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「聡明な植民者」と「横暴な独裁者」のどちらがましか?

ニューズウィーク日本版 2024年10月29日 11時15分

風刺画で読み解く中国の現実
<植民地の歴史は略奪と搾取の歴史。西側の文化人は今も自分たちの過去を厳しく批判するが、国民が「聡明な植民者」と「横暴な独裁者」しか選択できない場合、どちらのほうがましなのか>

中国語の「植民者」、植民地宗主国は非人道的で不平等な支配、略奪と搾取の代名詞だ。支配の歴史を持つ西側諸国の進歩的文化人は今も自分たちの過去を厳しく批判する。ただ国民が聡明な植民者と横暴な独裁者しか選択できない場合、どちらのほうがましなのだろうか?

かつてノーベル平和賞を受賞した中国人の学者・民主運動家である劉暁波(リウ・シアオポー)は、1980年代に香港メディアの取材を受けたとき、「中国人は(西側に)300年以上植民地支配されることが必要だ」という言葉を残した。これは、毛沢東時代に生まれ育った若い学者だった当時の劉が、片や小さな村だったものの、イギリスに100年以上植民地支配されたことで私有財産がきちんと守られて言論の自由と法律が重視される国際的大都会に変身した香港と、文化大革命と独裁によって貧困にあえぎ時代に遅れた中国本土とを比較した感想だ。

この発言で劉は中国政府に「売国主義」と批判され、普通の中国人からも反感を買った。リベラル派の仲間も劉の批判派と同様の指摘をしたが、近年、返還後の「中国化」と自由の喪失によって活気を失った香港を目にして、多くの人々は考え直した。もしかしたら、劉の言葉は正しいかもしれない、と。

上海も同じ。その繁栄は国辱と呼ばれた1842年の南京条約から始まり、強制的な開港と英仏米などによる租界によって国際的な大都会になった。「植民者」は悪者だが、上海の歴史を振り返って見れば、最も輝いた時代は「半植民地」と呼ばれた租界時代だった。そして、1949年以後の上海は欧米諸国から独立したが、毛沢東時代には活気もなく経済も沈滞した。再度の繁栄も、90年代から浦東新区の設立によって外国企業を誘致したおかげだ。こうした経済開発のため特別に指定された地域には、かつての租界と似ている部分がある。

近年の中国では、政府の抑圧的な政策や投資環境の悪化で外資企業の中国離れが加速。経済悪化や若者の就職難の原因になっている。開放的な社会は経済繁栄の基盤だ。

中国政府は9月に北京で「中国アフリカ協力フォーラム」を開き、アフリカへの巨額の資金援助と、欧米とは異なる現代化支援を約束した。今、世界が恐れているのは、「横暴な独裁者」が「聡明でない植民者」になることだ。

ポイント

劉暁波 1955年吉林省生まれ。米滞在中の89年に天安門広場で民主化運動が起き、教え子を守るため帰国して参加。反革命罪で逮捕・投獄された。2008年に共産党独裁を批判した「08憲章」を起草し投獄。10年ノーベル平和賞受賞。17年死去。

租界 中国の領土だが不平等条約に基づき行政・司法権が欧米諸国や日本に属する外国人居留地。アヘン戦争後に英米仏が上海に開き、天津や重慶へ拡大。管轄国は一時8カ国、27カ所に及んだ。



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