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私たちに内在化された「西洋中心主義」の呪いを解き、世界を読みかえる「カリブ海思想」...理性の地理学をシフトする

ニューズウィーク日本版 2024年12月24日 11時5分

中村 達(千葉工業大学未来変革科学部助教) アステイオン
<「他者」であり続けさせる「呪い」に抗う「解呪の詩学」とは?──第46回サントリー学芸賞「思想・歴史部門」受賞作『私が諸島である──カリブ海思想入門』の「受賞のことば」より> 

私は、2015年から2020年までジャマイカにある西インド諸島大学に留学していました。そこで出会ったのが、私の恩師ノーヴァル(ナディ)・エドワーズ先生でした。

彼は、見通しのつかない孤独な航海を続けていた私にとって、行き先を照らし出してくれる灯台のような存在でした。

この度受賞対象として選んでいただいた本書は、ナディの下で私が積んだ研鑽の成果を、初めて日本語に落とし込んだものです。

彼の指導を受けるまで、私は自身をカリブ海文学・思想研究者と称しつつも、欧米の学術市場から理論として認め印を押されて輸出される知識体系に依存していました。まるでその知識さえ理解し用いさえすれば、カリブ海文学なぞ鮮やかに論じきることができるとでも言うかのように。

しかしそのような私にナディが教えてくれたのは、カリブ海には独自の知の歴史があるということでした。

西洋思想を絶対的な価値観を持つ普遍の知として無批判に受け入れることは、カリブ海にしてみれば、自分たちを知的・思想的なレベルで「他者」であり続けさせる「呪い」なのです。カリブ海思想は、いわばその「呪い」を解く「解呪の詩学」なのです。

本書は、カリブ海がどのようにその「解呪」を実践しているかをお見せするべく、15章にわたってシルヴィア・ウィンター、ウィルソン・ハリス、ジョージ・ラミング、カマウ・ブラスウェイトといった、画期的な思想的作品を世に送り出したカリブ海知識人を紹介しています。

カリブ海は、1492年のコロンブスによる「発見」に端を発する多文化・多人種の衝突と交錯と混淆、植民地支配、奴隷制、そして年季奉公制を経験してきたという歴史を背負った「ひとつの世界」です。

本書で紹介しているカリブ海の思想家たちは、その特異なる世界の歴史と経験を自分たちの言葉で語っています。彼らは、満ちては引く潮のごとき円環性を称揚し、直線性に囚われた西洋思想に抗する「解呪」を実践しているのです。

この度は光栄ある賞を頂き、今までの孤独な航海が報われた想いを抱いております。本受賞は決して私ひとりによるものではなく、その独自の知を育み、受け継ぎ、洗練し続けてきたカリブ海の人々の活動があってのものです。

彼らの言葉は、その独自性や画期性にかかわらず、日本ではまだまだ十分に響いているとは言えません。日本で現代思想として認識・受容されている知識体系には、カリブ海の人々が涵養してきた知が含まれておらず、日本でのカリブ海研究という海は、暗く先が見えません。

そのような状況を打破し、カリブ海文学・思想研究を日本に根付かせるべく、今後も尽力する所存です。そうすることで、今度は私が、その海を進む誰かの行き先を照らす灯台となれるように。

中村 達(Tohru Nakamura)
1987年生まれ。西インド諸島大学モナキャンパス英文学科MPhil/PhD program修了。慶應義塾大学法学部非常勤講師などを経て、現在、千葉工業大学未来変革科学部助教。論文に "Peasant Sensibility and the Structures of Feeling of 'My People' in George Lamming's In the Castle of My Skin"(Small Axe, Vol. 27, Number 1(70))など。

熊野純彦氏(放送大学特任教授)による選評はこちら

『私が諸島である──カリブ海思想入門』
 中村 達[著]
 書肆侃侃房[刊]

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