イアン・ランドル(科学担当)
<「モアイの島」で発見された太古の結晶は、地殻とマントルの動きに関する定説の見直しを迫っている>
「地殻のプレートは、その下のマントルと連動して動く」と、何十年も前から理科の教科書では説明されてきた。だが、太平洋に浮かぶイースター島(チリ領)で奇妙な発見をした地質学者の国際チームは、必ずしもそうではない可能性があると結論付けた。
地殻とマントルは、後者の対流によってベルトコンベヤーのように一緒に移動しているという「マントル対流説」は、1919年にイギリスの地質学者アーサー・ホームズ(Arthur Holmes)によって初めて提唱された。
ホームズの説は、巨大な大陸が地球の表面を移動するメカニズムを初めて説明するものだった。その根拠の1つは、アフリカと南アメリカの両大陸が大西洋に隔てられているにもかかわらず、海岸線の地形を合わせるとぴたりと一致し、岩石や化石の組成も一致するように見えたことだ。
だが今回、研究者は巨大なモアイ像で有名なイースター島で約1億6250万年間もマントル内部の同じ場所にとどまっていたと思われる結晶の「タイムカプセル」を見つけた。
この発見はマントル対流説とは相いれないもので、マントルの運動が従来考えられていたよりはるかに複雑である可能性を示唆している。
地質学的に言えば、チリ沖約3700キロに位置するイースター島は「ひよっ子」だ。最も古い地層は約250万年前の火山噴火で形成されたもので、その下の海洋プレートもそれよりずっと古くはない。
島の南西部の火山クレーター YAMIRKA ROJAS-AGRAMONTE
キール大学(Keele University、ドイツ)の地質学者ヤミルカ・ロハスアグラモンテ(Yamirka Rojas-Agramonte)らの調査チームは、まず島の年齢を正確に計算しようとした。そこで注目したのが、ウランを含む小さなジルコンの結晶だった。
これは溶岩中に保存された天然のタイムカプセルのようなものだ。
マグマが冷えて結晶ができてから時間がたつほど、結晶中のウランは崩壊が進んで鉛に変わる。このウランと鉛の比率を計測することで、結晶の年代を割り出せるのだ。
失われた証拠を復元せよ
「イースター島周辺の9つのサンプルからジルコンの粒を数百個発見した」と、ロハスアグラモンテは本誌に語った。
研究チームが330個の粒を分析したところ、予想どおり250万年前に形成された粒もあったが、島の誕生よりずっと古い1億6500万年前とみられるものもあった。
だが、イースター島の火山が1億6500万年も活動し続けてきたはずがない。火山が生まれた海洋プレート自体、そこまで古くない。
考えられる答えはただ1つ、古いジルコンは火山のずっと深部、つまりマントル内部で生まれたものに違いない。
ハワイやアイスランドと同様、イースター島の火山も活動の源泉は、その下にある「ホットスポット」だ。そこではマントル下部で発生したプルーム(上昇流)が、マントル内部の溶解した物質を地表に向かって噴き上げる。
プルームの位置は基本的に動かないが、対照的に地殻とその直下のマントル上部はホットスポット上を移動する。そのためハワイ諸島などでは、時間の経過とともにプルームが地表の異なる場所に火山島を形成することになる。
調査中のロハスアグラモンテ(写真右) MANU IRI
研究者たちは、イースター島で発見した最古のジルコンはホットスポットが1億6500万年前から活動を続けていた証拠ではないかと考えた。
だが、この仮説には問題があった。直接的な証拠(その時代にあったプレート)の多くが既に失われていることだ。
研究論文の共同執筆者であるユトレヒト大学(Utrecht University、オランダ)の地質学者ドウウェ・ファンヒンスベルゲン(Douwe van Hinsbergen)によれば、イースター島の地殻を含む海洋プレートは「沈み込み」と呼ばれるメカニズムによって、より浮力の高い大陸プレートの下に少しずつ潜り込む(これによってプレート同士が重なり合う部分で火山活動が引き起こされ、「環太平洋火山帯」が形成された)。
「問題は1億6500万年前の沈み込み帯にあったプレートが、とうの昔に消滅していることだ」と、失われたプレートの復元に取り組むファンヒンスベルゲンは述べている。
そこで、イースター島に約1億6500万年前にあったと推定される大きな火山台地を復元するシミュレーションを行ったところ、この台地は約1億1000万年前に南極半島の下に沈み込んだと推定された。この点は、別の謎に対する答えになりそうだ。
「その時期はちょうどこの場所での、今までよく分かっていなかった山脈と地殻の形成段階に一致していた」と、ファンヒンスベルゲンは説明する。「その山脈の痕跡がはっきり分かるが、これは1億6500万年前に形成された火山台地の沈み込みの影響かもしれない」
なぜ古い鉱物がここに
過去に存在したはずの火山台地を復元するシミュレーションは、イースター島のプルームの活動が実に1億6500万年前から続いてきたという説を補強するものだ。
約250万年前に島を形成し始めた「最近」の火山の噴火は、新しい物質だけでなく、もっと古いプルームのマグマの残骸も地表に噴き上げた。島自体より1億6250万年も古い「タイムカプセル」が溶岩に含まれている理由も、これによって説明できる。
しかし今回の発見以前から、地殻とマントルがベルトコンベヤーのように一緒に動くというマントル対流説と、プルームは移動していないという観測結果は矛盾を来していた。そこへ古いジルコンが見つかったことで、話はさらに複雑になった。
「これまでは、プルームは上昇速度が速いためマントルの移動の影響を受けず、プレートの下には常に新しいプルーム物質が供給されて新たな火山を形成すると説明されていた」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
だが、この理論には問題点がある。プルームに含まれていた古い物質はマントルの移動によって運ばれ、島を離れたはずだから、今になってイースター島で見つかるのはおかしい。
「そこから導き出された結論は、古いジルコンが保存されていたのは、プルーム周辺のマントルがプルームそのものと同様、ほぼ静止状態にあるから、というものだ」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
研究チームによれば、この可能性は、ガラパゴス諸島やニューギニアで行われた研究によって既に示唆されていた。「この発見は、ガラパゴスのプルームについての以前の発見を支持し、マントルプルームの寿命に関する従来の見方に重大な影響を与える」と、ロハスアグラモンテは語る。
研究チームの見方が正しければ、私たちの足元深くにあるマントルは、長いこと想定されていたものとは全く異なる動きを示しており、しかもそのスピードははるかに遅いことになる。
ドラマが深みを増した
イースター島での調査を終えた研究チームは、現在はメキシコの西にある島々のジルコンを調べ、どうすればこれらの結晶がマントルの中で長く生き残れるのかを突き止めようとしている。
「私たちはまだ物事の表面しか見ていない。他の島や地域が何を語ってくれるのか待ち遠しい」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
今回の調査に関わっていない英オックスフォード大学の火山学者デービッド・パイル(David Pyle)は、こう語る。
「今回の研究により、古いジルコンが太平洋の真ん中にある若い火山島の砂浜にどう堆積したかという不思議なドラマが、さらに深みを増した。もしも鳥や、風に乗ったちり、船のバラスト(底荷)、海流といったものがたまたま運んだものを除外できれば、これらのジルコンはマントルから運ばれてきた可能性が残る」
パイルによれば研究チームはこの考えを追い、古いジルコンの起源が今は失われた小さなプレート上で1億6500万年前に起きた大規模な火山活動にある可能性を示した。
「とっぴな考えに思えるかもしれないが」と、パイルは言う。「知れば知るほど、ジルコンは非常に耐性があり、構造プレートの循環の中で生き残る能力があることが明らかになっている」
<「モアイの島」で発見された太古の結晶は、地殻とマントルの動きに関する定説の見直しを迫っている>
「地殻のプレートは、その下のマントルと連動して動く」と、何十年も前から理科の教科書では説明されてきた。だが、太平洋に浮かぶイースター島(チリ領)で奇妙な発見をした地質学者の国際チームは、必ずしもそうではない可能性があると結論付けた。
地殻とマントルは、後者の対流によってベルトコンベヤーのように一緒に移動しているという「マントル対流説」は、1919年にイギリスの地質学者アーサー・ホームズ(Arthur Holmes)によって初めて提唱された。
ホームズの説は、巨大な大陸が地球の表面を移動するメカニズムを初めて説明するものだった。その根拠の1つは、アフリカと南アメリカの両大陸が大西洋に隔てられているにもかかわらず、海岸線の地形を合わせるとぴたりと一致し、岩石や化石の組成も一致するように見えたことだ。
だが今回、研究者は巨大なモアイ像で有名なイースター島で約1億6250万年間もマントル内部の同じ場所にとどまっていたと思われる結晶の「タイムカプセル」を見つけた。
この発見はマントル対流説とは相いれないもので、マントルの運動が従来考えられていたよりはるかに複雑である可能性を示唆している。
地質学的に言えば、チリ沖約3700キロに位置するイースター島は「ひよっ子」だ。最も古い地層は約250万年前の火山噴火で形成されたもので、その下の海洋プレートもそれよりずっと古くはない。
島の南西部の火山クレーター YAMIRKA ROJAS-AGRAMONTE
キール大学(Keele University、ドイツ)の地質学者ヤミルカ・ロハスアグラモンテ(Yamirka Rojas-Agramonte)らの調査チームは、まず島の年齢を正確に計算しようとした。そこで注目したのが、ウランを含む小さなジルコンの結晶だった。
これは溶岩中に保存された天然のタイムカプセルのようなものだ。
マグマが冷えて結晶ができてから時間がたつほど、結晶中のウランは崩壊が進んで鉛に変わる。このウランと鉛の比率を計測することで、結晶の年代を割り出せるのだ。
失われた証拠を復元せよ
「イースター島周辺の9つのサンプルからジルコンの粒を数百個発見した」と、ロハスアグラモンテは本誌に語った。
研究チームが330個の粒を分析したところ、予想どおり250万年前に形成された粒もあったが、島の誕生よりずっと古い1億6500万年前とみられるものもあった。
だが、イースター島の火山が1億6500万年も活動し続けてきたはずがない。火山が生まれた海洋プレート自体、そこまで古くない。
考えられる答えはただ1つ、古いジルコンは火山のずっと深部、つまりマントル内部で生まれたものに違いない。
ハワイやアイスランドと同様、イースター島の火山も活動の源泉は、その下にある「ホットスポット」だ。そこではマントル下部で発生したプルーム(上昇流)が、マントル内部の溶解した物質を地表に向かって噴き上げる。
プルームの位置は基本的に動かないが、対照的に地殻とその直下のマントル上部はホットスポット上を移動する。そのためハワイ諸島などでは、時間の経過とともにプルームが地表の異なる場所に火山島を形成することになる。
調査中のロハスアグラモンテ(写真右) MANU IRI
研究者たちは、イースター島で発見した最古のジルコンはホットスポットが1億6500万年前から活動を続けていた証拠ではないかと考えた。
だが、この仮説には問題があった。直接的な証拠(その時代にあったプレート)の多くが既に失われていることだ。
研究論文の共同執筆者であるユトレヒト大学(Utrecht University、オランダ)の地質学者ドウウェ・ファンヒンスベルゲン(Douwe van Hinsbergen)によれば、イースター島の地殻を含む海洋プレートは「沈み込み」と呼ばれるメカニズムによって、より浮力の高い大陸プレートの下に少しずつ潜り込む(これによってプレート同士が重なり合う部分で火山活動が引き起こされ、「環太平洋火山帯」が形成された)。
「問題は1億6500万年前の沈み込み帯にあったプレートが、とうの昔に消滅していることだ」と、失われたプレートの復元に取り組むファンヒンスベルゲンは述べている。
そこで、イースター島に約1億6500万年前にあったと推定される大きな火山台地を復元するシミュレーションを行ったところ、この台地は約1億1000万年前に南極半島の下に沈み込んだと推定された。この点は、別の謎に対する答えになりそうだ。
「その時期はちょうどこの場所での、今までよく分かっていなかった山脈と地殻の形成段階に一致していた」と、ファンヒンスベルゲンは説明する。「その山脈の痕跡がはっきり分かるが、これは1億6500万年前に形成された火山台地の沈み込みの影響かもしれない」
なぜ古い鉱物がここに
過去に存在したはずの火山台地を復元するシミュレーションは、イースター島のプルームの活動が実に1億6500万年前から続いてきたという説を補強するものだ。
約250万年前に島を形成し始めた「最近」の火山の噴火は、新しい物質だけでなく、もっと古いプルームのマグマの残骸も地表に噴き上げた。島自体より1億6250万年も古い「タイムカプセル」が溶岩に含まれている理由も、これによって説明できる。
しかし今回の発見以前から、地殻とマントルがベルトコンベヤーのように一緒に動くというマントル対流説と、プルームは移動していないという観測結果は矛盾を来していた。そこへ古いジルコンが見つかったことで、話はさらに複雑になった。
「これまでは、プルームは上昇速度が速いためマントルの移動の影響を受けず、プレートの下には常に新しいプルーム物質が供給されて新たな火山を形成すると説明されていた」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
だが、この理論には問題点がある。プルームに含まれていた古い物質はマントルの移動によって運ばれ、島を離れたはずだから、今になってイースター島で見つかるのはおかしい。
「そこから導き出された結論は、古いジルコンが保存されていたのは、プルーム周辺のマントルがプルームそのものと同様、ほぼ静止状態にあるから、というものだ」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
研究チームによれば、この可能性は、ガラパゴス諸島やニューギニアで行われた研究によって既に示唆されていた。「この発見は、ガラパゴスのプルームについての以前の発見を支持し、マントルプルームの寿命に関する従来の見方に重大な影響を与える」と、ロハスアグラモンテは語る。
研究チームの見方が正しければ、私たちの足元深くにあるマントルは、長いこと想定されていたものとは全く異なる動きを示しており、しかもそのスピードははるかに遅いことになる。
ドラマが深みを増した
イースター島での調査を終えた研究チームは、現在はメキシコの西にある島々のジルコンを調べ、どうすればこれらの結晶がマントルの中で長く生き残れるのかを突き止めようとしている。
「私たちはまだ物事の表面しか見ていない。他の島や地域が何を語ってくれるのか待ち遠しい」と、ファンヒンスベルゲンは言う。
今回の調査に関わっていない英オックスフォード大学の火山学者デービッド・パイル(David Pyle)は、こう語る。
「今回の研究により、古いジルコンが太平洋の真ん中にある若い火山島の砂浜にどう堆積したかという不思議なドラマが、さらに深みを増した。もしも鳥や、風に乗ったちり、船のバラスト(底荷)、海流といったものがたまたま運んだものを除外できれば、これらのジルコンはマントルから運ばれてきた可能性が残る」
パイルによれば研究チームはこの考えを追い、古いジルコンの起源が今は失われた小さなプレート上で1億6500万年前に起きた大規模な火山活動にある可能性を示した。
「とっぴな考えに思えるかもしれないが」と、パイルは言う。「知れば知るほど、ジルコンは非常に耐性があり、構造プレートの循環の中で生き残る能力があることが明らかになっている」