マイケル・アーントフィールド(犯罪学者、加ウェスタンオンタリオ大学教授)
<容疑者がネット上で「正義の味方」扱いされている。暴利を貪る医療保険業界に腹を立てている人が多いことがその理由と言われているが、「ハイブリストフィリア」を指摘する専門家もいる>
去る12月4日にニューヨークのど真ん中で米医療保険大手ユナイテッドヘルスケアのブライアン・トンプソンCEOを射殺した容疑者ルイジ・マンジョーネ(26)が、なぜか今ネット上で「ヒーロー」扱いされている。理不尽な話だが、ある意味、今の時代に珍しい現象ではない。
私たちの健康不安に付け込んで暴利を貪る医療保険業界に、腹を立てている人はたくさんいる。だから今回の凶行に一定の共感を抱く人がいるのは、まあ当然だ。
しかしここで注意したいのは、アメリカでは過去にも殺人犯(あるいはその容疑者)がメディアの報道を通じて、意図的ではないとしても結果として「有名人」に仕立てられる例が多々あったという事実だ。しかも今は、SNSがこの傾向を助長している。
古くは世界恐慌と禁酒法の1930年代に銀行強盗を繰り返し、当局からは「社会の敵」と呼ばれたが世間からは「義賊」と呼ばれたジョン・デリンジャーの例がある。
彼はFBIの捜査員によって1934年に射殺されたが、当時の新聞は彼を「アメリカ版ロビン・フッド」と呼んでいた。ちなみに2009年のハリウッド映画『パブリック・エネミーズ』では、あのジョニー・デップがデリンジャーを演じている。
あるいは94年夏の元フットボール選手O・J・シンプソン(黒人)の事件。前妻とその男友達を刺殺した容疑で指名手配されていたシンプソンは車で逃走、カリフォルニアの幹線道路で2時間近い派手なカーチェイスを繰り広げた。
その様子はテレビで全米に生中継されたのだが、沿道には容疑者に共感して「逃げろ、OJ」などのプラカードを掲げる人々がいた。
「世紀の裁判」と呼ばれた公判もテレビで逐一報道され、有罪か無罪かをめぐり世論は二分。最終的に陪審員の評決で無罪が言い渡されると、OJファンの人たちから歓声が上がったのだった。
しかし、こうしたファンの熱狂にはいささか病的な面もあったようだ。
犯罪者に引かれる倒錯
依存症に詳しいドリュー・ピンスキー医師は最近のインタビューで、マンジョーネへの称賛の多くは「ハイブリストフィリア(犯罪性愛)」に近いのではないかと指摘する。
ハイブリストフィリアは性的倒錯の一種で、なぜか凶悪犯に引かれてしまう性向を指す。
症状の出方はさまざまで、極端な場合は、凶暴な男性に性的な恋愛感情を抱いてしまった女性が男の犯罪(殺人を含む)に手を貸したりするケースもある。ほれ込んで、全てを投げ出して彼を支えようとする女性(まれには男性)もいる。
一方、シンプソンやデリンジャーの場合は、庶民の目には腐敗の温床と映る権威や組織に敢然と立ち向かう抵抗者に憧れ、英雄視する心理も働いていたと言えるだろう。
デリンジャーが「社会の敵」として暴れ回った1930年代には、大恐慌で生活苦にあえぐ庶民の財産を銀行が片っ端から差し押さえていた。90年代のアメリカ黒人にとっては、人種差別むき出しのロサンゼルス市警に対する怒りと抵抗のシンボルがO・J・シンプソンだった。
ではなぜ、今の時代にルイジ・マンジョーネが英雄視されるのか。たぶんアメリカの医療制度がおかしいからだ。
Michael Arntfield, Full Professor of Criminology & English Literature, Western University
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
<容疑者がネット上で「正義の味方」扱いされている。暴利を貪る医療保険業界に腹を立てている人が多いことがその理由と言われているが、「ハイブリストフィリア」を指摘する専門家もいる>
去る12月4日にニューヨークのど真ん中で米医療保険大手ユナイテッドヘルスケアのブライアン・トンプソンCEOを射殺した容疑者ルイジ・マンジョーネ(26)が、なぜか今ネット上で「ヒーロー」扱いされている。理不尽な話だが、ある意味、今の時代に珍しい現象ではない。
私たちの健康不安に付け込んで暴利を貪る医療保険業界に、腹を立てている人はたくさんいる。だから今回の凶行に一定の共感を抱く人がいるのは、まあ当然だ。
しかしここで注意したいのは、アメリカでは過去にも殺人犯(あるいはその容疑者)がメディアの報道を通じて、意図的ではないとしても結果として「有名人」に仕立てられる例が多々あったという事実だ。しかも今は、SNSがこの傾向を助長している。
古くは世界恐慌と禁酒法の1930年代に銀行強盗を繰り返し、当局からは「社会の敵」と呼ばれたが世間からは「義賊」と呼ばれたジョン・デリンジャーの例がある。
彼はFBIの捜査員によって1934年に射殺されたが、当時の新聞は彼を「アメリカ版ロビン・フッド」と呼んでいた。ちなみに2009年のハリウッド映画『パブリック・エネミーズ』では、あのジョニー・デップがデリンジャーを演じている。
あるいは94年夏の元フットボール選手O・J・シンプソン(黒人)の事件。前妻とその男友達を刺殺した容疑で指名手配されていたシンプソンは車で逃走、カリフォルニアの幹線道路で2時間近い派手なカーチェイスを繰り広げた。
その様子はテレビで全米に生中継されたのだが、沿道には容疑者に共感して「逃げろ、OJ」などのプラカードを掲げる人々がいた。
「世紀の裁判」と呼ばれた公判もテレビで逐一報道され、有罪か無罪かをめぐり世論は二分。最終的に陪審員の評決で無罪が言い渡されると、OJファンの人たちから歓声が上がったのだった。
しかし、こうしたファンの熱狂にはいささか病的な面もあったようだ。
犯罪者に引かれる倒錯
依存症に詳しいドリュー・ピンスキー医師は最近のインタビューで、マンジョーネへの称賛の多くは「ハイブリストフィリア(犯罪性愛)」に近いのではないかと指摘する。
ハイブリストフィリアは性的倒錯の一種で、なぜか凶悪犯に引かれてしまう性向を指す。
症状の出方はさまざまで、極端な場合は、凶暴な男性に性的な恋愛感情を抱いてしまった女性が男の犯罪(殺人を含む)に手を貸したりするケースもある。ほれ込んで、全てを投げ出して彼を支えようとする女性(まれには男性)もいる。
一方、シンプソンやデリンジャーの場合は、庶民の目には腐敗の温床と映る権威や組織に敢然と立ち向かう抵抗者に憧れ、英雄視する心理も働いていたと言えるだろう。
デリンジャーが「社会の敵」として暴れ回った1930年代には、大恐慌で生活苦にあえぐ庶民の財産を銀行が片っ端から差し押さえていた。90年代のアメリカ黒人にとっては、人種差別むき出しのロサンゼルス市警に対する怒りと抵抗のシンボルがO・J・シンプソンだった。
ではなぜ、今の時代にルイジ・マンジョーネが英雄視されるのか。たぶんアメリカの医療制度がおかしいからだ。
Michael Arntfield, Full Professor of Criminology & English Literature, Western University
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.