ジョシュア・レット・ミラー(本誌調査報道担当)
<ガザとレバノンの殺戮を見てイスラエルへの不満が高まるが、ムスリム票も、ユダヤ人票も失いたくない民主党ハリスの難局>
ほぼ250年前にアメリカ合衆国の独立宣言が発された町フィラデルフィアに、サイフ・イクバルは暮らしている。
イスラエル軍がハマスやヒズボラに爆弾の雨を降らせているのは1万キロも離れた遠い場所だ。でも、と29歳のイクバルは思う。カマラ・ハリスよ、イスラエルから距離を置いてくれ。そうでないと、あなたに一票を投じられない......。
イクバルは筋金入りの民主党員だ。前回の大統領選ではドナルド・トランプを落とすための活動に精力的に加わった。でも今回は、まだハリスを支持する気になれない。
4年前には、全米のムスリム(イスラム教徒)有権者の86%がジョー・バイデンを支持し、トランプ支持はたったの6%だったという。
だが今回は違う。250万を超えるムスリム登録有権者の多くが、ガザ戦争に対するハリスの姿勢に懸念を強めている。実際、3つの激戦州では緑の党の候補ジル・スタインがハリスよりも多くのムスリム有権者の支持を集めている。
「あの露骨な人権侵害をアメリカは金銭面で支えており、現政権には本気で対処するつもりがない。そう見えるから、みんな不満なんだ」。イクバルは本誌にそう語った。
パレスチナ自治区ガザやヨルダン川西岸、さらにはレバノンへと戦火が拡大するなかでも、イスラエルを外交的にも財政的にも軍事的にも支援するアメリカ政府の姿勢は変わらない。これではムスリム有権者の「立場がない」とイクバルは嘆く。
ガザ地区ラファで埋葬されるパレスチナ人の大量の遺体 AHMAD HASABALLAH/GETTY IMAGES
激戦州に潜む2つの票田
全米に約600万いるユダヤ系有権者の立場も苦しい。ただし彼らの多くは中東の戦争より米国内の問題を重視しており、トランプになびく気配はほとんどない。
しかし激戦州のノースカロライナとペンシルベニア、ジョージアでは、ムスリムとユダヤの票が勝敗を左右しかねない。4年前にはバイデンがこのうち2州を制した。ただしジョージア州での票差はわずか1万1700。8万人近いムスリム有権者に見放されたら、今度は勝てない。
「最終的に決めてはいないが」とイクバルは言った。「このままなら、私はジル・スタインに入れる」
フィラデルフィア在住でムスリムの黒人女性アリヤ・カビル(45)はハリス支持だが、現政権の中東政策には反対だ。
ウクライナにはすぐ助け舟を出したのにガザ地区の犠牲者には知らんぷりのバイデン政権はおかしい、民主党も共和党も外交に関しては「公平でも公正でもない」と彼女は言い、ハリスには「その偏りを改めてほしい」と訴えた。
イスラム組織ハマスが昨年10月7日にイスラエル領内に侵入して約1200人を殺害、250人を拉致してから1年が過ぎた。その後のイスラエルからの猛攻で、ガザ当局によると4万2000人以上のパレスチナ人が殺されている。
ミシガン州ディアボーンに住むレバノン系米国人の弁護士マジェド・ムグニは期日前投票で「抗議票」を投じた。自分はベイルート生まれなので、故郷が「目の前で破壊されていく」ことに我慢できないからだ。
イスラエルのガザ地区との境界付近で戦車に乗る同国兵 AMIR LEVY/GETTY IMAGES
ムグニはバイデンを支持していたが、今はハリスが「無差別攻撃」を黙認し、全米で60万を超えるレバノン系米国人の思いを踏みにじっていると非難する。「それが許せない。だから大量破壊兵器で私の故郷を荒廃させる政権には反対票を投じる」。ムグニは本誌にそう語った。
ムグニは無所属のコーネル・ウェストに票を入れたという。ウェストは親パレスチナの反戦派で、政治情報サイトのリアル・クリア・ポリティクスによると、支持率は1%に満たない。当選の確率はゼロに近いが、「それでも自分の声を届けることが大事だ」とムグニは言った。
ミシガン州にはカリフォルニア州に次ぐ8万2000人以上のレバノン系米国人が暮らす。
国勢調査によると、ディアボーン市のあるウェイン郡は中東・北アフリカ出身者の割合が7.8%と、全米の郡の中で最も高い。4年前、バイデンはミシガン州を15万4000票以上の差で制した。
しかし今は、みんなが自分の故郷もガザと同じように破壊されてしまうのかと心配している時期だ、とムグニは言う。
「どちらの党もアラブ系の、ムスリムの票を取り込みたい。だからこそ私は抗議の一票で自分たちの存在を示したかった。そうすれば、次の選挙ではもっと私たちの声を聞いてくれるかもしれない」とムグニは言う。「それで何かが変わればいい」
民主党全国大会の会場付近で警察官と対峙する親パレスチナの抗議デモの参加者 JIM VONDRUSKA/GETTY IMAGES
民主党の姿勢に高まる不満
ムグニだけではない。ミシガン州に住む他のレバノン系有権者も、イスラエルがレバノンでの軍事作戦を一段とエスカレートさせるなか、民主党は自分たちの存在を無視していると本誌に語った。
「この国の二大政党制はもう信用できない。そして今度の選挙では民主党が最悪だ」と言ったのは、ディアボーン・ハイツに住むアリ・ダバジャ(43)。「私たちの懸念や願いに応える人間味のある声が、あの党からは聞こえてこない」
中東における戦火の拡大は、ダバジャにとってすぐれて個人的な問題だ。去る9月23日にレバノン南部ビントジュベイルを襲ったイスラエル軍の空爆では、ダバジャの親族5人が殺されている。
「これはアラブ系の、ムスリムのアメリカ人にとって、つまり私たちの大多数にとって重要な節目だ」とダバジャは言う。
「大量虐殺は取り返しがつかない。巨大なバンカー爆弾は取り返しがつかない。ああいうのは私たちの仲間を皆殺しにしてしまう」(なおイスラエル側は、自分たちの攻撃は「大量虐殺」に当たらないと主張している)。
バイデンやハリスが中東外交で「強気の姿勢」を示す、と口にする一方、レバノンにいるヒズボラ指導部を標的にするイスラエルへの支援を変えないのはおかしい、ともダバジャは言う。
ちなみにヒズボラはイランを後ろ盾とする強力な民兵組織だが、その最高指導者ハッサン・ナスララは去る9月27日にイスラエルの空爆によって殺害され、これを機に中東の戦火はさらに拡大した。
民主党には「一貫性がない」とダバジャは見る。
「バイデンやハリス、そして民主党の人たちに言いたい。あなた方の政策、とりわけパレスチナとレバノンにおける大量虐殺(の黙認)はアキレス腱であり、イスラエル支持を続ければ続けるほど、民主党にとってもアメリカにとっても危険なことになるのだと」
ダバジャもまた、緑の党のスタインに投票するつもりだ。そしてイスラエル支持を続ければ国際社会におけるアメリカの地位に傷が付き、ひいては安全保障上のリスクにもつながると警告した。
「あの頃は人間性が欠けていたと歴史の本に記されるような事態を、いま私たちは目にしている。実際、今の私たちはアメリカ社会の一員だと感じられない。人間としての存在を奪われ、認知されていない」
全米のムスリム有権者を対象とした世論調査を見ると、ハリスとスタインの支持率はほぼ互角の29%で、トランプは11%。ただし16.5%は未定と答えている。
スタインは「ガザの大虐殺」を終わらせると公約しており、アリゾナ、ミシガン、ウィスコンシンの3州にいるムスリム有権者の間ではハリスよりも高い支持率を誇る。ただしジョージア州とペンシルベニア州のムスリム社会では、ハリス支持がスタイン支持を上回っている。
ムスリムには評判の悪いハリスだが、ユダヤ人社会からは全国的に強い支持を得ている。全米ユダヤ人民主会議(JDCA)による最近の調査では71%がハリス支持で、トランプ支持は26%にすぎなかった。
ちなみにバイデンは前回の大統領選でユダヤ人票の69%を集めたが、30%はトランプを選んでいた。微妙な違いだが、大統領選の勝敗を左右する激戦州では無視できない。
前回、トランプが7万4000票差で勝利したノースカロライナ州には、ムスリム有権者が少なくとも5万4000人、ユダヤ系有権者は推定で5万人いる。州全体ではトランプがやや優勢だ。
複雑なユダヤ系有権者の内情
ペンシルベニア州では4年前、バイデンがムスリム有権者のおよそ半数に当たる8万1000票を獲得し、勝利した。同州にはユダヤ系有権者も多く、約30万人はいる。
またJDCAが「投票に当たって最も重視する問題」を尋ねた全国規模の調査では、ユダヤ系有権者の半数近くがイスラエルよりも「民主主義の将来」を重視すると答えていた。JDCAが用意した11項目中、イスラエルは9位に沈み、人工妊娠中絶が2位、経済が3位だった。
アトランタ在住でユダヤ教徒のエスター・グラフラドフォードは、前回はバイデンに投票したし、今回も絶対にハリスに投票すると語った。検察官出身という経歴がいいし、現下のガザ戦争に関する発言も納得できるからだ。
ハリスの「発言」というのは、おそらく先のテレビ討論会で「ムスリムの有権者が抱く懸念にどう答えるか」と問われた際にハリスが発した言葉だろう。
あのとき彼女は、10月7日の奇襲を受けたイスラエルには自衛の権利があるとしつつも、「あまりに多くの罪なきパレスチナ人が殺されている」と言い、さらに「この戦争は終わらせなければならない」とし、停戦と2国家共存の実現に全力で取り組むと語っていた。
しかしムスリム公共問題協議会のハリス・タリンに言わせると、今は「ガザ地区とレバノンから届く恐怖の写真や映像」がハリスの票を奪い、それが緑の党のスタインに流れている。
勝ち目はなくても、スタインには明確な主張があるからだ。「なにしろ大接戦だから、どの激戦州でもムスリム有権者の奪い合いになる。ムスリム票の出方が結果を左右する一因になるのは間違いない」
米イスラム関係評議会も先に、レバノンでヒズボラの戦闘員を標的とする攻撃を続けるイスラエルへの武器輸出を止めるよう、バイデン政権に改めて要求している。
一方、共和党ユダヤ人連合のサム・マークスティーンはユダヤ系の票の出方も同じくらい重要だと言い、民主党はなりふり構わず、ムスリムにもユダヤ教徒にも取り入ろうとしていると批判した。「イスラエル支持の一本やりでは困ったことになるのが分かっている」から「支持を明言できない」という見立てだ。
マークスティーンによれば、多くのユダヤ系有権者は米国内での反ユダヤ感情の高まりに懸念を強めている。
FBIの最近のデータによると、23年には全米で報告されたヘイトクライムが過去最高の1万1862件に上った。ユダヤ人への攻撃は前年比で63%も増え、ムスリムへの攻撃も49%ほど増えた。
「ユダヤ人はアメリカの総人口のわずか2%にすぎないが、FBIの集計によれば、宗教的な動機に基づくヘイトクライムの67%はユダヤ人に向けられている」とマークスティーンは指摘し、身近な問題だからこそ重要だと語った。
一枚岩ではないユダヤ人
今度の選挙で自分が負けたら、それはユダヤ人のせいだ──そう言わんばかりのトランプの態度を、由々しき問題と見る向きもある。
例えばペンシルベニア州ピッツバーグでユダヤ人団体の代表を務めるジェレミー・カザズは、トランプがユダヤ人有権者をスケープゴートに仕立てるつもりだと非難した。
その一方、彼はハリスを絶賛する。反ユダヤの風潮と本気で戦っているし、なにしろ夫のダグラス・エムホフはユダヤ人だ。何年か前に反ユダヤ主義者に襲撃され、11人の死者を出したピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の再建に向けた起工式にも、彼はきちんと顔を出していた。
首都ワシントンでハマスを支援するデモがあったとき、ハリスはそれを非愛国的で反ユダヤ的、かつ危険な行為だと非難した。「そういう種類の言動を、ユダヤ系有権者は重視する」とカザズは言う。
無党派のユダヤ公共問題評議会を率いるエイミー・スピタルニクによれば、たいていのユダヤ系アメリカ人はイスラエルの自衛権を認める一方、パレスチナ人の窮状に心を痛め、イスラエルの軍事力行使に懸念を抱いている。
彼女はまた、自分を支持しないユダヤ人は非国民だと言わんばかりのトランプを批判した。
「いいユダヤ人、悪いユダヤ人という色分けをしたり、不都合なことをユダヤ人のせいにするのは危険。そういうのが行き着く先は分かっているはず」だと彼女は言う。
「イスラエルの政策やガザ戦争について意見の違いはあるとしても、忘れちゃいけない事実が1つある。今度の選挙で、反ユダヤ主義に肩入れしている候補は1人だけという事実だ」
ユダヤ人有権者は「決して一枚岩じゃない」。そう強調するスピタルニクは最後に言った。
「ユダヤ人社会が一色に染まっていると思うのは間違い。みんなと同じで、いろんなことを考えた上で投票先を決める。民主主義、経済、医療、教育とか、いろいろ。もちろんイスラエルのことは気になるけれど、それが最優先じゃない。たいていのユダヤ人にとってはね」
<ガザとレバノンの殺戮を見てイスラエルへの不満が高まるが、ムスリム票も、ユダヤ人票も失いたくない民主党ハリスの難局>
ほぼ250年前にアメリカ合衆国の独立宣言が発された町フィラデルフィアに、サイフ・イクバルは暮らしている。
イスラエル軍がハマスやヒズボラに爆弾の雨を降らせているのは1万キロも離れた遠い場所だ。でも、と29歳のイクバルは思う。カマラ・ハリスよ、イスラエルから距離を置いてくれ。そうでないと、あなたに一票を投じられない......。
イクバルは筋金入りの民主党員だ。前回の大統領選ではドナルド・トランプを落とすための活動に精力的に加わった。でも今回は、まだハリスを支持する気になれない。
4年前には、全米のムスリム(イスラム教徒)有権者の86%がジョー・バイデンを支持し、トランプ支持はたったの6%だったという。
だが今回は違う。250万を超えるムスリム登録有権者の多くが、ガザ戦争に対するハリスの姿勢に懸念を強めている。実際、3つの激戦州では緑の党の候補ジル・スタインがハリスよりも多くのムスリム有権者の支持を集めている。
「あの露骨な人権侵害をアメリカは金銭面で支えており、現政権には本気で対処するつもりがない。そう見えるから、みんな不満なんだ」。イクバルは本誌にそう語った。
パレスチナ自治区ガザやヨルダン川西岸、さらにはレバノンへと戦火が拡大するなかでも、イスラエルを外交的にも財政的にも軍事的にも支援するアメリカ政府の姿勢は変わらない。これではムスリム有権者の「立場がない」とイクバルは嘆く。
ガザ地区ラファで埋葬されるパレスチナ人の大量の遺体 AHMAD HASABALLAH/GETTY IMAGES
激戦州に潜む2つの票田
全米に約600万いるユダヤ系有権者の立場も苦しい。ただし彼らの多くは中東の戦争より米国内の問題を重視しており、トランプになびく気配はほとんどない。
しかし激戦州のノースカロライナとペンシルベニア、ジョージアでは、ムスリムとユダヤの票が勝敗を左右しかねない。4年前にはバイデンがこのうち2州を制した。ただしジョージア州での票差はわずか1万1700。8万人近いムスリム有権者に見放されたら、今度は勝てない。
「最終的に決めてはいないが」とイクバルは言った。「このままなら、私はジル・スタインに入れる」
フィラデルフィア在住でムスリムの黒人女性アリヤ・カビル(45)はハリス支持だが、現政権の中東政策には反対だ。
ウクライナにはすぐ助け舟を出したのにガザ地区の犠牲者には知らんぷりのバイデン政権はおかしい、民主党も共和党も外交に関しては「公平でも公正でもない」と彼女は言い、ハリスには「その偏りを改めてほしい」と訴えた。
イスラム組織ハマスが昨年10月7日にイスラエル領内に侵入して約1200人を殺害、250人を拉致してから1年が過ぎた。その後のイスラエルからの猛攻で、ガザ当局によると4万2000人以上のパレスチナ人が殺されている。
ミシガン州ディアボーンに住むレバノン系米国人の弁護士マジェド・ムグニは期日前投票で「抗議票」を投じた。自分はベイルート生まれなので、故郷が「目の前で破壊されていく」ことに我慢できないからだ。
イスラエルのガザ地区との境界付近で戦車に乗る同国兵 AMIR LEVY/GETTY IMAGES
ムグニはバイデンを支持していたが、今はハリスが「無差別攻撃」を黙認し、全米で60万を超えるレバノン系米国人の思いを踏みにじっていると非難する。「それが許せない。だから大量破壊兵器で私の故郷を荒廃させる政権には反対票を投じる」。ムグニは本誌にそう語った。
ムグニは無所属のコーネル・ウェストに票を入れたという。ウェストは親パレスチナの反戦派で、政治情報サイトのリアル・クリア・ポリティクスによると、支持率は1%に満たない。当選の確率はゼロに近いが、「それでも自分の声を届けることが大事だ」とムグニは言った。
ミシガン州にはカリフォルニア州に次ぐ8万2000人以上のレバノン系米国人が暮らす。
国勢調査によると、ディアボーン市のあるウェイン郡は中東・北アフリカ出身者の割合が7.8%と、全米の郡の中で最も高い。4年前、バイデンはミシガン州を15万4000票以上の差で制した。
しかし今は、みんなが自分の故郷もガザと同じように破壊されてしまうのかと心配している時期だ、とムグニは言う。
「どちらの党もアラブ系の、ムスリムの票を取り込みたい。だからこそ私は抗議の一票で自分たちの存在を示したかった。そうすれば、次の選挙ではもっと私たちの声を聞いてくれるかもしれない」とムグニは言う。「それで何かが変わればいい」
民主党全国大会の会場付近で警察官と対峙する親パレスチナの抗議デモの参加者 JIM VONDRUSKA/GETTY IMAGES
民主党の姿勢に高まる不満
ムグニだけではない。ミシガン州に住む他のレバノン系有権者も、イスラエルがレバノンでの軍事作戦を一段とエスカレートさせるなか、民主党は自分たちの存在を無視していると本誌に語った。
「この国の二大政党制はもう信用できない。そして今度の選挙では民主党が最悪だ」と言ったのは、ディアボーン・ハイツに住むアリ・ダバジャ(43)。「私たちの懸念や願いに応える人間味のある声が、あの党からは聞こえてこない」
中東における戦火の拡大は、ダバジャにとってすぐれて個人的な問題だ。去る9月23日にレバノン南部ビントジュベイルを襲ったイスラエル軍の空爆では、ダバジャの親族5人が殺されている。
「これはアラブ系の、ムスリムのアメリカ人にとって、つまり私たちの大多数にとって重要な節目だ」とダバジャは言う。
「大量虐殺は取り返しがつかない。巨大なバンカー爆弾は取り返しがつかない。ああいうのは私たちの仲間を皆殺しにしてしまう」(なおイスラエル側は、自分たちの攻撃は「大量虐殺」に当たらないと主張している)。
バイデンやハリスが中東外交で「強気の姿勢」を示す、と口にする一方、レバノンにいるヒズボラ指導部を標的にするイスラエルへの支援を変えないのはおかしい、ともダバジャは言う。
ちなみにヒズボラはイランを後ろ盾とする強力な民兵組織だが、その最高指導者ハッサン・ナスララは去る9月27日にイスラエルの空爆によって殺害され、これを機に中東の戦火はさらに拡大した。
民主党には「一貫性がない」とダバジャは見る。
「バイデンやハリス、そして民主党の人たちに言いたい。あなた方の政策、とりわけパレスチナとレバノンにおける大量虐殺(の黙認)はアキレス腱であり、イスラエル支持を続ければ続けるほど、民主党にとってもアメリカにとっても危険なことになるのだと」
ダバジャもまた、緑の党のスタインに投票するつもりだ。そしてイスラエル支持を続ければ国際社会におけるアメリカの地位に傷が付き、ひいては安全保障上のリスクにもつながると警告した。
「あの頃は人間性が欠けていたと歴史の本に記されるような事態を、いま私たちは目にしている。実際、今の私たちはアメリカ社会の一員だと感じられない。人間としての存在を奪われ、認知されていない」
全米のムスリム有権者を対象とした世論調査を見ると、ハリスとスタインの支持率はほぼ互角の29%で、トランプは11%。ただし16.5%は未定と答えている。
スタインは「ガザの大虐殺」を終わらせると公約しており、アリゾナ、ミシガン、ウィスコンシンの3州にいるムスリム有権者の間ではハリスよりも高い支持率を誇る。ただしジョージア州とペンシルベニア州のムスリム社会では、ハリス支持がスタイン支持を上回っている。
ムスリムには評判の悪いハリスだが、ユダヤ人社会からは全国的に強い支持を得ている。全米ユダヤ人民主会議(JDCA)による最近の調査では71%がハリス支持で、トランプ支持は26%にすぎなかった。
ちなみにバイデンは前回の大統領選でユダヤ人票の69%を集めたが、30%はトランプを選んでいた。微妙な違いだが、大統領選の勝敗を左右する激戦州では無視できない。
前回、トランプが7万4000票差で勝利したノースカロライナ州には、ムスリム有権者が少なくとも5万4000人、ユダヤ系有権者は推定で5万人いる。州全体ではトランプがやや優勢だ。
複雑なユダヤ系有権者の内情
ペンシルベニア州では4年前、バイデンがムスリム有権者のおよそ半数に当たる8万1000票を獲得し、勝利した。同州にはユダヤ系有権者も多く、約30万人はいる。
またJDCAが「投票に当たって最も重視する問題」を尋ねた全国規模の調査では、ユダヤ系有権者の半数近くがイスラエルよりも「民主主義の将来」を重視すると答えていた。JDCAが用意した11項目中、イスラエルは9位に沈み、人工妊娠中絶が2位、経済が3位だった。
アトランタ在住でユダヤ教徒のエスター・グラフラドフォードは、前回はバイデンに投票したし、今回も絶対にハリスに投票すると語った。検察官出身という経歴がいいし、現下のガザ戦争に関する発言も納得できるからだ。
ハリスの「発言」というのは、おそらく先のテレビ討論会で「ムスリムの有権者が抱く懸念にどう答えるか」と問われた際にハリスが発した言葉だろう。
あのとき彼女は、10月7日の奇襲を受けたイスラエルには自衛の権利があるとしつつも、「あまりに多くの罪なきパレスチナ人が殺されている」と言い、さらに「この戦争は終わらせなければならない」とし、停戦と2国家共存の実現に全力で取り組むと語っていた。
しかしムスリム公共問題協議会のハリス・タリンに言わせると、今は「ガザ地区とレバノンから届く恐怖の写真や映像」がハリスの票を奪い、それが緑の党のスタインに流れている。
勝ち目はなくても、スタインには明確な主張があるからだ。「なにしろ大接戦だから、どの激戦州でもムスリム有権者の奪い合いになる。ムスリム票の出方が結果を左右する一因になるのは間違いない」
米イスラム関係評議会も先に、レバノンでヒズボラの戦闘員を標的とする攻撃を続けるイスラエルへの武器輸出を止めるよう、バイデン政権に改めて要求している。
一方、共和党ユダヤ人連合のサム・マークスティーンはユダヤ系の票の出方も同じくらい重要だと言い、民主党はなりふり構わず、ムスリムにもユダヤ教徒にも取り入ろうとしていると批判した。「イスラエル支持の一本やりでは困ったことになるのが分かっている」から「支持を明言できない」という見立てだ。
マークスティーンによれば、多くのユダヤ系有権者は米国内での反ユダヤ感情の高まりに懸念を強めている。
FBIの最近のデータによると、23年には全米で報告されたヘイトクライムが過去最高の1万1862件に上った。ユダヤ人への攻撃は前年比で63%も増え、ムスリムへの攻撃も49%ほど増えた。
「ユダヤ人はアメリカの総人口のわずか2%にすぎないが、FBIの集計によれば、宗教的な動機に基づくヘイトクライムの67%はユダヤ人に向けられている」とマークスティーンは指摘し、身近な問題だからこそ重要だと語った。
一枚岩ではないユダヤ人
今度の選挙で自分が負けたら、それはユダヤ人のせいだ──そう言わんばかりのトランプの態度を、由々しき問題と見る向きもある。
例えばペンシルベニア州ピッツバーグでユダヤ人団体の代表を務めるジェレミー・カザズは、トランプがユダヤ人有権者をスケープゴートに仕立てるつもりだと非難した。
その一方、彼はハリスを絶賛する。反ユダヤの風潮と本気で戦っているし、なにしろ夫のダグラス・エムホフはユダヤ人だ。何年か前に反ユダヤ主義者に襲撃され、11人の死者を出したピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の再建に向けた起工式にも、彼はきちんと顔を出していた。
首都ワシントンでハマスを支援するデモがあったとき、ハリスはそれを非愛国的で反ユダヤ的、かつ危険な行為だと非難した。「そういう種類の言動を、ユダヤ系有権者は重視する」とカザズは言う。
無党派のユダヤ公共問題評議会を率いるエイミー・スピタルニクによれば、たいていのユダヤ系アメリカ人はイスラエルの自衛権を認める一方、パレスチナ人の窮状に心を痛め、イスラエルの軍事力行使に懸念を抱いている。
彼女はまた、自分を支持しないユダヤ人は非国民だと言わんばかりのトランプを批判した。
「いいユダヤ人、悪いユダヤ人という色分けをしたり、不都合なことをユダヤ人のせいにするのは危険。そういうのが行き着く先は分かっているはず」だと彼女は言う。
「イスラエルの政策やガザ戦争について意見の違いはあるとしても、忘れちゃいけない事実が1つある。今度の選挙で、反ユダヤ主義に肩入れしている候補は1人だけという事実だ」
ユダヤ人有権者は「決して一枚岩じゃない」。そう強調するスピタルニクは最後に言った。
「ユダヤ人社会が一色に染まっていると思うのは間違い。みんなと同じで、いろんなことを考えた上で投票先を決める。民主主義、経済、医療、教育とか、いろいろ。もちろんイスラエルのことは気になるけれど、それが最優先じゃない。たいていのユダヤ人にとってはね」