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神田伯山が語る25年大河ドラマ主人公・蔦屋重三郎「愛と金で文化・芸能を育てた男」

ニューズウィーク日本版 2024年10月8日 16時0分

ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<江戸時代、文化人のパトロンとして歌麿や写楽を育てた出版人・蔦屋重三郎の生き様には、現代でも見習うべき多くの点がある>

2025年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主人公として、その生涯が描かれる蔦屋重三郎。

吉原に生まれ、書店・出版を生業に粋な町人文化を発信し、新たな才能を世に打ち出す名プロデューサーの顔と堅実な経営者としての顔を併せ持った彼のビジネス感覚は、非常に研ぎ澄まされていた。

厳しい出版統制にも負けない反骨精神で文化・芸能の火を灯し続けた彼の魅力を、江戸文化を深く知り、自身も現代に講談の魅力を発信し続ける講談師・神田伯山氏に語っていただく。

今回は刊行されたばかりの書籍『PenBOOKS 蔦屋重三郎とその時代。』(CCCメディアハウス)から神田伯山氏の独占インタビューを抜粋して紹介する。

◇ ◇ ◇

講談でも多く描かれる波乱の時代

主に蔦重が活躍したのは、安永から天明、寛政期にかけてということになりますが、天明期には浅間山の噴火、凶作による大飢饉が起きて、江戸をはじめ全国で打ちこわしが起こります。

泥棒も多く出没したということで、講談の歴史からすると、当時は盗人を主題にした作品が多いですね。「天明白浪伝」なんかがその典型です。寛政に入ると、「寛政力士伝」のように谷風や雷電といった相撲取りを扱った講談が登場しますが、天明期の混乱は少し落ち着いてきて、文化的にも新たな発展を見る時代です。

金がなければ文化は育たない

そして、文化、文政の頃に特に爛熟(らんじゅく)していくというような流れがあるのだろうと思います。その流れのなかで、蔦重は多くの作り手たちに投資をし、さまざまな文化・芸能を生み出していった。

喜多川歌麿や東洲斎写楽といった絵師をプロデュースし、まだ若手だった曲亭馬琴や十返舎一九にも早くに目をかけています。こういう人がいないとやはり文化というものが育たないのではないかなと思いますね。

日本人の価値観として、どこかお金は汚いというイメージがありますし、お金持ちに対してもそうだろうと思いますが、ある程度のお金がなければ、文化的な貢献もできない。吉原細見の独占販売で儲けて、それを元手に文化人のパトロンとして働き、作品を世に送り出して流行を作っていった。

天明期にブームになった狂歌にしても、蔦重のような存在がなければ、その場で終わっていたと思います。蔦重のような人間が、それを本にすることによって、さまざまな人が狂歌を楽しめるようになった。それが流通して、また次の作品が作られる。ちゃんと食っていけるようにするというのも、大きなポイントですね。

文化・芸能に対する愛情と、それをちゃんと維持していくためのお金。そのどちらが欠けてもダメなんだなと、蔦重の生涯を見ているとつくづく考えさせられます。

人生、賭けに出なければならない時がある

考えてもみれば、僕が講談師になったというのは、大きな博打であり挑戦でした。僕が入門した十数年前は、今よりもずっと講談が知られていませんでした。うちの師匠の神田松鯉(しょうり)をはじめ、多くの人が頑張って講談を支えていらしたのですが、冷静に考えれば、当時、講談の世界に飛び込むということは、それを永久就職先にするわけです。なかなかの大博打だなと今更ながら思います。

蔦重も23歳で自分の店を持って、出版に賭けたわけですよね。そうやって、勝負に出ないといけないときが確かにあるのだろうと思います。

また、新しい文化・芸能に投資し、さまざまな出版物を刊行していますが、その分、失敗することも多かったでしょう。逆に商品がヒットして、あまり目立ちすぎると、お上からは処罰を受けたりもする。それでも逃げずにずっとやり続けるというところにも魅力を感じますね。

反骨の講釈師・馬場文耕と蔦重

その反骨精神は、蔦重よりも少し前の時代に活躍した講釈師・馬場文耕にも通じるところがあるかなと思います。当時、講釈師というのはジャーナリスティックなイメージもある存在でした。

もともと講釈は侍・浪人の芸で、気骨があり、ドキュメンタリーやノンフィクションのようなものだったのです。馬場文耕は、1754(宝暦4)年頃に起きた、郡上(ぐじょう)藩藩主・金森頼錦(よりかね)が強行した財政再建策に農民が反発した金森騒動を題材にし、高座にかけました。

その後、それをもとに『平かな森の雫』という著作にまとめ、幕政批判をしたことで、打首獄門の刑に処されています。

長い講談の歴史でも、死罪となったのは馬場文耕だけです。宝暦8年に小塚原刑場で獄門に処され、41歳で亡くなります。当時、寛延3年生まれの蔦重は9歳くらいで、物心がつくかつかないかの頃。直接的な関係はないけれども、時代の雰囲気は共有していたのかもしれません。

蔦重にも馬場文耕のような反骨精神を感じるところがあります。文耕は命を落としてまでもやるという侍の気骨がありますが、町人出の蔦重は距離を取りながら、笑いを交えて、ぎりぎりの線で、体制を風刺していく。お上を洒落のめす。そうした反骨精神も、蔦重の魅力的な部分ですね。

神田伯山(かんだ・はくざん)

1983年東京都生まれ。講談師。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年に三代目神田松鯉に入門。2012年に二ツ目昇進。2020年に真打昇進とともに、六代目神田伯山を襲名。主な著書に『講談放浪記』(講談社)、『神田松之丞 講談入門』(河出書房新社)などがある。

『Pen BOOKS 蔦屋重三郎とその時代。』
 ペン編集部[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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