ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<角刈りコワモテの元朝日新聞警視庁キャップは、63歳で短大保育学科に入学した>
地下鉄サリン事件をはじめ、誘拐、殺人、暴力団抗争などを取材し、伝説の事件記者として知られる緒方健二氏。39年の記者人生を思うところあって卒業し、2022年4月、私立東筑紫短期大学の保育学科に入学した。
ピアノが弾けない、読み聞かせれば講談調、童謡はムード歌謡に......。天職だった事件取材の現場を離れ、全く違う道を選んだのはなぜだったのか? 10代後半の同級生と切磋琢磨で学業に励んだ日々を『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)にまとめた。
※全3回の第1回(続きは19日、20日に公開します)
◇ ◇ ◇
火打石と火打金代わりに百円ライターをカッチカチ
2022年4月5日の朝は快晴でした。春にしては強い日差しが目に染みます。新聞記者時代からの「戦闘服」たる黒スーツに漆黒のネクタイを締め、出立(しゅったつ)の支度にとりかかります。
ネクタイは、送別会を催してくれた新聞社の後輩たちから頂戴しました。ひそかに敬慕するプロアイススケーター、羽生結弦さんもショーで時折着用しています。節目の大勝負に欠かせません。白ワイシャツのボタンは最上段まで留めました。気合いの表明であるだけでなく、たるんだ首のしわを隠す効能もあります。
ハンカチよし、携帯灰皿よし、財布よし。腰痛緩和ベルトよし。
持ち物確認もおさおさ怠りなし。
4月5日は、プロ野球のスーパースター、巨人の長嶋茂雄さんが公式戦デビューした日でもあります。当方の生まれた1958年のことでした。国鉄(現ヤクルト)の大エース、金田正一投手から4打席連続三振をくらいました。
長嶋さんに憧れて野球を始めた当時の幼稚園児の新たな門出です。愛用のバットで素振りをくれ、邪気を払います。見送りなんていりません。清めの切り火があればいい。火打石と火打金代わりに百円ライターをカッチカチ、よし、行って来るぜ。
きょうは短期大学の入学式です。久々の学生生活の初日に遅刻は許されません。タクシーを奮発し、意気揚々と会場に向かいます。
道中、サイレンを鳴らして緊急走行するパトカーとすれ違いました。常ならば事件記者の哀しい性で、Uターンしてパトカーを追いかけるところ、本日はじっとこらえました。
右ポケットにセブンスター
式開始の1時間前に着きました。タクシーの勘定を済ませると、運転手さんが「いってらっしゃい、せんせい」と声を掛けてくださいました。いえ、いや、やはりそう見えますよね。
桜が咲き誇り、風光るキャンパスをぶらつくと、そこかしこに着慣れぬスーツ姿の若者たちがいました。みなさんマスクをしていて、表情が読み取れません。目の動きから気持ちを察する訓練を積んできました。緊張が伝わってきます。
おめかしをした保護者がにこやかにわが子を見守り、晴れ姿を撮影しています。慈しんで育てたお子さんのため、決して安くはない入学金や授業料を工面なさったに相違ありません。これからの2年間を楽しく、事故なく謳歌して。そう心底から願っていることでしょう。ご安心めされよ、万が一お子さんが危難に遭遇した折には、及ばずながら当方が救いの手を差し延べて進ぜますとも。
こんなに晴れやかで、希望に満ちた場に身を置くのは、約半世紀前の大学入学以来です。当時は入学式に親がついてくるなんて考えもしませんでした。もし参加を望んでも断っていたでしょう。しかし、世は少子化。子どもの晴れ姿は余さずに見届けたいのでしょう。
穏やかな心持ちになったところで一服したくなりました。喫煙所を探すも学内は無情にも全面禁煙です。当方が学生時代は、講義中の教室でも吸えたのになあ。隔世の感があります。やむなく近くのコンビニエンスストアへ。
40年以上苦楽を共にしているセブンスター、きょうも変わらずにうまい。でも子どもや妊婦さんをはじめ人さまがいるところでは絶対に吸いません。20歳未満の同級生にも喫煙は「ダメ、絶対」と言わなければ。
立て続けに2本ふかしながら、大人の務めを果たすことを誓いました。午前9時半すぎ、会場の講堂へ。
事件記者、入学式会場へ
それまで当方を保護者か教職員とみなし、安らかに見守ってくださっていた人たちの視線が一転、にわかに訝(いぶか)しむそれに変わりました。
無理もありません。フレッシュマンにほど遠い風体のおっさんが、野獣のごとき険しい目付きで周囲を睥睨(へいげい)しつつ、肩で風切りながら新入生の席に向かってずんずんと歩を進めるのですから。警備員さんに制止されなかったのが不思議です。
全身に突き刺さる視線シャワーを浴びていたら、記者時代の取材体験を思い起こしました。
「何しに来たんや、ワレ、おう?」
ある事件への関与疑惑を問いただすため、某所へ出向いたときでした。標的のそのお方は、大きな机の上に両足を揃えてでんと乗せている。こちらをねめつけながら詰問なさる。当方は動じていない風を装って来意を告げ、ソファに浅く腰掛けました。
どんなやり取りをしたか。詳しくは申し上げられませんが、相手はこちらが持っている情報を探りつつも一貫して関与を否定します。一問一答は後にメモ起こしをしたものの、大半は記憶の彼方です。
でも先端が鋭く尖り、ぴかぴかに磨き上げた白いお靴が目の前で小刻みに揺れていた様子はいまも忘れられません。そのお方との面会前、別室で配下と思われるごつい男性に「隠しマイクとか仕込んでないやろな、おう?」と、全身をまさぐられたのも震える思い出です。
それに比べれば、講堂に集う善男善女のみなさまが当方に向ける眼差しなんぞ恐るるに足りません。
「ご疑問あらばどうぞ遠慮なくご誰何あれ、おう?」
◇ ◇ ◇
著者本人が朗読してみた!|『事件記者、保育士になる』緒方健二著/YouTube
緒方健二(おがた・けんじ)
1958年大分県生まれ。同志社大学文学部卒業、1982年毎日新聞社入社。1988年朝日新聞社入社。西部本社社会部で福岡県警捜査2課(贈収賄、詐欺)・捜査4課(暴力団)担当、東京本社社会部で警視庁警備・公安(過激派、右翼、外事事件、テロ)担当、捜査1課(殺人、誘拐、ハイジャック、立てこもりなど)担当。捜査1課担当時代に地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件、警察庁長官銃撃事件を取材。国税担当の後、警視庁サブキャップ、キャップ(社会部次長)5年、事件担当デスク、警察・事件担当編集委員10年、前橋総局長、組織暴力専門記者。
2021年朝日新聞社退社。2022年4月短期大学保育学科入学、2024年3月卒業。保育士資格、幼稚園教諭免許、こども音楽療育士資格を取得。得意な手遊び歌は「はじまるよ」、好きな童謡は「蛙の夜まわり」、「あめふりくまのこ」。愛唱する子守歌は「浪曲子守唄」。
朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、取材と執筆、講演活動を続けています。「子どもの最善の利益」実現のために何ができるかを模索中です。
『事件記者、保育士になる』
緒方健二[著]
CCCメディアハウス[刊]
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<角刈りコワモテの元朝日新聞警視庁キャップは、63歳で短大保育学科に入学した>
地下鉄サリン事件をはじめ、誘拐、殺人、暴力団抗争などを取材し、伝説の事件記者として知られる緒方健二氏。39年の記者人生を思うところあって卒業し、2022年4月、私立東筑紫短期大学の保育学科に入学した。
ピアノが弾けない、読み聞かせれば講談調、童謡はムード歌謡に......。天職だった事件取材の現場を離れ、全く違う道を選んだのはなぜだったのか? 10代後半の同級生と切磋琢磨で学業に励んだ日々を『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)にまとめた。
※全3回の第1回(続きは19日、20日に公開します)
◇ ◇ ◇
火打石と火打金代わりに百円ライターをカッチカチ
2022年4月5日の朝は快晴でした。春にしては強い日差しが目に染みます。新聞記者時代からの「戦闘服」たる黒スーツに漆黒のネクタイを締め、出立(しゅったつ)の支度にとりかかります。
ネクタイは、送別会を催してくれた新聞社の後輩たちから頂戴しました。ひそかに敬慕するプロアイススケーター、羽生結弦さんもショーで時折着用しています。節目の大勝負に欠かせません。白ワイシャツのボタンは最上段まで留めました。気合いの表明であるだけでなく、たるんだ首のしわを隠す効能もあります。
ハンカチよし、携帯灰皿よし、財布よし。腰痛緩和ベルトよし。
持ち物確認もおさおさ怠りなし。
4月5日は、プロ野球のスーパースター、巨人の長嶋茂雄さんが公式戦デビューした日でもあります。当方の生まれた1958年のことでした。国鉄(現ヤクルト)の大エース、金田正一投手から4打席連続三振をくらいました。
長嶋さんに憧れて野球を始めた当時の幼稚園児の新たな門出です。愛用のバットで素振りをくれ、邪気を払います。見送りなんていりません。清めの切り火があればいい。火打石と火打金代わりに百円ライターをカッチカチ、よし、行って来るぜ。
きょうは短期大学の入学式です。久々の学生生活の初日に遅刻は許されません。タクシーを奮発し、意気揚々と会場に向かいます。
道中、サイレンを鳴らして緊急走行するパトカーとすれ違いました。常ならば事件記者の哀しい性で、Uターンしてパトカーを追いかけるところ、本日はじっとこらえました。
右ポケットにセブンスター
式開始の1時間前に着きました。タクシーの勘定を済ませると、運転手さんが「いってらっしゃい、せんせい」と声を掛けてくださいました。いえ、いや、やはりそう見えますよね。
桜が咲き誇り、風光るキャンパスをぶらつくと、そこかしこに着慣れぬスーツ姿の若者たちがいました。みなさんマスクをしていて、表情が読み取れません。目の動きから気持ちを察する訓練を積んできました。緊張が伝わってきます。
おめかしをした保護者がにこやかにわが子を見守り、晴れ姿を撮影しています。慈しんで育てたお子さんのため、決して安くはない入学金や授業料を工面なさったに相違ありません。これからの2年間を楽しく、事故なく謳歌して。そう心底から願っていることでしょう。ご安心めされよ、万が一お子さんが危難に遭遇した折には、及ばずながら当方が救いの手を差し延べて進ぜますとも。
こんなに晴れやかで、希望に満ちた場に身を置くのは、約半世紀前の大学入学以来です。当時は入学式に親がついてくるなんて考えもしませんでした。もし参加を望んでも断っていたでしょう。しかし、世は少子化。子どもの晴れ姿は余さずに見届けたいのでしょう。
穏やかな心持ちになったところで一服したくなりました。喫煙所を探すも学内は無情にも全面禁煙です。当方が学生時代は、講義中の教室でも吸えたのになあ。隔世の感があります。やむなく近くのコンビニエンスストアへ。
40年以上苦楽を共にしているセブンスター、きょうも変わらずにうまい。でも子どもや妊婦さんをはじめ人さまがいるところでは絶対に吸いません。20歳未満の同級生にも喫煙は「ダメ、絶対」と言わなければ。
立て続けに2本ふかしながら、大人の務めを果たすことを誓いました。午前9時半すぎ、会場の講堂へ。
事件記者、入学式会場へ
それまで当方を保護者か教職員とみなし、安らかに見守ってくださっていた人たちの視線が一転、にわかに訝(いぶか)しむそれに変わりました。
無理もありません。フレッシュマンにほど遠い風体のおっさんが、野獣のごとき険しい目付きで周囲を睥睨(へいげい)しつつ、肩で風切りながら新入生の席に向かってずんずんと歩を進めるのですから。警備員さんに制止されなかったのが不思議です。
全身に突き刺さる視線シャワーを浴びていたら、記者時代の取材体験を思い起こしました。
「何しに来たんや、ワレ、おう?」
ある事件への関与疑惑を問いただすため、某所へ出向いたときでした。標的のそのお方は、大きな机の上に両足を揃えてでんと乗せている。こちらをねめつけながら詰問なさる。当方は動じていない風を装って来意を告げ、ソファに浅く腰掛けました。
どんなやり取りをしたか。詳しくは申し上げられませんが、相手はこちらが持っている情報を探りつつも一貫して関与を否定します。一問一答は後にメモ起こしをしたものの、大半は記憶の彼方です。
でも先端が鋭く尖り、ぴかぴかに磨き上げた白いお靴が目の前で小刻みに揺れていた様子はいまも忘れられません。そのお方との面会前、別室で配下と思われるごつい男性に「隠しマイクとか仕込んでないやろな、おう?」と、全身をまさぐられたのも震える思い出です。
それに比べれば、講堂に集う善男善女のみなさまが当方に向ける眼差しなんぞ恐るるに足りません。
「ご疑問あらばどうぞ遠慮なくご誰何あれ、おう?」
◇ ◇ ◇
著者本人が朗読してみた!|『事件記者、保育士になる』緒方健二著/YouTube
緒方健二(おがた・けんじ)
1958年大分県生まれ。同志社大学文学部卒業、1982年毎日新聞社入社。1988年朝日新聞社入社。西部本社社会部で福岡県警捜査2課(贈収賄、詐欺)・捜査4課(暴力団)担当、東京本社社会部で警視庁警備・公安(過激派、右翼、外事事件、テロ)担当、捜査1課(殺人、誘拐、ハイジャック、立てこもりなど)担当。捜査1課担当時代に地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件、警察庁長官銃撃事件を取材。国税担当の後、警視庁サブキャップ、キャップ(社会部次長)5年、事件担当デスク、警察・事件担当編集委員10年、前橋総局長、組織暴力専門記者。
2021年朝日新聞社退社。2022年4月短期大学保育学科入学、2024年3月卒業。保育士資格、幼稚園教諭免許、こども音楽療育士資格を取得。得意な手遊び歌は「はじまるよ」、好きな童謡は「蛙の夜まわり」、「あめふりくまのこ」。愛唱する子守歌は「浪曲子守唄」。
朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、取材と執筆、講演活動を続けています。「子どもの最善の利益」実現のために何ができるかを模索中です。
『事件記者、保育士になる』
緒方健二[著]
CCCメディアハウス[刊]
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