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引責辞任したカンタベリー大主教のセレブで偽善的でえげつない素顔

ニューズウィーク日本版 2024年11月30日 16時23分

コリン・ジョイス
<児童性的虐待事件の隠蔽に加担したとして辞任を余儀なくされた英国国教会のカンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビーの、鼻持ちならないエスタブリッシュメントな人生を世界は知らない>

11月、英国国教会の最高位聖職者であるカンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーが、辞任を余儀なくされた。おぞましい児童性的虐待事件の隠蔽に加担したと結論付ける独立委員会の報告書を受けてのことだ。

カンタベリー大主教は、国教会の最上位の聖職者の地位であるだけに、これはイギリスでは大変なニュースになっている。

理論的には、カンタベリー大主教はイギリスで王室メンバーに次ぐ高い「身分」の人物ということになる。この職位には貴族院の議席も含まれ、さらに「道徳的権威」とも見なされる。

僕はしばらくの間、ウェルビーを嫌うという居心地の悪い立場にいた。なぜ居心地が悪いかと言うと、ウェルビーはまっとうで思いやりのある人物でまかり通っていたうえ、僕が彼を嫌うのはちょっと「ひねくれた」理由だったからだ。

彼が辞任したからといって、僕がカタルシスを感じることはない。誰も彼のこれまでのイメージを見直そうとはしていないし、不名誉な辞任を余儀なくされた公人にしては、まだまだ制裁が軽いように感じるからだ。まるで彼が、辞任するという「きちんとした行動に出た」不運な犠牲者であるかのように。

はっきりさせておきたいのは、ウェルビー自身が児童性的虐待事件に関与したわけではないということだ。だが隠蔽されていた深刻な事件を2013年に知ったとき、彼は行動を起こさなかった。

ウェルビーは、イギリスの警察や、虐待加害者が当時住んでいた南アフリカの当局に、事件の情報がきちんと提供されたかどうか確認しなかった。その結果、数年のあいだ問題は放置され、加害者の男は3カ国で100人以上の少年を虐待した罪で裁判にかけられることないまま、2018年に亡くなった。信じられないことに、それでもウェルビーは当初、辞任しないと言っていた。

一生安泰な上流階級の出身

あるいは僕の見解では、それほど信じられないことでもないのかもしれない。僕はウェルビーを、エスタブリッシュメントの顕著な例の一人だと思っている。彼が完璧な人生を歩んできたというわけではなく、ある意味守られた人生を送ってきた人物だということだ。

彼らエスタブリッシュメントの人々の上がり調子の人生が、失態によって狂わされることはあまりない。彼らの努力はいつでも、昇進や称賛や報酬で報われるようだ。

少々ひがみっぽく聞こえるのは承知のうえだが、実際僕がウェルビーにどこかしら敵対心を持っていることは否定しない。なぜなら僕にとって彼は、その生い立ちから生涯にわたって恩恵を受け続ける上流階級の子供だからだ。

彼は辞任するかもしれないが、現在68歳の彼の年齢なら、ほとんどの人は既に職を失い役立たず状態になっている。そのうえウェルビーはここに至るまで、かなり素晴らしい道を歩んできた。

例えば彼は、テムズ川沿いの(文字通りの)宮殿を住居としているが、それは大主教の職務とセット。最高の特権がいろいろ付いている貴族院の議席を彼が失うかどうかさえ明らかになっていない。

見当違いの推測かもしれないが、今後、チャールズ国王からウェルビーに送られる辞任承認の書簡が、彼の「国家への奉仕」に対する「感謝」を表すような文面になる可能性もある。「わが国教会の評判をこんなにひどくおとしめるとは......」などと国王が述べる可能性は極めて低い。

ウェルビーは、世界で最も権威ある(そして非常に高額な)イートン校の出身だ。彼の母親はチャーチル元首相の私設秘書だった。彼の父は議員に立候補した。彼の大叔父ラブ・バトラーは、戦後政治の大物で、その後、ケンブリッジ大学に31あるカレッジのうちの1つの校長を務めた――支配階級の人々にとって理想的な「リタイア後」の役職だ。

驚くべき偶然により(!)、ケンブリッジの約30のカレッジのうち、若かりし頃のウェルビーはたまたま彼の叔父が校長を務めていたカレッジに入学した。入学審査の教官は、彼を特別優遇しないよう細心の注意を払ったはずだ(!?)。

僕にとって、ウェルビーの子供時代の顕著な事実は、富と特権に尽きる。でも、われわれが聞かされてきたのは異なる話だった――ウェルビーはアルコール依存症の両親のもとで「荒れた」子供時代を過ごした、と。

それが人生においてかなりの困難であることは否定しないが、彼の生育環境は、公営団地で生まれ育った貧しい子供たちよりはるかに恵まれたものだったろう。

石油業界で成功したのに環境問題にご高説を垂れる

ケンブリッジ卒業後、彼は石油業界で成功を収め、重役になった後、「召命」を受けたとして神に仕える決心をした。ウェルビーが教会職に加わるために数十万ポンドの年収を「手放した」と言われることもある。でも既にとんでもなく裕福で、新たなキャリアでもかなりの成功を見込めそうな場合、その決断はそう難しいものではないだろう。

大主教としての彼の給料は実際、結構な金額だったし、どんな職業だって得られるものは金銭ばかりではない。大主教でいえば、亡くなった君主の国葬を執り行い、さらには新たな君主の戴冠の役目を担うことで、歴史に名を刻むことができるのだ。

僕が興味深く感じたのは、ウェルビーがかつて石油業界で働いていたのに、大主教として環境問題にたいそうな主張をすることを何らためらっていないように見えたところ。彼は気候変動対策の失敗を「ジェノサイド」に例えた。これは強い言葉であり、必ずしも不適切というわけではないが、彼はそれを言うのにふさわしい人物だったのだろうか?

同様に、彼は亡命希望者に対する英政府の厳しい政策を批判し、ひいては移民受け入れ規模を縮小したいと考える有権者たちまで遠回しに非難を向けることになった。奇妙なことに彼は、自分の一族の富が大部分はかつての奴隷貿易によって築かれたという事実のおかげで、どういうわけか人種差別主義の愚かさを声高に追及する使命を自分が与えられたとでも考えているようだ。おまけに彼の曽祖父は、英領インドの植民地行政官の関係者だった。

彼は、自分の一族の歴史を「深く悔やんでいる」と言いながらも「わが国の恥ずべき過去」について語り、まるでイギリス社会全体も責任を分かち合うべきだとでも言いたげだ。イギリス人の大多数はむしろ、奴隷所有は一部の少数派による黒人への重大犯罪であり、多数派の白人同胞たちに対して自らの一族が子孫代々まで続く優位な地位を築くための手段だった、というふうに考えている。

奴隷制という不道徳なビジネスのおかげで高い社会的地位を確立しながら、今やこの悪を「反省」し、その学びを人々に伝えることで独善に浸る――そんなふうに奴隷制によって「第2弾の」名声を得ているのは、ウェルビーだけにとどまらない。

僕はウェルビーを悪人だとは思わないが、偽善の匂いと自己認識の欠如には吐き気を覚える。エスタブリッシュメントの「典型」に見えるからだ。

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