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生活保護はホームレスを幸せにするか、それを望んでいるのか...福祉国家・日本の現実

ニューズウィーク日本版 2024年12月28日 15時50分

文・写真:趙海成
<在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、ずっと取材を続けてきた荒川のホームレス男性が突然倒れて植物状態になったことを知った。そこから日本のホームレスを取り巻く福祉のさまざまな現実が明らかに...>

桂さん(仮名)は荒川の河川敷で暮らしていたホームレスで、定住所がなく、そのため年金をもらえず、健康保険にも加入していなかった。

彼は突然倒れ、病院に運ばれ、そして手術を受けた(第15話「わが友人、ホームレス、テントに暮らす荒川の釣り名人。奇跡が起きることを祈っている」参照)。今は植物人間の状態で、いつまで生きられるか分からない、

そうなると、高額な入院医療費は誰が支払うのか。こういう時、福祉国家としての日本の優位性が浮き彫りになる。

日本には国民全体をカバーする健全な医療保障制度がある。一方、生活保護の申請は国民の権利でもある。

桂さんのようにホームレスが病院に緊急搬送された場合、病院側が福祉事務所に連絡して、生活保護の申請をできることになっている。実際、桂さんも、必要な書類がそろっていなくても、短期間で国の生活保護を受けることができたと聞いている。これによって彼の入院治療費はすべて国の負担になる。

通常、生活保護は、本人が最寄りの福祉事務所に申請する。それにあたって、氏名や住所もしくは居所、保護を受けようとする理由、資産・収入の状況を記載した書類などを福祉事務所に提出する必要がある。本人確認書類、銀行通帳の写し、年金の証明書などの提出も求められる。

ただし、特別な事情があり、そうした書類がなくても申請することができる場合もある。桂さんのように、突然の病気や怪我で救急病棟に運ばれるホームレスにとっては非常にありがたい制度だ。

一般に、路上生活をしていたホームレスの場合、生活保護の申請はできても、受給するには、施設に入ることが条件になる。問題はここにある。

今まで自由な一人暮らしだった彼らが、今度は他の人たちと一緒に生活しなければならなくなる。摩擦やトラブルが生じるおそれがある。我慢できる人なら続けて住めばよいが、我慢できない人は再び元の生活状態に戻ってしまうかもしれない。

そうした施設について、ホームレスたちはどう考えているのか。もちろん一部の声ではあるが、生活保護を放棄したことがあるホームレスと、生活保護をもらいたくないホームレス、2人にインタビューした。

「10年前に施設へ。お金を3万円しかもらえなかった」

生活保護を受給し、施設生活を経験したあるホームレスの話。

「10年前、私は(病気になって)施設に入ったが、病状はむしろ重くなった。中は話に聞いていたほどよくなかった。小さな施設だと20人以上を受け入れるが、浴室と洗濯機は1つずつしかなかった。大きな施設では50人以上が入居できるが、洗濯機は6台しかなく、みんな列に並んで待たなければならなかったらしい。

私が入居していた施設は2人で1室だった。私は体が弱っていたので、部屋で静かに休む必要があったが、ルームメイトはいつもラジオをつけて音楽を聴いていて、うるさくて眠れなかった。

最終的に、そこを出ることにした。最も不満で悔しいのは、国から毎月もらえる13万5000円の補助費は、家賃と食事代を差し引いても7万円くらい残るはずなのに、実際に私がもらえていたのは3万円しかなかったことだ。

これはまだいいほうで、5000円しかもらえない施設もあったらしい。じゃあ、残りのお金はどこに行ったのかと聞かなければならない。誰かが自分の財布に入れたんじゃないだろうか。当時は、泣き寝入りするよりも、自殺して抗議しようと思ったぐらいだ」

「住居も食事も世話になるけれど、縛られるのは嫌だ」

次は、施設経験がない人の話だ。

「俺はホームレスになって12年で、今70歳、生活保護を申請したことはない。もし申請すれば、ちょっと順番を待てばもらえるだろう。申請したくない理由は、施設に対する行政管理がよくないと聞くから。

表向きはいいが、中は違うとよく言われている。お金(保護費)をくれ、住むことも食べることもお世話になるんだけど、縛られるのは嫌だ。それに内部の人間関係もよくないらしく、住んでいる人がハッピーな感じはなさそうだ。

施設とかアパートを区役所が直接は運営しないで、下請けに任せるのが根本的な問題だと思う。管理人みたいな人に管理されるが、優しくない人もいる。トラブルも発生するかもしれない。だから、入ってもすぐに出てしまう人がいるわけだ。

もちろん、体の具合がよくない人にとっては施設に入るのがいいと思うが、俺はまあまあ元気だし、そんな所なら入らないほうが楽だ」

2人の福祉施設に対する印象はいずれもネガティブだ。ただし、強調しておきたいのは、これはごく一部の声であるし、彼らはそもそも路上生活を選んだホームレスであること。生活保護を受け、いま施設で生活している人の中には満足している人もきっといるだろう。

客観的に言って、問題のある施設は確かに存在するが、困っている人たちのために良心的に運営されている施設もたくさんあるはずだ。悪質な「生活保護ビジネス」「貧困ビジネス」も一時期話題になったが、現在運営中のホームレス向け施設の大半は、以前より改善されてきているようだ。

政府にお願いしたいのは、今後もより一層、施設運営者に対する審査や監督に力を入れること。福祉施設をホームレスたちが入りたくなるような温かい家にすることが望ましいと思う。

刑務所を出た人を支援する施設もある

施設関連の仕事をしている知人の話によると、刑期が満了して釈放された人が何人か、適切な仕事が見つからなかったために荒川河川敷一帯に足を踏み入れ、ホームレスの生活を始めたという。

彼らは長い刑務所生活を経てやっと自由を取り戻したが、家族との関係が切れている人もおり、頼れる人がおらず、孤独で、受け入れられる場所を見つけるのは難しい。

政府も彼らの状況をよく知っている。そのため、彼らを自立させて、できるだけ早く社会に溶け込むよう促すため、更生保護・自立支援のための施設に住まわせ、仕事(建設現場の力仕事など)を探すのにも協力する。

つまり、食事や住まいを提供し、仕事探しも支援しているわけだ。私からすれば、出所後にこのような待遇を受けられるのはよいことに思える。

しかし、物事はそんなに簡単ではない。長年鉄格子に閉じ込められてきた人にとって、自由の獲得はいかに難しいか。もし彼らが政府の統制下で集団生活をするならば、刑務所での生活と何が違うのだろうか。

だから、刑務所を出た人たちの中に、政府が提供する施設を放棄して放浪の道に進む人がいるのかもしれない。一方、刑務満了者は生活保護を申請することもできる。

集団生活ではない「独身アパート」もあるが...

生活保護を申請し、福祉施設に入ったホームレスは、そこで何カ月か生活した後、アパートに移れる場合がある(あるいは支援団体の助けで、アパートに入居する場合もある)。ここでは集団生活ではなく、「独身アパート」などと呼ばれている。

「独身アパート」に入居できれば、施設より行動も比較的自由だ。定期的に支援者が訪れ、病気になった場合はすぐに治療を受けることもできる。

しかし、この待遇は大抵、年配者にしか与えられていないようだ。若いホームレスたちは、真面目に働いて自分で生計を立てなければならない。政府は基本的に、労働力があっても働かない人には支援をしない。

私が調べたところ、一般的に独身アパートへの入居申請の手続きは、煩雑で、しかも厳しい基準があるようだ。職歴、カルテ、居住履歴などを含む多くの証明書を提供するほか、一人暮らしの能力があるかどうかの審査を受けなければならない。

1つは健康管理。つまり、栄養バランスを考えて食事を取れるか、生活は規則的か、病気の時に自分で生活できるか。もう1つはお金の管理だ。つまり、自分のお金をきちんと管理できるか。

ほかに、ガスストーブなどを正しく使用できるかという安全管理、料理や掃除、洗濯、入浴を自分でできるかという自己管理もある。他の人とコミュニケーションを取れるか、迷惑をかけないようにできるかどうかなども確認されるという。

どうしてこんなに条件が多いのかと疑問に思う人もいるかもしれない。だが確かに、よく考えてみれば、これらの条件を満たせなければ厄介なトラブルが発生するかもしれないのだ。

ホームレスと憲法「基本的人権の尊重」

世界中のほとんどの国に、多かれ少なかれ貧困人口が存在している。彼らは政府の救済を必要としている。

ホームレスは貧困人口のごく一部だが、政府の救済を受けない人が多い。自分の働きで生活を維持している。

確かに日本では、ホームレスが公園や橋の下や通りなどの公共の土地にテントを張ったり、住民がごみ集積場に置いた飲み物のアルミ缶を持ち去ったりしていることは、法律や条例に違反する行為であることを否定できない。

ならば、なぜ政府はその違法行為を徹底的・強制的な手段で取り締まらないのか。

それは、日本国憲法があるからだろう。日本の行政は憲法の「基本的人権の尊重」を最も重視しており、法律もその原則を破らないように作られている。

最近、大阪などでホームレス・路上生活者を排除する動きがあるが、排除される人たちの暮らしをどう支えていくのか。行政や地域が一体となってその対策を講じるべきだと思う。

ノーベル文学賞を受賞したロシアの詩人ヨシフ・ブロツキーは若い頃、逮捕され、「寄生虫」の罪に問われて流刑に処された。彼は定職に就かず、アルバイトで生計を立てていた。

かつて中国の大都市には、乞食をして定住所のないホームレスがたくさんいた。そしてここ数年、彼らは突然蒸発した。その中には、政府に収監され故郷に送還された人や、悪質な犯罪組織にさらわれたり騙されて臓器の「ドナー」にさせられたホームレスもいる。

北朝鮮に行ったことのある人によると、そこではホームレスの姿を見ることはないという。平壌だけでなく開城、元山などの地方都市でも見なかったそうだ。

もし日本でホームレスの姿を見ることがなくなったら、それはどんな意味を持つか。日本はどんな国になるのだろうか。

(編集協力:中川弘子)

[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。



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