イアン・ランドル(本誌科学担当)
<1935年に発見された苦悶の表情をしている女性のミイラ、最新技術を用いた分析によって長年の謎に答えが見えてきた>
1935年、エジプトの中東部ルクソール(旧テーベ)に近い共同墓地を発掘していた考古学者のチームは、気になるものを見つけた。それは高齢の女性のミイラ。口が開き、恐怖のあまり叫んでいるような表情だった。
【画像】エジプト「叫ぶ女性ミイラ」の謎解明...最新技術が明かす意外な死の真相
さらに謎なのは最近、この「叫ぶ女」をCTスキャンしたところ、臓器が残っていると判明したことだ。普通なら防腐処理の際に取り除かれるはずだ。約3500年前のミイラ化の作業に落ち度があり、女性の口が開いてしまったのか。だとしたら、処置した者が埋葬前に口を閉じるのを怠っただけではないのか──今まではそう考えられていた。
だが今回、カイロ大学とエジプト観光・考古省の研究者らの調査から全く別の説が導き出された。女性は実際に苦しみながら死んだというのだ。
「この女性は輸入された高価な防腐剤で処理されたことが分かる」と語るのは、カイロ大学カスル・アル・アイニ病院の放射線科医サハル・サリーム。彼女は8月初め、このミイラに関する新たな論文を筆頭執筆者として発表した。「しかも保存状態がよいことは、内臓を取り除かないとミイラ化がうまくいかないという通説と矛盾する」
脳も肺も肝臓もそのまま
サリームはCTスキャン、走査電子顕微鏡、X線回析などの技術を駆使して、ミイラを「バーチャル解剖」した。するとミイラには防腐処理のための切開痕がなく、脳や肺、肝臓などの臓器がそのまま残されていたことが判明した。
この女性が生きていた新王国時代(前1570~前1070年頃)には、腐敗の速い臓器を埋葬時に取り除き、壺やチェストに入れて別々に保存していた。ただし心臓だけは残された。古代エジプトで心臓は、人格と知性、記憶の源と信じられていたためだ。
女性はこの防腐処理を受けていなかったのに保存状態が良好であるため、サリームは「別のミイラ化の方法」が使われたのかもしれないと言う。「この情報はミイラ化に関する従来の知識を修正し、新たな視点をもたらす」
公式には「CIT8」の記号で知られるこのミイラは、1935年にニューヨークのメトロポリタン美術館がエジプトに遠征した際、ルクソールに近いデル・エル・バハリの共同墓地で発掘された。
このとき考古学者らは、エジプト第18王朝(前1550~前1292年頃)の建築家だったセネンムト(センムト)の墓を発掘していた。第18王朝は古代エジプトが隆盛を極めた新王国時代の最初の王朝。セネンムトは女性ファラオのハトシェプスト(在位・前1479~前1458年)に家令として仕え、彼女の愛人だったという説もある。
My discovery of the 'Screaming Woman Mummy' is published in the print edition of Newsweek on August 30th, 2024.https://t.co/GXtzSJrvZr pic.twitter.com/El52wXesWo— Sahar Saleem (@Saharsaleem1) August 23, 2024
「叫ぶ女」はセネンムトの墓(写真)の発掘中に見つかった MONIKAKL/SHUTTERSTOCK
考古学者らはセネンムトの墓の下に、彼の母や親族のために造られた別の埋葬室を発見した。これらの埋葬者に交じって、黒いかつらをかぶり、古代エジプトで再生の象徴だったスカラベ(コガネムシ)の形をした指輪を2つはめた「叫ぶ女」が木製のひつぎに納められていた。
発見後、女性のミイラはカイロ大学カスル・アル・アイニ医学部に移された。ここでは1920~30年代に、ツタンカーメンを含む多くの王族のミイラが研究されている。98年にはエジプト観光・考古省の要請により、カイロのエジプト博物館に移された。
悲鳴とともに死んだ?
サリームはこのミイラのスキャン画像から、生存時の身長は154センチ程度で、骨盤の形から48歳前後で死亡したと推定している。
確実な死因は判明しなかったが、健康状態について分かったことがある。例えば背骨の椎骨(ついこつ)に骨棘(こっきょく)が見られるため、軽い関節炎を患っていた可能性がある。発見時に歯が数本なかったが、「生前に抜歯された可能性がある」と、サリームは言う。初歩的な歯科治療は古代エジプトで生まれたと考えられているという。
一方、かつらを調べたところ、ナツメヤシの繊維で作られ、曹長石、磁鉄鉱、石英の結晶で処理されていることが分かった。さらに皮膚の化学分析から、芳香性の樹脂である乳香とジュニパーの精油を使って防腐処理されていたことも判明した。どれも当時は、東アフリカや東地中海、南アラビアなどからの高価な輸入品だったはずだ。
さらにジュニパーは赤みを帯びた植物の染料ヘナと共に、彼女の髪を染めるために使われていたことも判明した。これらの発見は古代エジプトで防腐剤がどのように取引されていたかを示すさらなる証拠になると、サリームは考えている。
「ハトシェプストが率いた遠征隊は、プント国から乳香を運んでいた」と、彼女は言う。プント国とは古代エジプトの貿易記録でしか知られていない旧王国で(現在のエリトリア、エチオピア、ソマリアなどに位置していた可能性がある)、芳香樹脂や黒檀(こくたん)、象牙、金などを輸出していた。
しかし高価な輸入防腐剤が使われていたことが示唆するように、もし苦悶の表情がずさんなミイラ化作業の結果ではないとしたら、何が彼女の表情を静かな悲鳴の中に凍り付かせたのか。
「叫んでいるような表情は、死体のけいれんで起きたとも考えられる。女性が痛みや苦しみで悲鳴を上げながら死んだことを示唆している」と、サリームは考えている。
死体けいれんとは死後の筋肉硬化のまれな形態で、極度の肉体的・精神的ストレスに関連するといわれる。死後硬直はそこに至るのに何時間もかかり、症状は一時的だが、死体けいれんは瞬時に起こり簡単には収まらない。女性の遺体を防腐処理した人物が、彼女の口を閉じられなかったのはこのためかもしれない。
死亡後にミイラとなり、現代に神秘的な謎を投げかける「叫ぶ女」は「本物のタイムカプセル」だと、サリームは考えている。
<1935年に発見された苦悶の表情をしている女性のミイラ、最新技術を用いた分析によって長年の謎に答えが見えてきた>
1935年、エジプトの中東部ルクソール(旧テーベ)に近い共同墓地を発掘していた考古学者のチームは、気になるものを見つけた。それは高齢の女性のミイラ。口が開き、恐怖のあまり叫んでいるような表情だった。
【画像】エジプト「叫ぶ女性ミイラ」の謎解明...最新技術が明かす意外な死の真相
さらに謎なのは最近、この「叫ぶ女」をCTスキャンしたところ、臓器が残っていると判明したことだ。普通なら防腐処理の際に取り除かれるはずだ。約3500年前のミイラ化の作業に落ち度があり、女性の口が開いてしまったのか。だとしたら、処置した者が埋葬前に口を閉じるのを怠っただけではないのか──今まではそう考えられていた。
だが今回、カイロ大学とエジプト観光・考古省の研究者らの調査から全く別の説が導き出された。女性は実際に苦しみながら死んだというのだ。
「この女性は輸入された高価な防腐剤で処理されたことが分かる」と語るのは、カイロ大学カスル・アル・アイニ病院の放射線科医サハル・サリーム。彼女は8月初め、このミイラに関する新たな論文を筆頭執筆者として発表した。「しかも保存状態がよいことは、内臓を取り除かないとミイラ化がうまくいかないという通説と矛盾する」
脳も肺も肝臓もそのまま
サリームはCTスキャン、走査電子顕微鏡、X線回析などの技術を駆使して、ミイラを「バーチャル解剖」した。するとミイラには防腐処理のための切開痕がなく、脳や肺、肝臓などの臓器がそのまま残されていたことが判明した。
この女性が生きていた新王国時代(前1570~前1070年頃)には、腐敗の速い臓器を埋葬時に取り除き、壺やチェストに入れて別々に保存していた。ただし心臓だけは残された。古代エジプトで心臓は、人格と知性、記憶の源と信じられていたためだ。
女性はこの防腐処理を受けていなかったのに保存状態が良好であるため、サリームは「別のミイラ化の方法」が使われたのかもしれないと言う。「この情報はミイラ化に関する従来の知識を修正し、新たな視点をもたらす」
公式には「CIT8」の記号で知られるこのミイラは、1935年にニューヨークのメトロポリタン美術館がエジプトに遠征した際、ルクソールに近いデル・エル・バハリの共同墓地で発掘された。
このとき考古学者らは、エジプト第18王朝(前1550~前1292年頃)の建築家だったセネンムト(センムト)の墓を発掘していた。第18王朝は古代エジプトが隆盛を極めた新王国時代の最初の王朝。セネンムトは女性ファラオのハトシェプスト(在位・前1479~前1458年)に家令として仕え、彼女の愛人だったという説もある。
My discovery of the 'Screaming Woman Mummy' is published in the print edition of Newsweek on August 30th, 2024.https://t.co/GXtzSJrvZr pic.twitter.com/El52wXesWo— Sahar Saleem (@Saharsaleem1) August 23, 2024
「叫ぶ女」はセネンムトの墓(写真)の発掘中に見つかった MONIKAKL/SHUTTERSTOCK
考古学者らはセネンムトの墓の下に、彼の母や親族のために造られた別の埋葬室を発見した。これらの埋葬者に交じって、黒いかつらをかぶり、古代エジプトで再生の象徴だったスカラベ(コガネムシ)の形をした指輪を2つはめた「叫ぶ女」が木製のひつぎに納められていた。
発見後、女性のミイラはカイロ大学カスル・アル・アイニ医学部に移された。ここでは1920~30年代に、ツタンカーメンを含む多くの王族のミイラが研究されている。98年にはエジプト観光・考古省の要請により、カイロのエジプト博物館に移された。
悲鳴とともに死んだ?
サリームはこのミイラのスキャン画像から、生存時の身長は154センチ程度で、骨盤の形から48歳前後で死亡したと推定している。
確実な死因は判明しなかったが、健康状態について分かったことがある。例えば背骨の椎骨(ついこつ)に骨棘(こっきょく)が見られるため、軽い関節炎を患っていた可能性がある。発見時に歯が数本なかったが、「生前に抜歯された可能性がある」と、サリームは言う。初歩的な歯科治療は古代エジプトで生まれたと考えられているという。
一方、かつらを調べたところ、ナツメヤシの繊維で作られ、曹長石、磁鉄鉱、石英の結晶で処理されていることが分かった。さらに皮膚の化学分析から、芳香性の樹脂である乳香とジュニパーの精油を使って防腐処理されていたことも判明した。どれも当時は、東アフリカや東地中海、南アラビアなどからの高価な輸入品だったはずだ。
さらにジュニパーは赤みを帯びた植物の染料ヘナと共に、彼女の髪を染めるために使われていたことも判明した。これらの発見は古代エジプトで防腐剤がどのように取引されていたかを示すさらなる証拠になると、サリームは考えている。
「ハトシェプストが率いた遠征隊は、プント国から乳香を運んでいた」と、彼女は言う。プント国とは古代エジプトの貿易記録でしか知られていない旧王国で(現在のエリトリア、エチオピア、ソマリアなどに位置していた可能性がある)、芳香樹脂や黒檀(こくたん)、象牙、金などを輸出していた。
しかし高価な輸入防腐剤が使われていたことが示唆するように、もし苦悶の表情がずさんなミイラ化作業の結果ではないとしたら、何が彼女の表情を静かな悲鳴の中に凍り付かせたのか。
「叫んでいるような表情は、死体のけいれんで起きたとも考えられる。女性が痛みや苦しみで悲鳴を上げながら死んだことを示唆している」と、サリームは考えている。
死体けいれんとは死後の筋肉硬化のまれな形態で、極度の肉体的・精神的ストレスに関連するといわれる。死後硬直はそこに至るのに何時間もかかり、症状は一時的だが、死体けいれんは瞬時に起こり簡単には収まらない。女性の遺体を防腐処理した人物が、彼女の口を閉じられなかったのはこのためかもしれない。
死亡後にミイラとなり、現代に神秘的な謎を投げかける「叫ぶ女」は「本物のタイムカプセル」だと、サリームは考えている。