Infoseek 楽天

韓国大統領の暴走を止めたのは、「エリート」たちの矜持だった

ニューズウィーク日本版 2024年12月10日 14時13分

木村幹
<世界を驚かせた「12.3クーデター」未遂。尹錫悦の戒厳令を現実に止め、危機から救ったのは市民のデモよりむしろ国会議員や軍人、そしてメディアの決断だったという事実>

12月3日夜。韓国の尹錫悦大統領は突如記者会見を開き、非常戒厳令の布告を宣言した。彼はその目的を、韓国を支配しようとする「従北勢力」つまりは、北朝鮮の指示に従い、大韓民国の崩壊を目論む勢力の除去にあると説明した。情報機関関係者は、与野党代表や国会議長、さらには元最高裁判所長官などに対する逮捕が要請された、と述べているから、「従北勢力」には与党の代表すら含まれていた事になる。

直後に発表された戒厳令布告には、「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動の禁止」や「すべての言論と出版を戒厳令によって管理」など、おどろおどろしい文言が連ねられた。国会は警察によって封鎖され、ヘリコプターに乗った特殊戦部隊が到着した。

北朝鮮の脅威を理由に戒厳令を布告し、政治活動を禁止し、国会を閉鎖して解除を不可能にする。有力政治家を軒並み逮捕、あるいは拘禁し、その影響力を排除する。使われた部隊が特殊戦部隊だったことと併せて、そのシナリオは全斗煥が1980年5月17日に行ったクーデターに酷似している。全斗煥はその後、新たな立法機関を立ち上げて憲法を改正し、自らを頂点とする第五共和国体制をつくり上げた。韓国現代史に照らせば、反対派が多数を占める国会を実力で黙らせる着想は李承晩政権下の52年の釜山政治波動から、実行のシナリオは80年の全斗煥のクーデターから、というところだろう。

それから44年を経た今、尹が戒厳令布告以降のシナリオをどこまでつくり上げていたかはわからない。明らかなのは、仮に軍隊や情報機関が尹の指示通りに動いていれば、戒厳令の早期解除が不可能だったことである。にもかかわらず企てが失敗したのは、国防部長官(当時)をはじめとする極めて少数の人々を除けば、誰もが真剣に大統領の指示に従わなかったからである。彼らのある者は要請を拒否し、ある者は形だけ引き受けて実行をサボタージュした。

それは今回の戒厳令布告にまつわる問題の解決が、多分に偶然の産物だったことを意味している。仮に国会に到着した部隊が、事前に慎重に選りすぐられた大統領に忠誠を誓う部隊であったならば、国会議員の議事堂侵入を阻止し、深夜に駆け付けた市民を駆逐するのは、さして難しいことではなかったからである。

15万人の前で、大統領の弾劾を否定した国会

そしてこの様な韓国の状況は、われわれが頼みとする民主主義という制度がいかに脆弱な基盤の上に成立しているかをしている。国家は強大な物理的強制力を持っており、それがいったん牙をむけば、われわれはこれに対処する手段を有していない。事態を実際に動かしたのは、市民によるデモではなく、深夜に危険を犯して国会議事堂に駆け付けた国会議員と、更には軍法会議にかけられる危険をも犯して、国軍司令官である大統領に「抗命」した軍人たちだった。つまり、今回の韓国の危機を救ったのは、これらの国家機関を構成する人々、さらには戒厳令布告にもかかわらず報道を続けたメディアを構成する「エリート」たちの矜持だったことになる。

そしてそれからわずか4日後、韓国の国会は議事堂前に詰めかけた15万人の人々の前で、自ら大統領の弾劾を否定して見せた。韓国という国家はどこに行こうとしているのか、そして市民はこれを押しとどめる術を有しているのか。民主主義そのものが問われている。



この記事の関連ニュース