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リアリストが日本被団協のノーベル平和賞受賞に思うこと

ニューズウィーク日本版 2024年10月22日 14時42分

グレン・カール
<日本被団協がノーベル平和賞を受賞することが決まった。「恐怖の均衡」による核戦争抑止を支持してきたリアリストである元CIA工作員の筆者は、理想主義を貫いてきたこの団体の受賞を意外にも評価している。なぜか>

私は、20世紀の冷戦期に外交政策に携わった現実主義者のほとんどがそうであるように、核による「恐怖の均衡」の考え方を──一見すると倒錯した発想にも思えるかもしれないが──信奉してきた。

この理論のおかげで、アメリカとソ連の双方が核兵器で相手に壊滅的なダメージを与えられる反撃能力を擁するという状況の下、共に自国の存続を最優先にして合理的に行動してきた結果、両国が直接戦火を交えて第3次世界大戦に発展する事態が避けられた。

実際、核兵器はこれまで80年間、アメリカとソ連、そのほかの保有国、そしてその同盟国が他国から軍事攻撃を受けることを抑止する手だてになってきた。被爆国である日本の歴代政権がアメリカの「核の傘」を受け入れてきた理由もこの点にある。

しかし、世界には現実主義だけでなく、理想主義も不可欠だ。理想主義のない世界は、血も涙もないパワーだけが大手を振ってまかり通るようになる。

そうした理想主義を掲げてきた団体の1つが、広島と長崎の被爆者でつくる「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」だ。この団体は「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と宣言し、70年近くの間、核兵器の廃絶を訴えてきた。

その日本被団協がノーベル平和賞を受賞することになった。「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないことを当事者の証言により示してきた」ことが授賞理由である。

「平和を望むのなら、戦争の準備をしなくてはならない」

日本被団協のもう1つ注目すべき点は、日本のほかの原水爆禁止団体の傘下や影響下に入ることなく、核兵器廃絶への運動を続けてきたことだ。ほかの原水爆禁止団体は、日米などの西側陣営の結束と防衛体制を弱体化させようとするソ連(そして現在は中国)の影響を受けている場合が少なくない。その点、日本被団協は、日本がアメリカの核の傘によって安全を守られているという皮肉な現実を受け止めつつ、核廃絶の理想を高らかに追求してきた。

もっとも、理想主義だけでは、戦争が遠のくことも、核廃絶に近づくこともない。世界の国々の政治指導者たちは、理想主義者たちから激しい批判を浴びながらも、冷徹な現実に従って行動してきた。その現実とは、「平和を望むのであれば、戦争の準備をしなくてはならない」というものだ。

国家は、軍事力を使用したくなければ、軍事力を持たなくてはならない。そして、超大国は、ほかの超大国が核兵器を用いることを防ぐために、自国も核兵器を持つ必要があるのだろう。

しかし、問題は残る。思わぬミスにより核兵器が使用されてしまう可能性だ。どれほど手厚い「安全装置」を設けても、正しく機能しないときはある。1962年、73年、79年、80年、83年、84年に、世界は主として些細なミスが原因で核による破滅の一歩手前まで行ったことがある。

「理性に基づく理想」を持つことの大切さ

世界が多極化して核保有国が増え、核兵器関連のテクノロジーが高度化した結果、意図せざるミスが破滅を招くリスクはますます高まっている。私のような現実主義者たちも、少なくとも60年代後半以降は、核抑止政策を支持しつつも、核廃絶を提唱するようになった。

その点では、人間がミスを犯す動物だと知っている現実主義者も、痛ましい経験を通じて崇高な理念を掲げる理想主義者も、目指すところは同じだ。日本被団協のノーベル平和賞受賞は、人間の能力の限界から逃れられない世界において、理性に基づく理想を持つことの大切さを改めて浮き彫りにするものと言えるだろう。

【動画】英BBCの広島原爆投下再現ドキュメンタリー



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