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42の日本の凶悪事件を「生んだ家」を丁寧に取材...和歌山カレー事件に関しても注目の記述が

ニューズウィーク日本版 2024年10月14日 15時50分

印南敦史(作家、書評家)
<林眞須美死刑囚が生まれ育ったのは、漁師町の網元の家。日本の「一億総中流」意識とは相容れない価値観の中で生きてきた>

まず白状しておかなければならないことがある。『殺め家』(八木澤高明・著、高木瑞穂・編、鉄人社)の表紙を目にした時点で、若干の疑念を抱いてしまったことだ。

なにしろ帯には、「凶悪犯はどこで生まれ育ったのか? かつてここに怪物が棲んでいた。欲望と鬱積と狂気の42現場」と、なにやら刺激的な文言が並んでいる。そのため、読む前の段階で「もしや、事件やその現場のことを、必要以上に誇張しているのではないだろうか?」と勘ぐってしまったのだ。

著書『抗う練習』に書いたことがあるが(※)、私はこの『殺め家』でも紹介されている「和歌山カレー事件」(本書での表記は「和歌山毒物カレー事件」)の被告人として起訴された林眞須美死刑囚の長男と交流を持っている。この事件については冤罪の可能性が指摘されているが、彼が誹謗中傷と戦っている姿を目にしていることもあり、つい敏感になってしまうのかもしれない。

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だが実際に目を通してみた結果、それが考えすぎであることはすぐにわかった。読み進めてみたら、写真週刊誌カメラマンから転身したノンフィクション作家である著者の、事件取材に対するスタンスをはっきり確認できたからである。

取材する理由は、ただ単に自分自身が取り上げる犯罪者に興味が有るか無いかということに尽きる。(96ページより)

当然ながらこれは、興味本位で騒ぎ立てようという意味ではない。むしろ逆だ。興味があるからこそ、ひとつひとつの事件を丁寧に調べ、実際に現場を歩き、人の話を聞くことによって、それらの背後にあるものを浮き立たせようとしているのだ。

その一例として、私のような立場にある人間は、やはり和歌山カレー事件についての記述を取り上げるべきだと思う。そこで、ここからはこの事件を中心に置いて話を進めさせていただく。

閑静な新興住宅街で目立った、豪快すぎる林家の生活

特筆すべきは、本件を取り上げるにあたり、眞須美死刑囚が生まれ育った集落にまで著者が足を運んでいる点である。また、彼女は紀伊半島の南端に位置する集落の網元(漁船や漁網を所有する漁業従事者)の娘なのだが、そのことに関連し、夫の健治さんの発言が引き合いに出されてもいる。

それは眞須美死刑囚の実家の、豪快すぎる金の使い方に驚いた過去について語られた部分だ。結婚して3000万円のローンを組んで家を建てた際、義父が2000万円、義母が1000万円を「ポンとくれよった」そうなのだが、実はここに事件を理解する重要なポイントがあるのだ。

「(前略)もう船は一回沖でたら、一千万円、二千万円の売り上げですからね。網獲り専門やったから、当時バブルが崩壊する前やから、一匹獲ったら三万か四万で料亭がなんぼでも買い取るんですよ。そりゃもうすごい金でしたよ」 豪快な漁師たちの生活ぶりが伝わってくるエピソードだ。稼いだ金は、そのまま使い切る、漁師気質はやはり命がけの現場に生きることから生まれてくるのだろう。そもそも漁船の安全が確保されたのも戦後しばらく経ってからのことだ。櫓を使った人力の時代から漁師たちは自分の経験とカンだけを頼りに危険な海と向かいあってきた。漁師の生き様は当然、定期収入を得られるサラリーマンとは違ったものになる。(138ページより)

つまり眞須美死刑囚も、命を賭けて仕事に臨む父親の豪快な生き様を日常的に見ながら育ったということである。

高度経済成長期以降日本人の中に埋め込まれている一億総中流の意識とは相容れない価値観の中で生きてきたのだ。(138ページより)

そうした環境にいたのだから、カレー事件の現場となった園部地区の住民との間に軋轢が生じたとしても無理はない。のどかで閑静な住宅地と、眞須美死刑囚の生まれ育った集落とは別世界。そもそも気質も価値観も大きく異なるのだ。

そのため、保険金詐欺で生活の糧を得て、外車を乗り回し、昼間から麻雀大会をしたりしていた林家は、閑静な新興住宅地内では必然的に目立ってしまっていた。

どちらが正しくてどちらが間違っているという話ではなく、環境の違いとはそういうものだ。

「陰でこそこそヒ素盛って...。それはないやろうと思った」

また、上記のエピソードに顕著な金銭感覚も、注目に値する点だといえよう。眞須美死刑囚がカレー事件について一貫して否認し続けていることについて健治さんはしばしば「眞須美は金にならんことはやらん」との発言をしているが、その価値観は父親の金銭感覚を受け継いだものなのだ。

「まさか人にごたごた言われて、陰でこそこそヒ素盛って、そんなこそくなとこやないですよ。もうその場で喧嘩ですよ。生まれ育ったところでは、だからその最初の動機が解せなかったんやね。近所のもんに言われて激昂して、そんでこそこそ意趣返して、それはないやろうと思ったんですよ。だから裁判官もその動機は否定しましたけどね。事件の前から、近所で犬が殺されたりとか、たんぼに毒流されて一年間米が穫れなんかったり、そういうことがあったんですよ。ワシらが引っ越して来る前に、そういうヤツが園部にうろうろしているのに、保険金詐欺が出てきたんでこっちが犯人にされたんですよ。死刑が確定して再審にかけるって言うたって、その再審でも三〇年、四〇年っていう月日がかかってですね。やっと無罪を勝ち取ったっていうたって、僕はもうこの世におるやらおらんやら分からんやろうし、もう一言で言うたら、『おそらく嫁はんはもう二度と帰ってこんのやなぁ』って言う。そう思うたね」(139ページより)

引用が少し長くなってしまったが、まさにそのとおりだと私も思う。著者がここで明かしている事実――眞須美死刑囚の網元の娘としての出自――は、常識を逸脱した金銭感覚や、マスコミでしばしば取り上げられた気性の荒さを裏づけるからだ。

だいいち先述のとおり、眞須美死刑囚を犯人であると断言するための決定的な証拠はどこにも存在していない。報道では派手さを筆頭とする特異性ばかりが過度にクローズアップされたが、それは犯人であることの証拠にはならない。つまり、眞須美死刑囚は、疑惑を積み重ねられた末に事件の犯人へと祭り上げられたということである。

そしてその現実は、夫である健治さん、そして誹謗中傷を受けながらも母親の無罪を訴え続ける長男を筆頭とする子どもたちの人生をも破壊した。だからこそ、この事件に関する本書の項目を締めくくる、以下の記述もつらく感じるのだ。

 死刑確定後、面会に行った健治さんによれば、眞須美死刑囚は、大粒の涙を流して悔しさを露にしたと言う。「すぐ帰ってくるから」 逮捕の日の朝、そう言って今は公園となっている豪邸を出た眞須美死刑囚。豪快な海原とは正反対の薄暗い独房の中で囚われの身となり、今も冤罪を訴え続けている。(139ページより)

さて、ここでは一例として和歌山カレー事件を取り上げたが、本書はこのようにさまざまな事件の輪郭を見事に浮き立たせている。そのため読者は、各事件について「そこで、何があったのか」をしっかりと把握できることだろう。

『殺め家』
 八木澤高明 著
 高木瑞穂 編
 鉄人社

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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。他に、ライフハッカー[日本版]、東洋経済オンライン、サライ.jpなどで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『書評の仕事』(ワニブックス)など著作多数。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。



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