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「『阿吽の呼吸』でがん退治する抗腫瘍細菌」をさらにパワーアップさせた「遊び心」とは?

ニューズウィーク日本版 2024年10月16日 19時10分

茜 灯里
<2023年に北陸先端科学技術大学院大の都英次郎教授らが腫瘍細胞中に発見し、単離に成功したことで話題になった抗がん作用のある細菌。同教授らの研究チームがこれに「意外なマイホーム」を与えてみたところ、抗がん活性や生体適合性が向上することが明らかに>

2024年のノーベル物理学賞は、人工知能(AI)の目覚ましい発展の中核となった「機械学習」の基礎研究に与えられました。

AIが人間の知性を超える時代が来ることは確実視されています。研究者の仕事もAIに取って代わられるのではないかと懸念される現在、ヒトの研究者が生き残るには「ひらめき」や「発想の転換」が何よりも重要になってくるかもしれません。

北陸先端科学技術大学院大物質化学フロンティア研究領域の都英次郎教授、大学院生でJAIST SPRING研究員の宮原弥夏子氏らと筑波大の研究チームは、モデルマウスの実験で、腫瘍細胞中に含まれる抗がん作用のある細菌を熱帯魚ショップなどで買える水槽濾過材で培養すると、抗がん活性や生体適合性が向上することを発見しました。研究成果は、生物・化学系の著名学術誌「Chemical Engineering Journal」に7日付で掲載されました。

研究者らはなぜ、通常では培地としては用いられない「水槽濾過材」に着目したのでしょうか。そもそも、腫瘍細胞の中に刺客のように潜んでいる細菌は何者なのでしょうか。概観してみましょう。

従来の「がん細菌療法」の限界

今回の研究の背景には、23年に都教授らが腫瘍組織から強力な抗がん作用を持つ複数の細菌を発見し、単離(混合物から特定の物質だけを純粋な形で取り出すこと)に成功した成果があります。

近年、がんの治療法は目覚ましく進展しています。放射線治療では、よりピンポイントに照射できて、照射回数も少なくて済む陽子線や重粒子線を用いる方法が拡大しています。がん免疫療法の発展に貢献して2018年にノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑・京都大がん免疫総合研究センター長は、「2050年までに、免疫学的介入によりほとんどのがんを制御できるようにする」という夢を掲げています。

体内のがんを標的として、その部分に特異的な薬物や細菌を使う手法も、年々進歩しています。しかし、従来の「がん細菌療法」は「抗がん剤の運び屋として使う」という概念を超えるには至らず、薬効も十分とは言えません。

さらに、抗がん活性を発現するためには、細菌に遺伝子工学を用いた操作や改変が必須です。がん細菌療法に使用されるのは食中毒の原因菌としても知られるサルモネラ菌やリステリア菌が大半であり、遺伝子組換えによって弱毒化されているとは言え、体内で再び強毒化するリスクは常にあります。

一方、腫瘍組織そのものの中に細菌が存在していることは以前から知られており、最近は腫瘍の種類ごとに独自の細菌叢が形成されていることが分かっています。腫瘍内細菌叢は、抗がん剤の効果を補助したり阻害したりする場合があることも示唆されています。けれど、腫瘍内から取り出した細菌の性状を調べ、細菌そのものを癌の治療薬として活用する研究はこれまではありませんでした。

都教授らは、マウスの大腸がん由来腫瘍組織から3種の細菌の単離・同定に世界に先駆けて成功し、A-gyo(阿形:口を「阿」の形に開いている仁王像のこと)、UN-gyo(吽形:口を「吽」の形に閉じている仁王像のこと)、AUN(阿吽:A-gyoとUN-gyoから成る複合細菌)と名付けました。

細菌の性状を調べるために、大腸がんを皮下移植したマウスの尾静脈から投与したところ、腫瘍環境内で集積や生育、増殖が可能で、かつ高い抗腫瘍効果を示すことが分かりました。

特筆すべきことに、A-gyoとUN-gyoが合体したAUNは強烈にパワーアップし、大腸がん、肉腫(サルコーマ)、転移性肺がん、薬物耐性乳腺がんといった様々な種類のがんに対して強力な抗がん活性を示しました。まさに、2つの細菌が「阿吽の呼吸で」協力し合って、がんを倒したと言えます。

また、AUNは標的とする腫瘍内で近赤外蛍光を発現すること、マウスを用いた複数の生体適合性試験の結果、AUNそのものが生体に与える影響は極めて少ないことも分かりました。

つまりこれら3種の細菌、とりわけAUNは、蛍光によってがんの診断に役立ったり、新たながん治療法を提供できたりしそうです。また、それ以上に、これまでの常識を超え、細菌学や腫瘍微生物学などの研究領域に新しい概念を生んだことに価値があると言えます。

「遊び心」で課題をクリア

さて、AUNが実際に臨床医療で使えるほど腫瘍細胞に勝てるようになるには、より抗がん活性を上げ、増殖を容易にし、生体適合性を高める必要があります。

研究チームは今回、「細菌に居心地のよい住処(家)を与えればどうだろう」と「遊び心」で水槽用濾過材を与えてみました。

そもそも水槽用濾過材は、熱帯魚愛好者らが水槽内の水質浄化に使うもので、様々な種類や形のものを手軽に安価で入手できます。本来の用途は、水質汚染の原因となるアンモニアを分解する細菌が繁殖しやすいような住処を提供することです。もちろん、濾過材を使って培養した細菌を、水質浄化以外の目的で利用したという研究報告は、これまではないそうです。

本研究では、AUNを4種類(セラミック、ガラス、麦飯石、ポリプロピレン)の多孔質濾過材で培養を試みました。なお、AUNを構成するUN-gyoが光合成細菌であるため、実験は光照射下で行われました。

各種濾過材で培養したAUNを、薬剤耐性乳腺がん細胞株(EMT6/AR1)を背面に移植したマウス5匹ずつに投与しました。その結果、セラミック製濾過材で培養したAUNを与えたマウスは、実験18日目で腫瘍が消失し、実験終了までの40日間で5匹すべてが生き残るなど、顕著な抗がん作用と有意なマウス生存率を示すことが分かりました。

一方、他の3種の濾過材で培養したAUNと濾過材を用いない従来のAUNでは、3日以内にすべてのマウスが死亡しました。比較のためのAUN未投与群では、すべてのマウスが13日以内に死亡しました。

酸化チタンが抗がん性能を大幅に改善

チームは、「なぜセラミック製だけがAUNの抗がん作用や生体適合性を高めるのか」という謎を突き止めようとしました。

濾過材の元素分析の結果、ポリプロピレン以外の3種の無機材は、主成分が二酸化ケイ素(SiO₂)でよく似ていました。また、セラミックと麦飯石には、細菌やウイルスを排除する際によく利用される光触媒酸化チタン(TiO₂)が微量に含まれていることが分かりました。そこで、研究者らは「酸化チタンがAUNの抗がん性能を高めるのに貢献しているのではないか」と仮説を立てました。

検証するために、酸化チタンを内包する多孔質のポリジメチルシロキサン(TiO₂-PDMS)から成る濾過材を調製し、同様の実験を行ったところ、セラミック製の事例と同じく単回投与で腫瘍が完全に消失し、実験終了時まですべてのマウスが生き残りました。酸化チタンを含まないPDMSで培養したAUN では、2日以内にマウスがすべて死亡しました。

これらの結果から、光触媒酸化チタンを内包した多孔質体は、AUNの抗がん性能を大幅に改善する効果があると考えられます。

さらに、研究者たちは、TiO₂-PDMSは5日間の培養後、AUNの濃度を有意に減少させることを発見しました。実際、酸化チタンを含有する3種類の濾過材(TiO₂-PDMS、セラミックス製ろ過材、麦飯石)に光を3時間照射すると、細菌を弱体化させる効果のある活性酸素種が検出されました。つまり、ある時期になると活性酸素種によってAUNの生体機能に影響を与え、毒性を減らす仕組みがあるということです。

セラミックと麦飯石での結果の違いについて、研究者らは「表面形態(表面積)の違いと、麦飯石は暗いモザイク色が光照射下での活性炭素種の生成を阻害するためではないか」と考察しています。

チームはTiO₂-PDMSで培養したAUNを用いて、抗がん作用の詳細も調べました。その結果、AUNを投与すると腫瘍内の炎症性サイトカインTNF-αが増加し、T細胞、NK細胞、およびマクロファージが活性化され、腫瘍組織の破壊も見られることが分かりました。腫瘍内では大規模なアポトーシスが発現しており、強い炎症反応が誘発されていることも観察されました。

また、マウスやビーグル犬で様々な安全性試験を行い、AUN投与による重篤な副作用は無いことが確認されました。

AUNがヒトの臨床現場で応用されるようになるには、今後たくさんのプロセスを踏まなければなりません。けれど、がん治療に新たな発想を与える細菌を単離し、思いがけない材料で効率的に増やしてメカニズムを解明した本研究は、現時点ではAIのみでは成し遂げられないものでしょう。

10月は、ノーベル賞の科学3賞(物理学、化学、生理学医学)の受賞決定で、科学ニュースが増える時期です。最近、私たちの周辺はAIに圧倒されがちですが、科学を解明するヒトの力を振り返ってみるのもよいかもしれませんね。

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