コリン・ジョイス
<歴史的出来事の前と後では、見えていた常識がガラリと変わる。アサド政権の残虐行為の中でも忘れてはいけない事件とは>
歴史がどのように展開するかは興味深い。シリアの残忍なアサド政権の崩壊は、物事がいかに迅速かつ予想外に変化し得るかを示す例だ。シリア内戦はここ10年の間、ほとんど主要ニュースに上がることもなかった。
これまでは、一般的な見解では、ロシアが空爆という形で参戦したことで戦況はアサド政権に有利となり、アサドの手下たちは反政府勢力を拷問し、毒ガス攻撃して服従させてきた、とされてきた。悪者が勝利したのだ、と。
だが、反政府勢力が驚異的な軍事攻勢をかけて勝利してからというもの、違った話が聞こえてきている。
ロシアはウクライナで行き詰まっていたし、アサド政権はロシアの支援なしにはどうしようもなかった......。アサド政権は抑圧しか手段がなく、国民の支持という基盤がないため常に脆弱だった......。ハマスのイスラエル攻撃以来、中東全体の状況が変わり、イランとヒズボラがイスラエルからの攻撃を受けたことで、重要な局面でアサド支援ができなくなった......。
僕が言いたいのは、同じ状況が「前」と「後」ではいかに違って見えるかということだ。もちろん、これは良くも悪くも、人々が全く予期していない時に起こり得るということを気付かせてくれるに違いないし、後になってみれば人々は「兆候は常にあった」と言うことになるだろう。
プーチン政権だって安泰とはいえない
当然ながら、僕たちは物事がある方向に進むことを望むことだってできる。
ロシアのプーチン政権は安定しているように見えるが、彼が愛されているとは考えにくいし、ウクライナ戦争の壊滅的な失敗と誤算によって彼の威信に傷がついていないとは考えられない。
プーチン政権は暴力と検閲によって支えられたものであり、良い統治で正当性を得るのではなく愛国心を鼓舞して人々を動かす政権であり、「所詮すべてはこんなもの、逆らうことは無意味」とばかりの白々しい前提に基づいた広範な「黙認」に依存した政権だ。
いつか状況が変わるだろうと人々が夢見るのも当然のことだと思うし、どうしてそんな手法だけで独裁をいつまでも維持できるなどと考えていたのか疑問に思うようになるのも無理はないだろう。
でも、そんなふうに考えるにしても、改革を遂げたロシアが正義をまっとうするために誰であれ自国民を引き渡すだろうとは想像できない。
ウクライナの子供たちの誘拐を指揮した者、ロンドンで放射性物質を用いて元ロシアスパイのアレクサンドル・リトビネンコを毒殺した暗殺者、神経剤で元スパイのセルゲイ・スクリパリらの一家毒殺未遂事件を起こし女性1人を死亡させた殺人犯。
とはいえ、もしかしたら、アサド一家はもはやモスクワで贅沢な日々を過ごすことを歓迎されないかもしれない。未来のロシアが専制政治から脱却した場合、外国のリタイア専制君主のすみかになることを望まないかもしれない。
アサド政権による数多くの残虐行為の中で、特に思い出してもらいたいものがある。ジャーナリストのマリー・コルビンの殺害だ。彼女はアメリカ人だったが、英サンデー・タイムズ紙で25年にわたり数々の紛争を取材し、イギリスのジャーナリストの象徴的な存在だった。
戦争特派員は普通の人々とは「別の生き物」だとよく言われる。簡単に言えば、僕たちのほとんどは、交戦地帯に踏み込む勇気はない。
コルビンとその仲間は、負傷や死の危険を冒すだけでない。戦場にいることはメンタルにも悪影響を及ぼす。職務のために、彼らは深いトラウマを残すような場面や話を積極的に探し回る。
コルビンは勇敢さで群を抜いていた。彼女は2001年、スリランカ内戦の取材中に片目を失った。それでも彼女はひるまなかった。以後、コルビンは眼帯を付けて活動するようになり、その姿により欧米メディアでも一目で分かる存在になった。
巻き添えではなく意図的な殺害
彼女はまた、英語圏のテレビニュースチャンネル向けに、しばしば他のジャーナリストが行けない、または行こうとしない場所から報道を行った。その意味で、ジャーナリストたちにとって彼女は単なる「同業者の一人」ではなく、時に全てのジャーナリストを代表する存在だった。
コルビンの生涯を描いた『プライベート・ウォー』という映画がある。これを見れば彼女の勇気や献身、トラウマを感じ取ることができるだろう。ニューヨークで活躍する日本人イラストレーターの清水裕子も、コルビンの死後に印象的な肖像画を描いた。
この投稿をInstagramで見る Yuko Shimizu(@yukoart)がシェアした投稿
強調しておかなければならないことが1つある。コルビンはアサド政権によって殺害されたのだ。
2012年のホムス包囲戦の真実を探ろうとしている者を標的にした暗殺だった。彼女は「集中砲火に巻き込まれた」わけでも、荒くれ者の兵士が自分の意思で殺害したわけでもない。政権は衛星電話の通話を追跡して彼女の居場所を突き止め、建物を粉々にした。
それによって56歳だったコルビンと、28歳のフランス人フォトジャーナリストのレミ・オシュリクが死亡した。ひょっとするといつの日か、彼らを殺害した罪で誰かが裁かれることになるかもしれない。少なくとも、彼らの命が散ったその場所に、銅像や銘板が立つようになることを願う。
<歴史的出来事の前と後では、見えていた常識がガラリと変わる。アサド政権の残虐行為の中でも忘れてはいけない事件とは>
歴史がどのように展開するかは興味深い。シリアの残忍なアサド政権の崩壊は、物事がいかに迅速かつ予想外に変化し得るかを示す例だ。シリア内戦はここ10年の間、ほとんど主要ニュースに上がることもなかった。
これまでは、一般的な見解では、ロシアが空爆という形で参戦したことで戦況はアサド政権に有利となり、アサドの手下たちは反政府勢力を拷問し、毒ガス攻撃して服従させてきた、とされてきた。悪者が勝利したのだ、と。
だが、反政府勢力が驚異的な軍事攻勢をかけて勝利してからというもの、違った話が聞こえてきている。
ロシアはウクライナで行き詰まっていたし、アサド政権はロシアの支援なしにはどうしようもなかった......。アサド政権は抑圧しか手段がなく、国民の支持という基盤がないため常に脆弱だった......。ハマスのイスラエル攻撃以来、中東全体の状況が変わり、イランとヒズボラがイスラエルからの攻撃を受けたことで、重要な局面でアサド支援ができなくなった......。
僕が言いたいのは、同じ状況が「前」と「後」ではいかに違って見えるかということだ。もちろん、これは良くも悪くも、人々が全く予期していない時に起こり得るということを気付かせてくれるに違いないし、後になってみれば人々は「兆候は常にあった」と言うことになるだろう。
プーチン政権だって安泰とはいえない
当然ながら、僕たちは物事がある方向に進むことを望むことだってできる。
ロシアのプーチン政権は安定しているように見えるが、彼が愛されているとは考えにくいし、ウクライナ戦争の壊滅的な失敗と誤算によって彼の威信に傷がついていないとは考えられない。
プーチン政権は暴力と検閲によって支えられたものであり、良い統治で正当性を得るのではなく愛国心を鼓舞して人々を動かす政権であり、「所詮すべてはこんなもの、逆らうことは無意味」とばかりの白々しい前提に基づいた広範な「黙認」に依存した政権だ。
いつか状況が変わるだろうと人々が夢見るのも当然のことだと思うし、どうしてそんな手法だけで独裁をいつまでも維持できるなどと考えていたのか疑問に思うようになるのも無理はないだろう。
でも、そんなふうに考えるにしても、改革を遂げたロシアが正義をまっとうするために誰であれ自国民を引き渡すだろうとは想像できない。
ウクライナの子供たちの誘拐を指揮した者、ロンドンで放射性物質を用いて元ロシアスパイのアレクサンドル・リトビネンコを毒殺した暗殺者、神経剤で元スパイのセルゲイ・スクリパリらの一家毒殺未遂事件を起こし女性1人を死亡させた殺人犯。
とはいえ、もしかしたら、アサド一家はもはやモスクワで贅沢な日々を過ごすことを歓迎されないかもしれない。未来のロシアが専制政治から脱却した場合、外国のリタイア専制君主のすみかになることを望まないかもしれない。
アサド政権による数多くの残虐行為の中で、特に思い出してもらいたいものがある。ジャーナリストのマリー・コルビンの殺害だ。彼女はアメリカ人だったが、英サンデー・タイムズ紙で25年にわたり数々の紛争を取材し、イギリスのジャーナリストの象徴的な存在だった。
戦争特派員は普通の人々とは「別の生き物」だとよく言われる。簡単に言えば、僕たちのほとんどは、交戦地帯に踏み込む勇気はない。
コルビンとその仲間は、負傷や死の危険を冒すだけでない。戦場にいることはメンタルにも悪影響を及ぼす。職務のために、彼らは深いトラウマを残すような場面や話を積極的に探し回る。
コルビンは勇敢さで群を抜いていた。彼女は2001年、スリランカ内戦の取材中に片目を失った。それでも彼女はひるまなかった。以後、コルビンは眼帯を付けて活動するようになり、その姿により欧米メディアでも一目で分かる存在になった。
巻き添えではなく意図的な殺害
彼女はまた、英語圏のテレビニュースチャンネル向けに、しばしば他のジャーナリストが行けない、または行こうとしない場所から報道を行った。その意味で、ジャーナリストたちにとって彼女は単なる「同業者の一人」ではなく、時に全てのジャーナリストを代表する存在だった。
コルビンの生涯を描いた『プライベート・ウォー』という映画がある。これを見れば彼女の勇気や献身、トラウマを感じ取ることができるだろう。ニューヨークで活躍する日本人イラストレーターの清水裕子も、コルビンの死後に印象的な肖像画を描いた。
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強調しておかなければならないことが1つある。コルビンはアサド政権によって殺害されたのだ。
2012年のホムス包囲戦の真実を探ろうとしている者を標的にした暗殺だった。彼女は「集中砲火に巻き込まれた」わけでも、荒くれ者の兵士が自分の意思で殺害したわけでもない。政権は衛星電話の通話を追跡して彼女の居場所を突き止め、建物を粉々にした。
それによって56歳だったコルビンと、28歳のフランス人フォトジャーナリストのレミ・オシュリクが死亡した。ひょっとするといつの日か、彼らを殺害した罪で誰かが裁かれることになるかもしれない。少なくとも、彼らの命が散ったその場所に、銅像や銘板が立つようになることを願う。