ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<エッセイを書くにはプロである必要はない。エッセイストに必要なのは小さなことを丁寧に味わう力>
ブログやnoteを活用して文章で自己表現する人が増えている。しかし、苦労してまで文章を書く理由はなんだろうか?
『兄の終い』(CCCメディアハウス)や『義父母の介護』(新潮社)他、エッセイ作品が人気の村井理子氏は、『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』(CCCメディアハウス)で、書くことは自分を救うことだという。
◇ ◇ ◇
書くことは現実に魔法をかけること
エッセイの仕事に関しては、私は本当にラッキーだと思っています。最近、私は義父母の介護をしています。
多くの読者が、村井さんが気の毒だ、かわいそうと言ってくださいます。ありがたいことです。一方で私は、これも書こう、こっちも書こう......という、書きたい気持ちでいっぱいなのです。
大変は大変なんです。でも書くことによって、自分のなかで完全にプラスに変わっているのです。
介護はリアルに悲惨な経験も多いです。でも、「これ、書いちゃお」って思った瞬間に、現実に魔法がかかります。ちょっとワクワクします。
悲惨な事件も思い切って書くと決めた瞬間、そこにユーモアがあちらからやってきてくれるのです。ちょっとしたおもしろさを拾っていってはじめて、こんな状況でも元気で生きていけるのです。
書くことに集中すると悲しさを忘れる
書くという作業は、ほんの小さなおもしろさに全神経を傾けて、観察して、ブーストして出力することです。誇張するという意味ではなく、おもしろさが際立つような目線を持つという意味です。
たったひとつのおもしろさを表現するために、その前後には、何が起きたのかを説明する文章がつくわけです。その、わずかなおもしろさの前後左右に、文章をくっつけることでエッセイが成り立ちます。
そうやって書いているうちに、おもしろいことの前後左右に存在する悲惨なことがらがどうでも良くなってくるんです。そう、文章を書いていると、楽しくなってくるのです。自分が潤ってくるんです。
人のためには書いていないのかもしれませんね。自分の現実をなんとかいい方向にねじ曲げるために、自分にいいように解釈して、仕事に結びつけている。
介護を無償の仕事と考えると、状況は違ってきます。家族の介護が悲惨に思えてしまうのは、無償の仕事だという考えが根強くあるからだと思います。私はその無償というところから、なんとか捻り出そうとしています。わかりやすく言えば、本を書くことで介護という行いに賃金を与えているのです。書いていることで自分が救われていると思います。
何でも書いているわけではない
エッセイは身の回りに起きた出来事をさらりと書けばよいので楽なのではないか......そう聞かれることが多すぎて、最近は「そうです」と答える機会が増えましたが、何かを書くことが楽なわけがありません。
エッセイは、身の回りで起きたことを題材にして書くのは間違いではありませんが、どこまで書くのか、誰について書くのか、何が真実なのかのさじ加減がとても難しいものです。大事なのは、「いかに多くの情報を開示せずに、多く書くか」という点です。
それはどうしたらいいのでしょうか。私は、「解像度を上げる」ことが重要だと思っています。本当にわずかな物事であっても、解像度を上げて見つめることによって、様々な側面が見えてきます。
どんな気持ちになったのか、その時、周囲には誰がいたのか、どんな天気だったのか......そういった細かな情報を丁寧に書いていき、そして全体をまとめていくと、些細なできごとにもちゃんとドラマがあるということがわかります。それがエッセイなのではないかと私は考えています。
誰の人生もおもしろい
よく、「村井さんの人生はアップダウンが激しいですね」と言われます。それは違うと思います。私の人生にアップダウンがあるように見えるのは、私が解像度を上げて、物事を間近から見つめて、それを事細かに書いているからです。
誰の人生にも、楽しいこと、苦しいことはあります。どんな人でもそれぞれの悩みを抱えて生きています。私はそれをひとつひとつ取り上げて、そして書いているから、読者のみなさんに届きやすくなっているだけのことなのです。
エッセイを書くために、プロになる必要はありません。エッセイを書きたいなと思われたなら、小さなことからでいいので、気がついたことを、自分の心に残ったことをメモ代わりに書いてみてください。それがいつの日か日記となり、自分の、自分のためだけのエッセイに変わっていくはずです。
◇ ◇ ◇
村井理子(むらい・りこ)
翻訳家/エッセイスト 1970年静岡県生まれ。滋賀県在住。ブッシュ大統領の追っかけブログが評判を呼び、翻訳家になる。現在はエッセイストとしても活躍。
著書に『兄の終い』 『全員悪人』 『いらねえけどありがとう』(CCCメディアハウス)、『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『義父母の介護』『村井さんちの生活』(新潮社)、『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)、『実母と義母』(集英社)、『ブッシュ妄言録』(二見文庫)、他。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(新潮文庫)、『黄金州の殺人鬼』『ラストコールの殺人鬼』(亜紀書房)、『エデュケーション』(早川書房)、『射精責任』(太田出版)、『未解決殺人クラブ』(大和書房)他。
『エブリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』
村井理子[著]
CCCメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<エッセイを書くにはプロである必要はない。エッセイストに必要なのは小さなことを丁寧に味わう力>
ブログやnoteを活用して文章で自己表現する人が増えている。しかし、苦労してまで文章を書く理由はなんだろうか?
『兄の終い』(CCCメディアハウス)や『義父母の介護』(新潮社)他、エッセイ作品が人気の村井理子氏は、『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』(CCCメディアハウス)で、書くことは自分を救うことだという。
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書くことは現実に魔法をかけること
エッセイの仕事に関しては、私は本当にラッキーだと思っています。最近、私は義父母の介護をしています。
多くの読者が、村井さんが気の毒だ、かわいそうと言ってくださいます。ありがたいことです。一方で私は、これも書こう、こっちも書こう......という、書きたい気持ちでいっぱいなのです。
大変は大変なんです。でも書くことによって、自分のなかで完全にプラスに変わっているのです。
介護はリアルに悲惨な経験も多いです。でも、「これ、書いちゃお」って思った瞬間に、現実に魔法がかかります。ちょっとワクワクします。
悲惨な事件も思い切って書くと決めた瞬間、そこにユーモアがあちらからやってきてくれるのです。ちょっとしたおもしろさを拾っていってはじめて、こんな状況でも元気で生きていけるのです。
書くことに集中すると悲しさを忘れる
書くという作業は、ほんの小さなおもしろさに全神経を傾けて、観察して、ブーストして出力することです。誇張するという意味ではなく、おもしろさが際立つような目線を持つという意味です。
たったひとつのおもしろさを表現するために、その前後には、何が起きたのかを説明する文章がつくわけです。その、わずかなおもしろさの前後左右に、文章をくっつけることでエッセイが成り立ちます。
そうやって書いているうちに、おもしろいことの前後左右に存在する悲惨なことがらがどうでも良くなってくるんです。そう、文章を書いていると、楽しくなってくるのです。自分が潤ってくるんです。
人のためには書いていないのかもしれませんね。自分の現実をなんとかいい方向にねじ曲げるために、自分にいいように解釈して、仕事に結びつけている。
介護を無償の仕事と考えると、状況は違ってきます。家族の介護が悲惨に思えてしまうのは、無償の仕事だという考えが根強くあるからだと思います。私はその無償というところから、なんとか捻り出そうとしています。わかりやすく言えば、本を書くことで介護という行いに賃金を与えているのです。書いていることで自分が救われていると思います。
何でも書いているわけではない
エッセイは身の回りに起きた出来事をさらりと書けばよいので楽なのではないか......そう聞かれることが多すぎて、最近は「そうです」と答える機会が増えましたが、何かを書くことが楽なわけがありません。
エッセイは、身の回りで起きたことを題材にして書くのは間違いではありませんが、どこまで書くのか、誰について書くのか、何が真実なのかのさじ加減がとても難しいものです。大事なのは、「いかに多くの情報を開示せずに、多く書くか」という点です。
それはどうしたらいいのでしょうか。私は、「解像度を上げる」ことが重要だと思っています。本当にわずかな物事であっても、解像度を上げて見つめることによって、様々な側面が見えてきます。
どんな気持ちになったのか、その時、周囲には誰がいたのか、どんな天気だったのか......そういった細かな情報を丁寧に書いていき、そして全体をまとめていくと、些細なできごとにもちゃんとドラマがあるということがわかります。それがエッセイなのではないかと私は考えています。
誰の人生もおもしろい
よく、「村井さんの人生はアップダウンが激しいですね」と言われます。それは違うと思います。私の人生にアップダウンがあるように見えるのは、私が解像度を上げて、物事を間近から見つめて、それを事細かに書いているからです。
誰の人生にも、楽しいこと、苦しいことはあります。どんな人でもそれぞれの悩みを抱えて生きています。私はそれをひとつひとつ取り上げて、そして書いているから、読者のみなさんに届きやすくなっているだけのことなのです。
エッセイを書くために、プロになる必要はありません。エッセイを書きたいなと思われたなら、小さなことからでいいので、気がついたことを、自分の心に残ったことをメモ代わりに書いてみてください。それがいつの日か日記となり、自分の、自分のためだけのエッセイに変わっていくはずです。
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村井理子(むらい・りこ)
翻訳家/エッセイスト 1970年静岡県生まれ。滋賀県在住。ブッシュ大統領の追っかけブログが評判を呼び、翻訳家になる。現在はエッセイストとしても活躍。
著書に『兄の終い』 『全員悪人』 『いらねえけどありがとう』(CCCメディアハウス)、『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『義父母の介護』『村井さんちの生活』(新潮社)、『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)、『実母と義母』(集英社)、『ブッシュ妄言録』(二見文庫)、他。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(新潮文庫)、『黄金州の殺人鬼』『ラストコールの殺人鬼』(亜紀書房)、『エデュケーション』(早川書房)、『射精責任』(太田出版)、『未解決殺人クラブ』(大和書房)他。
『エブリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』
村井理子[著]
CCCメディアハウス[刊]
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