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ついにイスラエルが地上侵攻を開始...それでもレバノン軍が動かない理由

ニューズウィーク日本版 2024年10月18日 16時5分

アンチャル・ボーラ(フォーリン・ポリシー誌コラムニスト)
<保有する戦闘機はゼロ、兵士の多くは2~3の仕事を掛け持ち──レバノン国軍は弱小だが、応戦しない理由には国が置かれた「微妙な立場」が関係している>

レバノンの首都ベイルートで、何本もの煙が上がっている。空には無人機(ドローン)が飛び交い、住民は怯えて逃げ惑う。病院はとっくに定員オーバーだ。近年の経済危機などで、既にレバノン社会はボロボロの状態にあるが、軍が応戦する気配はない。

一般に国土防衛は軍の最大の仕事の1つだが、レバノン軍は自国をのみ込みつつある紛争への対応を迷っている。

この紛争に関われば、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラに味方することになり、強大なイスラエルを敵に回すことになる。これまでレバノンを軍事的に支援してきた欧米諸国との関係も危うくなる。

複数の関係筋によると、レバノン軍はこの紛争に関わるタイミングを、できるだけ先延ばしにする可能性が高い。第一、まともに関与する能力がないというのが、軍関係者の本音のようだ。

そもそもこの紛争は、イスラエル軍とヒズボラの軍事部門(ヒズボラは国民議会に議席を持つ大衆政党でもある)の衝突であって、国家としてのレバノンは無関係だと語る政府関係者も少なくない。だから国軍の関与は期待されるべきではないというのだ。

レバノンは、イスラム教やキリスト教などの多数の宗派が混在するモザイク国家で、激しい内戦で国土が荒廃した経験から、国内各派のバランス維持に尽力してきた。軍も、「国防ではなく、国内の安定維持に力を入れてきた」と、レバノン軍の訓練に協力する欧米諸国関係者は語る。

レバノンへの地上侵攻を前に国境付近に集結したイスラエル軍の戦車(9月27日) AYAL MARGOLIN-REUTERS

保有する戦闘機はゼロ

レバノンがイスラエルとの武力衝突を避けている背景には、圧倒的な力の差もある。各国の軍事力を評価するグローバル・ファイヤーパワーによると、レバノンの軍事力は145カ国中118位だが、イスラエルはトップ20に入る。

レバノン軍は戦闘機を持っていないし、戦車も旧式のものしかない。約7万人の兵士の多くは2〜3の仕事を掛け持ちしている。これに対してイスラエル軍の兵力は17万人で、さらに予備役が30万〜40万人いる。最先端の戦闘機や戦車や防衛システムもある。

兵力や火力の圧倒的な差は、問題の1つにすぎない。イスラエルとヒズボラの衝突に、レバノン軍は自らの存続に関わるジレンマを抱えている。

まず、多くの欧米諸国は、ヒズボラをテロ組織に指定しているから、ヒズボラに味方すれば、レバノンはテロ支援国家と見なされかねない。

それに2006年以降、レバノンはアメリカから計30億ドル以上の軍事援助を受けてきた。近年の経済危機で軍人への給与支払いが滞ったときも、アメリカが助けてくれた(世界銀行によると、23年2月の時点で、レバノンの通貨ポンドの価値は危機前の2%以下に落ち込んだ)。

アメリカの援助で得た武器を、アメリカの重要な同盟国であるイスラエルに対して使うのは難しいだろうと、専門家はみる。また、レバノン軍にとっては、この先もアメリカの援助が頼りだ。

「レバノン軍は、レバノン唯一の正当な防衛機関としての役割」をヒズボラに奪われることなく「維持・強化していくという難しい課題に直面している」と、中東問題研究所(ワシントン)のフィラス・マクサド上級研究員は語る。

ヒズボラは長年、イスラエルによるヒズボラ攻撃は、レバノンの主権を侵害する行為であり、撃退する必要があると主張してきた。また、欧米諸国は故意にレバノン軍を弱く維持していると非難してきた。そして、ヒズボラはレバノン軍の競争相手ではなく戦友や同盟のような存在だとし、「人民、軍隊、抵抗」というスローガンを掲げてきた。

だが、多くのレバノン市民は、ヒズボラは1982年と2006年のイスラエルによるレバノン侵攻を利用して、自らの影響力を拡大してきたと考えている。1990年に収束したレバノン内戦後、国内の武装勢力が全て武装解除したときも、ヒズボラだけは武器を維持した。

このため現在のレバノン国内では、イスラエルのピンポイント攻撃によりヒズボラの幹部が次々と殺害され、その拠点が破壊されれば、レバノンでより公平な権力分配が実現するのではないかとひそかに期待する向きもある。

とはいえ、イスラエルによるレバノン南部とベイルート郊外ダヒヤへの爆撃は、120万人の避難民を生み出した。その大部分はシーア派で、彼らが避難してくることで、レバノン社会の安定のために意図的に維持されてきた、宗派による地域的な住み分けが危うくなっている。

近隣地域にしてみれば、あまりにも多くのシーア派(ましてやヒズボラ関係者)が流入してくれば、自分たちのコミュニティーがイスラエルの爆撃のターゲットになりかねない。このため多くの地域は、過度に多くの避難民を受け入れることには消極的だ。

イスラエルのターゲットになるのを避けるために、ヒズボラのメンバーが避難先の村から追い出されたケースも過去にはあった。

イスラム教ドルーズ派が大多数を占める町ショアヤでは、21年8月、ヒズボラがイスラエルに向けてロケット弾を発射するのを阻止するため、ヒズボラのトラックが押収された。

レバノン軍は、イスラエルとヒズボラの争いに直接関わるよりも、紛争後に停戦合意(的なもの)が各地できちんと守られるよう確保する役割を担うだろう。

レバノンでは、かつての内戦終結時に、大統領はキリスト教マロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派から出すという権力配分が決められた。そんななか軍は唯一の中立機関であり、宗派間の緊張が生じたとき唯一仲裁に入ることができるアクターと見なされている。

その役割を維持するためにも、軍は中立を保ち、今回の紛争でヒズボラに味方することを避けなければならない。だが、紛争が長引けば、かねてから経済危機と貧困に揺れるレバノン国内の亀裂が一段と悪化する恐れがある。

「内戦の不安がささやかれることもあるが、今のところ皆、非常に賢明に振る舞っている」と、国会議員のアラン・アウンは語る。「だが、確かなことは言えない。紛争後の各政党の行動が重要になる」

ナジブ・ミカティ首相は、イスラエルとレバノンの事実上の国境であるブルーライン(撤退ライン)にレバノン軍を配備するとともに、ヒズボラがこのラインからさらに後退することを提案している。

軍は唯一の中立的な組織

だが、これが実現するためには、ヒズボラが撤退に合意するか、敗北するか、あるいはイスラエルが方針を転換して停戦に合意するしかない。

今回の紛争で、レバノン軍がどのような行動を取るかは、おそらく今後のレバノン政治にも影響を与えるだろう。というのも、レバノン軍のジョゼフ・アウン最高司令官はマロン派で、次期大統領として反ヒズボラ派の間で最大の支持を集めているのだ。

カーネギー中東センター(レバノン)のシニアエディターであるマイケル・ヤングは9月28日、ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララ師が暗殺された今、レバノンの頼りは「まだ機能している唯一の国家機関である軍であり、ジョゼフ・アウンの(大統領)選出の動きが拡大するだろう」と、X(旧ツイッター)に投稿している。

「なぜかって? それは軍が国内の安定を維持する上で重要な役割を果たすとともに、(ヒズボラの影響が強い)南部の治安確保でも重要な役割を果たすからだ」

この1年間、イスラエルとヒズボラは互いに爆撃を続けてきたが、レバノン軍が応戦したのは1度だけと、軍は10月3日の声明で主張している。

「イスラエルがビントジュベイル(レバノン南部)のレバノン軍駐屯地を爆撃し、兵士1人が死亡」したため、「この駐屯地の人員が爆撃の起点に向けて応戦した」ときだ。

どうやら今回の紛争で、レバノン軍の直接関与につながるレッドライン(越えてはならない一線)は、レバノン軍の拠点への攻撃と、全面的なレバノン侵攻・占領のようだ。

ただ、イスラエルの激しい攻撃が、国家としてのレバノンのプライドを刺激するようなことになれば、どうなるかは分からない。

From Foreign Policy Magazine

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