ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<大ヒットミュージカルの楽曲をリズムによって紐解くと、言葉にあらわれていなかったキャラクターの心が見えてきた>
ミュージカルという芸術ジャンルの核心部として、音楽に乗せられる歌詞の「しらべ」がある。
「しらべ」とは、英語であればシラブルの数やアクセントの位置による「リズム」や「音韻」を効果的に組み合わせて、特定の気分や雰囲気を表現する調子だ。
こうした「しらべ」はミュージカル楽曲の中でどのように形成され、どのような効果をもたらしているのか。オペラや音楽劇の研究を行っている長屋晃一氏の著書『ミュージカルの解剖学』(春秋社)より一部抜粋して紹介する(本記事は第2回)。
※第1回はこちら:ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった
長屋氏は英語をはじめとするヨーロッパ言語の詩のリズムのうち、アクセントをもつ強い音を「●」、アクセントをもたない弱い音を「○」として、詩のリズムを分析している。扱ったのは現在帝国劇場で上演中のミュージカル『レ・ミゼラブル』の楽曲だ。
◇ ◇ ◇
強い音(●)をひとつもったリズムの最小のまとまりを「歩格meter」という。この「歩格」が1行に4回出てくると「4歩格」といい、5回出てくると「5歩格」という。
この「歩格」とその回数が、音楽にとってはかぎりなく重要になってくる。フレーズを何小節でまとめるか、という旋律の作り方に関わってくるからだ。ここからは、詩のリズムの基本となる4種類の「歩格」を紹介しながら、音楽との関係を少しずつ分析して示してみたい。
(1)イアンブス格(○●)
「弱強格」ともいわれ、ヤンブスと呼んだり、英語では「アイアンブiamb」などともいう。英語の詩では、このイアンブス格はたいへんに好まれる。だから、ミュージカル・ナンバーの歌詞でもイアンブス格の詩はひじょうに多い。
この〈囚人の歌〉は、規則正しいイアンブス格の連続で、「下を向けlook down」が基調となって繰り返される。奇数行が2歩格、偶数行が3歩格、という組み合わせでできている。このリズムの単純さは、囚人たちが実際に服務につきながら歌う、労働歌らしさも表している。
Les Misérables | Look Down (Full Hugh Jackman Performance) - Universal Pictures
ここで、ちょっとリズムだけでない、「しらべ」をつくる「音」のはなしもついでにしておきたい。2行目の「目eye」と4行目の「死ぬdie」は脚韻をふんでいる。
脚韻は調べを整えるためにも用いられるし、同じ脚韻の単語どうしがなんらかの意味のふくみをもつこともある。この4行ではそのふくみはみえない。
また、繰り返される"down"という言葉の響き(d やwn)は、その意味「下へ」のイメージもあいまって、下に向かうような重たさがある。さらには、"down"のイメージが、「ここhere」という場所、そして「死ぬdie」という土の下の世界へと結びつく。
"down"と"die"は頭韻(ダという音)も踏んでいるため、響きのうえでも結びつきを強めている。
音楽をみてみよう(譜例6)。
"down"が強い音なので、音楽では頭拍がこの"down"に置かれ、第1音節の"Look"は、弱い音のため、小節の手前におかれるアウフタクトになる。さらに作曲家は、この"down"の重さを表したかったのだろう、1拍ではなく、付点4分音符の1拍半に引き延ばされている。
(中略)
しかし、旋律をみると言葉のイメージとはどこか合っていない。「下に」と言いながら、音は上に向かっている。もし言葉のイメージと音楽をあわせるなら、"down"と歌うたびに音程をさげたほうが理屈にあう。
それでは、これは何を表すのか。「下を向け」といいながら、音楽は上を向いている、それは彼らが決して屈してはいない、ということである。言葉と旋律の結びつきは、たとえばこのようなところからも見えてくる。
信じがたい、という疑い深い人のために、同じナンバーの別の詩行をみてみよう。ジャベールがジャン・ヴァルジャンを呼ぶところだ。
まず、ジャベールの1行目、数字を読み上げるところは、すでにイレギュラーないびつなリズムになっているが、それ以外は基本的にイアンブス格でできている。わたしとしては、最後の"means"が弱い音になっているところが気になるところで、ぷつっと言葉を切ってしまうような、吐き捨てるような印象をあたえる。
楽譜はどうだろうか。これまた異様な音符のならびだ(譜例7)。
まず、最初の強い音は1拍目になる、という期待を裏切られる。(中略)みえにくいが、いちおう表拍にあたる音は、強い音になっているから、リズムはあっている。
しかし、弱いはずの"now"や"your"、"you"のほうが強い音に聞こえてくる。軍隊のかけ声に似た、命令口調とでもいったらいいだろうか。そして、上から下へ4度跳躍してさがる音程だけでできている。旋律を使うなど、この囚人たちにはもったいない、といわんばかりである。
つまり、ジャベールの居丈高な態度、囚人を人間として見くだした口調が、ここにあらわれている。4音(音楽用語で完全4度)上がり、正しいリズムを強調するかのような囚人たちの"Look down"の旋律とはまさしく対極にある。
じつは、音楽のうえだけでも、すでにわたしたちには囚人と官憲、どちらが正しいのか、という問いがつきつけられているのである。
※第1回はこちら:ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった
[引用楽譜(浄書したものを書籍から抜粋)]
Schönberg, Claude-Michel and Herbert Kretzmer, Cameron Mackintosh Presents the Musical Sensation Les misérables piano/vocal album, London: Faber Music, c.1986.
『ミュージカルの解剖学』
長屋晃一[著]
春秋社[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
長屋晃一
1983年生まれ。愛知県出身。國學院大學文学部卒(考古学)。慶應義塾大学大学院文学研究科にて音楽学を学ぶ。博士課程単位取得退学。修士(芸術学)。現在、立教大学、慶應義塾大学他で非常勤講師。19世紀のイタリア・オペラにおける音楽と演出の関係、オペラ・音楽劇のドラマトゥルギーについて研究を行っている。「ヴェルディにおける音楽の「色合い」:《ドミノの復讐》の検閲をめぐる資料から」(『國學院雑誌』、2023年)、「音楽化される川端康成:歌謡曲からオペラまで」(共著『〈転生〉する川端康成』、2024年)他。また、研究に加えて、舞台やオペラの脚本も手掛けている。オペラ《ハーメルンの笛吹き男》(一柳慧作曲、田尾下哲との共同脚本、2013年)、音楽狂言『寿来爺(SUKURUJI)』(ヴァルター・ギーガー作曲、2015年)他。
<大ヒットミュージカルの楽曲をリズムによって紐解くと、言葉にあらわれていなかったキャラクターの心が見えてきた>
ミュージカルという芸術ジャンルの核心部として、音楽に乗せられる歌詞の「しらべ」がある。
「しらべ」とは、英語であればシラブルの数やアクセントの位置による「リズム」や「音韻」を効果的に組み合わせて、特定の気分や雰囲気を表現する調子だ。
こうした「しらべ」はミュージカル楽曲の中でどのように形成され、どのような効果をもたらしているのか。オペラや音楽劇の研究を行っている長屋晃一氏の著書『ミュージカルの解剖学』(春秋社)より一部抜粋して紹介する(本記事は第2回)。
※第1回はこちら:ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった
長屋氏は英語をはじめとするヨーロッパ言語の詩のリズムのうち、アクセントをもつ強い音を「●」、アクセントをもたない弱い音を「○」として、詩のリズムを分析している。扱ったのは現在帝国劇場で上演中のミュージカル『レ・ミゼラブル』の楽曲だ。
◇ ◇ ◇
強い音(●)をひとつもったリズムの最小のまとまりを「歩格meter」という。この「歩格」が1行に4回出てくると「4歩格」といい、5回出てくると「5歩格」という。
この「歩格」とその回数が、音楽にとってはかぎりなく重要になってくる。フレーズを何小節でまとめるか、という旋律の作り方に関わってくるからだ。ここからは、詩のリズムの基本となる4種類の「歩格」を紹介しながら、音楽との関係を少しずつ分析して示してみたい。
(1)イアンブス格(○●)
「弱強格」ともいわれ、ヤンブスと呼んだり、英語では「アイアンブiamb」などともいう。英語の詩では、このイアンブス格はたいへんに好まれる。だから、ミュージカル・ナンバーの歌詞でもイアンブス格の詩はひじょうに多い。
この〈囚人の歌〉は、規則正しいイアンブス格の連続で、「下を向けlook down」が基調となって繰り返される。奇数行が2歩格、偶数行が3歩格、という組み合わせでできている。このリズムの単純さは、囚人たちが実際に服務につきながら歌う、労働歌らしさも表している。
Les Misérables | Look Down (Full Hugh Jackman Performance) - Universal Pictures
ここで、ちょっとリズムだけでない、「しらべ」をつくる「音」のはなしもついでにしておきたい。2行目の「目eye」と4行目の「死ぬdie」は脚韻をふんでいる。
脚韻は調べを整えるためにも用いられるし、同じ脚韻の単語どうしがなんらかの意味のふくみをもつこともある。この4行ではそのふくみはみえない。
また、繰り返される"down"という言葉の響き(d やwn)は、その意味「下へ」のイメージもあいまって、下に向かうような重たさがある。さらには、"down"のイメージが、「ここhere」という場所、そして「死ぬdie」という土の下の世界へと結びつく。
"down"と"die"は頭韻(ダという音)も踏んでいるため、響きのうえでも結びつきを強めている。
音楽をみてみよう(譜例6)。
"down"が強い音なので、音楽では頭拍がこの"down"に置かれ、第1音節の"Look"は、弱い音のため、小節の手前におかれるアウフタクトになる。さらに作曲家は、この"down"の重さを表したかったのだろう、1拍ではなく、付点4分音符の1拍半に引き延ばされている。
(中略)
しかし、旋律をみると言葉のイメージとはどこか合っていない。「下に」と言いながら、音は上に向かっている。もし言葉のイメージと音楽をあわせるなら、"down"と歌うたびに音程をさげたほうが理屈にあう。
それでは、これは何を表すのか。「下を向け」といいながら、音楽は上を向いている、それは彼らが決して屈してはいない、ということである。言葉と旋律の結びつきは、たとえばこのようなところからも見えてくる。
信じがたい、という疑い深い人のために、同じナンバーの別の詩行をみてみよう。ジャベールがジャン・ヴァルジャンを呼ぶところだ。
まず、ジャベールの1行目、数字を読み上げるところは、すでにイレギュラーないびつなリズムになっているが、それ以外は基本的にイアンブス格でできている。わたしとしては、最後の"means"が弱い音になっているところが気になるところで、ぷつっと言葉を切ってしまうような、吐き捨てるような印象をあたえる。
楽譜はどうだろうか。これまた異様な音符のならびだ(譜例7)。
まず、最初の強い音は1拍目になる、という期待を裏切られる。(中略)みえにくいが、いちおう表拍にあたる音は、強い音になっているから、リズムはあっている。
しかし、弱いはずの"now"や"your"、"you"のほうが強い音に聞こえてくる。軍隊のかけ声に似た、命令口調とでもいったらいいだろうか。そして、上から下へ4度跳躍してさがる音程だけでできている。旋律を使うなど、この囚人たちにはもったいない、といわんばかりである。
つまり、ジャベールの居丈高な態度、囚人を人間として見くだした口調が、ここにあらわれている。4音(音楽用語で完全4度)上がり、正しいリズムを強調するかのような囚人たちの"Look down"の旋律とはまさしく対極にある。
じつは、音楽のうえだけでも、すでにわたしたちには囚人と官憲、どちらが正しいのか、という問いがつきつけられているのである。
※第1回はこちら:ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった
[引用楽譜(浄書したものを書籍から抜粋)]
Schönberg, Claude-Michel and Herbert Kretzmer, Cameron Mackintosh Presents the Musical Sensation Les misérables piano/vocal album, London: Faber Music, c.1986.
『ミュージカルの解剖学』
長屋晃一[著]
春秋社[刊]
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長屋晃一
1983年生まれ。愛知県出身。國學院大學文学部卒(考古学)。慶應義塾大学大学院文学研究科にて音楽学を学ぶ。博士課程単位取得退学。修士(芸術学)。現在、立教大学、慶應義塾大学他で非常勤講師。19世紀のイタリア・オペラにおける音楽と演出の関係、オペラ・音楽劇のドラマトゥルギーについて研究を行っている。「ヴェルディにおける音楽の「色合い」:《ドミノの復讐》の検閲をめぐる資料から」(『國學院雑誌』、2023年)、「音楽化される川端康成:歌謡曲からオペラまで」(共著『〈転生〉する川端康成』、2024年)他。また、研究に加えて、舞台やオペラの脚本も手掛けている。オペラ《ハーメルンの笛吹き男》(一柳慧作曲、田尾下哲との共同脚本、2013年)、音楽狂言『寿来爺(SUKURUJI)』(ヴァルター・ギーガー作曲、2015年)他。