コリン・ジョイス
<保守党政権にうんざりしたイギリス国民からの期待を背負って政権についた労働党だが、理想と現実のギャップで失敗続き>
ドイツの将軍が残した格言がある。「敵に遭遇した途端、どんな計画も役に立たなくなる」。後に、アメリカの(ひょっとすると「哲学者」かも?)マイク・タイソンがこれを、「誰にでも計画はある、顔面を殴られるまでは」と言い換えた。
イギリスのキア・スターマー首相も、いったん政権に就いたら、政治的目標がさまざまな出来事によって即座に覆されることを学んでいる。
どう考えても、イギリスの新たな労働党政権は厳しい理想と現実のギャップに直面している。大まかに言って、彼らのこれまでの失敗は3つに分類できる。実務能力、思いやり、そして誠実さ。もちろん3つ全て当てはまったり重なり合っている場合もあるが、それぞれの例を挙げてみたい。
①実務能力 労働党政権が前保守党政権から、刑務所の過密という危機を引き継いだのは明らかだ。それは慢性的な問題で、限界に達しつつある。
簡単に言えば、イギリスは収容できる以上の人数を刑務所に入れている。すぐに新しい刑務所を建設し、刑務官を採用し訓練することはできないし、まして魔法の杖を振って犯罪件数を減らすことなど不可能だ。そこで労働党は「早期釈放」計画に着手した。刑期満了にに近く、「模範的な行動」を見せた囚人たちの釈放だ。
ちょうど同時期、イギリス各地で極右の暴動が発生。スターマー政権は行動を迫られ、迅速な裁判を実施するため特別な法廷を開いた。暴徒たちはかなり厳しい実刑判決を科された──彼らを厳しく罰して、社会を安心させ、同様の行動を抑止するためだ。
当然ながら、刑務所にできた空きはすぐに再び埋まった。やがて、刑務所にいるべき犯罪者が盛大な「釈放パーティー」を開いた、などという報道が出始めた。足首の電子タグ(通常は保護観察中に装着される)が装着されていない者がいるのが「見逃されている」との報道も。また、「最低限」の刑期も満たさずに被害者の近所に突如、加害者が戻ってきた、という例もあった。釈放された男がその日に女性を性的暴行する事件まで発生した。
これを見て、「よくやった、キア!」と思うイギリス国民はいないだろう。
「政治犯的」犯罪者より普通の犯罪者を優遇?
偶然にも僕は今、『収容所群島』を再読しているが、著者のソルジェニーツィンが繰り返すテーマの1つは、スターリンの刑務所制度で「政治犯」よりも「普通の犯罪者」の方が優遇されたという苦々しさだ。刑期は短く、刑務所の条件も良かった。
スターマーのイギリスとソ連最悪のスターリン時代が似ていると示唆するのはばかげているが、レイプ犯や強盗が寛容に扱われる一方で、政府の方針に歯向かった政治犯的な犯罪者には厳罰を下すというのは、ちょっと共通する部分がある。
②思いやり 新財務相が最初に行ったことの1つは、66歳以上の「全ての人」に支給していた冬季燃料手当を廃止することだった。
この手当は、国庫負担は大きいものの、自宅で過ごす高齢者が低体温症にならないため、エネルギー価格が高騰している今ほど必要とされた時期はなかった。今後は、年金生活者向け特別給付を受け取っている貧しい高齢者だけが支給対象になる。
この労働党の改革には、論理的根拠がある。支援を必要としない裕福な高齢者まで政府が援助する必要はないのでは、というものだ。
だが一方で、国家が常に「最貧者」に資金を振り向けると、人々は節約や貯蓄をする意欲を失うという問題もある。頑張って財産を築けば「罰を受けるだけ」と考えてしまうのだ。
さらに悪いのは、労働党は自らを「思いやり」の党だとアピールしていたこと。「保守党の緊縮政策」は財政上不可欠なものではなく、「あえて選んでいるだけ」と非難した。「平凡なイギリス国民」を罰する誤った政策だ!と批判したのだ。
野党時代のそうした主張は、1997年からずっと続いていた高齢者向け燃料手当を廃止する姿勢とは相いれない。
短かったハネムーン期間
③誠実さ サッカーが趣味のスターマーは、アーセナルの試合の観戦チケットを繰り返しタダで提供されている(もちろん最も高価な席)。彼の妻は、裕福な献金者に買ってもらった高価な服を着ている。最近明らかになったのは、スターマー一家が選挙活動中、子供たちが落ち着いて試験勉強できるように、1800万ポンド相当のロンドンのアパートを「無償で借りた」ことだ。
必ずしもルール違反ではないし(スターマーは議会の規則に従ったと主張している)、「無料の品」をもらうのも言語道断とか不正行為とはいえないかもしれない。
だが労働党は自らを、「腐敗した」保守党に替わる「誠実な」政党として売り込んでいた。新たな政治的支配者が権力に就いた途端においしい思いをしているのを見ると、どっちもどっちと思えてくる。
新政権の「ハネムーン期間」は非常に短いものだった。労働党を総選挙で圧勝に導いてから数カ月で、スターマーの支持率は45ポイントも低下した。
有権者のうち彼はうまくやっていると考える人は24%、支持しない人は50%だ。単に評価が低いだけではなく、失脚したリシ・スナク前首相の評価よりもさらに悪い。スターマーは大失敗しているというのは言いすぎだが、物事は計画どおりには進んでいない。
<保守党政権にうんざりしたイギリス国民からの期待を背負って政権についた労働党だが、理想と現実のギャップで失敗続き>
ドイツの将軍が残した格言がある。「敵に遭遇した途端、どんな計画も役に立たなくなる」。後に、アメリカの(ひょっとすると「哲学者」かも?)マイク・タイソンがこれを、「誰にでも計画はある、顔面を殴られるまでは」と言い換えた。
イギリスのキア・スターマー首相も、いったん政権に就いたら、政治的目標がさまざまな出来事によって即座に覆されることを学んでいる。
どう考えても、イギリスの新たな労働党政権は厳しい理想と現実のギャップに直面している。大まかに言って、彼らのこれまでの失敗は3つに分類できる。実務能力、思いやり、そして誠実さ。もちろん3つ全て当てはまったり重なり合っている場合もあるが、それぞれの例を挙げてみたい。
①実務能力 労働党政権が前保守党政権から、刑務所の過密という危機を引き継いだのは明らかだ。それは慢性的な問題で、限界に達しつつある。
簡単に言えば、イギリスは収容できる以上の人数を刑務所に入れている。すぐに新しい刑務所を建設し、刑務官を採用し訓練することはできないし、まして魔法の杖を振って犯罪件数を減らすことなど不可能だ。そこで労働党は「早期釈放」計画に着手した。刑期満了にに近く、「模範的な行動」を見せた囚人たちの釈放だ。
ちょうど同時期、イギリス各地で極右の暴動が発生。スターマー政権は行動を迫られ、迅速な裁判を実施するため特別な法廷を開いた。暴徒たちはかなり厳しい実刑判決を科された──彼らを厳しく罰して、社会を安心させ、同様の行動を抑止するためだ。
当然ながら、刑務所にできた空きはすぐに再び埋まった。やがて、刑務所にいるべき犯罪者が盛大な「釈放パーティー」を開いた、などという報道が出始めた。足首の電子タグ(通常は保護観察中に装着される)が装着されていない者がいるのが「見逃されている」との報道も。また、「最低限」の刑期も満たさずに被害者の近所に突如、加害者が戻ってきた、という例もあった。釈放された男がその日に女性を性的暴行する事件まで発生した。
これを見て、「よくやった、キア!」と思うイギリス国民はいないだろう。
「政治犯的」犯罪者より普通の犯罪者を優遇?
偶然にも僕は今、『収容所群島』を再読しているが、著者のソルジェニーツィンが繰り返すテーマの1つは、スターリンの刑務所制度で「政治犯」よりも「普通の犯罪者」の方が優遇されたという苦々しさだ。刑期は短く、刑務所の条件も良かった。
スターマーのイギリスとソ連最悪のスターリン時代が似ていると示唆するのはばかげているが、レイプ犯や強盗が寛容に扱われる一方で、政府の方針に歯向かった政治犯的な犯罪者には厳罰を下すというのは、ちょっと共通する部分がある。
②思いやり 新財務相が最初に行ったことの1つは、66歳以上の「全ての人」に支給していた冬季燃料手当を廃止することだった。
この手当は、国庫負担は大きいものの、自宅で過ごす高齢者が低体温症にならないため、エネルギー価格が高騰している今ほど必要とされた時期はなかった。今後は、年金生活者向け特別給付を受け取っている貧しい高齢者だけが支給対象になる。
この労働党の改革には、論理的根拠がある。支援を必要としない裕福な高齢者まで政府が援助する必要はないのでは、というものだ。
だが一方で、国家が常に「最貧者」に資金を振り向けると、人々は節約や貯蓄をする意欲を失うという問題もある。頑張って財産を築けば「罰を受けるだけ」と考えてしまうのだ。
さらに悪いのは、労働党は自らを「思いやり」の党だとアピールしていたこと。「保守党の緊縮政策」は財政上不可欠なものではなく、「あえて選んでいるだけ」と非難した。「平凡なイギリス国民」を罰する誤った政策だ!と批判したのだ。
野党時代のそうした主張は、1997年からずっと続いていた高齢者向け燃料手当を廃止する姿勢とは相いれない。
短かったハネムーン期間
③誠実さ サッカーが趣味のスターマーは、アーセナルの試合の観戦チケットを繰り返しタダで提供されている(もちろん最も高価な席)。彼の妻は、裕福な献金者に買ってもらった高価な服を着ている。最近明らかになったのは、スターマー一家が選挙活動中、子供たちが落ち着いて試験勉強できるように、1800万ポンド相当のロンドンのアパートを「無償で借りた」ことだ。
必ずしもルール違反ではないし(スターマーは議会の規則に従ったと主張している)、「無料の品」をもらうのも言語道断とか不正行為とはいえないかもしれない。
だが労働党は自らを、「腐敗した」保守党に替わる「誠実な」政党として売り込んでいた。新たな政治的支配者が権力に就いた途端においしい思いをしているのを見ると、どっちもどっちと思えてくる。
新政権の「ハネムーン期間」は非常に短いものだった。労働党を総選挙で圧勝に導いてから数カ月で、スターマーの支持率は45ポイントも低下した。
有権者のうち彼はうまくやっていると考える人は24%、支持しない人は50%だ。単に評価が低いだけではなく、失脚したリシ・スナク前首相の評価よりもさらに悪い。スターマーは大失敗しているというのは言いすぎだが、物事は計画どおりには進んでいない。