練乙錚(リアン・イーゼン、経済学者)
<軍歴50年以上で、習近平に次ぐ中国軍序列2位。中央軍事委員会副主席の張又俠は、権力闘争を辞さない裏の顔も持つ。2025年に注目の人物だ>
中国の著名な軍人の家に、張又俠(チャン・ヨウシア)は生まれた。父親は建国以前から共産党軍に加わっていた「開国上将」で、息子の張を人民解放軍の将にふさわしい男に育て上げた。
軍歴50年以上の張は、軍内部で国家主席の習近平(シー・チンピン)よりもずっと多くの人脈と影響力を築いてきた。米バイデン政権の国家安全保障顧問が訪中した際、真っ先に面会を求めた相手も中央軍事委員会副主席の張だった。
習はかつて、党内の江沢民(チアン・ツォーミン)や胡錦濤(フー・チンタオ)の一派を粛清するに当たり、太子党(革命時の党幹部の子弟たちで、習や張も含まれる)の助けを借りた。習はその後、太子党をも一掃したが、張はしぶとく生き残った。
なぜか。張の父と習の父は共に陝西省出身で、1945年の爺台山反撃戦で共産党の紅軍に参加し、国民党軍と戦っていた。習は太子党の粛清に当たり、政治局の仲間以外にも味方を必要とした。習の周りにはまだ党内の有力者がいなかったので、陝西省人脈、とりわけ張の存在は大きかった。
とはいえ、張には習を背中から刺すような狡猾さもある。実際、既に亀裂が生じている様子だ。
2024年6月、習は張の子飼いである前国防相・李尚福(リー・シャンフー)に重大な汚職などがあったとして党籍剝奪の処分を下した。すると同年11月には国防省が、習の側近である中央軍事委員の苗華(ミアオ・ホア)が重大な規律違反を理由に職を解かれたと発表。格下の国防省が中央軍事委のスキャンダルを暴いたわけで、これは異例中の異例だ。
<軍歴50年以上で、習近平に次ぐ中国軍序列2位。中央軍事委員会副主席の張又俠は、権力闘争を辞さない裏の顔も持つ。2025年に注目の人物だ>
中国の著名な軍人の家に、張又俠(チャン・ヨウシア)は生まれた。父親は建国以前から共産党軍に加わっていた「開国上将」で、息子の張を人民解放軍の将にふさわしい男に育て上げた。
軍歴50年以上の張は、軍内部で国家主席の習近平(シー・チンピン)よりもずっと多くの人脈と影響力を築いてきた。米バイデン政権の国家安全保障顧問が訪中した際、真っ先に面会を求めた相手も中央軍事委員会副主席の張だった。
習はかつて、党内の江沢民(チアン・ツォーミン)や胡錦濤(フー・チンタオ)の一派を粛清するに当たり、太子党(革命時の党幹部の子弟たちで、習や張も含まれる)の助けを借りた。習はその後、太子党をも一掃したが、張はしぶとく生き残った。
なぜか。張の父と習の父は共に陝西省出身で、1945年の爺台山反撃戦で共産党の紅軍に参加し、国民党軍と戦っていた。習は太子党の粛清に当たり、政治局の仲間以外にも味方を必要とした。習の周りにはまだ党内の有力者がいなかったので、陝西省人脈、とりわけ張の存在は大きかった。
とはいえ、張には習を背中から刺すような狡猾さもある。実際、既に亀裂が生じている様子だ。
2024年6月、習は張の子飼いである前国防相・李尚福(リー・シャンフー)に重大な汚職などがあったとして党籍剝奪の処分を下した。すると同年11月には国防省が、習の側近である中央軍事委員の苗華(ミアオ・ホア)が重大な規律違反を理由に職を解かれたと発表。格下の国防省が中央軍事委のスキャンダルを暴いたわけで、これは異例中の異例だ。