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日本社会や弁護団にとって袴田冤罪事件はまだ終わっていない

ニューズウィーク日本版 2024年10月26日 15時0分

西村カリン(ジャーナリスト)
<元死刑囚の巌さんと姉のひで子さんの2人にとって、悪夢だった袴田事件は終わった。しかし日本社会には、再審請求手続き制度や死刑制度をめぐる課題が残されている>

ようやく「無罪確定」だ。

元死刑囚の袴田巌さんは「無罪」だと、静岡地方裁判所が9月26日に判決を言い渡した。検察が控訴を断念し、10月9日に無罪が確定した。58年前からその日を待っていた袴田巌さんの姉・ひで子さんが大喜びするのを見て、私も感動し、涙が出た。

「待ち切れない言葉でありました無罪勝利が完全に実りました」。静岡市で支援者向けの判決報告会に来た巌さん(写真)もそんなふうに発言した。私はこれまで何度も巌さんに会ってきたが、その日に、その場所で、マイクを手に持ってこんなに話せる巌さんの姿には驚いた。

長期間の拘禁で妄想の世界にいる巌さんは判決を完全に理解したわけではないが、「多少は分かったと思う」とひで子さんが説明した。お2人にとって悪夢だった袴田事件は終わった。今後は完全に自由に楽しい時間を過ごしてほしい。

ただ、弁護団や社会にとっては、袴田冤罪事件はまだ終わっていない。むしろこれから別の戦いが始まる。

自白と他の2つの証拠は警察と検察によって捏造されたものと静岡地裁は認定した。それに対して畝本直美検事総長は10月8日、控訴断念を明らかにした談話の中で、「本判決が『5点の衣類』を捜査機関の捏造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」とした。無罪判決を批判し、まだ巌さんを犯人視する内容だった。

控訴を断念したのは「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断」からだ。つまり、検察は巌さんが犯人ではないことが確実だから控訴しないのではなく、犯人だと思っているけど、かわいそうだから控訴しないという結論だ。

正直言って恐ろしい話だ。証拠の捏造については、10年以上前に裁判所がその可能性を指摘した。2014年3月に地裁の村山浩昭裁判長が「捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ」たとし、冤罪疑いで再審開始を決定。同時に巌さんを釈放した。23年3月に東京高裁でも同じ結論となり、今回の判決で証拠は「捏造された」とさらに強い言葉で同じ結論が出された。

にもかかわらず、検察のトップである検事総長がいまだに捏造を否定し、反省をせず、捜査の問題を全く検証しようとしない。間違いや悪質な行為があったと絶対に認めようとしない検察は信用を失いかねない。

戦後、袴田さんを含め5人の元死刑囚が再審で無罪になった。その異常な状況を踏まえて、再審請求手続き制度を改正することが急務ではないか。

と同時に、日本の政府が本格的に死刑制度の廃止を検討することも必要だ。この仕事は政治家に任せるのではなく、国民一人一人が議論に参加することが望ましい。人ごとではない。冤罪の被害者になるリスクは誰にでもある。

無実の人が今も服役中だったり、既に死刑を執行されている可能性はゼロではない。信用できる司法制度とは、冤罪ゼロを目指しながら、冤罪が起こったとしても短期間で解決できる方法がある制度だ。日本の司法制度は日本が決めるべきなのは当然だが、人権尊重など多くの価値観を欧州の国々と共有していると強調する日本政府が、再審請求手続きの改正や死刑制度の廃止を検討しないことは矛盾する。

数年前から、再審傍聴も含めて袴田冤罪事件を何度も取材した私は、これからも他の冤罪の疑いがある事件を積極的に取材し、海外で報道していきたい。日本を批判するためではない。日本の司法制度の非人道的な部分をなくすことに貢献したいのだ。

西村カリン
KARYN NISHIMURA
1970年フランス生まれ。パリ第8大学で学び、ラジオ局などを経て1997年に来日。AFP通信東京特派員となり、現在はフリージャーナリストとして活動。著書に『フランス人記者、日本の学校に驚く』など。Twitter:@karyn_nishi


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