに出て、小澤征爾を財界こぞって応援するなどの事態は遠い日の夢物語になった。音楽のパフォーマンスの中身はすばらしいけれども、そういう社会的な共鳴層が減って裾野がやせて、アンバランスになっている感じはします。

メディアの変化と文化への影響

田所 クラシック音楽の演奏家は、子どものときから尋常でないトレーニングをします。そして、そのうちのごく優れた人、かつ運も良かった少数の人がようやくそれで食べていける世界です。

また、クラシック音楽全体をグローバルに見ても、好きな人が高齢化していてファンの再生産が難しくなっている。今、才能とやる気のある若い人たちが別の生き方を模索しているように思います。

片山 クラシック音楽の作曲家になって、「現代音楽で芥川也寸志サントリー作曲賞を取ろう」みたいな人は今でもいます。

しかし、昔の対位法や和声法のような音楽学校的なややこしい教育をすっ飛ばしても、テクノロジーの力で作りたいものを作れるようになっていますからね。実際、ゲーム音楽はクラシック音楽よりもお金になりますし。

昔ならシナリオライターや劇作家を目指したような人が、今はゲームの台本を書く方向に移ってしまっている気がします。才能のある人たちが文芸の領域に行かない。

以前なら映画やテレビドラマの脚本執筆、作曲、美術を目指したような人も、ゲーム産業などお金のあるほうにシフトしていると思うんです。昔はあれほどみんなが小説を書いていたのに、最近の芥川賞などを見ると、文芸作品を書く人たちはどこに行ったのかという感じです。

田所 多分ラノベを書いたり、漫画を描いたりしているのだろうと思いますね。

片山 そうでしょうね。戦後は日本の現代文学といったら綺羅星のごとく作家が並んでいました。文学にのめり込み、人間や社会を突き詰めて考えるようなモチベーションが下がっている時代ということかもしれません。それでもタレントはいつの時代も必ずいるので、別のところにシフトしているのでしょう。

三浦 一番大きい問題はメディアの変化ですよ。朝起きて最初にやることが、パソコンの前に座ってメールを確かめること。しかも、それが普通になったのは21世紀になってからです。そういった大変化にどう応えるか、どう動くかということが、今もまだわからない状況にあるということではないか。

暫定的にであれ座標を描いて、「ここにこういうことがある。ここにこういう人がいる」と位置づけてゆくようなエディターシップを発揮する存在がいなくなった、社会や世界を展望するような視点がなくなったわけです。

今、「昔は綺羅星のごとく作家が並んでいた」と片山さんが言われたけれど、その根源を探っていくとマルクス主義の存在が大きい。宗教なみに明瞭な未来像というか一種の予定表、一種の地図を提供していた。

詩人も作家も評論家も、批判するにしても見取り図があったほうが話は早い。誰もが座標軸を与えられ、自分がどこにいるかわかっていたつもりだった。各種の日本文学全集もそのノリで作られていた。

そういう、1950年代、60年代にはあった、マルクス主義の存立基盤が、社会主義の崩壊でなくなってしまった。1989年の天安門で何が起こったか。80年代末から90年代初頭にソ連で何が起こったか。そういったこと全部が関連するし、非常に興味深いことに、それはパソコンやスマホの普及とも陰の部分で連動しているということです。

「失われた何十年」言説

田所 構図が大きくて大変面白い指摘です。マルクス主義は、欠点はたくさんありつつも、日本の知識人が世界を解釈する際の枠組みとして長らく機能していました。そういった大きな枠組みなりイデオロギーなりが無くなり、皆が小さな世界に内閉しがちになっています。

先ほど三浦さんが「エディターシップ」とおっしゃったけれども、社会を全体的に俯瞰して、演出して、そういう人たちにどうやってチャンスをつくり、創造力を発揮してもらうか、そういう新しく大きな枠組みや思想がないじゃないか、ということですね。

それほど勉強熱心な学生ではなくても、なんとなくマルクス主義を知っているのは、私の世代がおそらく最後です。大学の授業で、私は学生に「マルクス主義ではね、生産力とか生産関係というものがあってね」と、そこから説明しないとダメなんです。

そういうある種の無思想状態もしくは脱イデオロギー的状態になっていることをどう考えるべきなのか。今や30代の人ぐらいまでは、「失われている、失われている」と「失われた何十年」のなかで育っています。その人たちがこれからの日本の創造を担っていくわけですね。

ただ、僕はこの「失われた」という言い方がどうも気に入らない。「その前は失われていなくて、昔は良かった」という懐古趣味になってしまい、そういう総括のあり方でいいのかと疑問です。

音楽を愛する人々が世界中から集まる「サントリーホール」の客席で、左から田所昌幸氏、三浦雅士氏、片山杜秀氏。撮影:池上直哉 協力:サントリーホール

片山 今日の座談会が、86年から話がスタートしているとすれば、それはまさにレーガン・中曽根、東西冷戦の緊張が緩み、ソ連ではゴルバチョフが出てきた時代です。そして、チェルノブイリ原発事故はまさに86年の春。サントリーホール開館は10月だから、原発事故で汚染された小麦が原料の、イタリアのパスタ類が入ってこなくなっている時期に開館したのでした。

共産主義国が脅威ではなくなり資本主義側が勝利する。ソ連はまだマルクス主義路線だけれど、ペレストロイカでうまくいくだろう、ソ連も中国も少なくとも変わっていくという幻想が80年代後半にはまだありました。

マルクス主義は克服しつつある敵だ。あるいは、資本主義の高度な発達のなかで、マルクス主義的な階級対立に代わる階級融和が展望された。皆がそれなりに豊かに暮らして余暇を持ち、その中で「演技する個人」となり、自己実現は幾らでもできる。「終わりなき日常」「永遠の中世」「高原社会」などと言って、豊かな社会の中で高度に安定するビジョンのあった時期です。

89年にベルリンの壁が崩壊して90年代に入り、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」となって、「右対左があって中道がある」といった構図を描きにくくなります。革新がなくなり、日本の政治も自民党みたいなもの2つで政権交代すればいいということで、朝日新聞も読売新聞も保守二大政党制の旗を振りました。

ところが、そういう理念としてのポストモダンは、少なくとも日本の場合はすぐに「失われた何十年」言説に取って代わられていきます。1985年のプラザ合意でバブルになり、それからバブルがはじけていく。あの「失われた何十年」というのは、バブルがはじけて何十年ということですよね。

田所 だいたい91~93年からの株価や物価の下落から数えますね。

片山 それで高度成長こそがデフォルト(既定事実)と思う人にはいつまでも「失われた何十年」が続くようになる。国際的に見れば2001年の9・11同時多発テロや2008年のリーマン・ショックがあり、テロとの戦いになって世界が無秩序化していくような状況になる。そしてアメリカも没落してくると、資本主義の繁栄に包まれている私たちはいつも新たな余裕を持ってさまざまな選択ができる、という状況が壊れてゆく。

余裕がある中でなら、保守二大政党でうまくゆく目もあろうけれど、切羽詰まってくると進む道は狭まって、政策論争の幅も出ない。そのときどっちも保守だなんて言ってたら、政党政治も終わります。

そして、三浦さんがお嘆きのように、国家、公共は、大局的な見地も、自由市場ではペイしない高度な文化やマイノリティを守る意識も持っていない。すっかり没落への不安に苛まれる時代です。うまくゆかないならそれに耐える哲学があればいいのだけれど、ないでしょう。それが拙い。

※後編:AIと人間を隔てるのは「身体性」...コンサートホールで体を震わせることこそ「人間的」だと言える理由 に続く。

片山杜秀(Morihide Katayama)
慶應義塾大学法学部教授、音楽評論家。1963年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。専門は近代政治思想史、政治文化論。主な著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム─「持たざる国」日本の運命』(新潮選書)、『皇国史観』(文春新書)などがある。

三浦雅士(Masashi Miura)
文芸評論家。1946年生まれ。弘前高校卒業。1969年、青土社創立と同時に入社。『ユリイカ』、『現代思想』編集長などを務める。『メランコリーの水脈』(福武書店、サントリー学芸賞)、『身体の零度』(講談社、読売文学賞)など著書多数。

田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
国際大学特任教授。1956年生まれ。京都大学法学部卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。京都大学大学院法学研究科博士課程中退。博士(法学)。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授、慶應義塾大学法学部教授を経て、現職。慶應義塾大学名誉教授。専門は国際政治学。主な著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『越境の国際政治』(有斐閣)、『社会のなかのコモンズ』(共著、白水社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など。

 『アステイオン』100号
  特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

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