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「偽情報・誤情報」研究が直面する5つの課題

ニューズウィーク日本版 2024年12月29日 7時38分

一田和樹
<最近、メディアで「偽・誤情報」という言葉や影響工作、認知戦という言葉をよく目にするようになった。しかし、偽・誤情報に関する調査研究や対策が、役に立つ、と言い切れる専門家はいるのだろうか?>

盛り上がる政府と、懸念する専門家

防衛三文書でこの分野の重要性が指摘され、各省庁などで組織整備と予算確保が進んだ結果のようだ。その一方で、盛り上がる政府と、懸念する専門家という奇妙な構図が目に入るようになってきた。もちろん、多くの専門家は「偽・誤情報は民主主義の脅威」とする政府の姿勢に賛同している。

少なくとも反対せず依頼があれば引き受けている。さらにこの分野をてがけていなかった専門家や企業が付け焼き刃で政府予算目当てに参入してきている。

非常に印象的なことがあった。ある省庁の方が参加する非公式の勉強会に参加した時のことだ。偽・誤情報に関するさまざまな分野の専門家が集まっていた。

省庁の方が実施予定の施策について説明した後、「怒ったりしませんので、なんでも質問してください」とおっしゃったので、蛮勇をふるって質問した。

「なぜ、効果が検証されていない対策を行うんでしょう?」

おそらくもっとも言ってはいけない質問だったと思うのだが、省庁の方は約束通り怒ることはなく答えてくださった。数回、やりとりしたあとで省庁の方は出席していた他の専門家の方々に話しを振った。

「○○さんのご意見はいかがですか?」

名指しされたのは、気鋭の若手研究者で官公庁のプロジェクトにも参加している方だ。海外の論文などを引用して効果があることを説明してくれると期待したのだと思う。

しかし、その方は、「効果についてはともかくとして、記録を残すという意味でやる意義はあると思います」という趣旨のことを言った。

この答えが多くの専門家のスタンスを象徴しているように思えた。いま行っている偽・誤情報に関する調査研究や対策が、ほんとうに効果がある、役に立つ、と思っている専門家はほんとうにいるのだろうか? という疑問が生まれた。

多くの専門家は偽・誤情報関連の施策に危惧を抱きつつも、予算を割り当ててもらった自らの調査研究のみに没頭しているのではないか?

もちろん、その専門家の方を責める意図はない。特に日本では、多くの専門家は政治とは距離をおいて、自身の研究を中立的に進めようとしており、その方もそうだったにすぎない。どちらかというと、私の方が空気を読まない態度を責められるべきなのだろう、日本では。

やがて、じょじょに懸念を表明する専門家が増えてきた。主たる懸念は共通しており、次の5つだ。

1.偽・誤情報の定義が曖昧で共有されていない
2.偽・誤情報問題は政治的である
3.影響や被害の特定は困難かつ評価方法は定まっていない
4.データアクセスに制限がある
5.世界各地で偽・誤情報問題は起きているが、調査研究は米国を対象したものばかりである

最近、公開された「A field's dilemmas Misinformation research has exploded. But scientists are still grappling with fundamental challenges」と「Misinformed about misinformation: On the polarizing discourse on misinformation and its consequences for the field」をもとに、その懸念をご紹介したいと思う。

課題1 偽・誤情報の定義が曖昧で共有されていない

最初から情けない話しだが、この分野の言葉の定義は曖昧で共有もされていない。

実際に150人の専門家を調べたところ、バラバラであることがわかった。ふつうに解釈するなら「偽・誤情報に関する調査研究の対象はそれぞれ異なる」ということになり、共有も議論も成立しないことになる。

余談だが、偽・誤情報そのものは問題ではない、と私は考えており、同じことを主張する専門家もいる。理由は簡単で、科学や情報は常に更新されるものだからである。

つまり、いま正しくないと言われていることが、のちに正しかったことがわかることもある。冤罪が晴らされることもあれば、未検証だった科学理論が検証されることもある。

昔、アメリカが世界中を監視、盗聴していると言ったら陰謀論と言われただろうが、スノーデンが機密文書を公開して、それは誤りではなかったことがわかった。偽・誤情報の存在を悪であると決めつけることや、いまの判断尺度で判断することは、新しい発見や真実を埋もれさせてしまう。

世の中には埋もれさせていい偽・誤情報と、埋もれさせてはいけない偽・誤情報があると考える人もいるかもしれない。しかし、その判断はあくまで現時点のものでしかない。その判断の根拠になる科学的知見は更新されるし、文化や思想の変化で評価が変わることもある。そう考えると、偽・誤情報がある方が正常な状態と言ってよいだろう。

また、ナラティブやプロパガンダには「偽」や「誤」の要素のないものがある。偽・誤情報ではないものも同じように攻撃に利用されている以上、偽・誤情報だけを特別扱いする必要はないはずだ。

「偽・誤情報」の問題の本質は「偽」や「誤」にはない、と考える方が妥当だ。なぜか多くの専門家は、「偽」や「誤」の要素のないものも偽・誤情報対策の反中に入れることでこの議論を回避している。特に、真偽判定を重要な課題と考えている日本の一部の官公庁にとっては絶対に回避しなければならない話題だ。

課題2 偽・誤情報問題は政治的である

アメリカでのこの分野の研究の後退と、研究機関や研究者へのバッシングが示すように、この領域の研究は政治的な問題とは切り離せない。共和党を中心とする右派によって多くの研究が阻害された。

また、逆に予算が集まりやすく、政治的に優先されるテーマは研究が進みやすくなる。このテーマはIT、医療、経済、人種、宗教、教育、軍事など他方面に関係しており、政治的な利用がしやすい。偽・誤情報問題は高度に政治的問題なのだ。

また、研究者の多くは政治とは離れた中立的な立場で研究を行おうとしているが、予算、データの入手、その後のキャリアなど政治的な問題が山積みなのである。

冒頭に書いた、「効果についてはともかくとして、記録を残すという意味でやる意義はあると思います」という回答は、当該省庁の施策を言外で支持している。

繰り返しになるが、その方のことを非難するつもりは毛頭ない。そもそも「効果が検証されていない対策をなぜ行うんでしょう?」という質問自体もきわめて政治的と言うこともできる。

課題3 因果関係の立証は困難

偽・誤情報の問題は複雑であり、因果関係を証明することが難しい。その理由は大きく2つある。

1.多くの研究は行動にいたるまでを調査しておらず、態度や信念までに留まっている

しかし、信念から行動までは大きな隔たりがある。そのため反ワクチン陰謀論とワクチン摂取率の関係も立証は難しい。2021年の最初の3カ月の間、フェイスブック上でもっとも読まれたワクチン関係の投稿は、偽・誤情報ではなく、健康な医師がワクチン接種後に死亡した記事だった。もちろん、これは偽・誤情報ではない。

2.測定、評価方法の問題

ピザゲートでの事件では、数百万人が陰謀論に接触したが、レストランに銃を持って現れたのはひとりだけだった。統計的には数百万分の1ということになる。確率的には無視してよい数だが、社会問題としては無視できないだろう。

2つの論考では触れられていなかったが、そもそも因果関係は適当にデータを入れればわかるわけではなく、因果関係を仮定しなければならない。適切な仮定を作ることができていない可能性は高く、さらに悪いことで不適切な仮定であっても因果関係の検証はできるため、一見妥当なものに見えてしまう。

課題4 データアクセスに制限がある

この領域の多くのデータはSNSプラットフォームなどの民間企業が保有しており、研究者が扱えるのはその一部にすぎない。これまでの、そしてこれからの研究は、民間企業が提供するデータに依存している。

さらに特にやっかいなのはWhatsAppやTelegramなどメッセンジャーである。メッセンジャーでやりとりされている内容は原則として公開されない。

その一方で、入手困難なものの、そこに莫大なデータがあることがわかっているために、過剰にそのデータに依存している可能性も危惧されている。確かに、これまでの調査研究におけるSNSプラットフォームからのデータは非常に貴重で、数多くとりあげられてきた。

しかし、SNSプラットフォームは偽・誤情報問題を引き起こした張本人と名指しされることも多い。その犯人が自分たちに不利になるようなデータを渡していると考えるよりは、都合のよいデータを渡していると考える方が自然だろう。

実際、フェイスブックは調査の最中にモデレーションポリシーを変更して調査結果に影響を及ぼしたことがある。フェイスブック・ファイルには同社社内のこうした問題がいくつも暴かれている。

課題5 調査研究は米国を対象したものばかりである

偽・誤情報問題は世界規模で発生している問題だが、ほとんどの調査研究および対策は北半球、特に英語圏さらに米国に偏っている。

そして、共和党と民主党に焦点を当てたものが多い。米国を対象とした調査結果が、そのまま他の国にあてはまると考えるのは無理がある。そもそも複数国を対象にした調査研究では、国による違いが報告されている。

たとえば、デジタルメディアと民主主義の因果関係に関する496の論文を調査した「A systematic review of worldwide causal and correlational evidence on digital media and democracy」では、地域差が大きかったことなどが指摘されており、さらに米国の論文には、一般化することへの注意が欠けていることが多かった。

きわめて限定された対象の調査結果がどこまで参考になるのかわからない。少なくともに安易に手本にすべきではないはずだが、なぜかわが国では先行事例として欧米の事例がよく取り上げられ、追随するような動きがある。

領域にとらわれない俯瞰した視点が欠落

5つの課題を見ると、いかにこの問題への対応が遅れているかわかる。しかし、遅れているのは偽・誤情報問題への対応だけではないのである。偽・誤情報問題のとらえ方という基本的な問題も整理されていない。

「ハイブリッド戦」あるいは「超限戦」という言葉がある程度知られるようになって久しいが、それらに対応した態勢はできていない。

偽・誤情報は「ハイブリッド戦」あるいは「超限戦」を構成する要素のひとつだが、戦い全体の中での役割が充分に把握できているとは言えない状況だ。それができない理由は、俯瞰して全体を見る役割の組織がないか、あっても機能していないからだ。

日本の官公庁も、それぞれバラバラに施策を進めていて全体像を把握している組織があるようには見えない(必要性は文書には書かれているが)。

個々の領域にとらわれた対症療法は、「ハイブリッド戦」あるいは「超限戦」の格好の餌食でしかない。


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