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日本のコロナ対策は本当に効果があったのか?...経済学で事後検証する

ニューズウィーク日本版 2024年11月22日 10時50分

土居丈朗(慶應義塾大学経済学部教授) アステイオン
<社会・経済に世界的な影響を及ぼした、パンデミック。緊急事態宣言、マスク配布、給付金など日本でも数多くの新型コロナ対策を実施。しかし、その額や効果、そしてその後の影響については十分に議論されているとは言い難い。『アステイオン』101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」の巻頭言「経済学で迫るコロナ対策の実態」より> 

新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)の感染拡大による災難(コロナ禍)は、世界中の社会・経済に多大な影響を及ぼした。日本では、2020年から2023年において、安倍晋三内閣から、菅義偉内閣、岸田文雄内閣にかけて、政府が様々なコロナ対策を実施した。

政策を講じたからには、その効果がどうだったのかを事後検証したくなるのが、経済学者の性(さが)である。世の中の行動原理が従うべき法則性を仮説として見出し、その法則性が成り立つか否かデータを用いて検証し、成否を確認することを通じて、世の中の行動原理を探究するのが、経済学が依拠する演繹法のアプローチである。

日本で実施されたコロナ対策は、経済学の見地からみて、効果があったのか。効果があったとすれば、どのような影響があったのか。効果がなかったとすれば、何が原因で、どうすればよかったのか。そして、その事後検証を通じて、次なる時代への示唆や教訓をどのように導くことができるのか。これらが、『アステイオン』101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」の狙いである。

経済学者によるコロナ禍を回顧した書籍は既にあるが、本特集は、経済学の前提知識がなくとも読めるようにした点に1つの特徴がある。

2023年5月8日に、新型コロナを感染症法上5類に引き下げ、医療の面ではコロナ禍に終止符を打った岸田内閣は、2024年10月1日に総辞職した。政治面でも「もはやコロナ禍ではなくなった」といえよう。まさに、こうしたタイミングで、本特集は経済学でコロナ禍の事後検証を試みるものである。

新型コロナが、日本経済全体を大きく揺るがすことになった最初の出来事は、2020年4月7日に初めて発出された緊急事態宣言である。感染拡大防止のために人流を止めるのが最大の狙いであったものの、経済活動に対しては様々な波及効果を引き起こした。

まず、外出自粛を要請するものであったため、職場に出勤して業務に従事することができなくなった。そのため、リモートワークが多用された。これは、働き方を大きく変えるものとなった。

飲食業を中心に休業要請も行われた。休業すると、従業員を雇い続けることは困難である。そのため、雇用を維持するために雇用調整助成金(雇調金)や持続化給付金などの給付が政府から出された。

2020年には、一人一律10万円の特別定額給付金も支給された。さらには、事業者に対し運転資金等金融面での支援として、実質無利子で無担保でのゼロゼロ融資が行われた。これは、政府系金融機関だけでなく民間金融機関からも融資されたが、支援に要する支出は全て政府からなされた。こうした働き方の面や雇用面や金融面からのコロナ対策は、どの程度奏功したのだろうか。

新型コロナの感染者が急増する時期には、コロナ患者の受け入れ態勢の整備が急務となった。いわゆる「コロナ病床」をどう確保するかは、主たる責任として都道府県知事の腕にかかっていた。

わが国での医療提供体制に関する権限の多くが、コロナ前から、都道府県知事に与えられていたからでもある。ただ、財政面での支援は、国の財政から巨額の支出によって成り立っていた。

はたして、巨額の財政支援をしたお蔭で、求められるコロナ病床が十分に確保され、多くの命を救うことができたのか。それとも、財政支援はすれどもコロナ病床は不十分にしか確保されず、患者がたらいまわしにされるといったことが起きていたのか。その検証には、経済学に基づいて医療のあり方を分析する医療経済学の視点が欠かせない。

本特集では、こうしたコロナ禍での出来事に焦点を当てて、経済学的にコロナ対策の検証を試みる。

政府のコロナ対策に専門家からの意見を述べる有識者会議のメンバーに加わった大竹文雄(大阪大学特任教授)は、コロナ禍の政策決定に、経済学者がどう関わり、経済学の知見がどう役立てられたかについて論じている。

コロナ対策は、新型コロナの感染防止が最優先されるのだが、それによって失われるものがある。特に、経済的な利益は損なわれがちである。我々は、新型コロナから命が守られただけで生きていけるわけではなく、生計も成り立たせなければならない。

経済学者として、コロナ対策を議論する有識者会議の最前線に立ち、医学等だけでは解決できない経済学が導く解決策を説いた。コロナ対策をめぐる議論では、経済学以外の専門知と経済学の専門知とのトレードオフ(二律背反)にも多々直面した。その現場の緊張感が筆致から伝わってきて迫力がある。

次に、コロナ対策の各論として、経済学の各分野の専門家がコロナ禍を事後検証する。山本勲(慶應義塾大学教授)は、コロナ前から始まっていた働き方の変容が、コロナ禍を経てウェルビーイング(心身の健康・幸福)の格差として顕著に現れた点に注目する。在宅勤務が可能か否かや、AI(人工知能)などの新技術が職場で導入されたか否かなどが格差の要因となっている様が描写されている。

酒井正(法政大学教授)は、雇用調整助成金の新型コロナ特例に焦点を当てる。コロナ禍で、雇調金はどれほど失業率の上昇を抑えたかや、雇調金の給付水準や期間は適正だったかなど、今後の雇用対策に示唆を与える事後検証をしている。

コロナ禍で特例的な措置をしたのはゼロゼロ融資もそうだった。植杉威一郎(一橋大学教授)は、ゼロゼロ融資の功罪に迫る。コロナ禍で、苦境に陥った中小企業の資金繰りを助けた半面、利用した企業の業績を高めるものでなかった点を指摘する。

伊藤由希子(津田塾大学教授)は、コロナ禍での医療の「有事」対応から、「平時」の医療への教訓を導く。発熱外来という一次診療に始まり、コロナ病床と人材の確保、そして入院調整と、平時に体制ができていないと有事はもっと混乱することが検証されており、身につまされる。

コロナ対策として様々に出された財政支援については、会計検査院が既に公式に、布製マスク配付、持続化給付金、病床確保、巨額の予備費などに対して検査のメスを入れている。田中弥生(会計検査院長)との対談を通じて、検査結果が浮き彫りにするコロナ対策の実態を読み解く。

最後に、コロナ禍を経て日本の財政はどうなったかについて触れて締めくくろう。

コロナ禍では、世界各国とも、感染拡大直後は医療だけでなく民間の家計や企業にも大きな損害が生じたため、政府が民間を財政的に支援した。その財源は、大半を国債で賄った。だから、世界各国とも政府債務は累増した。

ただ、コロナ禍からの経済再建が早かった国では、コロナ対策のための財政支援を早期に打ち切り、財政収支が改善できて、経済規模に比した政府債務残高(政府債務残高対GDP[国内総生産]比)が改善している。

翻って、日本はどうだったか。感染防止の規制が残ったこともあってコロナ禍からの経済再建は他の先進国より遅れ、コロナ対策のための財政支援は打ち切れず、挙げ句にコロナ対策と称して感染防止に逆行するような需要喚起策のために巨額の財政支出を出し続けた。その財源のほとんどを政府の借金で賄った。

コロナ対策のために、2020年度に予め満期を定めて発行する国債を84兆円追加で発行した。その7割を超える61兆円が1年以下の満期でしか発行できなかった。2年以下の満期の国債まで含めても70兆円と84%を占めた。

2020年度に1年債を発行すれば、2021年度には早くも返済が迫られる。もちろん、2021年度にその大半を借り換えられたが、過半は2年以下の満期でしか借り換えられなかった。2022年度には、2020年度の2年債と2021年度の1年債の返済が求められ、また借り換えた。

このように、コロナ対策のために増発した国債の大半は、2年以下の満期でしか発行できず、満期が10年以上の長期の国債はほとんど追加で発行できなかった。そして、満期が短期の国債は、返してはまた借り換えるという「自転車操業状態」ともいうべき状態に陥った。

その後に襲うインフレにも後押しされて、2020年度以降税収はコロナ禍でも過去最高を更新し続けているにもかかわらずである。

そうした財政難を知ってか知らずか、政治家は桁違いの追加予算でバラマキ財政を続けた。2020年度から2023年度までの国の補正予算では、年平均で35兆円も当初予算に加えて財政支出を増額した。コロナ前は、年平均3兆円だったことをすっかり忘れているようである。財政では「コロナ禍」はまだ終わっていないのだろうか。

本特集における経済学的な視点を通じて、コロナ禍での出来事を読者が振り返る契機になれば、編集委員冥利に尽きるところである。

土居丈朗(Takero Doi)
慶應義塾大学経済学部教授、アステイオン編集委員。1970 年生まれ。大阪大学卒業、東京大学大学院博士課程修了。博士(経済学)。東京大学社会科学研究所助手、慶應義塾大学助教授等を経て、現職。専門は財政学、経済政策論など。著書に『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社、日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞受賞)、『入門財政学(第2版)』 (日本評論社)、『入門公共経済学(第2版)』(日本評論社)、『平成の経済政策はどう決められたか』(中央公論新社)などがある。

 『アステイオン』101号
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]
 

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イベントのお知らせ

アステイオンvol.101トーク「コロナ禍を経済学で検証する」
今回のアステイオントークでは、コロナ禍で果たした経済学の役割を振り返るとともに、経済学の専門知に対する他分野や世間からの信頼、インターネット社会における専門知の立ち位置について検討します。寄稿者から、医療経済学が専門の伊藤由希子氏、新型コロナ有識者会議のメンバーを務めた大竹文雄氏、読者を代表して科学と社会の関係に詳しい横山広美氏の3名をお迎えし、編集委員の土居丈朗氏の進行で予定調和なしのトークを繰り広げる予定です。

◆日時:2025年1月20日(月)16:00~17:30

◆登壇者 ※五十音順
伊藤由希子氏(津田塾大学教授)
大竹文雄氏(大阪大学特任教授)
土居丈朗氏(慶應義塾大学教授、アステイオン編集委員)※進行
横山広美氏(東京大学教授)

◆配信
Zoomウェビナーでの配信を予定しております(無料)。こちらのフォームより参加登録いただきましたら、配信URLが届きますので、当日ご視聴ください。なお、アーカイブ配信は予定しておりません。


◆登壇者略歴
伊藤由希子氏(津田塾大学総合政策学部教授)
1978年神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。米国ブラウン大学経済学博士。東京学芸大学准教授を経て、現職。専門は医療経済学、国際経済学。日本各地の地域医療における病院再編問題に取り組む。内閣府規制改革推進会議「健康・医療・介護」WG専門委員・令和臨調「財政・社会保障部会」主査として社会保障改革に取り組む。

大竹文雄氏(大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授)
1961年生まれ。京都大学経済学部卒業。大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程退学。博士(経済学)。大阪大学社会経済研究所助教授、同大学院経済学研究科などを経て、現職。専門は労働経済学・行動経済学。著書に『日本の不平等――格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社、サントリー学芸賞)、『競争社会の歩き方 自分の「強み」を見つけるには』(中公新書)、『あなたを変える行動経済学――よりよい意思決定・行動をめざして』(東京書籍)などがある。2020年~2023年、新型インフルエンザ等対策有識者会議・新型コロナウイルス感染症対策分科会委員をつとめた。

土居丈朗氏(慶應義塾大学経済学部教授、アステイオン編集委員)※進行
1970年生まれ。大阪大学卒業、東京大学大学院博士課程修了。博士(経済学)。東京大学社会科学研究所助手、慶應義塾大学助教授等を経て、現職。専門は財政学、経済政策論など。著書に『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社、日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞受賞)、『入門財政学(第2版)』 (日本評論社)、『入門公共経済学(第2版)』(日本評論社)、『平成の経済政策はどう決められたか』(中央公論新社)など。

横山広美氏(東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構教授)
1975年生まれ。東京理科大学大学院理工学研究科満期終了。博士(理学)。東京工業大学特別研究員、総合研究大学院大学上席研究員、東京大学大学院理学系研究科准教授を経て、現職。専門は科学コミュニケーション・科学技術政策。著書に『なぜ理系に女性が少ないのか』(幻冬舎)など。


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