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ホームレスは助け合うのか、それとも冷淡で孤独なのか...不思議な「兄弟分」の物語

ニューズウィーク日本版 2024年11月27日 18時45分

文・写真:趙海成
<荒川河川敷に住むホームレスを取材し始め、ホームレス同士の付き合いは淡白で浅いものが大半だと知った在日中国人ジャーナリストの趙海成氏。しかし、中には、深い絆で結ばれた「パートナー」たちもいる>

ホームレスの人たちに注目し、交流し始めてから、私は彼らが基本的に「天馬行空 独往独来」(中国の言葉で、「天馬が空を走るように、想像力が豊かで制約に縛られず、他人に依存せずに自立して行動する」という意味)なのだと知った。

同じ小さな「森」に住んでいても、お互いに接触するのは日常の挨拶程度にとどまっている。

少し親しくなると、挨拶に加えて生活や仕事の情報をやりとりしたり、生活に必要な道具を貸し借りしたりすることもあるが、ホームレス同士の付き合いはこのようにあっさりしたものが大半だ。

しかし、すべてのホームレスが淡白で「君子之交淡如水」というわけではない。これは中国の言葉で、立派な人同士の交友関係は、表面上は淡白で素っ気ないように見えるが、実際には誠実で深いものであることを意味する。

彼らの中には「手足情深甜蜜蜜」という人たちもいるのだ。「手足」は兄弟姉妹や親しい仲を指し、「情深」は絆の深さ、「甜蜜蜜」は甘く心地よい関係を表す。家族、特に兄弟姉妹の深い愛情と親密さを表す中国の言葉だ。

桂さんと斉藤さん(共に仮名)はまさにそのような関係だった。私は初めて彼らに会ったときに、そのことに気づいた。

夏のある日、私は河川敷のサッカー場で日に焼けて死にそうになっているカメを見つけた。急いでカメを助けようと、手で持ち上げて小走りで川辺に向かった。

その途中、小さな森を通るが、森の中には青いテントハウスがいくつかある。そこで桂さんに初めて会った。

彼はその時、私に向かって微笑みかけた。それが何を意味するか私は心得た。そして私はカメを助けた後、元の道に戻って彼に話しかけたのだった。

ただの隣人ではなく、兄弟のように仲がいい

私が再び現れたことで、桂さんの顔には驚きと喜びの表情が浮かんだように見えた。私たちはしばらく話しただけで、まるで昔から知っている友達のようになった。もしかしたら前世からの因縁だったのかもしれない。

「いつか食事と飲みに誘わせていただけますか」と尋ねると、桂さんは言った。

「お酒はとっくの昔にやめているが、隣の友人がお酒が好きなので、彼を呼んでもいいですか」

「もちろん」と私は答えた。その友人が斉藤さんだった。

彼ら2人はただの隣人ではなく、兄弟のように仲がいいのだとすぐに分かった。さもなければ、桂さんはこのような提案をしなかっただろう。

また、その年の冬が始まる前のある日、買っておいた冬用の肌着を2着持って荒川の河川敷を訪ねたときには、こんなこともあった。

最初に桂さんに会い、その肌着を手渡す。すると、すぐには受け取ってもらえず、「斉藤さんの分はありますか」と聞かれた。

「はい、1人1個ずつ」と答えると、桂さんは言った。

「それはよかった。彼もきっと喜ぶでしょう」

その時、斉藤さんは家にいなかったので、肌着は桂さんに託し、後で渡してもらうことにした。

喜びを共有するほか、彼らは風雨を、そして危険を共にする。

8月のある日、私が息子を連れて荒川へ景色を撮りに行ったときのことだ。桂さんと斉藤さんの家の近くに行き、何をしているのか覗いてみたいと思った。

斉藤さんのテントハウスの前に行くと、桂さんが眉をひそめて斉藤さんのテントのそばにしゃがんで石を縛っていた。

翌日に台風8号の接近が予想されていた。テントハウスが吹き飛ばされるのを防ぐためには、重い石でテントを安定させる必要があった。

桂さんの友人に対するこのような心配りを見て、私は粛然としたのである。台風が来て斉藤さんの安全が本当に脅かされたら、桂さんは全力を尽くして兄弟を救助するに違いないと確信した。

斉藤さんが暮らしていたのは桂さんが建ててくれたテントハウス(左)/台風が襲来する前に、桂さんが斉藤さんのテントハウスを補強作業中(右)

非対称な関係? 斉藤さんのために尽くす桂さん

桂さんは斉藤さんのために無償で作業をすることが多いが、きちんと勘定をする場合もある。

例えば、彼らに会いに行ったとき、桂さんだけがテントにいた日があった。

桂さんは言った。

「斉藤さんの自転車が昨日パンクしたので、彼は自転車を私の所に置いて、今日、私の自転車に乗って競馬場に行きました。自転車を修理しましたが、彼はまだ帰っていません」

曹操の話をすれば、曹操が到着する(日本語で言えば「噂をすれば影」)。堤防の向こうから斉藤さんが自転車でやってくるのが見えた。

斉藤さんに会い、今日の競馬の運はどうだったかと聞くと、午後4時になったら結果が分かるという。その時、彼は家に座ってビールを飲みながらラジオで放送される競馬の結果を楽しみにするのだ。

斉藤さんの独りよがりな表情を見て、桂さんは文句を言った。

「いつもお金を持って出て行き、手ぶらで帰ってくる。結局、あなたはなんのために朝早くから夜まで一所懸命に働いているのか。私には理解できない」

「この趣味だけはやめられない。今日は負けたけど、明日また仕事を頑張って稼げばいいんだよ」。斉藤さんの答えは相変わらずの調子だ。

「あなたの自転車はもう修理して、チェーンにも油をさしておいたよ」。桂さんは話題を変えた。

「ありがとう!」

斉藤さんはそう言いながらポケットから千円札を取り出し、桂さんに渡した。桂さんは何も言わずに金を受け取った。

2人のやり取りを見て、私は首をかしげた。あなたたちは兄弟分ではないのか。どうして自転車の修理代を受け取るのか。読者の皆さんも同じ疑問を持つに違いない。

私が斉藤さんだったら、チップも渡しただろう

斉藤さんが去った後、桂さんが説明してくれた。

昨日、斉藤さんは自転車で缶を売りに行って、帰る途中にタイヤがパンクした。すぐに自転車を押して自転車店に修理に行ったが、店員に修理費の見積もりは5000円だと言われたという。

斉藤さんは高いと思って、修理しないことにしたという話を桂さんにしたそうだ。そしてパンクの状態を見て、桂さんが斉藤さんに言った。

「店で修理したら5000円でしょう。私に1000円払えば、自転車を修理してあげるよ」

斉藤さんは快諾し、その結果が先ほど見た場面だった。

桂さんが金を受け取った理由は十分にあると言えるだろう。

まず、修理代は双方が事前に約束したものなので、履行されなければならない。次に、桂さんは斉藤さんが4000円を節約する手助けをし、そのために労働と時間を差し出した。しかも斉藤さんに自分の自転車を無償で貸してあげた。

私が斉藤さんだったら、きっと1000円にチップを加えただろう。

桂さんの指導のもと、斉藤さんも釣りを覚えた

ただ信頼できる友人が隣にいることの素晴らしさ

振り返れば、桂さんが斉藤さんにした最大の手助けは、3年前に彼をこのラッキーな場所に連れて来て、彼のために新しい家を建ててあげたことだ。斉藤さんはここを「天国」と呼ぶほどである。

桂さんは家を建ててあげただけでなく、川で魚を釣る方法やエビを捕まえる方法、冬の寒さや夏の暑さをどのように乗り越えるかなど、野外生活のテクニックを斉藤さんにたくさん教えた。

桂さんは斉藤さんのためにいろいろな手伝けをしているようだが、一方で、斉藤さんが桂さんのために何かしているようには見えなかった。これは桂さんが有能すぎて、人を助けるのが好きな性分だから、としか言いようがないだろう。

しかし、私は何度か、斉藤さんがボランティア団体からもらったカップラーメンなどの食料を桂さんにあげている場面は見た。桂さんが気を遣わずに受け取れるように、斉藤さんはわざわざ「私は食べ慣れていないから」と強調していた。

とはいえ、桂さんにとって、隣に斉藤さんのような信頼できる友人がいることそのものが、天の恵みのようなものなのだろう。何かあったらすぐに相談できるし、誰かと話をしたいと思ったら、声をかければ斉藤さんがすぐ来てくれる。

それだけでなく、夜中の野外では兄弟分のいびきが聞こえる。孤独なホームレス生活で寂しさを和らげ、恐怖を取り除き、安心して眠るための最高の安眠法ではないだろうか。

※ルポ第14話(12月4日公開予定)に続く

(編集協力:中川弘子)

[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。


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