ヴァレンタイン・ロウ(「タイムズ」紙・王室担当記者) for WOMAN
<2020年1月、不満をためた夫妻は離脱を突然発表。そもそも「メグジット」はどのように起きたのか。ヴァレンタイン・ロウ記者が貴重な証言を集めてつづった話題書『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』より>
メーガン妃によるケンジントン宮殿スタッフに対するいじめ疑惑を2022年に最初に報じたのが、「タイムズ」紙のヴァレンタイン・ロウ記者だった...。王室ファンたちが注目してきた、ロウ記者による話題書『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』(作品社)がついに邦訳で刊行。
ロウ記者はヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱に関してどのような証言を得て、どのように見ていたのか? 綿密な調査と貴重な証言の数々からベールに包まれたイギリス王室の真の姿、そしてイギリス現代史が浮かびあがる...。第14章「出口戦略」より一部抜粋。
◇ ◇ ◇
2019年11月、ハリーとメーガンが6週間の休暇でカナダに出かけたとき、離脱の計画が極秘裏に進んでいた。
カナダ行きが公表されると(バッキンガム宮殿によれば、これは「家族の時間」を過ごすためであり、いわゆるホリデーとは見られてはならない)、行き先が明らかになるのをメーガンがとても不安視していたので、乳母のローレンでさえどこに行くのかは教えられていなかった。
どのような天候を想定して荷造りをすればよいでしょうか? とローレンは尋ねたらしい。
ある関係者によれば、ローレンは飛行機(エア・カナダではなく、『自由を求めて』に書かれているようにプライベートジェット)が離陸するまでどこに行くのか分からなかったという。
一方、スタッフは、2人が長期にわたり英国を離れるのはおかしいと感じ始めていた。そのころには既に、「サセックス公爵夫妻は米国で暮らすのではないか」と考えられていた。
私物も2匹の愛犬(黒いラブラドールのプーラとビーグルのガイ)もすべてをカナダに持ち出している事実が大きなヒントになったようだ。
しかしながら、情報が初めて確認されたのは、2019年も年の瀬が近づき、メーガンが一人の個人スタッフにもう戻ってこないと打ち明けたときだ。それ以外のスタッフは、新年に入り、バッキンガム宮殿で二人が会合を開くまで知らなかった。
スタッフにしてみれば、このように突然2人から捨てられる事実を受け入れるのは難しいことだった。中には泣き出す人たちもいた。「とても忠誠心の強いチームでしたから」と一人のスタッフが話す。「私たちの心は皆一緒でした」
サセックス公爵夫妻がワーキングロイヤルファミリーから離脱した物語は(サン紙のすっぱ抜きに始まり、電撃発表、バッキンガム宮殿の不満げな反応、そして、ハリーとメーガンの前から妥協の可能性が一切消えてしまった交渉)、これまで嫌と言うほど聞かされてきた。
またここで繰り返す必要はないだろう。とはいえ、離脱の話し合いで廷臣が果たした役割について尋ねる価値はあるのではないか。一体彼らはどのような手を使ったのだろうか?
2020年1月にメーガンとカナダから帰国する少し前、ハリーは、自分たちは不満だという主旨のメールを父親に送っている。現在の状況は自分たちに適していないので、これから北米で暮らしたいと訴えた。
ハリーは、メーガンとロンドンに戻る1月6日までには、メールのやりとりで何とか決着が付くという印象を持っていた。しかしながら、2人がもらった返事には、この件は家族全体でしっかりと話し合う必要があるだろうと書かれていた。
その言い分に合理性に欠けている部分は少なくとも見られない。しかしながら、皆が集まることができるのは早くて1月29日だという。
柔軟性に欠けるのは、ダボス会議に参加予定のチャールズなのか? それとも秘書官のクライヴ・オルダートンが裏で糸を引いているのか? どちらの理由であっても、ハリーとメーガンの立場からすると、これは信じられないほどひどい結果だ。
これは、バッキンガム宮殿の組織からであれ、家族からであれ、2人が軽く見られているという話を煽ることになった。
ハリーは、祖母と単独で話をする手筈を整えて、早急に決着を付けようとした。そこで、帰国時に会えるように、祖母とスケジュールを合わせた。しかしながら、カナダを出る前、ハリーにメッセージが届いた。女王がスケジュールを勘違いしてしまい、時間の都合がつかないという。
ハリーは激怒した。都合がつかないわけがないからだ。何のためにハリーが女王と2人で会おうとしているのか察知した廷臣たちが、邪魔をしたのだ。ハリーとしては、まずは女王を口説き落として、そのほかの家族と話をするという目論見だった。
ある関係者は、「2人きりで話をしなくてよかったです。お互いに全く違う解釈をする可能性がありましたから」と指摘した。
面会を断られたハリーは一瞬、怒りに任せて空港から直接サンドリンガムに向かい、取り次ぎなしで直接女王に会いに行こうかとさえ考えた。我に返り、最終的にその考えはあきらめたが、それは、そのような行動さえ起こしかねないほど不満がたまっているサインだった。
ハリーとメーガンが離脱計画を1月8日に発表し、5日後の1月13日にロイヤルファミリーが一堂に会してその件について話し合った(いわゆるサンドリンガム会議)ことを考えると、彼らのスケジュールは思ったより柔軟なようだ。
とはいえ、彼らにしてみれば、ハリーとメーガンに対する怒りは収まらない。共同声明について話し合いの場を持とうとしていたにもかかわらず、メグジットの発表をぎりぎりまで知らされず、皆既に激怒していたのだ。
宮廷の側近たちにしても、柔軟に対応できずに2人の怒りを買うのがお決まりなので、結局、2人の都合のいいように使われていた。一方のハリーとメーガンは不満だらけで追い詰められており、誤解されているとも感じていた。
たとえ要求が理不尽だとしても、もしほかの宮廷のメンバーがその状況を理解できなければ、王室離脱の交渉は決してよい終わり方をしないだろう。
ヴァレンタイン・ロウ(Valentine Low)
イギリスのジャーナリスト。全寮制パブリックスクール、ウィンチェスターカレッジを経て、オックスフォード大学を卒業。1987年から『The London Evening Standard』で記者を務めた後、2008 年から『The Times』で王室取材を担当。2021年5月、オプラ・ウィンフリーのインタビュー映像が放映される数日前に、メーガンによるパワハラ疑惑の記事を発表する。著書に『One Man and His Dig』(Simon & Schuster、2008年、未邦訳)がある。
『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』
ヴァレンタイン・ロウ[著] 保科 京子 [訳]
作品社[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
王室離脱を発表した夫妻
2020年1月、インスタグラムで王室離脱を発表した夫妻 sussexroyal/Instagram
<2020年1月、不満をためた夫妻は離脱を突然発表。そもそも「メグジット」はどのように起きたのか。ヴァレンタイン・ロウ記者が貴重な証言を集めてつづった話題書『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』より>
メーガン妃によるケンジントン宮殿スタッフに対するいじめ疑惑を2022年に最初に報じたのが、「タイムズ」紙のヴァレンタイン・ロウ記者だった...。王室ファンたちが注目してきた、ロウ記者による話題書『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』(作品社)がついに邦訳で刊行。
ロウ記者はヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱に関してどのような証言を得て、どのように見ていたのか? 綿密な調査と貴重な証言の数々からベールに包まれたイギリス王室の真の姿、そしてイギリス現代史が浮かびあがる...。第14章「出口戦略」より一部抜粋。
◇ ◇ ◇
2019年11月、ハリーとメーガンが6週間の休暇でカナダに出かけたとき、離脱の計画が極秘裏に進んでいた。
カナダ行きが公表されると(バッキンガム宮殿によれば、これは「家族の時間」を過ごすためであり、いわゆるホリデーとは見られてはならない)、行き先が明らかになるのをメーガンがとても不安視していたので、乳母のローレンでさえどこに行くのかは教えられていなかった。
どのような天候を想定して荷造りをすればよいでしょうか? とローレンは尋ねたらしい。
ある関係者によれば、ローレンは飛行機(エア・カナダではなく、『自由を求めて』に書かれているようにプライベートジェット)が離陸するまでどこに行くのか分からなかったという。
一方、スタッフは、2人が長期にわたり英国を離れるのはおかしいと感じ始めていた。そのころには既に、「サセックス公爵夫妻は米国で暮らすのではないか」と考えられていた。
私物も2匹の愛犬(黒いラブラドールのプーラとビーグルのガイ)もすべてをカナダに持ち出している事実が大きなヒントになったようだ。
しかしながら、情報が初めて確認されたのは、2019年も年の瀬が近づき、メーガンが一人の個人スタッフにもう戻ってこないと打ち明けたときだ。それ以外のスタッフは、新年に入り、バッキンガム宮殿で二人が会合を開くまで知らなかった。
スタッフにしてみれば、このように突然2人から捨てられる事実を受け入れるのは難しいことだった。中には泣き出す人たちもいた。「とても忠誠心の強いチームでしたから」と一人のスタッフが話す。「私たちの心は皆一緒でした」
サセックス公爵夫妻がワーキングロイヤルファミリーから離脱した物語は(サン紙のすっぱ抜きに始まり、電撃発表、バッキンガム宮殿の不満げな反応、そして、ハリーとメーガンの前から妥協の可能性が一切消えてしまった交渉)、これまで嫌と言うほど聞かされてきた。
またここで繰り返す必要はないだろう。とはいえ、離脱の話し合いで廷臣が果たした役割について尋ねる価値はあるのではないか。一体彼らはどのような手を使ったのだろうか?
2020年1月にメーガンとカナダから帰国する少し前、ハリーは、自分たちは不満だという主旨のメールを父親に送っている。現在の状況は自分たちに適していないので、これから北米で暮らしたいと訴えた。
ハリーは、メーガンとロンドンに戻る1月6日までには、メールのやりとりで何とか決着が付くという印象を持っていた。しかしながら、2人がもらった返事には、この件は家族全体でしっかりと話し合う必要があるだろうと書かれていた。
その言い分に合理性に欠けている部分は少なくとも見られない。しかしながら、皆が集まることができるのは早くて1月29日だという。
柔軟性に欠けるのは、ダボス会議に参加予定のチャールズなのか? それとも秘書官のクライヴ・オルダートンが裏で糸を引いているのか? どちらの理由であっても、ハリーとメーガンの立場からすると、これは信じられないほどひどい結果だ。
これは、バッキンガム宮殿の組織からであれ、家族からであれ、2人が軽く見られているという話を煽ることになった。
ハリーは、祖母と単独で話をする手筈を整えて、早急に決着を付けようとした。そこで、帰国時に会えるように、祖母とスケジュールを合わせた。しかしながら、カナダを出る前、ハリーにメッセージが届いた。女王がスケジュールを勘違いしてしまい、時間の都合がつかないという。
ハリーは激怒した。都合がつかないわけがないからだ。何のためにハリーが女王と2人で会おうとしているのか察知した廷臣たちが、邪魔をしたのだ。ハリーとしては、まずは女王を口説き落として、そのほかの家族と話をするという目論見だった。
ある関係者は、「2人きりで話をしなくてよかったです。お互いに全く違う解釈をする可能性がありましたから」と指摘した。
面会を断られたハリーは一瞬、怒りに任せて空港から直接サンドリンガムに向かい、取り次ぎなしで直接女王に会いに行こうかとさえ考えた。我に返り、最終的にその考えはあきらめたが、それは、そのような行動さえ起こしかねないほど不満がたまっているサインだった。
ハリーとメーガンが離脱計画を1月8日に発表し、5日後の1月13日にロイヤルファミリーが一堂に会してその件について話し合った(いわゆるサンドリンガム会議)ことを考えると、彼らのスケジュールは思ったより柔軟なようだ。
とはいえ、彼らにしてみれば、ハリーとメーガンに対する怒りは収まらない。共同声明について話し合いの場を持とうとしていたにもかかわらず、メグジットの発表をぎりぎりまで知らされず、皆既に激怒していたのだ。
宮廷の側近たちにしても、柔軟に対応できずに2人の怒りを買うのがお決まりなので、結局、2人の都合のいいように使われていた。一方のハリーとメーガンは不満だらけで追い詰められており、誤解されているとも感じていた。
たとえ要求が理不尽だとしても、もしほかの宮廷のメンバーがその状況を理解できなければ、王室離脱の交渉は決してよい終わり方をしないだろう。
ヴァレンタイン・ロウ(Valentine Low)
イギリスのジャーナリスト。全寮制パブリックスクール、ウィンチェスターカレッジを経て、オックスフォード大学を卒業。1987年から『The London Evening Standard』で記者を務めた後、2008 年から『The Times』で王室取材を担当。2021年5月、オプラ・ウィンフリーのインタビュー映像が放映される数日前に、メーガンによるパワハラ疑惑の記事を発表する。著書に『One Man and His Dig』(Simon & Schuster、2008年、未邦訳)がある。
『廷臣たちの英国王室──王冠を支える影の力』
ヴァレンタイン・ロウ[著] 保科 京子 [訳]
作品社[刊]
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王室離脱を発表した夫妻
2020年1月、インスタグラムで王室離脱を発表した夫妻 sussexroyal/Instagram