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韓国のキム・ジヨンに共感する、日本の佐藤裕子たち...小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の爆発的ヒットの背景とは?

ニューズウィーク日本版 2024年11月2日 9時30分

崔 誠姫(大阪産業大学国際学部准教授) for WOMAN
<ハン・ガンのノーベル文学賞受賞でますます盛り上がる韓国文学だが、日本では2015年頃からブームに。特に女性たちから熱い支持を得る理由について>

2012年、東アジア初の女性大統領となった朴槿恵(パククネ)だが、泥沼のスキャンダルによって2017年に失職した。

「これだから女性は...」という論調が社会に蔓延するなかで、ある小説が大ベストセラーになる。『女性たちの韓国近現代史──開国から「キム・ジヨン」まで』(崔誠姫著・慶應義塾大学出版会)より第六章「『キム・ジヨン』たちの韓国韓国フェミニズム小説」を一部抜粋。

 

日韓女性の共感

このような状況で、韓国ではある小説がベストセラーとなる。日本でも話題になったフェミニズム小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下、『キム・ジヨン』)がそれである。なお本節では『キム・ジヨン』の多少の「ネタバレ」が含まれることをご承知おきいただきたい。

『キム・ジヨン』は2016年に刊行された、チョ・ナムジュによる小説である。チョ・ナムジュは1978年生まれで小説の主人公であるジヨンよりも4歳年上となる。放送作家としての経歴があるためその経験を活かして、連続ドラマが展開するような形式で物語が綴られている。

『キム・ジヨン』は韓国では130万部を突破するベストセラーとなり、日本でも翻訳され翻訳小説としては2023年時点で異例の23万部を超えるヒットとなった。『キム・ジヨン』は映画化もされているが、小説と映画では物語と結末が少し異なっている。本書の読者の皆さまにはぜひとも小説・映画の両方を見ていただきたい。

『キム・ジヨン』はこれまで女性であれば必ず体験したであろう、名もなき違和感や差別が言語化されている。

たとえば、隣の席に座った男子が自分に嫌がらせをし、それを担任に相談したら「その男子は君のことが好きだからだよ」といわれる、ストーカーのような被害に遭ったジヨンに対し、父親が「お前にも責任がある」と言うなど、女性が困っていること、苦しんでいることに対する無自覚な男性のことばが浮き彫りになっている。

このような女性が日常の中で日々感じてきた、そして今も感じている違和感を物語の中にうまく組み込んだ作品といえよう。

主人公の名前であるキム・ジヨンは個性的な名前ではなく、韓国で最も人口の多い姓であるキム(金)、1982年生まれの女性の名前第1位であるジヨンというありふれた名前だ。その「ありふれた」ジヨンの人生が韓国の女性たちの共感を生み、一方で男性の反発を生んだ。

日本の名前では「佐藤裕子」がそれにあたるそうだが、日本でこの小説がヒットした背景には「キム・ジヨン」であるがゆえの適度な距離感がかえって共感を生んだのかもしれない。

 

『キム・ジヨン』が生まれた1982年年は全斗煥政権期であり、ジヨンが小学校に上がる前に民主化を迎えた。ジヨンの記憶のどこかに民主化闘争中のソウルの風景も焼き付いていることだろう。

韓国社会が大きく変化するなかで小学校生活を送り、現在では徐々に減りつつあるが男女別学の中学校に通い、女子高からソウル市内の大学、いわゆる「インソウル」に進学したジヨンは就職がなかなか決まらない。

韓国は1997年にIMF危機に陥り、大手財閥系企業が破産、公務員でさえも解雇されるなど、経済的困難に直面することになった。作中でも、公務員だったジヨンの父親はIMF危機の影響により解雇されている。

超学歴主義に加え経済危機を迎えた韓国では、最難関のソウル大学校を卒業していても就職率が50パーセント程度の状況であった。ジヨンも卒業式直前にようやく就職が決まるのである。ジヨンが大学生から社会人になる頃はちょうど金大中・盧武鉉政権期にあたる。

南北融和ムードのなか、民主化運動の象徴でもあった金大中、学閥とは無縁の経歴を持つ盧武鉉というリーダーのもと、学歴や就職の問題を抱えていた若者も、さまざまな希望を持てた時代だったのではないだろうか。ジヨンもその中の一人であったに違いない。

ジヨンは稼ぎがよく家事や育児にも協力的、法事や帰省時に妻への気遣いもできる夫と結婚し一児の母となる。

一見幸せそうに見える生活ではあるが、結婚・妊娠・出産という人生のステージを経るなかで「失っていく」ものも多かった。ワンオペ育児と義実家への帰省のストレスをきっかけとしてジヨンに異変が起こるところから、物語は始まる。

教育費の高騰、超学歴社会、少子化の問題を抱える韓国は、共稼ぎ夫婦も増えている。とはいえ、ジヨンのように結婚・出産を機に専業主婦となる女性もいるのが現実だ。

女性たちが感じる社会の矛盾、違和感を言語化した小説『キム・ジヨン』の結末は、フィクションでありながらも韓国社会をリアルに描き出したといえよう。映画版と比べてどちらの結末がこの物語によりふさわしいのか、その判断は読者の皆さま各自にゆだねたい。

■【関連動画】映画『82年生まれ、キム・ジヨン』本編映像 を見る

 

さて、この『キム・ジヨン』は先述のように日韓そして世界で異例のヒット作となった。

これまで韓国小説といえば、ドラマや映画のノベライズ、李光洙や尹東柱(ユン・ドンジュ)など植民地期に活躍した作家の作品が知られている程度であったが、『キム・ジヨン』のヒットにより書店には多様な韓国人作家の小説が並ぶようになった。

とくに『キム・ジヨン』の著者であるキム・ナムジュの作品、『少年が来る』で知られるハン・ガンなど、韓国フェミニズム小説作家の作品が多く翻訳されている。

『キム・ジヨン』のヒットはK-POPや韓国ドラマに限定されない、韓国社会を知る、新たなツールとして日本でも広まっている。

崔 誠姫(チェ・ソンヒ)
1977年北海道生まれ。2001年東京女子大学文理学部史学科卒業、2006年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、2015年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。一橋大学大学院社会学研究科特別研究員、聖心女子大学ほか非常勤講師・日本女子大学客員准教授を経て、現在、大阪産業大学国際学部准教授。専門は朝鮮近代史、教育史、ジェンダー史。著作に、『近代朝鮮の中等教育──1920~30年代の高等普通学校・女子高等普通学校を中心に』(晃洋書房、2019年)がある。2024年前期放送のNHKの朝ドラ『虎に翼』で朝鮮文化考証をつとめた。

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  崔 誠姫[著]
  慶應義塾大学出版会[刊]

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