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フランス政変の行方――盟友バイルー新首相が導くマクロン政権の終焉の始まり

ニューズウィーク日本版 2024年12月19日 12時8分

山田文比古(名古屋外国語大学名誉教授)
<フランスでは少数与党連立政権のバルニエ内閣が、議会から不信任を突き付けられて総辞職。マクロン大統領は、代わりに中道派の盟友、バイルー民主運動党首を新首相に任命した>

ことの発端は、年末の予算審議における議会と政府の対立にある。

そもそも、6月の議会解散とそれに続く総選挙の結果、新議会ではマクロン大統領支持派の中道連合は少数与党にとどまり、右派(共和党)のバルニエ元EU欧州委員会委員を首相に迎えて、ようやく中道派と右派の連立政権が成立していたが、それでも議会で絶対多数には至らず、少数与党にとどまっていた。



そうした中で、来年度予算案の議会審議が野党の反対で紛糾し、年内成立の目途が立たなくなったことから、バルニエ内閣は、予算案を強行採決する方針を固め、憲法上認められた内閣の強権的立法権限(予算案や法案の採決と内閣不信任決議をセットにして、後者が可決されなかったら前者は可決されたとみなすという、フランス第五共和制独特の制度)を発動して強行突破を目指した。

これに対し、絶対多数を占める左派(社会党など)・左翼(メランションの不服従のフランス)と右翼(ルペンの国民連合)の野党が一致して、内閣不信任決議を可決し、政府予算案を葬り去るとともに、バルニエ内閣の総辞職をもたらしたのだ。

窮地に陥ったマクロン大統領は、後任の首相を選任せざるを得なくなり、再び不信任されることのないよう、右派から左派までの幅広い政治勢力から支持される、あるいは少なくとも不信任を突きつけられる可能性のない、政治家を探し求めた。

中道派だけでなく、右派穏健派や左派穏健派を含め、複数の政治家の名前が取り沙汰されたが、左派系の政治家には右派の反発が予想され、右派系の政治家には左派の反発が予想されるという袋小路の中で、マクロン大統領は12月13日、右派とも左派とも折り合いの良い、与党中道連合を構成する民主運動(MoDem)のバイルー党首を首相に任命すると発表した。



バイルー新首相は、マクロン支持の与党中道連合を中核にして、左派の穏健派から右派の穏健派までを含めた、幅広い与党連合の連立政権を目指すと見られている。

しかし、政治的に鋭く対立する左派と右派を含めた組閣には困難が予想され、仮になんとか連立政権が成立したとしても、実際の政権運営や政策調整は、連立各党の妥協に頼るしかなく、政策面でも連立各党が最低限合意できる範囲でしか決定・実行できないのは目に見えている。



このようにそもそも政治的主導権を奪われているマクロン=バイルー政権は、当初からレームダック状態でスタートすると言わざるを得ない。

大統領としての指導力を喪失、しぶしぶ任命

しかも、マクロン大統領は、先の議会解散と総選挙における敗北以来、すっかり大統領としての指導力を喪失しており、今回のバルニエ首相の後任選びにおいても、自らが望んだ股肱の臣を選任することができず、中道連合の重鎮、バイルー党首に押し切られる形で、同党首自身を新首相に任命せざるを得なかった。

バイルー党首は、マクロン大統領が初めて選出された2017年の大統領選挙において、自らの立候補を取り下げ、マクロン支持に回って、中道派をマクロン支持で一本化し、マクロン当選に大きく貢献した。

その時以来、マクロン政権下で常に自他ともに認める首相候補と見做されてきたが、マクロン大統領の選ぶところとはならず、法務大臣などの処遇ポストに甘んじてきた経緯がある。

今回の首相選びにおいても、政界やメディアでは早くから本命と目されていたが、マクロン大統領は最後まで、バイルー党首以外の選択肢を模索し続けた。

新首相決定の最終段階でも、マクロン大統領はバイルー党首に対し直接、改めて、同党首を首相に選任するつもりはないと伝え、失望した同党首が、それではこれまでの盟友関係をご破算にするとまで述べて、翻意を迫ったことでようやく、マクロン大統領も折れて、同党首を首相に選任することになったと報じられている。

結局、しぶしぶ任命した形になっているが、マクロンが最後までバイルーを忌避し続けたのは、なぜか。



色々な説がメディアを賑わしているが、最も大きな理由と考えられるのは、バイルーが、マクロンの進めてきた新しい中道路線を換骨奪胎してしまい、バイルー流の古い中道路線に引き戻してしまうことを、マクロンは恐れたのではないかということだ。

マクロンとバイルーの中道路線には違いも

マクロンの中道路線(マクロニズム)は、社会民主主義をベースにして、進歩的、リベラル、都会的、ポストモダン、グローバル、未来志向、政治手法はスマートでエリート的な、若い世代の新しい中道路線と形容できる。

これに対し、バイルーの中道路線(バイルーイスム)は、キリスト教民主主義をベースにして、牧歌的、保守的な価値観と近代的な価値観が共存する中道、政治手法は泥臭く、庶民的、属人的アプローチを好む、古い世代の中道路線と形容できる。



第五共和制下のフランスでは長く左右二極対立の構図が続き、中道派はその間で埋没した小さな第三勢力の存在でしかなかったが、そうした中でバイルーはずっと中道の旗を掲げ、政権の座を目指してきた。

「右でも左でもない」ことを標榜したマクロンの登場で、フランスの中道はようやく日の目を見ることになり、バイルーはその波に乗って、マクロンを支えることで、永年の念願であった中道政権を実現した。

しかし、今やマクロン政権の政治力は大きく低下してしまった。

そうした中で、中道政治家の重鎮として長いキャリアと実績を持ち、左右両派の領袖たちと対立しながら共存・協調してきたという経験を持つバイルーの存在が、大きくクローズアップされている。

それに反して、マクロンの影はますます薄くなって行かざるを得ない。

マクロン時代の終わりが始まったのだろうか。

山田文比古
名古屋外国語大学名誉教授。専門は、フランス政治外交論、現代外交論。30年近くに及ぶ外務省勤務を経て、2008年より2019年まで東京外国語大学教授。外務省では長くフランスとヨーロッパを担当(欧州局西欧第一課長、在フランス大使館公使など)。主著に、『フランスの外交力』(集英社新書、2005年)、『外交とは何か』(法律文化社、2015年)など。


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