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グローバル企業が「人材をかき集めている」...最強の学問「行動経済学」が、ここまで注目されているワケ

ニューズウィーク日本版 2024年11月15日 18時19分

flier編集部
<GoogleやAmazonが専門チームを設立。行動経済学はすでに実際のビジネスの現場で、メールの書き方からマーケティングまで幅広い分野で活用されている>

アメリカの企業では「行動経済学専攻の学生の争奪戦」が起きています。Google、Amazon、Netflixといった名だたる企業が行動経済学チームを設けているためです。なぜ、世界で行動経済学が注目されるのでしょうか?

行動経済学の主要理論を体系的に解説した画期的な一冊が、『行動経済学が最強の学問である』(SBクリエイティブ)。2024年8月時点で10万部突破のベストセラーとなっています。著者で行動経済学コンサルタントの相良奈美香さんに、行動経済学がいま注目を集めている理由をお聞きします。

(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です)

日本人として数少ない「行動経済学のプロフェッショナル」

──まずは、相良さんのこれまでのキャリアを教えていただけますか。

18歳のときに単身でアメリカに渡り、大学2年生の頃、行動経済学に出合って「こんなに面白い学問があるのか」と感銘を受けたんです。研究を続け、オレゴン大学大学院の心理学「行動経済学専門」修士課程と同大ビジネススクール「行動経済学専門」博士課程を修了しました。

ポスドクを経てアメリカで就職先を探したのは2013年のこと。当時は行動経済学が注目されていましたが、事業への応用を考えていた企業は限られていて、行動経済学に関わるポジションの募集はなかった。そこで、自分で行動経済学コンサルティング会社を立ち上げたのです。

『行動経済学が最強の学問である』
 著者:相良奈美香
 出版社:SBクリエイティブ
 要約を読む

──ものすごい行動力ですね!

手探りでしたが、時代の流れに合い、ありがたいことにお客様が着実に増えていきました。その後、世界第3位のマーケティングリサーチ会社からヘッドハントされ、業界初の行動経済学センターを設立し、代表就任へ。欧米の金融、保険、製薬など、あらゆる業界のマーケティングリサーチに行動経済学をどう活かしていくか、ゼロからサービス構築を進めました。

気づいたのは、行動経済学はマーケティングリサーチだけでなく、「人間のビジネス全般」において重要になるということ。そこで会社を退職し、行動科学グループの代表として、行動経済学を含めた行動科学のコンサルティングを展開していきました。

扱う領域は幅広く、アプリの開発もあれば、顧客の資産形成の意思決定支援もあります。大量離職が起こった米国のクライアント企業では、従業員のエンゲージメント向上施策の提案もしました。

めざしたのは「行動経済学の理論を体系化した本」

──その後、どんな経緯で『行動経済学が最強の学問である』の執筆に至ったのでしょうか。

きっかけは、SBクリエイティブの編集者から届いた、一通の日本語のメールです。普段ビジネスのやりとりはすべて英語だったので、目を引きました。依頼内容は、「これまでの行動経済学の研究と実践をベースに本を書いてほしい」というものでした。

執筆するなら、断片的な知識を辞書のように列挙する本ではなく、行動経済学の理論を体系化した本にしたかった。そのような形式にしてこそ、行動経済学の研究とビジネスへの実践を積み重ねてきた私ならではの本になると考えたのです。

最終的には、行動経済学の本質である「非合理な意思決定」を、「認知のクセ」「状況」「感情」の3つの要因に分類し、190の論文を論拠として、体系的に解説する本に仕上がりました。専門用語の日本語翻訳や、日本の慣習に合う事例集めには苦労しましたね。

行動経済学の知見で、「顧客へのメールの書き方」も変わる

──ご著書では、行動経済学をセールスプロモーションに活かしている事例が紹介されています。たとえば、似たような機能や見た目でも、より高額の商品が店頭に陳列される理由など、興味深くお読みしました。セールスプロモーション以外で、「企業の課題解決に行動経済学が活かされている事例」はありますか。

行動経済学は「人間の意思決定」を科学する学問です。どのビジネスも人間が関わっている限り、ほぼ高い確率で行動経済学の知見が活かせます。Google、Amazon、Netflixといった名だたる企業が行動経済学チームを設けていることは、行動経済学への期待がいかに大きいかを物語っているといえます。

実際、私が執行役員を務める不動産テック事業のGAテクノロジーズでは、お客様のニーズを理解するマーケティングリサーチ、お客様とのコミュニケーション向上や、プロダクトの顧客体験改善など幅広く関わっています。いわば「何でも屋」です。

お客様とのコミュニケーション向上では、資料のつくり方、メールの文章の書き方などにも関わり始めました。たとえばお客様とのアポをとる際、「電話、オンライン、対面」の3つの選択肢を提示するのか、それとも2つがいいのか。行動経済学の観点では、お客様の意思決定の負担にならないよう、3つではなく、2つに絞るのがよいとアドバイスしました。

さらには、お客様にとって一番ラクな選択肢である「電話」をデフォルトにすると、お客様の意思決定の負担が減らせます。これは「デフォルト効果」を活用したもの。資料も、不要な情報が多すぎる「情報オーバーロード」の状態なら、絞り込むようにアドバイスしています。

人間は一日に3万5000件もの意思決定をしているといわれています。GAテクノロジーズのお客様はお忙しい方が多い。だから、意思決定の負担を少しでも減らせるよう、アプリのUI一つとってもきめ細やかに行動経済学の知識を活用しています。

『行動経済学が最強の学問である』著者の相良奈美香氏(本人提供)

「システム1」の思考モードが「ジェンダーバイアス」の罠を生む

──想像以上に色々な場面で行動経済学が活かせるのですね。ご著書では、サステナビリティやDEI(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)といったトレンドに行動経済学が応用されているとありました。DEIの促進に効果がある事例を教えてください。

アメリカでは、採用で「カテゴリー化のバイアス」をできるだけ避けるために、顔写真なしの履歴書が一般的です。見た目がよい方に「ハロー効果」が働いて、「仕事もデキそうだな」と思ってしまうかもしれない。また、男性か女性かが写真から推測できると、「ジェンダーバイアス」がかかりやすくなってしまいます。意識が高い会社だと、書類審査で名前も伏せています。名前から性別や人種を推測してバイアスに陥るのを防いでいるのです。

本来、見た目はビジネスのパフォーマンスには関係ないですよね。だから、カテゴリー化やジェンダーのバイアスを、採用のような大事な意思決定で最小限にし、ダイバーシティ実現に寄与することをめざしています。そのために大事なのは、人間にはバイアスがあると自覚することです。

──こうした認知バイアスがかかっているとき、行動経済学上、私たちの思考はどんな状態になっていると考えるのですか。

人間の情報処理では、「システム1」と「システム2」という2つの思考モードが使い分けられています。「男性はこう、女性はこう」と考えているときは、直感的で瞬間的な判断である「システム1」を使っている状態。だから、意識的に、注意深く時間をかけた判断の「システム2」に切り替えることが必要です。

私たちは、性別を聞かれると、「女性はこういうタイプの仕事には向いてないのかな?」と男女に紐づけやすくなってしまう。これを「プライミング効果」と呼びます。さらには、たまたま女性が失敗しただけで、「やはり女性はこの仕事に向いていない」と結びつけてしまうことも。これは「確証バイアス」が働いている状態です。

こうした認知バイアスによって強化された固定観念は、他者だけでなく本人にも影響するんですよ。

ある実験では、数学の問題を解いてもらい、男女の得点差を比較しました。1つめのグループは解く前に性別を尋ねられた。もう1つのグループは何も尋ねられなかった。すると、後者のグループでは男女の得点差はなかったのに対し、前者のグループでは女性の方が男性より得点が低かったのです。

アメリカでも、「女性のほうが男性より数学ができない傾向にある」というバイアスがあります。普段はそう信じていない女性でも、性別を聞かれたことで、そのバイアスを思い出し、「どうせ私にはできないから」という感情が湧き上がってきた可能性がある、と考えられます。

「不確実性回避」をうまく防ぐ「問い方」とは?

──こうしたバイアスにできるだけ対処するためのアドバイスはありますか。

おすすめは、変化を前提にして、変化を促すことです。人間には、リスクの確率が未知な状況を避けようとする「不確実性回避」の傾向があるので、変化を嫌う面がある。だから、考え方や行動を「変わるか変わらないか」に焦点を置くと、「変わりたくない」になりがち。そこで、「AとBどちらに変わるのがいいですか」と、変化の選択肢に焦点を置いて尋ねると、変化しようという発想になりやすいのです。

ホフステードの6次元モデルによると、日本人は不確実性の回避度が高い傾向にあるとされます。ただし、一度変化すると決めたら、一斉にスピーディーに変化するんです。社会規範の力が大きいことも影響しているのでしょう。

多様性を尊重する考え方も、行動経済学の知見を活かして「変化する」と決めれば、スピーディーに変化していくのではないかと考えています。

──それは前向きな気持ちになりますね。

あとは、行動経済学は職場だけでなく、パートナーや子どもとのコミュニケーションにも活かせます。たとえば、子どもに「先にお風呂に入って」と指示するのではなく、「ご飯とお風呂どっちを先にする?」と尋ねてみる。すると、自分で決めている実感が得られ、いずれかの行動をとってくれますよ。

何度も読み返した衝撃の論文

──相良さんの価値観に影響を与えた本または論文があれば、ぜひ知りたいです。

衝撃的だったのは、1979年に行動経済学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱した「プロスペクト理論」の論文です。

プロスペクト理論とは、人が損失に対して過剰に評価する傾向を示した理論のこと。その心理的特徴の1つは「損失回避性」とも呼ばれます。1万円を得る喜びの度合いよりも、1万円を失うショックの度合いのほうが大きいというものです。

そのほか、参照点依存性もこの理論が示す特徴の1つ。私たちは意思決定の際に、絶対的な価値ではなく、ある参照点をもとに評価する傾向にあります。たとえばボーナスが90万円と思っていたのに100万円だったら自分の期待を上回るので満足度が高くなる。一方、110万円と期待していて100万円だったら満足度が低くなるんです。

この功績は、ダニエル・カーネマンの2002年のノーベル経済学賞受賞にもつながりました。プロスペクト理論で、人間が必ずしも合理的な意思決定をするわけではないことが、世の中に広まっていった。本当にすごい論文だなと思いましたし、大学院生の頃は、論文の用紙がボロボロになるくらい何度も読み返しましたね。

──最後に、行動経済学の面白さを改めて教えてください。

行動経済学の面白さは、人間の心理が複雑であるゆえに、常に多種多様なケースに向き合えること。先ほど「性別を尋ねるだけで試験の結果が違う」ことを示した実験を紹介しました。この発見に至るには、実験の時点で、「最初に性別を尋ねるかどうかでジェンダーバイアスが影響するかもしれない。だから対照実験が必要ではないか?」という観点に気づく必要があります。まさに、行動経済学の知見を総動員することが求められます。

ビジネスの現場は、色々な条件が統制された研究室での実験以上に複雑な環境です。その分、新たな発見に満ちているのが、行動経済学をビジネスに応用する面白さでもありますね。

相良奈美香(さがら なみか)

「行動経済学」博士。行動経済学コンサルタント。

日本人として数少ない「行動経済学」博士課程取得者であり、行動経済学コンサルティング会社代表。

オレゴン大学卒業、同大大学院 心理学「行動経済学専門」修士課程および、同大ビジネススクール「行動経済学専門」博士課程修了。デューク大学ビジネススクール ポスドクを経て、行動経済学コンサルティング会社であるサガラ・コンサルティング設立、代表に就任。その後、世界3位のマーケティングリサーチ会社・イプソスにヘッドハントされ、同社・行動経済学センター(現・行動科学センター)創設者 兼 代表に就任。現在は、ビヘイビアル・サイエンス・グループ(行動科学グループ、別名シントニック・コンサルティング)代表として、行動経済学を含めた、行動科学のコンサルティングを世界に展開している。

まだ行動経済学が一般に広まる前から、「行動経済学をいかにビジネスに取り入れるか」、コンサルティングを行ってきた。アメリカ・ヨーロッパで金融、保険、ヘルスケア、製薬、テクノロジー、マーケティングなど幅広い業界の企業に行動経済学を取り入れ、行動経済学の最前線で活躍。

自身の研究はProceedings of the National Academy of Sciencesなどの権威ある査読付き学術誌のほか、ガーディアン紙、CBSマネーウォッチ、サイエンス・デイリーなどの多数のメディアで発表される。また、国際的な基調講演を頻繁に行い、その他にもイェール大学やスタンフォード大学、アメリカ大手のUberなどにも招かれ講演を行うなど、行動経済学を広める活動に従事している。他、ペンシルベニア大学修士課程アドバイザーを務める。

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flier編集部

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