ブレンダン・コール
<国としてのシリアはロシアに負債を負っていたにもかかわらず、だ>
シリアのバッシャール・アサド大統領はダマスカスが陥落して失脚する5年以上前に、2億5000万ドル(現在のレートで約385億円)の資金をロシアに空輸していたことが報道で明らかになった。
フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は、アサド政権が2018〜2019年にかけて、2トンの紙幣をモスクワに空輸していたことを示す記録を発見した。
シリアの長年の同盟国だったロシアは、シリア領土内に相当量の軍事資産を保有してきた。その1つが、地中海に面したシリアの都市タルトゥースにある海軍補給施設で、ロシア政府はアサド大統領の追放後も、こうした資産を何とか確保したいと望んでいる。
2011から続いたシリア内戦の期間中、アサドは政権維持のためにロシアのウラジーミル・プーチン大統領を頼った。2015年と2016年には、反政府勢力の拠点だったアレッポをロシア軍が空爆し、アサド政権が救われたこともある。
しかしアサドは12月、シャーム解放機構(HTS)率いる反政府軍によって、突然、権力の座を追われることになった。
アサド政権については以前から、内戦の資金を調達するためにシリア国民の富を略奪する犯罪行為に手を染めていると言われてきた。
FTの報道によると、シリアの中央銀行がロシアに2億5000万ドルを空輸した時期は、アサドはロシアに負債があった時期で、シリアでは外貨が大幅に不足していたという。
貿易データを専門とするアメリカ企業インポート・ジーニアスから得られたロシアの貿易データでは、2019年5月13日、100ドル札で1000万ドルを運ぶ飛行機が、モスクワのヴヌーコヴォ国際空港に着陸したことが示されている。
2018年3月から2019年9月の間に、合計で21回のフライトで、申告額にして2億5000万ドル以上が運ばれたとFTは報じている。2018年以前には、こうした現金輸送の記録はなかったと、同紙は付け加えた。
アサドは12月16日、ロシアに亡命後初めて公の場で声明を発表し、ロシアが自身を避難させるまで、反政府軍と戦う計画を立てていたと主張した。
この声明の中でアサドは、首都ダマスカス陥落から1日後の12月8日に、シリアを脱出してロシアに向かったことを認めたが、辞任については「いかなる時点でも」考えていなかったと付け加えた。
アメリカ国務省近東局で次官補を務めた経験を持つデイビッド・シェンカーはFTに、「アサドが人生の最後に贅沢な生活を続けるためには、資金を海外に送る必要があった」と語った。
シリア法的発展プログラム(SLDP)の上席研究員イヤド・ハミドはFTに対し、「ロシアは長年にわたり、アサドの資金の避難先となっていた」と述べた。
アサドとその家族は、一家が相当数の不動産を所有するロシアに滞在していると伝わる。
アサド家の人々が、同じくロシアの首都モスクワに逃れたウクライナの独裁者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元大統領のように、逃亡先で静かな生活に落ち着くのかどうかについては臆測が出回っている。
今後は、アサド政権の人権侵害について、法の裁きを求める動きが起きるだろう。
かつてシエラレオネ特別法廷(1996年以降のシエラレオネ内戦で行われた戦争犯罪を裁くため、国連との合意をもとに設けられた法廷)で主任検察官を務めたデイビッド・クレーンは、法律専門誌「ザ・ジュリスト」に投稿した論説記事で、「シリア国民の強い怒りに応え、正義の原則を堅持する、信頼に足る責任追及の仕組みを作成すること」が課題だと指摘している。
(翻訳:ガリレオ)
<国としてのシリアはロシアに負債を負っていたにもかかわらず、だ>
シリアのバッシャール・アサド大統領はダマスカスが陥落して失脚する5年以上前に、2億5000万ドル(現在のレートで約385億円)の資金をロシアに空輸していたことが報道で明らかになった。
フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は、アサド政権が2018〜2019年にかけて、2トンの紙幣をモスクワに空輸していたことを示す記録を発見した。
シリアの長年の同盟国だったロシアは、シリア領土内に相当量の軍事資産を保有してきた。その1つが、地中海に面したシリアの都市タルトゥースにある海軍補給施設で、ロシア政府はアサド大統領の追放後も、こうした資産を何とか確保したいと望んでいる。
2011から続いたシリア内戦の期間中、アサドは政権維持のためにロシアのウラジーミル・プーチン大統領を頼った。2015年と2016年には、反政府勢力の拠点だったアレッポをロシア軍が空爆し、アサド政権が救われたこともある。
しかしアサドは12月、シャーム解放機構(HTS)率いる反政府軍によって、突然、権力の座を追われることになった。
アサド政権については以前から、内戦の資金を調達するためにシリア国民の富を略奪する犯罪行為に手を染めていると言われてきた。
FTの報道によると、シリアの中央銀行がロシアに2億5000万ドルを空輸した時期は、アサドはロシアに負債があった時期で、シリアでは外貨が大幅に不足していたという。
貿易データを専門とするアメリカ企業インポート・ジーニアスから得られたロシアの貿易データでは、2019年5月13日、100ドル札で1000万ドルを運ぶ飛行機が、モスクワのヴヌーコヴォ国際空港に着陸したことが示されている。
2018年3月から2019年9月の間に、合計で21回のフライトで、申告額にして2億5000万ドル以上が運ばれたとFTは報じている。2018年以前には、こうした現金輸送の記録はなかったと、同紙は付け加えた。
アサドは12月16日、ロシアに亡命後初めて公の場で声明を発表し、ロシアが自身を避難させるまで、反政府軍と戦う計画を立てていたと主張した。
この声明の中でアサドは、首都ダマスカス陥落から1日後の12月8日に、シリアを脱出してロシアに向かったことを認めたが、辞任については「いかなる時点でも」考えていなかったと付け加えた。
アメリカ国務省近東局で次官補を務めた経験を持つデイビッド・シェンカーはFTに、「アサドが人生の最後に贅沢な生活を続けるためには、資金を海外に送る必要があった」と語った。
シリア法的発展プログラム(SLDP)の上席研究員イヤド・ハミドはFTに対し、「ロシアは長年にわたり、アサドの資金の避難先となっていた」と述べた。
アサドとその家族は、一家が相当数の不動産を所有するロシアに滞在していると伝わる。
アサド家の人々が、同じくロシアの首都モスクワに逃れたウクライナの独裁者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元大統領のように、逃亡先で静かな生活に落ち着くのかどうかについては臆測が出回っている。
今後は、アサド政権の人権侵害について、法の裁きを求める動きが起きるだろう。
かつてシエラレオネ特別法廷(1996年以降のシエラレオネ内戦で行われた戦争犯罪を裁くため、国連との合意をもとに設けられた法廷)で主任検察官を務めたデイビッド・クレーンは、法律専門誌「ザ・ジュリスト」に投稿した論説記事で、「シリア国民の強い怒りに応え、正義の原則を堅持する、信頼に足る責任追及の仕組みを作成すること」が課題だと指摘している。
(翻訳:ガリレオ)