グレン・カール
<世界の民主主義国で相次いでねじれ現象が起き、あたかも民主主義そのものが「黄昏」に向かっているように見える。一義的にはインフレや移民問題が原因だが、民主主義のシステムそのものに民主主義を破壊する要因は潜んでいる>
世界の主要な民主主義国が苦しんでいる。新しい冷戦の脅威、欧州や中東の戦争、貿易をめぐる対立、社会不安の増大、世界経済の停滞といった不安材料が山積しているにもかかわらず、政治的な二極化が進行して政治が機能不全に陥っているのだ。
日本では、10月の総選挙で与党が衆議院の過半数を失い、石破新首相は政権運営に苦慮している。アメリカでは11月、重罪で有罪判決を受けている人物が──「就任1日目は独裁者になる」と言っていた人物が──大統領への返り咲きを決めた。
やはり11月には、ドイツでショルツ首相の連立政権が予算をめぐる対立で崩壊し、政権は少数与党に転落。近く議会で首相に対する信任投票が行われる。12月4日には、フランスでも議会でバルニエ内閣の不信任案が可決されたばかりだ。
近年は、『民主主義の終わり方』『民主主義の黄昏(たそがれ)』『西洋リベラリズムの退潮』といった書籍が続々と出版されている。こうした民主主義の危機に関して、大半の論者が目を向けているのは、もっぱら政治的・経済的要因だ。確かに、そうした問題は政治の機能不全を生んでいる直接的な原因ではある。しかし、民主主義国を悩ませている政治的分断の根本原因は、民主主義の理念と現代社会の性格そのものにある。
個人が主体性を発揮するようになり、社会の絆が弱まる
いま世界の民主主義国で与党への逆風が強まっている理由としてよく指摘される要因の1つは、コロナ禍の影響だ。コロナ禍に伴う生産活動の停滞とサプライチェーンの混乱をきっかけに、世界中で物価が上昇している。有権者は、家計が苦しいことの責任を与党に取らせているのだ。
もう1つ指摘されている要因は、移民の増加だ。この数十年間、多くの民主主義国では移民の増加に伴う社会的・経済的問題が深刻化(日本はまだそれほどではないが)し、移民排斥を訴える極右政党の台頭も目立つ。有権者は、このような状況の責任も与党に取らせている。
しかし、民主主義国で政治の「ねじれ」状態がたびたび生まれる背景には、もっと深いレベルの要因がある。インターネットや新しいメディアが出現し、人々が異なる意見に触れず、自分と同じ考え方にばかり接するようになって、大半の人が同じ社会規範を共有することがなくなった。加えて、民主主義が進展して個人がますます主体性を発揮するようになり、社会の絆が弱まっている。こうした状況が政治の混乱と政府のねじれを生んでいる。
多様な人々が共有できる「物語」を新たに築く
西洋の民主主義は、個人を大切にし、全ての人を、そしてほぼ全ての考え方を等しく尊重することを目指す。しかし、聖職者や学者にせよ政治指導者にせよ、権威者が国民の上に立つことがなくなり、あらゆる個人が平等になれば、何が真実かは個人の意見によって決まるようになりかねない。全ての人が一致できる真実や大義は、存在しなくなったように見える。
これまでは、それぞれの国で国民を統合する「物語」が存在し、それが社会の一体感をつくり出し、国民に社会への帰属意識を持たせていた。しかし、そのような「物語」が社会を束ねる力は弱まっている。
皮肉なことに、西洋民主主義思想の究極の目標が達成されて、個人が社会の中心に、そして社会で最も優先される存在になったことにより、人々は混乱し、政治への不満を募らせているのかもしれない。ねじれの政治が当たり前になり、ファシズムのような政治思想に引き寄せられる人が増加している理由もそこにあるのだろう。
この問題を解決するために必要なのは、社会で生きる多様な人々が共有できる「物語」を新たに築くことなのかもしれない。人々を一つにするのは共通の夢なのだ。
<世界の民主主義国で相次いでねじれ現象が起き、あたかも民主主義そのものが「黄昏」に向かっているように見える。一義的にはインフレや移民問題が原因だが、民主主義のシステムそのものに民主主義を破壊する要因は潜んでいる>
世界の主要な民主主義国が苦しんでいる。新しい冷戦の脅威、欧州や中東の戦争、貿易をめぐる対立、社会不安の増大、世界経済の停滞といった不安材料が山積しているにもかかわらず、政治的な二極化が進行して政治が機能不全に陥っているのだ。
日本では、10月の総選挙で与党が衆議院の過半数を失い、石破新首相は政権運営に苦慮している。アメリカでは11月、重罪で有罪判決を受けている人物が──「就任1日目は独裁者になる」と言っていた人物が──大統領への返り咲きを決めた。
やはり11月には、ドイツでショルツ首相の連立政権が予算をめぐる対立で崩壊し、政権は少数与党に転落。近く議会で首相に対する信任投票が行われる。12月4日には、フランスでも議会でバルニエ内閣の不信任案が可決されたばかりだ。
近年は、『民主主義の終わり方』『民主主義の黄昏(たそがれ)』『西洋リベラリズムの退潮』といった書籍が続々と出版されている。こうした民主主義の危機に関して、大半の論者が目を向けているのは、もっぱら政治的・経済的要因だ。確かに、そうした問題は政治の機能不全を生んでいる直接的な原因ではある。しかし、民主主義国を悩ませている政治的分断の根本原因は、民主主義の理念と現代社会の性格そのものにある。
個人が主体性を発揮するようになり、社会の絆が弱まる
いま世界の民主主義国で与党への逆風が強まっている理由としてよく指摘される要因の1つは、コロナ禍の影響だ。コロナ禍に伴う生産活動の停滞とサプライチェーンの混乱をきっかけに、世界中で物価が上昇している。有権者は、家計が苦しいことの責任を与党に取らせているのだ。
もう1つ指摘されている要因は、移民の増加だ。この数十年間、多くの民主主義国では移民の増加に伴う社会的・経済的問題が深刻化(日本はまだそれほどではないが)し、移民排斥を訴える極右政党の台頭も目立つ。有権者は、このような状況の責任も与党に取らせている。
しかし、民主主義国で政治の「ねじれ」状態がたびたび生まれる背景には、もっと深いレベルの要因がある。インターネットや新しいメディアが出現し、人々が異なる意見に触れず、自分と同じ考え方にばかり接するようになって、大半の人が同じ社会規範を共有することがなくなった。加えて、民主主義が進展して個人がますます主体性を発揮するようになり、社会の絆が弱まっている。こうした状況が政治の混乱と政府のねじれを生んでいる。
多様な人々が共有できる「物語」を新たに築く
西洋の民主主義は、個人を大切にし、全ての人を、そしてほぼ全ての考え方を等しく尊重することを目指す。しかし、聖職者や学者にせよ政治指導者にせよ、権威者が国民の上に立つことがなくなり、あらゆる個人が平等になれば、何が真実かは個人の意見によって決まるようになりかねない。全ての人が一致できる真実や大義は、存在しなくなったように見える。
これまでは、それぞれの国で国民を統合する「物語」が存在し、それが社会の一体感をつくり出し、国民に社会への帰属意識を持たせていた。しかし、そのような「物語」が社会を束ねる力は弱まっている。
皮肉なことに、西洋民主主義思想の究極の目標が達成されて、個人が社会の中心に、そして社会で最も優先される存在になったことにより、人々は混乱し、政治への不満を募らせているのかもしれない。ねじれの政治が当たり前になり、ファシズムのような政治思想に引き寄せられる人が増加している理由もそこにあるのだろう。
この問題を解決するために必要なのは、社会で生きる多様な人々が共有できる「物語」を新たに築くことなのかもしれない。人々を一つにするのは共通の夢なのだ。