コリン・ジョイス
<高速鉄道HS2はロンドンからイングランド北部を結ぶはずが途中断念、予算は後から果てしなく積み上がり、もはや制御不能に>
大体200マイル(約320キロ)──これは、ロンドンからイングランド国土の主要都市までの距離を考えるときに便利な表現だ。
ロンドン-マンチェスター間の距離は? およそ200マイル。リバプール、ヨーク、リーズ、シェフィールドは? どれも答えは同じ。バーミンガムやブリストルはもう少し近くて、ニューカッスルだけはやや遠いが、それでも300マイル(480キロ)以下だ。要するに、イングランドの都市はロンドンからそう離れていない。
その点、他国、例えばフランスとは事情が異なる。フランスではパリ-マルセイユ間がおよそ500マイル(800キロ)。日本で例えれば、全ての主要都市が東京から見て京都より近い場所にあり、しかも大半が同じ方角に位置している状況を想像してほしい。
シンプルに考えれば、このような狭い国には超高速鉄道は不要という結論になる。だが、2009年に英政府がHS2(ハイスピード2)の新設を決めた際には、そんな単純な理屈は通じなかった。HS2はロンドンからイングランド中部のバーミンガムを経て、北部マンチェスター方面とシェフィールド方面に向かう高速鉄道路線だ。
平均的なイギリス人なら、コストが低く実現が容易な計画であればもちろん賛成するだろう。だが現実は違った。新たな線路を敷設するには広大な土地を強制買収する必要があった。農場は分断され、景勝地の風景は変わり果て、何世代にもわたって所有してきた土地が国家に奪われた。技術面の複雑さによってコスト予測が膨れ上がる可能性が高く、新駅建設に伴う混乱がビジネスや住民の生活、通勤に多大な影響を及ぼした。
どれもこれも全ては、移動時間を約1時間短縮するためだ。当然、「本当にそれだけの価値があるのか」という疑問が噴出した。今となっては、その答えは「絶対にノー」だと分かる。
そう言い切れるのは、野心的な計画が途中で破棄されたからだ。HS2はバーミンガム止まりで(もともと2時間以内で行けた距離だ)、その先の区間の建設は制御不能なコスト高のために中止された。
しかも、この惨状はまだ序の口にすぎない。もともと高額だった予算に上積みされる「超過支出」は100億ポンドないしは200億ポンド、とまるでその違いが誤差の範囲内であるかのように伝えられている。ちなみに、費用が予定の3倍に膨れ上がった悪名高きロンドン五輪でさえ、総額は100億ポンド以下で、しかも計画中止はなく一応実現はした。
この手の壮大なプロジェクトには誤った理屈が付いて回る。コスト予測は疑わしく(必ず上昇する)、経済的リターンの予測も不確かだ(大半は実現しない)。コストが膨れ上がり、事業の正当性が疑問視されると、新たな理由が取ってつけられる。
HS2の場合、それは「地域間格差の是正」という政治的目標だった。高速鉄道はイングランド北部の大都市の経済活性化を目指す多様な政策(いわゆる「北部パワーハウス」構想)と連動し、どういうわけか、それらの各都市をロンドン並みに引き上げることに寄与する、とされた。
さらには、国際的な威信まで持ち出されるようになった。列車のスピードで欧州諸国に負けるわけにはいかないのだ!
イギリスの政治家は、この判断が正当化される遠い未来を夢見ているようだ。建設中は不満だらけだった国民も、ひとたびHS2が完成すれば拍手喝采し、なぜ昔はガタガタの列車で平気だったのかと不思議に思うだろう、と。
計画大幅縮小の後に待つ大混乱
確実なのは、HS2が富裕層向けの超贅沢な移動手段となり、コストを少しでも回収すべく、切符の値段が跳ね上がるだろうということだ。
だが現実には、今から10年後にはおそらく、どこで道を間違えたのかを検証する公式調査が進んでいるはずだ。HS2が「やってはいけないこと」の見本になっているかもしれない。
もっとも、HS2構想の幹部らがコストの高騰に目をつぶり、警鐘を鳴らそうとした部下を黙らせていたことは、既に明らかになりつつある。投じた資金と労力が増えるほど、政府は計画を中止しにくくなるという前提があったようだ。そして進めるにしろ中断するにしろ損害を被るのは納税者だ。
昨年、リシ・スナク首相(当時)は計画の大幅縮小という苦渋の選択に踏み切った。だが、その後には大混乱が残された。例えば、買収した土地をどうするかも決まっていない。ロンドン中心部のユーストン駅にHS2が乗り入れるための新規プラットフォーム建設もあっけなく中止された(これまでにかかった費用は3億5000万ポンド)。
代わりに、ロンドンの西端に位置するオールド・オーク・コモン駅がHS2のターミナル駅になることが予定されている(どこにある駅なのか僕も知らなかった)。まるで、東海道新幹線が蒲田駅発着となるようなものだ。
結局、この計画はへたな妥協案であり、せめてユーストン駅までの区間だけでも完成させるべきだとの議論が続いている。
スナク首相は「イングランド北部を切り捨てた」「ビジョンがない」「本質が分かっていない」と批判された。そうかもしれない。だが、彼の決断は単なる損切りともいえる。あるいは、穴に落ちているならそれ以上掘り進めるべきではない、というシンプルな話なのかもしれない。
<高速鉄道HS2はロンドンからイングランド北部を結ぶはずが途中断念、予算は後から果てしなく積み上がり、もはや制御不能に>
大体200マイル(約320キロ)──これは、ロンドンからイングランド国土の主要都市までの距離を考えるときに便利な表現だ。
ロンドン-マンチェスター間の距離は? およそ200マイル。リバプール、ヨーク、リーズ、シェフィールドは? どれも答えは同じ。バーミンガムやブリストルはもう少し近くて、ニューカッスルだけはやや遠いが、それでも300マイル(480キロ)以下だ。要するに、イングランドの都市はロンドンからそう離れていない。
その点、他国、例えばフランスとは事情が異なる。フランスではパリ-マルセイユ間がおよそ500マイル(800キロ)。日本で例えれば、全ての主要都市が東京から見て京都より近い場所にあり、しかも大半が同じ方角に位置している状況を想像してほしい。
シンプルに考えれば、このような狭い国には超高速鉄道は不要という結論になる。だが、2009年に英政府がHS2(ハイスピード2)の新設を決めた際には、そんな単純な理屈は通じなかった。HS2はロンドンからイングランド中部のバーミンガムを経て、北部マンチェスター方面とシェフィールド方面に向かう高速鉄道路線だ。
平均的なイギリス人なら、コストが低く実現が容易な計画であればもちろん賛成するだろう。だが現実は違った。新たな線路を敷設するには広大な土地を強制買収する必要があった。農場は分断され、景勝地の風景は変わり果て、何世代にもわたって所有してきた土地が国家に奪われた。技術面の複雑さによってコスト予測が膨れ上がる可能性が高く、新駅建設に伴う混乱がビジネスや住民の生活、通勤に多大な影響を及ぼした。
どれもこれも全ては、移動時間を約1時間短縮するためだ。当然、「本当にそれだけの価値があるのか」という疑問が噴出した。今となっては、その答えは「絶対にノー」だと分かる。
そう言い切れるのは、野心的な計画が途中で破棄されたからだ。HS2はバーミンガム止まりで(もともと2時間以内で行けた距離だ)、その先の区間の建設は制御不能なコスト高のために中止された。
しかも、この惨状はまだ序の口にすぎない。もともと高額だった予算に上積みされる「超過支出」は100億ポンドないしは200億ポンド、とまるでその違いが誤差の範囲内であるかのように伝えられている。ちなみに、費用が予定の3倍に膨れ上がった悪名高きロンドン五輪でさえ、総額は100億ポンド以下で、しかも計画中止はなく一応実現はした。
この手の壮大なプロジェクトには誤った理屈が付いて回る。コスト予測は疑わしく(必ず上昇する)、経済的リターンの予測も不確かだ(大半は実現しない)。コストが膨れ上がり、事業の正当性が疑問視されると、新たな理由が取ってつけられる。
HS2の場合、それは「地域間格差の是正」という政治的目標だった。高速鉄道はイングランド北部の大都市の経済活性化を目指す多様な政策(いわゆる「北部パワーハウス」構想)と連動し、どういうわけか、それらの各都市をロンドン並みに引き上げることに寄与する、とされた。
さらには、国際的な威信まで持ち出されるようになった。列車のスピードで欧州諸国に負けるわけにはいかないのだ!
イギリスの政治家は、この判断が正当化される遠い未来を夢見ているようだ。建設中は不満だらけだった国民も、ひとたびHS2が完成すれば拍手喝采し、なぜ昔はガタガタの列車で平気だったのかと不思議に思うだろう、と。
計画大幅縮小の後に待つ大混乱
確実なのは、HS2が富裕層向けの超贅沢な移動手段となり、コストを少しでも回収すべく、切符の値段が跳ね上がるだろうということだ。
だが現実には、今から10年後にはおそらく、どこで道を間違えたのかを検証する公式調査が進んでいるはずだ。HS2が「やってはいけないこと」の見本になっているかもしれない。
もっとも、HS2構想の幹部らがコストの高騰に目をつぶり、警鐘を鳴らそうとした部下を黙らせていたことは、既に明らかになりつつある。投じた資金と労力が増えるほど、政府は計画を中止しにくくなるという前提があったようだ。そして進めるにしろ中断するにしろ損害を被るのは納税者だ。
昨年、リシ・スナク首相(当時)は計画の大幅縮小という苦渋の選択に踏み切った。だが、その後には大混乱が残された。例えば、買収した土地をどうするかも決まっていない。ロンドン中心部のユーストン駅にHS2が乗り入れるための新規プラットフォーム建設もあっけなく中止された(これまでにかかった費用は3億5000万ポンド)。
代わりに、ロンドンの西端に位置するオールド・オーク・コモン駅がHS2のターミナル駅になることが予定されている(どこにある駅なのか僕も知らなかった)。まるで、東海道新幹線が蒲田駅発着となるようなものだ。
結局、この計画はへたな妥協案であり、せめてユーストン駅までの区間だけでも完成させるべきだとの議論が続いている。
スナク首相は「イングランド北部を切り捨てた」「ビジョンがない」「本質が分かっていない」と批判された。そうかもしれない。だが、彼の決断は単なる損切りともいえる。あるいは、穴に落ちているならそれ以上掘り進めるべきではない、というシンプルな話なのかもしれない。