文・写真:趙海成
<盗難、病気、倒産......何がきっかけとなり、ホームレスになるかは分からない。しかし、荒川河川敷のホームレスを取材し続けてきた在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、ホームレスは「絶望ではない」とも言う>
日本の元国会議員である知人が、私がホームレスに関するルポを書いていると言うと、次のようなネタを話してくれた。
――ある政治家が自分のイメージを良くするために、思い付きでホームレスの集まりに行き、自らの宣伝を始めた。
「私は国会議員の○○○○です! 皆さんに会いに来ました!」
その場にいたホームレスたちはほとんど、彼をぼんやり見るだけで何の反応もしなかったが、1人だけ、年老いたホームレスが彼に微笑んだ。政治家はすぐに駆け寄って「おじいさん、こんにちは! 私は○○○○です」と言った。
老人は少し耳が遠いようで、「あなたはさっき何だと言っていましたか」と尋ねた。政治家はもう一度大きい声で「私は国会議員です!」と言った
「国会議員? ハハハ! ハハハ!」老人は笑いが止まらなかった。
政治家は首をかしげ、老人に尋ねた。「なぜ国会議員に会って喜んでいるのですか」
「わしもホームレスになる前は国会議員だったんですよ。ハハハ!」
この話が本当かどうか考証はしていないが、おそらくは誰かが政治家をからかうために作ったジョークだろう。
ジョークとはいえ、ここには2つの真理が示されていると思う。1つは、ホームレスは玉石混交であり、ホームレスになる前はいろいろな種類の仕事をしていた人がいること。もう1つは、誰であれ、いつかホームレスになる可能性があることだ。
ホームレスはどうやって「ホームレスになる」のか。以前に述べたように、倒産や失業、家賃が払えなくなること、あるいは家庭関係や人間関係の悪化などがきっかけという人が多い。
ホームレスは一人ひとり異なる事情とストーリーを抱えているが、それぞれがホームレスになった理由を知れば、きっと「誰であれ、いつかホームレスになる可能性がある」という真理が実感できる。
落とし穴はどこに潜んでいるか分からない。4つの例を紹介しよう。
一夜にしてホームレスになる可能性もある
当時、建築現場の下請け仕事をしていた彼は、何人かの作業員を連れて埼玉県某所の現場に行った。最終日の夕方に請け負った仕事が完成し、その夜、工事現場の寮から退去するよう言われた。疲れていたが、手に入れたばかりの数十万円の工賃を見て心が浮き立っていたという。
まず東京に戻るが、深夜になるのでみんなでホテルに泊まり、翌朝、電車やバスでそれぞれ家に帰るというプランだった。
泊まったのは池袋のカプセルホテルだ。まず貴重品をホテルの鍵付きロッカーに入れて、お風呂に入り、それからカプセルに入ってぐっすり寝た。この夜、災厄が降りかかった。翌朝そのロッカーを開けたところ、中にあった数十万円の現金とたくさんの免許証が全部消えていた。
警察によれば、密航してきた不法滞在の外国人がやったのだろうという。この連中はあちこちで犯罪を犯しており、当時、社会問題になっていた。捕まえるのは難しい。
最も痛かったのは、建築工事に関する各種の免許証や許可証で、大型トラックやクレーン運転、溶接関係、建築施工管理士資格など、すべてを失ってしまったと彼は話す。
これらを再発行してもらうにも、時間とお金がかかる。手元には、仕事の関係者に公衆電話をかけるお金さえない。生きる道をすべて断ち切られたように感じたそうだ。
彼には、全財産を盗まれた後、首を吊って自殺した友人がいた。いま自分は同じ窮地に立たされている、どうすればいいのか――。結局、彼は借りていた家に戻らず、仕事の取引先との連絡も途絶え、荒川河川敷で野宿生活を始めることになった。
体が弱くて労働ができず、ホームレスを選ぶ人もいる
私が荒川河川敷で会ったホームレスの1人は、病気がきっかけだった。
中高生の頃は不自由のない生活を送っていたが、学業は疎かだった。歌が好きだったので商店街のカラオケ大会に出たり、刺激が欲しくて車を飛ばし、警察に追いかけられたりしたこともあった。たばこも吸ったし、酒も飲んだ。高校を中退し、働いてお金を稼がなければならなくなると、まず専門学校の食堂に就職し、皿洗いや掃除をした。
しかし、幼い頃から喘息を患っていて、8時間連続で働くことができなかった。その仕事を辞め、派遣会社に登録した。毎日働く必要はないが、彼に与えられた仕事の多くは建設現場の肉体労働だった。
しばらく経つと、体が悲鳴を上げるようになったそうだ。仕事中、喘息がよく出て、休まなければならなかった。加えて彼はヘビースモーカーで、たばこをたくさん吸うのだが、そのたびに喘息がひどくなり、正常に仕事ができなくなった。
そして彼は、生きていくにはホームレスになるしかないと考えた。この時まだ32歳だったという。
もちろん、彼も公的な支援をあおいだり、他の道を選んだりすることができたかもしれない。しかし、若くても体が弱くて普通の人のように労働ができない人にとっては、ホームレスになることが現実味を増してしまうのだろう。
ホームレスの中には、以前はさまざまな仕事をしていた人たちがいる
会社の倒産、リストラ......それぞれの理由
私が取材をしているのは荒川河川敷に暮らすホームレスだが、他の地域のホームレスたちも当然、それぞれに事情を抱えている。
「下町ぶっとびTV」というドキュメンタリーのYouTubeチャンネルには、給料をもらえず、会社を転々として、ホームレスになった江戸川河川敷のホームレスが登場する。
最初は大工に弟子入りをしたが、親方に借金があって、弟子に給料を払えなくなった。次に入った会社の社長は元暴走族で、いろいろと問題があり、会社がつぶれた。転職して型枠大工の仕事を始めたが、今度は社長が酒を飲み過ぎて死んでしまったそうだ。その後は再就職をあきらめ、ホームレスになることを選んだという。
一方、20年以上前の日本のテレビのドキュメンタリーで、新宿の親子ホームレスを取り上げたものがあった。親子は栃木県のホテルで一緒に働いており、父はそこの副支配人も務めていたが、息子は軽い知的障害があった(母は息子が3歳の時に離婚しており、家を出ている)。
親子は共にホテルにリストラされ、家賃が払えなくなって、やむなく上京する。東京の親戚を頼ったが、結局、夜はシャッターが降りた後の階段の踊り場で過ごし、昼は飲食店の裏に捨てられていた食べ物で空腹を満たす生活になったという。
絶望から希望への「緩衝期」が得られるはず
日本人が他人に迷惑をかけないことを重視しているのは、よく知られている。自分が困っていて、生活を維持できないような場合でも、他人に助けを求めるより自殺を選んでしまう人がいる。本当に他に選択肢はないのだろうか。
そんな時は、ホームレスになろう――。極端な意見に聞こえるかもしれない。もちろん、路上生活を誰にでも推奨するわけではないが、これまで荒川河川敷で交流と取材を続けてきた私は、それも1つの道だと信じている。ホームレスになることで、絶望から希望への「緩衝期」が得られるはずだ。
キリスト教には「神は扉を一つ閉じれば、必ず窓を一つ開けてくださる」という教えがあるという。日本ではこの窓が「ホームレスの窓」なのではないか。窓の向こうには、お金がなくても、生きていける世界が広がっている。
私が言いたいことは、ホームレスという存在は、さまざまな理由で人生に行き詰まった人々の貴重な命を延長することに直結しているというものだ。
[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。
<盗難、病気、倒産......何がきっかけとなり、ホームレスになるかは分からない。しかし、荒川河川敷のホームレスを取材し続けてきた在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、ホームレスは「絶望ではない」とも言う>
日本の元国会議員である知人が、私がホームレスに関するルポを書いていると言うと、次のようなネタを話してくれた。
――ある政治家が自分のイメージを良くするために、思い付きでホームレスの集まりに行き、自らの宣伝を始めた。
「私は国会議員の○○○○です! 皆さんに会いに来ました!」
その場にいたホームレスたちはほとんど、彼をぼんやり見るだけで何の反応もしなかったが、1人だけ、年老いたホームレスが彼に微笑んだ。政治家はすぐに駆け寄って「おじいさん、こんにちは! 私は○○○○です」と言った。
老人は少し耳が遠いようで、「あなたはさっき何だと言っていましたか」と尋ねた。政治家はもう一度大きい声で「私は国会議員です!」と言った
「国会議員? ハハハ! ハハハ!」老人は笑いが止まらなかった。
政治家は首をかしげ、老人に尋ねた。「なぜ国会議員に会って喜んでいるのですか」
「わしもホームレスになる前は国会議員だったんですよ。ハハハ!」
この話が本当かどうか考証はしていないが、おそらくは誰かが政治家をからかうために作ったジョークだろう。
ジョークとはいえ、ここには2つの真理が示されていると思う。1つは、ホームレスは玉石混交であり、ホームレスになる前はいろいろな種類の仕事をしていた人がいること。もう1つは、誰であれ、いつかホームレスになる可能性があることだ。
ホームレスはどうやって「ホームレスになる」のか。以前に述べたように、倒産や失業、家賃が払えなくなること、あるいは家庭関係や人間関係の悪化などがきっかけという人が多い。
ホームレスは一人ひとり異なる事情とストーリーを抱えているが、それぞれがホームレスになった理由を知れば、きっと「誰であれ、いつかホームレスになる可能性がある」という真理が実感できる。
落とし穴はどこに潜んでいるか分からない。4つの例を紹介しよう。
一夜にしてホームレスになる可能性もある
当時、建築現場の下請け仕事をしていた彼は、何人かの作業員を連れて埼玉県某所の現場に行った。最終日の夕方に請け負った仕事が完成し、その夜、工事現場の寮から退去するよう言われた。疲れていたが、手に入れたばかりの数十万円の工賃を見て心が浮き立っていたという。
まず東京に戻るが、深夜になるのでみんなでホテルに泊まり、翌朝、電車やバスでそれぞれ家に帰るというプランだった。
泊まったのは池袋のカプセルホテルだ。まず貴重品をホテルの鍵付きロッカーに入れて、お風呂に入り、それからカプセルに入ってぐっすり寝た。この夜、災厄が降りかかった。翌朝そのロッカーを開けたところ、中にあった数十万円の現金とたくさんの免許証が全部消えていた。
警察によれば、密航してきた不法滞在の外国人がやったのだろうという。この連中はあちこちで犯罪を犯しており、当時、社会問題になっていた。捕まえるのは難しい。
最も痛かったのは、建築工事に関する各種の免許証や許可証で、大型トラックやクレーン運転、溶接関係、建築施工管理士資格など、すべてを失ってしまったと彼は話す。
これらを再発行してもらうにも、時間とお金がかかる。手元には、仕事の関係者に公衆電話をかけるお金さえない。生きる道をすべて断ち切られたように感じたそうだ。
彼には、全財産を盗まれた後、首を吊って自殺した友人がいた。いま自分は同じ窮地に立たされている、どうすればいいのか――。結局、彼は借りていた家に戻らず、仕事の取引先との連絡も途絶え、荒川河川敷で野宿生活を始めることになった。
体が弱くて労働ができず、ホームレスを選ぶ人もいる
私が荒川河川敷で会ったホームレスの1人は、病気がきっかけだった。
中高生の頃は不自由のない生活を送っていたが、学業は疎かだった。歌が好きだったので商店街のカラオケ大会に出たり、刺激が欲しくて車を飛ばし、警察に追いかけられたりしたこともあった。たばこも吸ったし、酒も飲んだ。高校を中退し、働いてお金を稼がなければならなくなると、まず専門学校の食堂に就職し、皿洗いや掃除をした。
しかし、幼い頃から喘息を患っていて、8時間連続で働くことができなかった。その仕事を辞め、派遣会社に登録した。毎日働く必要はないが、彼に与えられた仕事の多くは建設現場の肉体労働だった。
しばらく経つと、体が悲鳴を上げるようになったそうだ。仕事中、喘息がよく出て、休まなければならなかった。加えて彼はヘビースモーカーで、たばこをたくさん吸うのだが、そのたびに喘息がひどくなり、正常に仕事ができなくなった。
そして彼は、生きていくにはホームレスになるしかないと考えた。この時まだ32歳だったという。
もちろん、彼も公的な支援をあおいだり、他の道を選んだりすることができたかもしれない。しかし、若くても体が弱くて普通の人のように労働ができない人にとっては、ホームレスになることが現実味を増してしまうのだろう。
ホームレスの中には、以前はさまざまな仕事をしていた人たちがいる
会社の倒産、リストラ......それぞれの理由
私が取材をしているのは荒川河川敷に暮らすホームレスだが、他の地域のホームレスたちも当然、それぞれに事情を抱えている。
「下町ぶっとびTV」というドキュメンタリーのYouTubeチャンネルには、給料をもらえず、会社を転々として、ホームレスになった江戸川河川敷のホームレスが登場する。
最初は大工に弟子入りをしたが、親方に借金があって、弟子に給料を払えなくなった。次に入った会社の社長は元暴走族で、いろいろと問題があり、会社がつぶれた。転職して型枠大工の仕事を始めたが、今度は社長が酒を飲み過ぎて死んでしまったそうだ。その後は再就職をあきらめ、ホームレスになることを選んだという。
一方、20年以上前の日本のテレビのドキュメンタリーで、新宿の親子ホームレスを取り上げたものがあった。親子は栃木県のホテルで一緒に働いており、父はそこの副支配人も務めていたが、息子は軽い知的障害があった(母は息子が3歳の時に離婚しており、家を出ている)。
親子は共にホテルにリストラされ、家賃が払えなくなって、やむなく上京する。東京の親戚を頼ったが、結局、夜はシャッターが降りた後の階段の踊り場で過ごし、昼は飲食店の裏に捨てられていた食べ物で空腹を満たす生活になったという。
絶望から希望への「緩衝期」が得られるはず
日本人が他人に迷惑をかけないことを重視しているのは、よく知られている。自分が困っていて、生活を維持できないような場合でも、他人に助けを求めるより自殺を選んでしまう人がいる。本当に他に選択肢はないのだろうか。
そんな時は、ホームレスになろう――。極端な意見に聞こえるかもしれない。もちろん、路上生活を誰にでも推奨するわけではないが、これまで荒川河川敷で交流と取材を続けてきた私は、それも1つの道だと信じている。ホームレスになることで、絶望から希望への「緩衝期」が得られるはずだ。
キリスト教には「神は扉を一つ閉じれば、必ず窓を一つ開けてくださる」という教えがあるという。日本ではこの窓が「ホームレスの窓」なのではないか。窓の向こうには、お金がなくても、生きていける世界が広がっている。
私が言いたいことは、ホームレスという存在は、さまざまな理由で人生に行き詰まった人々の貴重な命を延長することに直結しているというものだ。
[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。