キャサリン・ファン、イワン・パーマー(いずれも本誌記者)
<アメリカと世界を変える決戦まで3週間、過去の大統領選に影響を与えた「オクトーバー・サプライズ」は、トランプvsハリスの大接戦の結果も変えかねない>
あれは2016年10月7日、民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドナルド・トランプが対決する大統領選の投票日のちょうど1カ月前のことだった。
午後4時頃、ワシントン・ポストがトランプの卑猥で下劣な発言を収めた未公開ビデオ(10年前にゴシップ番組『アクセス・ハリウッド』の収録中に撮られた)の公開に踏み切った。党内の良識派は猛反発し、トランプ人気は急落。
それは典型的な「オクトーバー・サプライズ」だった──が、この年はそれだけでは終わらなかった。
既に内部告発サイト「ウィキリークス」はクリントン陣営から流出した電子メールの公開を始めており、中にはクリントンが高額の謝礼をもらって銀行家の集まりで行ったスピーチの録音や、テレビ討論会で出される質問内容の一部が事前に知らされていたことなど、クリントンにとって不都合な情報がいくつも含まれていた。
まだある。最大のサプライズは投票日の11日前(10月28日)に来た。当時のFBI長官ジェームズ・コミーが議会に宛てた書簡で、国務長官時代のクリントンが私的なサーバーを使っていた疑惑の捜査に「関連すると思われるメールの存在」を明らかにした。あれでやられたと、クリントンは後に語っている。
MAP: GOLDEN SIKORKA/SHUTTERSTOCK
選挙戦最終盤の10月には魔物がいる。たった一発で流れを変えてしまうようなサプライズが起きる。
もう何十年も前から、アメリカの大統領選に挑む人たちはそう思い、腹をくくっていた。だが共和党のトランプと民主党のカマラ・ハリスの対決となった今回は暑い夏からサプライズ続きだ。これ以上に劇的な出来事など、あり得るのだろうか。
今年6月までの選挙戦は退屈だった。前職トランプと現職ジョー・バイデンの再戦に新味はなく、どちらの支持率も低迷していた。世論調査をやれば、有権者の多くはこう答えていた。2期目を狙う高齢の男2人以外なら誰でもいいと。
流れが変わったのは6月27日。早々と開かれた恒例のテレビ討論会の、そのわずか90分で81歳の現職バイデンは醜態をさらし、半世紀に及ぶ政治生命に事実上の終止符が打たれた。これでは次の4年間は任せられないと、与党内からも厳しい声が上がった。
それでも本人は、まだ続投の強い意欲を示していた。
その2週間ほど後、トランプはペンシルベニア州での選挙集会で銃撃されたが、無事だった。銃弾は耳をかすめただけで、彼はすぐに立ち上がり、こぶしを振り上げてみせた。そのシンボリックな写真は世界中に流れた。民主党内にも、トランプの勝ちだという悲観論が広まった。
バイデン大統領とトランプ前大統領によるテレビ討論会 JUSTIN SULLIVAN/GETTY IMAGES
だがその1週間後、まだ包帯姿のトランプが共和党大会で正式に指名されてから、今度はバイデンが流れをひっくり返した。自ら撤退を表明し、代わりにハリスを推薦した。前代未聞の候補交代だ。
ハリスは8月の党大会で正式に大統領候補となったが、その3週間半後にはまた、トランプの命を狙う者が現れた。
こんなサプライズ続きの大統領選はめったにない。
最終盤の10月には、いったい何が待っているのか。国内では何も起きなくても、例えばパレスチナ自治区ガザの戦争で停戦が実現するとか、ウクライナが軍事的勝利を収めるとかの進展があるならば、ハリスへの追い風になるかもしれない。
逆に、イスラエルがレバノンへの本格的な地上侵攻に踏み切ればトランプに有利かもしれない。副大統領候補を含め、誰かの不都合な真実が暴かれる可能性もある。雇用の伸びには衰えが見え、消費者心理は冷え込んでおり、景気後退の懸念もなかなか消えない。
サプライズへの対応が肝心
共和党のクリス・クリスティーがニュージャージー州知事に初当選した際の選挙参謀マイケル・デュヘイムが本誌に語ったところによると、今回はどちらの候補も公人としての生活が長く、今さら個人問題でぎょっとするような問題が出現するとは思えない。
「サプライズがあるとすれば、それは人格の問題ではなく、想定外の何かだろう」
7月13日の選挙集会で銃撃されて退場するトランプ ANNA MONEYMAKER/GETTY IMAGES
デュヘイムはジョージ・W・ブッシュ元大統領と故ジョン・マケイン上院議員の選挙参謀も務めた人物。国内外で多くの危機が進行中の今、オクトーバー・サプライズの影響は非難の矛先がバイデン政権に向くか(結果としてハリスに打撃となるか)、両候補がどう対応するか、「冷静かつ沈着で、危機に際して動じないのは誰か」で決まるという。
デュヘイムは共和党全国委員会の政治部長も務めた。「どの陣営も不測の事態への備えはできていると考えたがる。だが最善の準備は、危機においても平静を保ち、冷静に対処することだ」と指摘した。
過去にデュヘイムは痛い思いをしている。
08年9月に世界を震撼させたリーマン・ショックの直後、マケインは選挙運動の「一時中断」を決断した。次のテレビ討論会には出ないと語り、現職候補のバラク・オバマにもそうしろと迫った。
だが、逆にオバマにかみつかれた。「まさに今こそ、米国民は約40日後にこの混乱に対処する責任を負う人物から話を聞く必要がある」と。それでマケインはワシントンへ戻ると言い、デービッド・レターマンのトーク番組への出演を急きょ取りやめた。が、すぐには戻らなかった。
その晩の番組収録中、レターマンはニューヨークの『CBSイブニング・ニュース』のライブ映像を何度も流した。そこに、なんとマケインの姿があったからだ。共和党にとっては最悪の展開だった。
これでマケイン陣営の混乱が露呈しただけでなく、オバマの対応は安定しているという印象が出来上がった。
オクトーバー・サプライズの犠牲者は共和党だけではない。民主党のベテラン政治コンサルタント、ロバート・シュラムは00年のアル・ゴア、04年のジョン・ケリーと、2度の大統領選で上級顧問を務めた。
04年の投票日の4日前(10月29日)、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンが9.11同時多発テロへの関与を認め、共和党候補で現職のブッシュを強く非難。その動画の一部が中東の衛星テレビ局アルジャジーラで流れた。
20年後の今、シュラムは、ブッシュ勝利の決定打はこのビンラディン動画だったと信じている。この映像は泥沼化するイラク戦争のニュースを選挙戦終盤の報道から消し去り、9.11テロから3年後にその脅威を有権者に思い出させた。
ブッシュ自身も、後にこう語っている。「あれで国民は記憶を取り戻したのだと思う。あそこまでビンラディンに嫌われるような男なら、やはりブッシュは大統領に適任なのだと」
メラニアと中絶問題が焦点に
今回の選挙では、トランプは常に場当たり的で、ハリスは常に計算ずくで動いている。だから、今さらサプライズが起きるとは考えにくいとシュラムは言う。
今回、オクトーバー・サプライズが起きるとすれば、トランプよりもハリスへの影響が大きいだろうとみるのは、かつてブッシュ陣営の選挙参謀を務めていたスコット・ジェニングズだ。
「トランプに関しては、今さら有権者を『驚かせる』のは難しい。これ以上に何がある? 彼は起訴され、有罪判決も受けた。2回も暗殺されそうになった。既に大統領をやり、2度の弾劾も受けた。これ以上、何が影響を与えるというのか」とジェニングズは問う。
もちろん「ハリスには、まだ何かがあるかもしれない。しかし最も可能性の高いサプライズは、有権者の現政権への評価に悪影響を与えるような緊急事態が起きることだろう」。
18年の中間選挙では民主党の躍進を、20年にはバイデンの勝利を正確に予測した政治戦略家レイチェル・バイテコファーに言わせると、今回のサプライズは10月ではなく、既に7月に起きている。つまり、バイデンからハリスへの候補者交代だ。
「あれですっかり流れが変わった。この流れをさらに変えるような事態は想像できない。ハリスの僅差の優位は続くだろう。明日にでも第3次世界大戦が起きれば話は別だが、それはないと思う」
ビル・クリントンの2度の大統領選に携わった民主党のベテラン戦略家マット・ベネットも、ハリスが候補者になって以降は世論調査の結果が安定していることを踏まえ、「仮に大きな事件が起きても」大勢に影響はないだろうとみる。
「何か大きな地政学的変化があっても、それはトランプの手柄にもハリスの責任にもならないし、そもそも有権者の関心はそこにない」とベネットは言う。
「イラン米大使館人質事件や株価暴落といったオクトーバー・サプライズが効いたのは、それが国民に具体的な衝撃を与える出来事だったからだ」
それでも、トランプの妻メラニアが意外なサプライズとなる可能性はある。10月8日に出た回顧録『メラニア』で、彼女は「女性は政府からの介入や圧力を受けることなく、自分自身の信念に基づいて出産するかどうかを決める権利を保障されなければならない」と書いている。
トランプの指名した最高裁判事らは人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェード」判決を覆して中絶反対派を喜ばせた。だが最近のトランプは、連邦レベルの中絶禁止に消極的な姿勢も見せている。
メラニアの発言は「トランプの選挙運動に複雑な影響を与える可能性がある」と言うのは、フロリダ・アトランティック大学のクレイグ・アグラノフ教授(政治マーケティング論)だ。
女性の中絶権を明確に認めたメラニアの立ち位置が「助けになるか障害になるかは、この問題に関するトランプ陣営の終盤戦での対応次第だ」とも言う。
歴代の「サプライズ」事例
「オクトーバー・サプライズ」という語を世に出したのは、1980年の大統領選でロナルド・レーガン陣営を仕切っていたウィリアム・ケーシーだ。
ライバルで現職のジミー・カーターが再選を確実にするため、在イラン米大使館に捕らわれている人質の解放を土壇場で発表するのではないか、そうなればすごいサプライズだ。ケーシーはそう言った。
幸か不幸か、このサプライズは実現せず、むしろカーターの敗北を決定づける要因となった。
アメリカの人質52人が解放されたのはレーガンの大統領就任式の直後だった。そのため、レーガン陣営が人質解放のタイミングをイラン政府と協議していたのではないかという疑惑も生じた。
実際、ニューヨーク・タイムズは後に、レーガン陣営が人質の解放を遅らせるよう画策していたらしいと報じている。
その後、オクトーバー・サプライズは7回の大統領選で起きている。
まずは前回の20年。10月2日に、トランプと妻メラニアの新型コロナウイルス感染が発表された。
その2週間前にリベラル派の最高裁判事ルース・ギンズバーグが死去したのを受け、これ幸いとトランプは保守派で若いエイミー・コニー・バレットを後任に指名し、ホワイトハウスで盛大な発表式典を開いた。
その場が集団感染の舞台となったらしい(ちなみにギンズバーグの死去自体を早めのオクトーバー・サプライズと見なす向きもある)。
トランプは重症化し、入院を余儀なくされた。これにより、大統領選の雲行きは怪しくなり、既に20万を超える死者が出ていたアメリカの危機も改めて浮き彫りとなった。
それから2週間足らず。今度はニューヨーク・ポストが、バイデンの息子のパソコンから、バイデンの汚職疑惑を示す電子メールが見つかったと報じた。
他国のハッキングによる偽情報かもしれないとの懸念から(実際は違ったが)フェイスブックとツイッター(現X)がこの記事の表示を制限すると、偏向的だと共和党が激しく反発する事態に発展した。
16年には3つのサプライズがあった。トランプの『アクセス・ハリウッド』ビデオ、ウィキリークスによるクリントン陣営の電子メール暴露、クリントンの私用サーバー利用に関するFBI長官の書簡だ。
12年には大型ハリケーン「サンディ」が来襲するサプライズがあった。ハリケーンの被害状況が明らかになると、現職のオバマはすぐに遊説を中止し、被害地域に足を運んだ。
当時のニュージャージー州クリスティー知事が空港で大統領を出迎える姿が一斉に報じられ、オバマの株が上がり、リビアの米領事館で大使ら4人が殺害された件の責任追及は鳴りを潜めた。
一方、民主党陣営から金持ちのエリートと揶揄されていた対立候補のミット・ロムニーの場合は、支持者の前で「国民の47%は政府のすねかじりだ」と語る動画が流出、これが手痛いサプライズとなった。
08年にはリーマン・ショックがオバマに追い風となり、04年にはビンラディンの犯行声明がブッシュの助け舟となった。00年の投票日の数日前には民主党支持の弁護士が、若き日のブッシュに飲酒運転による逮捕歴があることを暴露した。
92年には、レーガン政権時の国防長官がイラン・コントラ事件で起訴された。もともと支持率が低迷していたジョージ・ブッシュ(父)は再選を果たすことはできなかった。
期日前投票で影響小さく
「アメリカの選挙では、10月になると何かのサプライズが起きるのが常だった」。
危機管理のプロとして知られるジェームズ・ハガティは本誌にそう語った。しかし今はメディア環境が変わったので、一発の大サプライズではなく、小サプライズの乱発が目立つそうで、「たいていは個人攻撃で、ハリスはアメリカ嫌いの共産主義者、トランプは人種差別主義のファシストといった具合だ」と続けた。
「中東での停戦とか、ロシアの軍事的勝利とかのグローバルな出来事もあり得るが、そういうのは予測し難いし、誰に有利となるかも判然としない」
20年の民主党予備選でバーニー・サンダース上院議員の選対本部長を務めたファイツ・シャキールによれば、今は期日前投票をする人が増えたので、10月に何かのサプライズがあってもあまり影響はない。
何がオクトーバー・サプライズになるかは「結局のところ予測不能」だと言ったのは、政治コンサルタントのデニー・サラス。
「しかし有権者の関心が最も高い問題は何で、勝敗のカギを握るのはどこの州かを見極めることができれば、どんな話が決定的サプライズになるかを推測することは可能だ」
16年に『アクセス・ハリウッド』ビデオが出たとき、クリントン陣営は小躍りして喜んだものだ。こうなれば勝ちは決まった、保守的な白人女性だって誰もがトランプを見捨てるに違いない。そう信じた。
現にトランプの支持率は急落し、全国規模の世論調査ではクリントンが10ポイント以上の差をつけていた。ところがその後に本物のサプライズが来て、最後に笑ったのはトランプだった。白人女性の47%も、トランプに一票を投じていた。
これがオクトーバー・サプライズというもの。どんなにショックが大きくても、それで票の出方が変わる......とは限らないのだ。
<アメリカと世界を変える決戦まで3週間、過去の大統領選に影響を与えた「オクトーバー・サプライズ」は、トランプvsハリスの大接戦の結果も変えかねない>
あれは2016年10月7日、民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドナルド・トランプが対決する大統領選の投票日のちょうど1カ月前のことだった。
午後4時頃、ワシントン・ポストがトランプの卑猥で下劣な発言を収めた未公開ビデオ(10年前にゴシップ番組『アクセス・ハリウッド』の収録中に撮られた)の公開に踏み切った。党内の良識派は猛反発し、トランプ人気は急落。
それは典型的な「オクトーバー・サプライズ」だった──が、この年はそれだけでは終わらなかった。
既に内部告発サイト「ウィキリークス」はクリントン陣営から流出した電子メールの公開を始めており、中にはクリントンが高額の謝礼をもらって銀行家の集まりで行ったスピーチの録音や、テレビ討論会で出される質問内容の一部が事前に知らされていたことなど、クリントンにとって不都合な情報がいくつも含まれていた。
まだある。最大のサプライズは投票日の11日前(10月28日)に来た。当時のFBI長官ジェームズ・コミーが議会に宛てた書簡で、国務長官時代のクリントンが私的なサーバーを使っていた疑惑の捜査に「関連すると思われるメールの存在」を明らかにした。あれでやられたと、クリントンは後に語っている。
MAP: GOLDEN SIKORKA/SHUTTERSTOCK
選挙戦最終盤の10月には魔物がいる。たった一発で流れを変えてしまうようなサプライズが起きる。
もう何十年も前から、アメリカの大統領選に挑む人たちはそう思い、腹をくくっていた。だが共和党のトランプと民主党のカマラ・ハリスの対決となった今回は暑い夏からサプライズ続きだ。これ以上に劇的な出来事など、あり得るのだろうか。
今年6月までの選挙戦は退屈だった。前職トランプと現職ジョー・バイデンの再戦に新味はなく、どちらの支持率も低迷していた。世論調査をやれば、有権者の多くはこう答えていた。2期目を狙う高齢の男2人以外なら誰でもいいと。
流れが変わったのは6月27日。早々と開かれた恒例のテレビ討論会の、そのわずか90分で81歳の現職バイデンは醜態をさらし、半世紀に及ぶ政治生命に事実上の終止符が打たれた。これでは次の4年間は任せられないと、与党内からも厳しい声が上がった。
それでも本人は、まだ続投の強い意欲を示していた。
その2週間ほど後、トランプはペンシルベニア州での選挙集会で銃撃されたが、無事だった。銃弾は耳をかすめただけで、彼はすぐに立ち上がり、こぶしを振り上げてみせた。そのシンボリックな写真は世界中に流れた。民主党内にも、トランプの勝ちだという悲観論が広まった。
バイデン大統領とトランプ前大統領によるテレビ討論会 JUSTIN SULLIVAN/GETTY IMAGES
だがその1週間後、まだ包帯姿のトランプが共和党大会で正式に指名されてから、今度はバイデンが流れをひっくり返した。自ら撤退を表明し、代わりにハリスを推薦した。前代未聞の候補交代だ。
ハリスは8月の党大会で正式に大統領候補となったが、その3週間半後にはまた、トランプの命を狙う者が現れた。
こんなサプライズ続きの大統領選はめったにない。
最終盤の10月には、いったい何が待っているのか。国内では何も起きなくても、例えばパレスチナ自治区ガザの戦争で停戦が実現するとか、ウクライナが軍事的勝利を収めるとかの進展があるならば、ハリスへの追い風になるかもしれない。
逆に、イスラエルがレバノンへの本格的な地上侵攻に踏み切ればトランプに有利かもしれない。副大統領候補を含め、誰かの不都合な真実が暴かれる可能性もある。雇用の伸びには衰えが見え、消費者心理は冷え込んでおり、景気後退の懸念もなかなか消えない。
サプライズへの対応が肝心
共和党のクリス・クリスティーがニュージャージー州知事に初当選した際の選挙参謀マイケル・デュヘイムが本誌に語ったところによると、今回はどちらの候補も公人としての生活が長く、今さら個人問題でぎょっとするような問題が出現するとは思えない。
「サプライズがあるとすれば、それは人格の問題ではなく、想定外の何かだろう」
7月13日の選挙集会で銃撃されて退場するトランプ ANNA MONEYMAKER/GETTY IMAGES
デュヘイムはジョージ・W・ブッシュ元大統領と故ジョン・マケイン上院議員の選挙参謀も務めた人物。国内外で多くの危機が進行中の今、オクトーバー・サプライズの影響は非難の矛先がバイデン政権に向くか(結果としてハリスに打撃となるか)、両候補がどう対応するか、「冷静かつ沈着で、危機に際して動じないのは誰か」で決まるという。
デュヘイムは共和党全国委員会の政治部長も務めた。「どの陣営も不測の事態への備えはできていると考えたがる。だが最善の準備は、危機においても平静を保ち、冷静に対処することだ」と指摘した。
過去にデュヘイムは痛い思いをしている。
08年9月に世界を震撼させたリーマン・ショックの直後、マケインは選挙運動の「一時中断」を決断した。次のテレビ討論会には出ないと語り、現職候補のバラク・オバマにもそうしろと迫った。
だが、逆にオバマにかみつかれた。「まさに今こそ、米国民は約40日後にこの混乱に対処する責任を負う人物から話を聞く必要がある」と。それでマケインはワシントンへ戻ると言い、デービッド・レターマンのトーク番組への出演を急きょ取りやめた。が、すぐには戻らなかった。
その晩の番組収録中、レターマンはニューヨークの『CBSイブニング・ニュース』のライブ映像を何度も流した。そこに、なんとマケインの姿があったからだ。共和党にとっては最悪の展開だった。
これでマケイン陣営の混乱が露呈しただけでなく、オバマの対応は安定しているという印象が出来上がった。
オクトーバー・サプライズの犠牲者は共和党だけではない。民主党のベテラン政治コンサルタント、ロバート・シュラムは00年のアル・ゴア、04年のジョン・ケリーと、2度の大統領選で上級顧問を務めた。
04年の投票日の4日前(10月29日)、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンが9.11同時多発テロへの関与を認め、共和党候補で現職のブッシュを強く非難。その動画の一部が中東の衛星テレビ局アルジャジーラで流れた。
20年後の今、シュラムは、ブッシュ勝利の決定打はこのビンラディン動画だったと信じている。この映像は泥沼化するイラク戦争のニュースを選挙戦終盤の報道から消し去り、9.11テロから3年後にその脅威を有権者に思い出させた。
ブッシュ自身も、後にこう語っている。「あれで国民は記憶を取り戻したのだと思う。あそこまでビンラディンに嫌われるような男なら、やはりブッシュは大統領に適任なのだと」
メラニアと中絶問題が焦点に
今回の選挙では、トランプは常に場当たり的で、ハリスは常に計算ずくで動いている。だから、今さらサプライズが起きるとは考えにくいとシュラムは言う。
今回、オクトーバー・サプライズが起きるとすれば、トランプよりもハリスへの影響が大きいだろうとみるのは、かつてブッシュ陣営の選挙参謀を務めていたスコット・ジェニングズだ。
「トランプに関しては、今さら有権者を『驚かせる』のは難しい。これ以上に何がある? 彼は起訴され、有罪判決も受けた。2回も暗殺されそうになった。既に大統領をやり、2度の弾劾も受けた。これ以上、何が影響を与えるというのか」とジェニングズは問う。
もちろん「ハリスには、まだ何かがあるかもしれない。しかし最も可能性の高いサプライズは、有権者の現政権への評価に悪影響を与えるような緊急事態が起きることだろう」。
18年の中間選挙では民主党の躍進を、20年にはバイデンの勝利を正確に予測した政治戦略家レイチェル・バイテコファーに言わせると、今回のサプライズは10月ではなく、既に7月に起きている。つまり、バイデンからハリスへの候補者交代だ。
「あれですっかり流れが変わった。この流れをさらに変えるような事態は想像できない。ハリスの僅差の優位は続くだろう。明日にでも第3次世界大戦が起きれば話は別だが、それはないと思う」
ビル・クリントンの2度の大統領選に携わった民主党のベテラン戦略家マット・ベネットも、ハリスが候補者になって以降は世論調査の結果が安定していることを踏まえ、「仮に大きな事件が起きても」大勢に影響はないだろうとみる。
「何か大きな地政学的変化があっても、それはトランプの手柄にもハリスの責任にもならないし、そもそも有権者の関心はそこにない」とベネットは言う。
「イラン米大使館人質事件や株価暴落といったオクトーバー・サプライズが効いたのは、それが国民に具体的な衝撃を与える出来事だったからだ」
それでも、トランプの妻メラニアが意外なサプライズとなる可能性はある。10月8日に出た回顧録『メラニア』で、彼女は「女性は政府からの介入や圧力を受けることなく、自分自身の信念に基づいて出産するかどうかを決める権利を保障されなければならない」と書いている。
トランプの指名した最高裁判事らは人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェード」判決を覆して中絶反対派を喜ばせた。だが最近のトランプは、連邦レベルの中絶禁止に消極的な姿勢も見せている。
メラニアの発言は「トランプの選挙運動に複雑な影響を与える可能性がある」と言うのは、フロリダ・アトランティック大学のクレイグ・アグラノフ教授(政治マーケティング論)だ。
女性の中絶権を明確に認めたメラニアの立ち位置が「助けになるか障害になるかは、この問題に関するトランプ陣営の終盤戦での対応次第だ」とも言う。
歴代の「サプライズ」事例
「オクトーバー・サプライズ」という語を世に出したのは、1980年の大統領選でロナルド・レーガン陣営を仕切っていたウィリアム・ケーシーだ。
ライバルで現職のジミー・カーターが再選を確実にするため、在イラン米大使館に捕らわれている人質の解放を土壇場で発表するのではないか、そうなればすごいサプライズだ。ケーシーはそう言った。
幸か不幸か、このサプライズは実現せず、むしろカーターの敗北を決定づける要因となった。
アメリカの人質52人が解放されたのはレーガンの大統領就任式の直後だった。そのため、レーガン陣営が人質解放のタイミングをイラン政府と協議していたのではないかという疑惑も生じた。
実際、ニューヨーク・タイムズは後に、レーガン陣営が人質の解放を遅らせるよう画策していたらしいと報じている。
その後、オクトーバー・サプライズは7回の大統領選で起きている。
まずは前回の20年。10月2日に、トランプと妻メラニアの新型コロナウイルス感染が発表された。
その2週間前にリベラル派の最高裁判事ルース・ギンズバーグが死去したのを受け、これ幸いとトランプは保守派で若いエイミー・コニー・バレットを後任に指名し、ホワイトハウスで盛大な発表式典を開いた。
その場が集団感染の舞台となったらしい(ちなみにギンズバーグの死去自体を早めのオクトーバー・サプライズと見なす向きもある)。
トランプは重症化し、入院を余儀なくされた。これにより、大統領選の雲行きは怪しくなり、既に20万を超える死者が出ていたアメリカの危機も改めて浮き彫りとなった。
それから2週間足らず。今度はニューヨーク・ポストが、バイデンの息子のパソコンから、バイデンの汚職疑惑を示す電子メールが見つかったと報じた。
他国のハッキングによる偽情報かもしれないとの懸念から(実際は違ったが)フェイスブックとツイッター(現X)がこの記事の表示を制限すると、偏向的だと共和党が激しく反発する事態に発展した。
16年には3つのサプライズがあった。トランプの『アクセス・ハリウッド』ビデオ、ウィキリークスによるクリントン陣営の電子メール暴露、クリントンの私用サーバー利用に関するFBI長官の書簡だ。
12年には大型ハリケーン「サンディ」が来襲するサプライズがあった。ハリケーンの被害状況が明らかになると、現職のオバマはすぐに遊説を中止し、被害地域に足を運んだ。
当時のニュージャージー州クリスティー知事が空港で大統領を出迎える姿が一斉に報じられ、オバマの株が上がり、リビアの米領事館で大使ら4人が殺害された件の責任追及は鳴りを潜めた。
一方、民主党陣営から金持ちのエリートと揶揄されていた対立候補のミット・ロムニーの場合は、支持者の前で「国民の47%は政府のすねかじりだ」と語る動画が流出、これが手痛いサプライズとなった。
08年にはリーマン・ショックがオバマに追い風となり、04年にはビンラディンの犯行声明がブッシュの助け舟となった。00年の投票日の数日前には民主党支持の弁護士が、若き日のブッシュに飲酒運転による逮捕歴があることを暴露した。
92年には、レーガン政権時の国防長官がイラン・コントラ事件で起訴された。もともと支持率が低迷していたジョージ・ブッシュ(父)は再選を果たすことはできなかった。
期日前投票で影響小さく
「アメリカの選挙では、10月になると何かのサプライズが起きるのが常だった」。
危機管理のプロとして知られるジェームズ・ハガティは本誌にそう語った。しかし今はメディア環境が変わったので、一発の大サプライズではなく、小サプライズの乱発が目立つそうで、「たいていは個人攻撃で、ハリスはアメリカ嫌いの共産主義者、トランプは人種差別主義のファシストといった具合だ」と続けた。
「中東での停戦とか、ロシアの軍事的勝利とかのグローバルな出来事もあり得るが、そういうのは予測し難いし、誰に有利となるかも判然としない」
20年の民主党予備選でバーニー・サンダース上院議員の選対本部長を務めたファイツ・シャキールによれば、今は期日前投票をする人が増えたので、10月に何かのサプライズがあってもあまり影響はない。
何がオクトーバー・サプライズになるかは「結局のところ予測不能」だと言ったのは、政治コンサルタントのデニー・サラス。
「しかし有権者の関心が最も高い問題は何で、勝敗のカギを握るのはどこの州かを見極めることができれば、どんな話が決定的サプライズになるかを推測することは可能だ」
16年に『アクセス・ハリウッド』ビデオが出たとき、クリントン陣営は小躍りして喜んだものだ。こうなれば勝ちは決まった、保守的な白人女性だって誰もがトランプを見捨てるに違いない。そう信じた。
現にトランプの支持率は急落し、全国規模の世論調査ではクリントンが10ポイント以上の差をつけていた。ところがその後に本物のサプライズが来て、最後に笑ったのはトランプだった。白人女性の47%も、トランプに一票を投じていた。
これがオクトーバー・サプライズというもの。どんなにショックが大きくても、それで票の出方が変わる......とは限らないのだ。