冷泉彰彦
<全くのデタラメであることは問題ではなく、暴言によって移民への敵意を明確にして「敵か味方か」の峻別を図っている>
オハイオ州スプリングフィールド市にハイチから来た不法移民が大量に住みついて、元からいる住民のペットである犬猫を食べている......この話は全くのデタラメであり、オハイオ州のマイク・ドワイン知事(共和党)も困惑とともに怒りを表明しています。具体的には「トランプ候補とバンス候補の支持者だからこそ、悲しい」としながらも、「この種の発言はスプリングフィールドの住民を傷付けている」と明言しています。
ちなみに、この種の発言は8月頃から始まっており、これをバンス氏が取り上げるとトランプ派は様々な「猫のミーム」を拡散していました。トランプが猫たちを守っているというイメージのミームであり、オハイオでのデマをベースにしたものであることは明白です。
何よりもスプリングフィールドに住み着いているハイチ移民は、そのほとんどが合法移民です。どうして集まってきたのかというと、地域の経済再生のために誘致した工場などの労働力が不足していたからです。彼らが流入したことで、その労働力が充足され、地域経済は回り始めていました。
では、どうしてこの種の暴言デマが拡散したのかというと、コミュニティの人種構成が変わってしまったことへの不満感情を利用しようとしたからだと思います。それにしても、ハイチ移民が「ペットを食べている」というのは表現として悪質です。ですが、トランプ派はこの表現を止めようとしません。
テレビ討論でも口にしたトランプ
9月10日のトランプ対ハリスのテレビ討論では、「まさか言わないだろう」と思っていた人が多かったのですがトランプ候補はこの「ペット食い」を口にしていました。一方で、バンス候補はオハイオ州知事などの抗議を受けて、事実に反することは認めたものの「猫のミーム」は使い続けるとしていました。
この暴言デマが問題になってほぼ2カ月が経過していますが、その後も、お得意の「ラリー型式の演説集会」でトランプ候補はこの「ペット食い」を口にし続けています。
では、どうしてここまで「おぞましい」暴言デマをトランプ陣営は止めないのかというと、おそらく以下の4点が指摘できると思います。
1つ目は敵意の比喩ということです。「ペット食い」というのは「実際に起きたこと」ではないかもしれないが、そのぐらい「移民により人種構成が変わることへの怒り」がある、まずそのような「移民への敵意」があるのだと思います。また、移民を肯定する「多様化賛成派」に対する「敵意」も伴っています。激しい「敵意」を表現するにはこのように事実を無視した暴言の「激しさ」で表現するのが一番伝わると考えているのだと思います。
2つ目はブラックユーモアということです。子どもが「いじめ」を行う際にも見られることですが、事実ではない誇張表現にブラックなユーモアを混ぜることで、敵意を効果的に繰り出すわけです。信じられないことですが、それで「楽しくて」やっているのだと考えられます。
3つ目は敵味方の論理です。これは交戦国のナショナリズム、抗争中の党派の論理と同じことであり、とにかく「犬猫食い」のコメントに対して怒るのか、従うのかで、敵と味方を峻別する効果があるのだと思います。
4つ目は、格差の問題です。この発言について「移民への差別」だとか、「多様性は尊重すべきだ」というような概念を使ってくる人は、「一定程度以上の高学歴」に限定されます。その一方で、「移民が犬猫を食べる」という話に乗ってくる中には、教育が受けられなかった層、ニュースなどの情報に接する機会のない層も含まれるかもしれません。
そう考えると、この種の「放言」に「目くじらを立てる」人は「持てる側」であり、真面目に「それは大変だ」と思ってしまう人の中には「持たざる人」が含まれている、そうした印象を持つ人もあるかもしれません。そこで論理を少し飛躍させると、この種の暴言を拡散することが「格差への異議申し立て」になるという勘違いが生まれるわけです。
マジレスすればトランプ側の思うツボ
問題は、この種の暴言に対してどうやって対処したら良いのかということです。これまでのアメリカでは、リベラルの側が「真面目に受け止めて思い切り怒る」という対応をしてきました。ですが、それではトランプ側の「怒りのエネルギー」にガソリンを投入したような形となり逆効果となっています。
では、これを「情弱が自滅に向かって一線を越えているだけ」だとして、無視すればいいのかと言うと、それでは結局はデマ暴言の拡散を許すことになります。そこまで怒っているのなら「あなた方が改めてグローバル社会とデジタル化に適応するように再学習の機会を与えてあげよう」という「恩恵」を示すということも考えられますが、2016年にそれをやったヒラリー・クリントン氏はかえって激しい反発を食らいました。
いずれにしても、この種の問題を話題にし続けてはアメリカの分断は悪化するばかりです。本来の政策論争、つまり景気、物価、雇用というテーマに立ち返って、事実に基づいた主張と、対策の競い合いが生まれること、分断を解決するにはそれが一番だと思うのです。
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オハイオ州スプリングフィールド市にハイチから来た不法移民が大量に住みついて、元からいる住民のペットである犬猫を食べている......この話は全くのデタラメであり、オハイオ州のマイク・ドワイン知事(共和党)も困惑とともに怒りを表明しています。具体的には「トランプ候補とバンス候補の支持者だからこそ、悲しい」としながらも、「この種の発言はスプリングフィールドの住民を傷付けている」と明言しています。
ちなみに、この種の発言は8月頃から始まっており、これをバンス氏が取り上げるとトランプ派は様々な「猫のミーム」を拡散していました。トランプが猫たちを守っているというイメージのミームであり、オハイオでのデマをベースにしたものであることは明白です。
何よりもスプリングフィールドに住み着いているハイチ移民は、そのほとんどが合法移民です。どうして集まってきたのかというと、地域の経済再生のために誘致した工場などの労働力が不足していたからです。彼らが流入したことで、その労働力が充足され、地域経済は回り始めていました。
では、どうしてこの種の暴言デマが拡散したのかというと、コミュニティの人種構成が変わってしまったことへの不満感情を利用しようとしたからだと思います。それにしても、ハイチ移民が「ペットを食べている」というのは表現として悪質です。ですが、トランプ派はこの表現を止めようとしません。
テレビ討論でも口にしたトランプ
9月10日のトランプ対ハリスのテレビ討論では、「まさか言わないだろう」と思っていた人が多かったのですがトランプ候補はこの「ペット食い」を口にしていました。一方で、バンス候補はオハイオ州知事などの抗議を受けて、事実に反することは認めたものの「猫のミーム」は使い続けるとしていました。
この暴言デマが問題になってほぼ2カ月が経過していますが、その後も、お得意の「ラリー型式の演説集会」でトランプ候補はこの「ペット食い」を口にし続けています。
では、どうしてここまで「おぞましい」暴言デマをトランプ陣営は止めないのかというと、おそらく以下の4点が指摘できると思います。
1つ目は敵意の比喩ということです。「ペット食い」というのは「実際に起きたこと」ではないかもしれないが、そのぐらい「移民により人種構成が変わることへの怒り」がある、まずそのような「移民への敵意」があるのだと思います。また、移民を肯定する「多様化賛成派」に対する「敵意」も伴っています。激しい「敵意」を表現するにはこのように事実を無視した暴言の「激しさ」で表現するのが一番伝わると考えているのだと思います。
2つ目はブラックユーモアということです。子どもが「いじめ」を行う際にも見られることですが、事実ではない誇張表現にブラックなユーモアを混ぜることで、敵意を効果的に繰り出すわけです。信じられないことですが、それで「楽しくて」やっているのだと考えられます。
3つ目は敵味方の論理です。これは交戦国のナショナリズム、抗争中の党派の論理と同じことであり、とにかく「犬猫食い」のコメントに対して怒るのか、従うのかで、敵と味方を峻別する効果があるのだと思います。
4つ目は、格差の問題です。この発言について「移民への差別」だとか、「多様性は尊重すべきだ」というような概念を使ってくる人は、「一定程度以上の高学歴」に限定されます。その一方で、「移民が犬猫を食べる」という話に乗ってくる中には、教育が受けられなかった層、ニュースなどの情報に接する機会のない層も含まれるかもしれません。
そう考えると、この種の「放言」に「目くじらを立てる」人は「持てる側」であり、真面目に「それは大変だ」と思ってしまう人の中には「持たざる人」が含まれている、そうした印象を持つ人もあるかもしれません。そこで論理を少し飛躍させると、この種の暴言を拡散することが「格差への異議申し立て」になるという勘違いが生まれるわけです。
マジレスすればトランプ側の思うツボ
問題は、この種の暴言に対してどうやって対処したら良いのかということです。これまでのアメリカでは、リベラルの側が「真面目に受け止めて思い切り怒る」という対応をしてきました。ですが、それではトランプ側の「怒りのエネルギー」にガソリンを投入したような形となり逆効果となっています。
では、これを「情弱が自滅に向かって一線を越えているだけ」だとして、無視すればいいのかと言うと、それでは結局はデマ暴言の拡散を許すことになります。そこまで怒っているのなら「あなた方が改めてグローバル社会とデジタル化に適応するように再学習の機会を与えてあげよう」という「恩恵」を示すということも考えられますが、2016年にそれをやったヒラリー・クリントン氏はかえって激しい反発を食らいました。
いずれにしても、この種の問題を話題にし続けてはアメリカの分断は悪化するばかりです。本来の政策論争、つまり景気、物価、雇用というテーマに立ち返って、事実に基づいた主張と、対策の競い合いが生まれること、分断を解決するにはそれが一番だと思うのです。
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