ヘスス・メサ、カーロ・ベルサノ(いずれも本誌英語版エディター)
<右派ポピュリズムが世界を席巻するなか、「多様性はカナダの強みです」と語り、リベラルの象徴だったカナダ首相の退場が意味するもの>
1月6日、カナダのジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相が、10年近く暮らしてきた首都オタワの首相公邸の玄関前で記者会見に臨んだ。
ジョージアン・リバイバル様式のこの邸宅前は、新型コロナのパンデミック初期にトルドーが定期的に会見を開いていた場所。
この日の姿は、コロナの状況や政府の取り組みについて語る首相をカナダ国民が支持していた当時を思い起こさせるものだった。
時は流れ、かつて現代の進歩主義運動の象徴だった53歳のトルドーは、同じ場所で辞意を表明した。国民や自らが率いる与党・自由党の幹部の支持を失い、10月までに行われる総選挙での惨敗が確実視されるなかでの発表だった。
「この国には次の選挙で本物の選択肢が必要だ」と、沈痛な面持ちでトルドーは語った。「私はその選択肢として最善の存在ではない」
トルドーには国際政治の変革者として喝采を浴びた時代があった。
環境保護主義者、フェミニスト、難民や先住民の権利擁護者を自任し、映画スターさながらのルックスと元首相の息子という血統を兼ね備えた彼は、2015年の総選挙を制して首相に就任し、西側のリベラル派の象徴となった。
だが国民との蜜月は2年ほどしか続かなかった。スキャンダルが相次ぐなか、17年にはイメージに傷が付き始め、小さな火種はコロナ禍の間に大きな炎へと燃え上がった。
トランプとトルドーは移民政策などをめぐり対立してきた(18年6月、ケベック州) CHRISTINNE MUSCHIーREUTERS
19年と21年の総選挙で自由党が過半数割れすると、トルドーは中道左派の新民主党(NDP)などの協力を仰いで法案を可決する少数与党政権を運営せざるを得なかった。
だが昨秋に同党との協力協定が崩壊し、NDPのジャグミート・シン党首は12月に内閣不信任案を提出する意向を表明。他の野党も同調した。
トランプ時代の対抗軸に
トルドーが世界の舞台に躍り出た15年10月、彼の進歩主義的な資質は、終盤に差しかかっていた米オバマ政権を引き継ぐ存在に見えた。
当時は、米大統領選に名乗りを上げたドナルド・トランプが、まだメディアからネタ扱いされていた時代。
社会自由主義が堂々と語られ、「ツイッター」と呼ばれていたSNSで男性政治家が「自分はフェミニストだ」と公言しても嘲笑されない時代だった。
その一方で、トランプのような右派政治家の躍進や西側での文化的ダイナミクスの変化が、リベラル的理想の優位を揺るがし始めた時期でもあった。
トルドーはトランプ時代の対抗軸となるべく、ワシントンでの論争にたびたび意見を発信した。
その象徴的な出来事が17年にあった。トランプがイスラム教徒の多い国からの入国を制限する大統領令に署名した直後、カナダは難民歓迎を打ち出した。
「迫害、テロ、戦争から逃れている人々へ、カナダは信仰に関係なく皆さんを歓迎します」と、トルドーはツイートした。
「多様性はカナダの強みです」
当時、こうした政治的な動きは「包摂性の象徴」というカナダのイメージを誇る国民の意識を反映し、トルドー支持層の共感を得た。
しかし、移民問題はその後、カナダを二分している。トルドー政権を含むリベラルな政府は、進歩的な理想と、移民の経済的・社会的影響に対する国民の疑念の高まりとの折り合いをつけるのに苦労している。
「こうした政治ドラマに続く彼の長い沈黙は、現在の彼の立場がいかに脆弱であるかを雄弁に物語っている」と、マギル大学(モントリオール)のダニエル・ベラン教授(政治学)は指摘する。
24年4月にはカナダの人口は4100万人を超え、前年の増加分の98%を移民が占めた。人口の急増は、既存の課題を増幅させた。
カナダは隣国のアメリカ同様、住宅危機、生活費の高騰、国債の増加に直面しており、反トルドー派は、これらの問題は移民に寛容な政策が原因の一部だと非難している。
政府は移民計画の見直しを余儀なくされ、25年の永住者の受け入れ数を計画値の50万人から39万5000人に削減すると昨年10月に発表した。
進歩派への二重の圧力
22年前半には、国民感情の変化が頂点に達した。コロナ対策の厳しい規制に対する不満が高まり、抗議デモや道路封鎖が起きた。この運動は瞬く間にカナダ全土に拡大し、トルドーは1988年の制定以来初めて緊急事態法を発動した。
2年後、連邦裁判所は緊急事態法の発動について、トルドーが権限を逸脱したとの判決を下した。この時点で彼の支持率は低迷しており、回復することはなかった。
カナダでトルドーが勢いを失った背景には、世界の進歩派の指導者たちが直面している危機がある。世界各地で右派ポピュリズムが台頭し、進歩派は文化的・経済的変化への対応を迫られている。
この後退が顕著に表れたのが、昨年の大統領選でトランプが勝利したアメリカだ。トランプは文化的な懸念や経済的な不満を利用し、それらはリベラルな政府の失敗だと断じた。この戦略は、世界中の右派指導者が同調している。
フランスでは、エマニュエル・マクロン大統領が反移民の姿勢を見せるようになり、イタリアのジョルジャ・メローニ首相は民族主義的な政策を推進している。
ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は今や野党の中心勢力になろうとしている。
こうした動きは、進歩派の指導者が直面する二重の圧力を浮き彫りにしている。
移民や経済格差に対する有権者の不満に対処すると同時に、台頭するナショナリズムとポピュリズムに対抗しなければならないのだ。
この難題を乗り越えた指導者は今のところ存在しない。
複雑でグローバルな課題を国家のアイデンティティーをめぐる闘いとして位置付けるポピュリストの主張が明快な一方で、進歩派は将来に向けた説得力のあるビジョンを提示できずにいる。
<右派ポピュリズムが世界を席巻するなか、「多様性はカナダの強みです」と語り、リベラルの象徴だったカナダ首相の退場が意味するもの>
1月6日、カナダのジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相が、10年近く暮らしてきた首都オタワの首相公邸の玄関前で記者会見に臨んだ。
ジョージアン・リバイバル様式のこの邸宅前は、新型コロナのパンデミック初期にトルドーが定期的に会見を開いていた場所。
この日の姿は、コロナの状況や政府の取り組みについて語る首相をカナダ国民が支持していた当時を思い起こさせるものだった。
時は流れ、かつて現代の進歩主義運動の象徴だった53歳のトルドーは、同じ場所で辞意を表明した。国民や自らが率いる与党・自由党の幹部の支持を失い、10月までに行われる総選挙での惨敗が確実視されるなかでの発表だった。
「この国には次の選挙で本物の選択肢が必要だ」と、沈痛な面持ちでトルドーは語った。「私はその選択肢として最善の存在ではない」
トルドーには国際政治の変革者として喝采を浴びた時代があった。
環境保護主義者、フェミニスト、難民や先住民の権利擁護者を自任し、映画スターさながらのルックスと元首相の息子という血統を兼ね備えた彼は、2015年の総選挙を制して首相に就任し、西側のリベラル派の象徴となった。
だが国民との蜜月は2年ほどしか続かなかった。スキャンダルが相次ぐなか、17年にはイメージに傷が付き始め、小さな火種はコロナ禍の間に大きな炎へと燃え上がった。
トランプとトルドーは移民政策などをめぐり対立してきた(18年6月、ケベック州) CHRISTINNE MUSCHIーREUTERS
19年と21年の総選挙で自由党が過半数割れすると、トルドーは中道左派の新民主党(NDP)などの協力を仰いで法案を可決する少数与党政権を運営せざるを得なかった。
だが昨秋に同党との協力協定が崩壊し、NDPのジャグミート・シン党首は12月に内閣不信任案を提出する意向を表明。他の野党も同調した。
トランプ時代の対抗軸に
トルドーが世界の舞台に躍り出た15年10月、彼の進歩主義的な資質は、終盤に差しかかっていた米オバマ政権を引き継ぐ存在に見えた。
当時は、米大統領選に名乗りを上げたドナルド・トランプが、まだメディアからネタ扱いされていた時代。
社会自由主義が堂々と語られ、「ツイッター」と呼ばれていたSNSで男性政治家が「自分はフェミニストだ」と公言しても嘲笑されない時代だった。
その一方で、トランプのような右派政治家の躍進や西側での文化的ダイナミクスの変化が、リベラル的理想の優位を揺るがし始めた時期でもあった。
トルドーはトランプ時代の対抗軸となるべく、ワシントンでの論争にたびたび意見を発信した。
その象徴的な出来事が17年にあった。トランプがイスラム教徒の多い国からの入国を制限する大統領令に署名した直後、カナダは難民歓迎を打ち出した。
「迫害、テロ、戦争から逃れている人々へ、カナダは信仰に関係なく皆さんを歓迎します」と、トルドーはツイートした。
「多様性はカナダの強みです」
当時、こうした政治的な動きは「包摂性の象徴」というカナダのイメージを誇る国民の意識を反映し、トルドー支持層の共感を得た。
しかし、移民問題はその後、カナダを二分している。トルドー政権を含むリベラルな政府は、進歩的な理想と、移民の経済的・社会的影響に対する国民の疑念の高まりとの折り合いをつけるのに苦労している。
「こうした政治ドラマに続く彼の長い沈黙は、現在の彼の立場がいかに脆弱であるかを雄弁に物語っている」と、マギル大学(モントリオール)のダニエル・ベラン教授(政治学)は指摘する。
24年4月にはカナダの人口は4100万人を超え、前年の増加分の98%を移民が占めた。人口の急増は、既存の課題を増幅させた。
カナダは隣国のアメリカ同様、住宅危機、生活費の高騰、国債の増加に直面しており、反トルドー派は、これらの問題は移民に寛容な政策が原因の一部だと非難している。
政府は移民計画の見直しを余儀なくされ、25年の永住者の受け入れ数を計画値の50万人から39万5000人に削減すると昨年10月に発表した。
進歩派への二重の圧力
22年前半には、国民感情の変化が頂点に達した。コロナ対策の厳しい規制に対する不満が高まり、抗議デモや道路封鎖が起きた。この運動は瞬く間にカナダ全土に拡大し、トルドーは1988年の制定以来初めて緊急事態法を発動した。
2年後、連邦裁判所は緊急事態法の発動について、トルドーが権限を逸脱したとの判決を下した。この時点で彼の支持率は低迷しており、回復することはなかった。
カナダでトルドーが勢いを失った背景には、世界の進歩派の指導者たちが直面している危機がある。世界各地で右派ポピュリズムが台頭し、進歩派は文化的・経済的変化への対応を迫られている。
この後退が顕著に表れたのが、昨年の大統領選でトランプが勝利したアメリカだ。トランプは文化的な懸念や経済的な不満を利用し、それらはリベラルな政府の失敗だと断じた。この戦略は、世界中の右派指導者が同調している。
フランスでは、エマニュエル・マクロン大統領が反移民の姿勢を見せるようになり、イタリアのジョルジャ・メローニ首相は民族主義的な政策を推進している。
ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は今や野党の中心勢力になろうとしている。
こうした動きは、進歩派の指導者が直面する二重の圧力を浮き彫りにしている。
移民や経済格差に対する有権者の不満に対処すると同時に、台頭するナショナリズムとポピュリズムに対抗しなければならないのだ。
この難題を乗り越えた指導者は今のところ存在しない。
複雑でグローバルな課題を国家のアイデンティティーをめぐる闘いとして位置付けるポピュリストの主張が明快な一方で、進歩派は将来に向けた説得力のあるビジョンを提示できずにいる。