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「発熱患者お断り」は、なぜ4年も続いたのか?...「初動」の悪さが「有事」を長引かせてしまった

ニューズウィーク日本版 2025年1月8日 11時5分

伊藤由希子(津田塾大学総合政策学部教授) アステイオン
<患者が来ないことが最も合理的な選択になってしまった、コロナ禍の日本の医療対策について。『アステイオン』101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」より「医療における有事対応」を一部転載> 

4年も続けば、それはもはや
「有事」ではない

「有事」はいつまでなのか、という基準をはっきりと設けないまま、「有事」の医療としての新型コロナ対策は2020年2月から3年3カ月にわたって続けられた。

特に、2020年9月に予備費を財源として拡張した医療機関への金銭的支援(診療報酬の特例引上げや病床確保料等の補助金)は、そのままの水準で5類移行までの2年半続いた。

5類感染症相当となった後も、医療費やワクチン接種の公費負担は1年余り継続され、2024年3月末に終了した。医療サービスは、日本においてコロナ禍からの政策の引き際が最も遅かった分野だ。

一般に、社会が「有事」に対峙するには、明確かつ短期の期限が必要だ。まず、対峙しようとするのは人間であり、危機感や緊張感を共有することは、それが長引けば長引くほど難しい。

次に「有事」とは、社会がその資源を集中的に投入する対象であり、対応を継続すればするほど資源の配分が歪んでしまう。

つまり、医療の中では、「コロナ対応」に資源が偏ると、「非コロナの通常医療対応」への配分が疎かになる。そしてさらに、「医療」分野への資源配分の偏りは、「非医療」分野の機会損失となってしまう。

資源を有効に配分するという観点から知恵を絞るならば、感染拡大期には柔軟に「コロナ対応」の医療の体制を拡充し、感染収束期には通常医療の体制の拡充に調整する、という適応力が必要だ。

しかし、特に新型コロナ感染症患者のための医療機関への補助金・診療報酬は高止まりしたまま3年が過ぎた。そればかりか、金銭補償の仕組みにおいて、「患者を受け入れない方が利益が高い」という制度の欠陥が是正されないまま継続された。

人が人の中で生活する限り、感染症に晒されるリスクは常にある。しかし、だからこそ、社会は、ある程度冷静に未知の疾病に適応できる知見と手段を整えた段階で、公共政策としての感染症対策に終止符をうち、個人として自主的に自身や家族の健康の維持に取り組むべきだ。

そして、公共の福祉の観点から、より必要性や緊急性が高い課題へと資源投入を切り替える必要がある。

では、なぜそのような政策の適応力が必ずしも十分ではなく、結果として4年間の「有事」となったのか。それをここでのテーマとしたい。

「発熱者お断り」から始まった、新型コロナ感染症対策

「熱のある方の受診はお断りさせていただきます」

街中の診療所でこんな貼紙を見かけるようになった2020年の2月。この診療所の「初動」がその後の「コロナ対応」の混乱の引き金を引いたと筆者は考える。医療者と市民のニーズが食い違い、それを穴埋めしようとした行政対応の始まりである。

新型コロナウイルス感染症は、2月1日に、感染症法上の指定感染症(2類感染症相当)と政令で指定された。しかし、新型コロナの初期症状は検査しなければ風邪との区別がつかない感染症である。

一方で、3月末日まで保健所での検査の実施件数は全国で1日2000件に満たなかった。診療所にとって、検査する体制もなく、ましてや陽性者に対するフォローなどできない状態では、発熱者を安易に受け入れられない。

そもそも、発熱患者の動線(診察室や待機場所)を分けなければ、新型コロナ以外の診療に支障がでる。医療者にとっては、診療お断りは正当なリスク回避であり、通常診療の防衛で患者を守るという点では責任ある医療でもあった。

しかし患者にしてみれば、今までは、血圧やコレステロールの薬の処方で毎月受診していたかかりつけの医師が、37度台の微熱が出ただけで診てくれないというのは、リスクに対する過剰反応、まさに火事の時に現場から退散する消防隊のようなものだった。

ことに、普段は風邪だろうが頭痛だろうが、直ぐ診てもらえるのが当たり前だった日本において、医療者が真っ先に退散するという一種の「手のひら返し」は大きなショックであった。

気軽に相談できる「専門家」の不在は「もしコロナだったら」の不安と、「自宅にいるしかない」恐怖を増幅させた。日本の場合、パンデミックよりも先に、不確かな情報拡散というインフォデミックが広がった。

実際にはただの風邪、という大多数の市民を含め、検査や診察を受けられない不満のはけ口が、疫学調査や入院調整にあたる保健所に向かい、業務負担に拍車がかかった。地域医療の担い手としての「かかりつけ医」がいわゆる絵に描いた餅のようなものであることも露呈した。

なお、医師法第19条には「応召義務」(医師が正当な理由なく診療を拒否できない義務)が定められている。

しかし、2020年3月~10月にかけて発出された厚生労働省通知には、「診療が困難である場合には、少なくとも帰国者・接触者外来や新型コロナウイルス感染症患者を診療可能な医療機関への受診を適切に勧奨すること」とある。

応召義務はあっても、他の医療機関を紹介すればよい、つまり診なくてもよい、という現状追認の通知となった。

医療機関の能力にはもちろん差がある。すべての医療機関で必ず診よ、というのは現実的には不可能であり、非効率でもある。では、紹介すべき「診察可能な医療機関」とはどこか、その情報が行政にも医療者にもわからない、という状態が半年余り続いた。

そのような中、2020年9月に厚生労働省が通知した仕組みが「インフルエンザ流行期における発熱外来診療体制確保支援補助金」(以降、発熱外来)である。

これは、発熱患者専用の診察室や診療時間を設ける「診療・検査医療機関」を都道府県が指定し、その体制確保を補助する仕組みである。季節性インフルエンザをも想定し、秋冬期は補助金がさらに拡充された。この補助金の仕組みは後述するが、この政策には別の意外な落とし穴があった。

開設すれども公表せず──発熱外来の教訓

2020年9月の厚生労働省通知には「診療・検査医療機関から公表可能と報告のあった医療機関について、地域の医師会等とも協議・合意の上、公表する場合は(中略)患者が円滑に医療機関を受診できるよう」にする、とある。

市民に情報を公開し、選択肢を提供してこその発熱外来であったが、公表するかは医療機関の判断、としている。しかも行政上の組織ではない医師会等との協議を要したうえで「公表しても構わない」つまり非公表でもよいという不可解な通知だったのだ。

2022年2月4日の日本経済新聞によると、2022年当時3万5000の「発熱外来」のうち、3割の医療機関名が非公表であったという。その後、公表による加算金を付ける等の対応が行われた。

2022年11月に厚生労働省から示された資料では、全国4万1000の発熱外来の9割が公表されるようになったが、この時すでに新型コロナ発生から2年半以上が過ぎていた。

患者を受け入れることが前提で多額の補助金を得ている「発熱外来」を非公表にしたい、というのは身勝手が過ぎる。

医療機関側は「公表すると患者が殺到する」「事前予約なしで来院するので対応に追われる」等とコメントするが(前掲の日本経済新聞より)、その分、公表した医療機関にしわ寄せがくることは容易に想像できる。

なお、一部の医療機関や医師会等がなぜ公表に後ろ向きだったのかは、この補助金の仕組みにも問題がある。

発熱外来診療体制確保支援補助金は、一言でいえば、発熱外来を開設して診療時間を確保したが、患者が来院しなかった場合の補償金である。患者が来院しなければ、補助金が満額となり、診察した患者数に比例して減額される。

例えば1日7時間(20人相当)発熱外来を開設した場合、患者が来なければ1日当たり27万円、患者が10人の場合は、補助金は13.5万円となり、診察した10人分については診療報酬での支給となる。

しかし、診療すればするほど、患者への検査体制、陽性者の療養の場合の手続きなど診療報酬を取り崩す形での手間が当然かかる。であれば、「開設をしても周知せず来院者はほとんどなし」という開店休業状態が医療機関の収益上は最も合理的な選択となってしまう。

伊藤由希子(Yukiko Ito)
1978年神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。米国ブラウン大学経済学博士。東京学芸大学准教授を経て、現職。専門は医療経済学、国際経済学。日本各地の地域医療における病院再編問題に取り組む。内閣府規制改革推進会議「健康・医療・介護」WG専門委員・令和臨調「財政・社会保障部会」主査として社会保障改革に取り組む。

 『アステイオン』101号
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]
 

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イベントのお知らせ

アステイオンvol.101トーク「コロナ禍を経済学で検証する」
今回のアステイオントークでは、コロナ禍で果たした経済学の役割を振り返るとともに、経済学の専門知に対する他分野や世間からの信頼、インターネット社会における専門知の立ち位置について検討します。寄稿者から、医療経済学が専門の伊藤由希子氏、新型コロナ有識者会議のメンバーを務めた大竹文雄氏、読者を代表して科学と社会の関係に詳しい横山広美氏の3名をお迎えし、編集委員の土居丈朗氏の進行で予定調和なしのトークを繰り広げる予定です。

◆日時:2025年1月20日(月)16:00~17:30

◆登壇者 ※五十音順
伊藤由希子氏(津田塾大学教授)
大竹文雄氏(大阪大学特任教授)
土居丈朗氏(慶應義塾大学教授、アステイオン編集委員)※進行
横山広美氏(東京大学教授)

◆配信
Zoomウェビナーでの配信を予定しております(無料)。こちらのフォームより参加登録いただきましたら、配信URLが届きますので、当日ご視聴ください。なお、アーカイブ配信は予定しておりません。


◆登壇者略歴
伊藤由希子氏(津田塾大学総合政策学部教授)
1978年神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。米国ブラウン大学経済学博士。東京学芸大学准教授を経て、現職。専門は医療経済学、国際経済学。日本各地の地域医療における病院再編問題に取り組む。内閣府規制改革推進会議「健康・医療・介護」WG専門委員・令和臨調「財政・社会保障部会」主査として社会保障改革に取り組む。

大竹文雄氏(大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授)
1961年生まれ。京都大学経済学部卒業。大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程退学。博士(経済学)。大阪大学社会経済研究所助教授、同大学院経済学研究科などを経て、現職。専門は労働経済学・行動経済学。著書に『日本の不平等――格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社、サントリー学芸賞)、『競争社会の歩き方 自分の「強み」を見つけるには』(中公新書)、『あなたを変える行動経済学――よりよい意思決定・行動をめざして』(東京書籍)などがある。2020年~2023年、新型インフルエンザ等対策有識者会議・新型コロナウイルス感染症対策分科会委員をつとめた。

土居丈朗氏(慶應義塾大学経済学部教授、アステイオン編集委員)※進行
1970年生まれ。大阪大学卒業、東京大学大学院博士課程修了。博士(経済学)。東京大学社会科学研究所助手、慶應義塾大学助教授等を経て、現職。専門は財政学、経済政策論など。著書に『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社、日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞受賞)、『入門財政学(第2版)』 (日本評論社)、『入門公共経済学(第2版)』(日本評論社)、『平成の経済政策はどう決められたか』(中央公論新社)など。

横山広美氏(東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構教授)
1975年生まれ。東京理科大学大学院理工学研究科満期終了。博士(理学)。東京工業大学特別研究員、総合研究大学院大学上席研究員、東京大学大学院理学系研究科准教授を経て、現職。専門は科学コミュニケーション・科学技術政策。著書に『なぜ理系に女性が少ないのか』(幻冬舎)など。


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