石野シャハラン(異文化コミュニケーションアドバイザー)
<クリスマスやハロウィーンなどへの理解の浅さは、日本でニセ着物を着て寺社で騒ぐ外国人観光客と同じでは?とイラン出身の日本人である石野シャハラン氏は指摘します>
日本でもクリスマス商戦がにぎわいを見せた。どこに行ってもクリスマスツリーが飾られている。大きいもの小さいもの、豪華なもの、オーナメントの色に凝っているもの、子ども向けにかわいらしく飾っているものなど、日本のツリーはなかなか趣味がいい。だが毎年気になることもある。一番上に星が飾られていないツリーが多いのだ。
クリスマスを年末の楽しいイベント、クリスマスツリーを素敵な飾りとしか思っていない人には、ツリーのてっぺんに星があろうがなかろうが気にならない。
だが、誰もが知っているようにクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日であることに加えて、ツリーの星は、ベツレヘムの空に輝いてキリスト誕生を東方三博士に知らせた星を表していて、クリスマスツリーにはなくてはならないものである。だから、どんなに大きく立派なツリーであっても、星が飾られていないツリーはクリスマスツリーではない。ただの飾り付けられた木だ。
商業的なイベントとして世界中で大成功しているのはクリスマスだけではない。ハロウィーンもあるし、最近はブラックフライデーも安売りの呼び込みに使われる。ブラックフライデーは感謝祭の次の日、つまりクリスマス商戦が始まる日のことを言うが、日本には感謝祭はないのにブラックフライデーはある。何とも不思議だ。
逆に、日本の伝統文化は外国人に好まれまねされるが、日本人としては首をかしげたくなることもある。インバウンド観光客が安物の着物っぽいものを着せてもらい、町を闊歩しているのは滑稽だ。それに本来祈りの場である神社や寺に大挙して訪れ大声で騒がれるのは気分のいいものではない。
そう感じるのは、外国人観光客たちに着物や寺社への理解や尊重がなく、日本文化が見せ物にされていると思うからではないだろうか。同様に、日本のクリスマスに釈然としないのは、伝統文化が金儲けに使われている気がするからだろう。
何もキリスト教徒でなければクリスマスツリーを飾ってはいけない、と言っているわけではない。ただ日本人ももう少しツリーにまつわる歴史や文化への理解があっていいはずだ。イランでは、私が子どもの頃にはクリスマスはキリスト教徒だけが祝う祭りだったが、現在ではキリスト教徒ではない若者もツリーを飾ってパーティーをする。
彼ら彼女らはツリーの星のことをベツレヘムの星と呼び、星がないツリーはない。イランはベツレヘム、つまり現在のパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区にも近く、地理的なイメージと合わせて一般常識としてキリストの生誕や生涯の話を知っている。そしてキリスト教徒にとって神聖な日であること、社会全体に温かな気持ちや思いやりがあるべき日であることも理解している。
イスラエルと、ベツレヘムのあるパレスチナとの戦闘が始まって1年以上が過ぎ、パレスチナのガザでは子どもを含めた多くの一般人が犠牲となっている。欧米、特にアメリカの大学などでは学生の間にパレスチナ擁護の運動が広がって大学運営側との激しい対立が大きなニュースとなったが、日本ではほとんど関心を呼ばなかった。
私には、日本のクリスマスツリーに星がないことは他文化への理解や配慮のなさに思え、クリスマスの由来も、パレスチナの地も、他者を思いやるクリスマスの精神も、自分たちには関係ないし知ったことではない、ただの商売のイベントだ、と言わんばかりに見えて、とても残念な気持ちになる。
街でキラキラと輝く大きなツリーを見上げる時、一瞬でもいいので、皆さんもベツレヘムやガザで苦しむ人たちの気持ちに心をはせ、その地にも日本のように平和なクリスマスが訪れるよう祈ってほしい。
石野シャハラン
SHAHRAN ISHINO
1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日。2015年日本国籍取得。異文化コミュニケーションアドバイザー。YouTube:「イラン出身シャハランの『言いたい放題』」
X(Twitter):@IshinoShahran
<クリスマスやハロウィーンなどへの理解の浅さは、日本でニセ着物を着て寺社で騒ぐ外国人観光客と同じでは?とイラン出身の日本人である石野シャハラン氏は指摘します>
日本でもクリスマス商戦がにぎわいを見せた。どこに行ってもクリスマスツリーが飾られている。大きいもの小さいもの、豪華なもの、オーナメントの色に凝っているもの、子ども向けにかわいらしく飾っているものなど、日本のツリーはなかなか趣味がいい。だが毎年気になることもある。一番上に星が飾られていないツリーが多いのだ。
クリスマスを年末の楽しいイベント、クリスマスツリーを素敵な飾りとしか思っていない人には、ツリーのてっぺんに星があろうがなかろうが気にならない。
だが、誰もが知っているようにクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日であることに加えて、ツリーの星は、ベツレヘムの空に輝いてキリスト誕生を東方三博士に知らせた星を表していて、クリスマスツリーにはなくてはならないものである。だから、どんなに大きく立派なツリーであっても、星が飾られていないツリーはクリスマスツリーではない。ただの飾り付けられた木だ。
商業的なイベントとして世界中で大成功しているのはクリスマスだけではない。ハロウィーンもあるし、最近はブラックフライデーも安売りの呼び込みに使われる。ブラックフライデーは感謝祭の次の日、つまりクリスマス商戦が始まる日のことを言うが、日本には感謝祭はないのにブラックフライデーはある。何とも不思議だ。
逆に、日本の伝統文化は外国人に好まれまねされるが、日本人としては首をかしげたくなることもある。インバウンド観光客が安物の着物っぽいものを着せてもらい、町を闊歩しているのは滑稽だ。それに本来祈りの場である神社や寺に大挙して訪れ大声で騒がれるのは気分のいいものではない。
そう感じるのは、外国人観光客たちに着物や寺社への理解や尊重がなく、日本文化が見せ物にされていると思うからではないだろうか。同様に、日本のクリスマスに釈然としないのは、伝統文化が金儲けに使われている気がするからだろう。
何もキリスト教徒でなければクリスマスツリーを飾ってはいけない、と言っているわけではない。ただ日本人ももう少しツリーにまつわる歴史や文化への理解があっていいはずだ。イランでは、私が子どもの頃にはクリスマスはキリスト教徒だけが祝う祭りだったが、現在ではキリスト教徒ではない若者もツリーを飾ってパーティーをする。
彼ら彼女らはツリーの星のことをベツレヘムの星と呼び、星がないツリーはない。イランはベツレヘム、つまり現在のパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区にも近く、地理的なイメージと合わせて一般常識としてキリストの生誕や生涯の話を知っている。そしてキリスト教徒にとって神聖な日であること、社会全体に温かな気持ちや思いやりがあるべき日であることも理解している。
イスラエルと、ベツレヘムのあるパレスチナとの戦闘が始まって1年以上が過ぎ、パレスチナのガザでは子どもを含めた多くの一般人が犠牲となっている。欧米、特にアメリカの大学などでは学生の間にパレスチナ擁護の運動が広がって大学運営側との激しい対立が大きなニュースとなったが、日本ではほとんど関心を呼ばなかった。
私には、日本のクリスマスツリーに星がないことは他文化への理解や配慮のなさに思え、クリスマスの由来も、パレスチナの地も、他者を思いやるクリスマスの精神も、自分たちには関係ないし知ったことではない、ただの商売のイベントだ、と言わんばかりに見えて、とても残念な気持ちになる。
街でキラキラと輝く大きなツリーを見上げる時、一瞬でもいいので、皆さんもベツレヘムやガザで苦しむ人たちの気持ちに心をはせ、その地にも日本のように平和なクリスマスが訪れるよう祈ってほしい。
石野シャハラン
SHAHRAN ISHINO
1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日。2015年日本国籍取得。異文化コミュニケーションアドバイザー。YouTube:「イラン出身シャハランの『言いたい放題』」
X(Twitter):@IshinoShahran