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私たちは専門家の声をどう聞けばいいのか?...「忘却の中のコロナ禍」から考える、専門知と社会の在り方

ニューズウィーク日本版 2025年1月22日 11時0分

植田 滋(読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員) アステイオン
<「5類感染症への引き下げ」から1年半しか経過していないにもかかわらず、「100年に一度の世界史的な災厄」を忘れている...。有事における専門家の存在意義と市民の関係について> 

『アステイオン』の特集「コロナ禍を経済学で検証する」を読んで、まず頭にもたげてきたのが、自分が恥ずかしい、という思いであった。

なぜというに、新型コロナウイルス感染症の災禍(コロナ禍)が一応の収束を見せ、2023年5月に「5類感染症への引き下げ」がなされてから1年半しか経っていないにもかかわらず、コロナ禍のことなどほとんど記憶の片隅に追いやってしまっていたからである。

今般のコロナ禍は、そのさなかにあっては、数十年、あるいは100年に一度の世界史的な災厄だと語られていたはずである。ところが、収束して1年余りで、コロナ禍のことなどほとんど考えない自分がいることに気づいた。己のあまりの忘れっぽさに、恥ずかしい、という思いがこみ上げてきたのである。

この特集を組んだ土居丈朗氏は、田中弥生氏との対談「コロナ対策の『事後検証』」で、〈日本の組織構造には「事後検証されることを前提に行動しよう」という発想があまりなく、むしろ「できれば事後検証されず、後から何となくよかったねと言われればいい」という風潮が官民問わず多く見受けられます〉と述べている。

だが、これはなにも「日本の組織構造」に限った話ではないのかもしれない。日本人一人ひとりが「何となくよかったね」で済ませたいという思いがあるのではないか。それだけに、この度、しっかりとしたコロナ禍の検証が行われ、その感想エッセーを書く機会をいただいたことは、自分自身の意識を鍛え直す上でも、ありがたい話であった。

とはいいながら、経済学者でなく、経済学を専攻したわけでもなく、新聞社に籍を置きつつも経済記者ではない筆者が、この特集にすんなりと応答するのは簡単なことではない。経済学という「専門」とおよそかけ離れた立ち位置にある人間が「経済学で検証する」を「検証」することなどできるはずもない。

であれば、一般人の立場から、その「専門」なるものを外側から考えてみるほかはない。幸いなことに、それを考えるきっかけを与えてくれる論考がこの特集にはある。大竹文雄氏「感染症対策における日本の経済学(者)」である。

大竹氏によれば、新型コロナ感染症対策において、経済学者は大きな貢献をすることができたという。感染症やその対策が社会経済に与えた影響を多くの経済学者が迅速に分析したからだと。

一方で氏は、経済学者と感染症専門家との間には、その対策における主張や価値観に相違があったことも記している。

新型コロナ対策を進めるなかで、感染症専門家が感染者数の最小化を目標としたのに対し、経済学者は感染以外にも、経済的損失、自殺や結婚・出生に与える影響、子どもの学力維持、生活困窮者の支援といった複数の価値も重視すべきだと考えたという。

そして、こうした複数の価値をいかに達成していくかについて、経済学者は学問の新規性、厳密性、正確性を幾らか犠牲にしてでも、迅速に対処したと指摘している。

専門家がその専門領域に閉じこもらず、社会的危機に正面から向き合い、役割を果たそうとして行動していたというのは、感慨深い。有事における専門家の存在意義というものに改めて気づかされる指摘である。

ここで思い出されたのが、話は飛ぶが、評論家の山本七平(1921~91年)の代表作の一つ『私の中の日本軍』(1975年)である。この戦後を代表する評論家が自らの戦争体験を問い直したこの著作に「扇動記事と専門家の義務」という章がある。軍事知識とメディアの有りようを論じた章だが、山本はこう記している。

〈戦後は軍事知識の一知半解人はいなくなったが、新聞、ラジオ、テレビは、別の面での恐るべき多量の一知半解人を生み出しているように思う。一体これがどうなって行くのであろう。知らないことは知らないでよいではないか。知らないことには判断を差し控えて少しもかまわないではないか。/同時に、専門家ははっきりと専門家としての判断を公表する義務があると私は思う。と同時に専門家でない者は、専門家の意見を冷静に聞くべき義務があると思う。だが一知半解人は、常にそれができないのである。......専門家は、たとえいかなる罵詈雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。〉 

この度のコロナ禍でも、山本が活躍した1970、80年代と同様、メディアには「一知半解人」であふれていたように思う。だとすれば、専門家が専門家としての「義務」として発言していくというのは、やはり重要なことだと思う。

再び『アステイオン』 の特集に戻ると、大竹氏の論考は、別の感慨を抱かせもした。分野の異なる「専門家」同士が異なる主張を展開した時、どの専門でもない一般人はどう応答すればいいのか、という問題である。

感染症専門家が「行動制限を徹底し、感染者数を最小化して『命』を守るべきだ」と言えば、その通りだと思う。一方で経済学者が「行動制限を強め過ぎて生活困窮者を自殺に追い込むべきではない」と言えば、それもそうだと思う。異なる専門家の異なる主張の間で、一般人は戸惑うことになる。

こうした戸惑いを覚える時、優れた専門的知識だけでなく、異なる価値を統合して適切に位置づけるバランス感覚ないし常識感覚といったものの必要を感じる。専門は専門として重視しつつも、それぞれの専門を統合して総合的に判断する知恵が求められるのではないか。そんな思いを抱いたのである。

その点、伊藤由希子氏の「医療における有事対応」は、優れたバランス感覚に支えられて的確な結論を導き出した優れた論考だと感じた。

伊藤氏は、社会が「有事」に対峙するには明確かつ短期の期限が必要であること、人間が危機感や緊張感を共有することは、それが長引けば長引くほど難しいことを指摘し、何をもって「有事」(初動期・対応期)とし、どのような基準で「平時」(準備期)に戻すのか、判断根拠をはっきりさせるべきことを説き、その上でコロナ禍における医療対応がどうであったかを具体的に検証している。

そこから、医療機関同士の情報共有とそのための情報収集機能の集約化・一元化の必要性を訴えている。「専門」を持たずとも、ストンと腑に落ちる内容であった。

総じていえば、先の山本七平もそうだが、専門を専門として生かす上でも、「常識に還れ」と訴えた福田恆存(1912~94年)や、コロナ禍の渦中に亡くなった山崎正和氏(1934~2020年)のような総合的言論人とでも呼ぶべき人が、言論界にはやはり必要なのではないか。そんな思いがわき上がったのだった。

植田 滋(Shigeru Ueda) 
読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員。1965年、東京生まれ。90年、読売新聞東京本社入社。99年から20年余り文化部に在籍し、論壇・宗教、書評欄などを担当。2008年から8年間、読売新聞文化面の論壇時評「思潮」を執筆した。論説委員(文化・皇室担当)や文化部長を歴任した後、2024年1月から現職。

 『アステイオン』101号
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]
 

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