金成隆一(朝日新聞大阪本社社会部デスク) アステイオン
<2015年以降、アメリカの「ラストベルト」を取材し続け、2016年のトランプ大統領の誕生にも立ち会った日本人記者が見た、支持政党を失った人々と政治的な空白地帯について。『アステイオン』100号より「空白を埋めるのは誰か」を転載>
「出身地? ここだよ。この町で生まれ育った。そこの高校を卒業したんだ」
訪問先のダイナーやパブで居合わせた相手がこんなことを言うと、私の中で取材スイッチが入る。地元での半生を振り返り、地域経済や人々の暮らしぶりを語ってもらえませんか、と頭を下げる。地域に根ざして生きてきた人の視点を学ぶためだ。
自身の体験に基づき、自分の言葉で語ってくれる人が理想だ。ぼんやりした思いは、時間をかけて言語化してもらう。私は、つまらぬ断片知識で邪魔してしまわないよう聞き役に徹する。継続取材も許してもらえれば、自宅にお邪魔し、同窓会や通院、裁判にも同行させてもらった。
こんな取材を米国(2014~19年)と英国(21~23年)で試みた。米国では「トランプ当選」の震源地ラストベルトに、英国ではブレグジットの震源地の1つ、イングランド北部に通った。
いずれもリベラル系の政党(米民主党と英労働党)の地盤だったが、大きく揺らぎ、2016年に2つの衝撃を引き起こした。衝撃を起こした地方の声を集め、私なりにその意味を考えてきた。
米国から帰国後に書いたのが『アステイオン』93号の「真ん中が抜け落ちた国で」だ。
「真ん中」には、個人と国家の間にあり、異質な他者と出会える場としての教会や労働組合など「中間団体」、公共交通や公教育など誰もがアクセスできる「パブリック」、異なる意見があっても最後は妥協し「真ん中を探る姿勢」という3つの意味を込め、それぞれの弱体化が「分断」の背景にあるとの見方を示した。
この視点は今も変わらない。「真ん中」の機能低下の末、今では「分裂」までが懸念される事態になっていると考える。そんな視点に加え、英国滞在を経た今、米ラストベルトでも英イングランド北部でも、支持政党を失った有権者がさまよい、政治的な空白地帯ができていたとの思いを強めている。
英レッドウォールでさまよう労働者階級
イングランド北部では取材相手の階級認識を聞くよう心がけたが、ほとんどが「労働者階級」か「労働者階級出身」と答えた。
英国が「高度サービス経済」の国家に変容した今、聞こえてきたのは、ロンドンなどの都市だけが成長し、地方は置き去りという嘆きと、主要政党が遠い存在になったという不満だった。
例えば、ハートルプールで小さな書店を営むキース・ラボワー(1955年生まれ)の語りが北部を代表していると思う。彼は16歳で学校を卒業後に製鉄所で働き始めたが、90年代の閉鎖で失業。その後、書店を始めた。
元々は労働組合に属し、労働党支持者だったが、すっかり心が離れていた。「かつての労働党は労働者階級を支えた。だから私たちも労働党を支えた。しかし、もはや労働者階級のための政党ではなく、ロンドンのエリートの政党になった。それがこの地域の受け止めだよ」
とはいえ保守党は嫌いなので、選挙では独立系候補を探すという。「二大政党の間にはファグペーパー(たばこを巻く薄い紙)すら差し込むこともできない。両者はほとんど同じだ」
彼は行き場を失った有権者の1人だった。この町は1974年以来、労働党の地盤だったが、私の訪問直後の下院補選(21年5月)で保守党候補が圧勝した。
イングランド中部と北部では、似た現象が続いてきた。労働党の地盤だったので、労働党カラーにちなんで「レッドウォール」と呼ばれてきたが、近年は勝てなくなり、壁の「崩壊」が話題になった。次の総選挙では労働党の復活もありそうだが、保守党への反発が引き起こす揺り戻しに過ぎないだろう。
英国でも「国民保守主義」会合
地方取材を終えた昨春、ロンドンで「国民保守主義(National Conservatism)」の会合が開かれた。
いずれもトランプに近い、FOXニュースの元看板キャスター、タッカー・カールソンや、上院議員のJ・D・ヴァンスらの登壇で注目されてきた米シンクタンク主催のイベントが、英国でも開かれたのだ。英国の現職閣僚2人のほか保守党議員も登壇し、英メディアでも報じられた。
興味深い保守の運動だ。来場者の声を集めていると、教員と自己紹介した男性が国民保守主義への期待を、いわゆるポリティカル・コンパスで説明した。今の英国では第二象限(経済リベラルと文化保守)が空白になっているとして、そこを埋めてほしいとの期待だった。
それと通底する解釈は、登壇者の1人で、なにかと発言が話題になる英政治学者マシュー・グッドウィンも強調した(2023年7月にインタビュー)。
彼は「英国の平均的な有権者は、国会議員より経済面で左寄り、文化面で右寄りだ」との分析を示した上で、「政治の再編は需要と供給の問題」であり、今の英国は「ブレグジット以来、政治再編の時期にある」との見方を示した。ブレグジットで示された「需要」があるという。
それについて彼は「人々は、グローバル化や移民などを制御し、社会の変化のペースを遅らせ、国のアイデンティティや歴史を守るために権力を使う政治を求めている」「大企業に有利となる規制緩和や市場の自由化を望まず、自国民を優先させることを重視する世論が示された」と解説した。
この需要に対し「供給」が足りていないといい、「政治と経済、移民を政府が管理し、ポリティカル・コレクトネスにこだわる姿勢を批判し、都市以外のための新しい産業戦略を描く政党」の必要性を強調した。
供給する可能性があるのは「主要部分が変革した保守党」か「主要政党の外に新たに生まれる運動」だが、どちらかはまだ見えないという。
空白地帯に生まれた「トランプ王国」
英国を経由し、再び米国での取材経験を振り返ると、問題意識がどこか重なる指摘を聞いていたことを思い出す。
『What's the Matter with Kansas?』で知られる米ジャーナリスト、トマス・フランク(2019年3月にインタビュー)は、90年代にかけて自己変革を模索した民主党が、労働者の政党ではなく、「見識があり、高等教育を受け、裕福な人々の政党」をめざし、献金もくれる「専門職階級(professional class)」に軸足を移したとの見方を示した。
旧来の支持層である労組メンバーについては、「彼らが(天敵だった)共和党の支持に回ることはない」と安心していた、と。
彼は「これは共和党任せの戦略で、弱点があった。トランプが『自由貿易は失敗だった』と叫び、労働者階級に語りかけた時点で失敗した。うまくいくのは、共和党が従来の自由貿易派、フリーマーケット重視という教義に忠実な限りにおいてだ」と語った。
この意味でも、ラストベルトは空白地帯になっていたのだろう。自動車業界の救済をめぐり「デトロイトを破産させよう」と言い放ったロムニーが共和党候補になった2012年大統領選では、労働者の多くは民主党にとどまり、オバマ再選を支えた。
しかし、民主党はすでに都市の高学歴リベラル層に軸足を移し、特に地方で空白地帯が生まれていた。「そこに共和党が手を伸ばしてくるはずはない」と油断していたら、4年後に規格外のトランプが両手を突っ込んできたというわけだ。
この空白地帯を考える際、1本の論考が補助線を提供してくれる。コロンビア大学のマーク・リラは「液状化社会」(『アステイオン』93号)で、「経済的問題」と「社会的アイデンティティの問題」の両軸が作る4つの象限について、「リベラル―保守」指標ではなく、社会学者ジグムント・バウマンをひいて「液状化―固定化」で分類して見せた。
マーク・リラ「液状化社会」『アステイオン』93号85頁より
欧州と米国でも時に解釈が異なり、混乱を招きがちな「リベラル―保守」ではなく、「液状化―固定化」に置き換えただけで、視界がクリアになる感覚を持つのは私だけだろうか。
米英で取材してきた人々の多くは、社会の過度の「液状化」を拒み、先を少しでも見通せる日常を過ごしたい、次世代に引き継ぎたいと願っているだけなのではないか。
リラが指摘するように、多くの労働者が、短期雇用を繰り返す「低賃金で不安定な地位にある新たなプロレタリアート」になる社会で、少なくとも経済面での国家の介入を願い、安定を求める声が強まるのは自然だろう(リラ論考の図が示すA象限)。
ここで私は『The Road to Somewhere』で知られる英ジャーナリスト、デイビッド・グッドハートの言葉を思い出す(2017年10月にインタビュー)。
彼は、この数十年のグローバル化で「Anywheres」(エニウェア族:高学歴で、資格やアイデンティティなどを持ち運び、どこでも快適に暮らせる人々)が「Somewheres」(サムウェア族:どこかの土地に根ざして生きる人々)に対して「文化、政治、経済など、全ての面で優勢になりすぎた」との認識を語った。
ブレグジットの最大の理由は「学位のない人々の雇用や地位が急速に悪化したことだ」と述べた上で、こう問題提起した。
「ブレグジットやトランプを支持した人々の大半は過激ではない。求めているのは、安定した社会、抑制的な移民政策、教育や雇用の機会、大学を卒業していない人々の物語(尊厳)で、かつては常識に見えたであろうことだ。30年前なら、どれも自然な要求だったが、今は異様とか過激に見えている。いま『ポピュリズム』と呼ばれているものは、『中道』ではないだろうか」
『アステイオン』への期待
英国滞在中は、1940年代のリベラルコンセンサス、1980年代の新自由主義という2つのトレンドを世界に示した国が、次に何を示すのか(示せるのかも含めて)に目をこらした。
答えは今も見えていないが、2016年以降、潮流が変わったという感覚は強まった。米民主党政権の「ミドルクラスのための外交」や「新ワシントン・コンセンサス」にトランプの残像が見えることも大きい。
普段は漠然としか考えないことを、少し背伸びして考える機会。それが『アステイオン』だ。私のようなサボり癖のある記者は、日々のニュースには集中しても、それらが総体として意味するものを考えることが苦手だ。そんな時に「普段使っていない筋肉を使いませんか」と刺激してくれる。
2016年の英米での衝撃は何かの間違いだったのか、歴史からの「逸脱」だったのか? きっとそうではない。今も私たちは2016年の衝撃の中を生きているのだろう。
今年は、米国はもちろん、おそらく英国[編集部注:2024年7月に労働党に政権交代]も含め、世界で重要な選挙が続く。新トレンドの萌芽は見えてくるのか。それはどんな方向性なのか。『アステイオン』では、専門家による領域横断的で、大胆な論考を読みたい。
金成隆一(Ryuichi Kanari)
1976年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2000年朝日新聞社入社。大阪本社社会部、ハーバード大学日米関係プログラム研究員、ニューヨーク特派員、東京経済部、ロンドン特派員を経て現職。第21回坂田記念ジャーナリズム賞、2018年度ボーン上田記念賞を受賞。著書に『ルポ トランプ王国』『ルポ トランプ王国2』(いずれも岩波新書、第36回大平正芳記念賞特別賞)など。
『アステイオン』100号
特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<2015年以降、アメリカの「ラストベルト」を取材し続け、2016年のトランプ大統領の誕生にも立ち会った日本人記者が見た、支持政党を失った人々と政治的な空白地帯について。『アステイオン』100号より「空白を埋めるのは誰か」を転載>
「出身地? ここだよ。この町で生まれ育った。そこの高校を卒業したんだ」
訪問先のダイナーやパブで居合わせた相手がこんなことを言うと、私の中で取材スイッチが入る。地元での半生を振り返り、地域経済や人々の暮らしぶりを語ってもらえませんか、と頭を下げる。地域に根ざして生きてきた人の視点を学ぶためだ。
自身の体験に基づき、自分の言葉で語ってくれる人が理想だ。ぼんやりした思いは、時間をかけて言語化してもらう。私は、つまらぬ断片知識で邪魔してしまわないよう聞き役に徹する。継続取材も許してもらえれば、自宅にお邪魔し、同窓会や通院、裁判にも同行させてもらった。
こんな取材を米国(2014~19年)と英国(21~23年)で試みた。米国では「トランプ当選」の震源地ラストベルトに、英国ではブレグジットの震源地の1つ、イングランド北部に通った。
いずれもリベラル系の政党(米民主党と英労働党)の地盤だったが、大きく揺らぎ、2016年に2つの衝撃を引き起こした。衝撃を起こした地方の声を集め、私なりにその意味を考えてきた。
米国から帰国後に書いたのが『アステイオン』93号の「真ん中が抜け落ちた国で」だ。
「真ん中」には、個人と国家の間にあり、異質な他者と出会える場としての教会や労働組合など「中間団体」、公共交通や公教育など誰もがアクセスできる「パブリック」、異なる意見があっても最後は妥協し「真ん中を探る姿勢」という3つの意味を込め、それぞれの弱体化が「分断」の背景にあるとの見方を示した。
この視点は今も変わらない。「真ん中」の機能低下の末、今では「分裂」までが懸念される事態になっていると考える。そんな視点に加え、英国滞在を経た今、米ラストベルトでも英イングランド北部でも、支持政党を失った有権者がさまよい、政治的な空白地帯ができていたとの思いを強めている。
英レッドウォールでさまよう労働者階級
イングランド北部では取材相手の階級認識を聞くよう心がけたが、ほとんどが「労働者階級」か「労働者階級出身」と答えた。
英国が「高度サービス経済」の国家に変容した今、聞こえてきたのは、ロンドンなどの都市だけが成長し、地方は置き去りという嘆きと、主要政党が遠い存在になったという不満だった。
例えば、ハートルプールで小さな書店を営むキース・ラボワー(1955年生まれ)の語りが北部を代表していると思う。彼は16歳で学校を卒業後に製鉄所で働き始めたが、90年代の閉鎖で失業。その後、書店を始めた。
元々は労働組合に属し、労働党支持者だったが、すっかり心が離れていた。「かつての労働党は労働者階級を支えた。だから私たちも労働党を支えた。しかし、もはや労働者階級のための政党ではなく、ロンドンのエリートの政党になった。それがこの地域の受け止めだよ」
とはいえ保守党は嫌いなので、選挙では独立系候補を探すという。「二大政党の間にはファグペーパー(たばこを巻く薄い紙)すら差し込むこともできない。両者はほとんど同じだ」
彼は行き場を失った有権者の1人だった。この町は1974年以来、労働党の地盤だったが、私の訪問直後の下院補選(21年5月)で保守党候補が圧勝した。
イングランド中部と北部では、似た現象が続いてきた。労働党の地盤だったので、労働党カラーにちなんで「レッドウォール」と呼ばれてきたが、近年は勝てなくなり、壁の「崩壊」が話題になった。次の総選挙では労働党の復活もありそうだが、保守党への反発が引き起こす揺り戻しに過ぎないだろう。
英国でも「国民保守主義」会合
地方取材を終えた昨春、ロンドンで「国民保守主義(National Conservatism)」の会合が開かれた。
いずれもトランプに近い、FOXニュースの元看板キャスター、タッカー・カールソンや、上院議員のJ・D・ヴァンスらの登壇で注目されてきた米シンクタンク主催のイベントが、英国でも開かれたのだ。英国の現職閣僚2人のほか保守党議員も登壇し、英メディアでも報じられた。
興味深い保守の運動だ。来場者の声を集めていると、教員と自己紹介した男性が国民保守主義への期待を、いわゆるポリティカル・コンパスで説明した。今の英国では第二象限(経済リベラルと文化保守)が空白になっているとして、そこを埋めてほしいとの期待だった。
それと通底する解釈は、登壇者の1人で、なにかと発言が話題になる英政治学者マシュー・グッドウィンも強調した(2023年7月にインタビュー)。
彼は「英国の平均的な有権者は、国会議員より経済面で左寄り、文化面で右寄りだ」との分析を示した上で、「政治の再編は需要と供給の問題」であり、今の英国は「ブレグジット以来、政治再編の時期にある」との見方を示した。ブレグジットで示された「需要」があるという。
それについて彼は「人々は、グローバル化や移民などを制御し、社会の変化のペースを遅らせ、国のアイデンティティや歴史を守るために権力を使う政治を求めている」「大企業に有利となる規制緩和や市場の自由化を望まず、自国民を優先させることを重視する世論が示された」と解説した。
この需要に対し「供給」が足りていないといい、「政治と経済、移民を政府が管理し、ポリティカル・コレクトネスにこだわる姿勢を批判し、都市以外のための新しい産業戦略を描く政党」の必要性を強調した。
供給する可能性があるのは「主要部分が変革した保守党」か「主要政党の外に新たに生まれる運動」だが、どちらかはまだ見えないという。
空白地帯に生まれた「トランプ王国」
英国を経由し、再び米国での取材経験を振り返ると、問題意識がどこか重なる指摘を聞いていたことを思い出す。
『What's the Matter with Kansas?』で知られる米ジャーナリスト、トマス・フランク(2019年3月にインタビュー)は、90年代にかけて自己変革を模索した民主党が、労働者の政党ではなく、「見識があり、高等教育を受け、裕福な人々の政党」をめざし、献金もくれる「専門職階級(professional class)」に軸足を移したとの見方を示した。
旧来の支持層である労組メンバーについては、「彼らが(天敵だった)共和党の支持に回ることはない」と安心していた、と。
彼は「これは共和党任せの戦略で、弱点があった。トランプが『自由貿易は失敗だった』と叫び、労働者階級に語りかけた時点で失敗した。うまくいくのは、共和党が従来の自由貿易派、フリーマーケット重視という教義に忠実な限りにおいてだ」と語った。
この意味でも、ラストベルトは空白地帯になっていたのだろう。自動車業界の救済をめぐり「デトロイトを破産させよう」と言い放ったロムニーが共和党候補になった2012年大統領選では、労働者の多くは民主党にとどまり、オバマ再選を支えた。
しかし、民主党はすでに都市の高学歴リベラル層に軸足を移し、特に地方で空白地帯が生まれていた。「そこに共和党が手を伸ばしてくるはずはない」と油断していたら、4年後に規格外のトランプが両手を突っ込んできたというわけだ。
この空白地帯を考える際、1本の論考が補助線を提供してくれる。コロンビア大学のマーク・リラは「液状化社会」(『アステイオン』93号)で、「経済的問題」と「社会的アイデンティティの問題」の両軸が作る4つの象限について、「リベラル―保守」指標ではなく、社会学者ジグムント・バウマンをひいて「液状化―固定化」で分類して見せた。
マーク・リラ「液状化社会」『アステイオン』93号85頁より
欧州と米国でも時に解釈が異なり、混乱を招きがちな「リベラル―保守」ではなく、「液状化―固定化」に置き換えただけで、視界がクリアになる感覚を持つのは私だけだろうか。
米英で取材してきた人々の多くは、社会の過度の「液状化」を拒み、先を少しでも見通せる日常を過ごしたい、次世代に引き継ぎたいと願っているだけなのではないか。
リラが指摘するように、多くの労働者が、短期雇用を繰り返す「低賃金で不安定な地位にある新たなプロレタリアート」になる社会で、少なくとも経済面での国家の介入を願い、安定を求める声が強まるのは自然だろう(リラ論考の図が示すA象限)。
ここで私は『The Road to Somewhere』で知られる英ジャーナリスト、デイビッド・グッドハートの言葉を思い出す(2017年10月にインタビュー)。
彼は、この数十年のグローバル化で「Anywheres」(エニウェア族:高学歴で、資格やアイデンティティなどを持ち運び、どこでも快適に暮らせる人々)が「Somewheres」(サムウェア族:どこかの土地に根ざして生きる人々)に対して「文化、政治、経済など、全ての面で優勢になりすぎた」との認識を語った。
ブレグジットの最大の理由は「学位のない人々の雇用や地位が急速に悪化したことだ」と述べた上で、こう問題提起した。
「ブレグジットやトランプを支持した人々の大半は過激ではない。求めているのは、安定した社会、抑制的な移民政策、教育や雇用の機会、大学を卒業していない人々の物語(尊厳)で、かつては常識に見えたであろうことだ。30年前なら、どれも自然な要求だったが、今は異様とか過激に見えている。いま『ポピュリズム』と呼ばれているものは、『中道』ではないだろうか」
『アステイオン』への期待
英国滞在中は、1940年代のリベラルコンセンサス、1980年代の新自由主義という2つのトレンドを世界に示した国が、次に何を示すのか(示せるのかも含めて)に目をこらした。
答えは今も見えていないが、2016年以降、潮流が変わったという感覚は強まった。米民主党政権の「ミドルクラスのための外交」や「新ワシントン・コンセンサス」にトランプの残像が見えることも大きい。
普段は漠然としか考えないことを、少し背伸びして考える機会。それが『アステイオン』だ。私のようなサボり癖のある記者は、日々のニュースには集中しても、それらが総体として意味するものを考えることが苦手だ。そんな時に「普段使っていない筋肉を使いませんか」と刺激してくれる。
2016年の英米での衝撃は何かの間違いだったのか、歴史からの「逸脱」だったのか? きっとそうではない。今も私たちは2016年の衝撃の中を生きているのだろう。
今年は、米国はもちろん、おそらく英国[編集部注:2024年7月に労働党に政権交代]も含め、世界で重要な選挙が続く。新トレンドの萌芽は見えてくるのか。それはどんな方向性なのか。『アステイオン』では、専門家による領域横断的で、大胆な論考を読みたい。
金成隆一(Ryuichi Kanari)
1976年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2000年朝日新聞社入社。大阪本社社会部、ハーバード大学日米関係プログラム研究員、ニューヨーク特派員、東京経済部、ロンドン特派員を経て現職。第21回坂田記念ジャーナリズム賞、2018年度ボーン上田記念賞を受賞。著書に『ルポ トランプ王国』『ルポ トランプ王国2』(いずれも岩波新書、第36回大平正芳記念賞特別賞)など。
『アステイオン』100号
特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)